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父親に会いたいの?(クライアント) コーチング⛰️

コーチングの学びとクライアントさんと出会うの両立を実験中のなほです。
毎日楽しいが向こうからやって来るけど、自分でも作ります!

コーチには守秘義務があり、コーチングセッション(コーチと2人で対話する時間をこう呼びます)で話したことが外に出されることはありません。
このnoteは、私がクライアントとしてコーチングセッション(練習でした)を受けた記録、それを補足した内容です。
※noteをご覧になったコーチからのコーチング相互セッションはお受けしていません。

やりたいけどやっていないこと、と言うとちょっと違うのだけど、抱えているままにどうすることも出来ないでいるものの筆頭が、私にとってはこれです。
コーチングでは一人で向き合うことが難しいと感じることにコーチの力を借りて向き合うことも出来ます。ただコーチがいてくれるだけで力になるし安心するし、向き合う力がわいてきます。

私は父親に会いたいのか。

正確には、会いたいのかどうかが問題ではなくて、父親に伝えたい気持ちがある。それを伝えるために会うの?会いたいのか分からないってことです。
やりたいこと=父親に気持ちを伝えたい。
けど、やることが出来ない状態です。

「お父さん」ではなくて、「父親」と呼ぶのも、今の私の感じを表していると思います。
「お父さん」に会いたいの?
は、なんかしっくりこない。

「子どもの頃の私は、父親が大好きだった」
という事実に私は去年気づきました。
気づいていなければ、会いたいの?っていうこと自体を考えることもなかった。
けれど、今まで蓋をしていたその気持ちに気づいた時は涙が出るような出来事で、もうその気持ちをないものとしていた私には戻れなくて、伝えたいって思いました。

簡単に会えるならそうしたら良いのだけど、両親が離婚してから一度も会っていなくて、4年か5年前に電話で偶然に話したことがあるだけです。

ありふれた家庭だったと思うし、愛されていたと思うし特別に不幸だったとも思っていませんが、父親に離婚の原因があると私は思っていたし、母親の影響を受けた状態で当時の私は父親のことを見ていた、ということにも気づきました。

どこに住んでいるかも、おそらくは出身地に戻って生活しているのだろうけど、両親が離婚してから連絡を取り合ったことはありません。

さあ、どうする?

伝えたいなら、電話する、手紙を書くなどもあるけれど、会って伝えるという選択肢もある。
では、今の父親に会いたいの?ってなるとそれに一人で向き合って考えることは少々しんどいと感じていました。一人で向き合うことが出来ないと感じている。

だから、その気持ちに気づいたけれどそのままにしていました。

今回このコーチになら、ちょっと一人では向き合うのが怖いですってなっている私と向き合って「ともにいてくれる」、と思ったのでこのテーマを持ってきました。

大丈夫っていう信頼。

だから、「一人で向き合うには怖いと感じている」とコーチに話しました。
真摯に私に向き合ってくれたコーチに感謝です。

結論めいたものが出た訳ではありません。

けれど、私が思っていたよりも奥行きがある、深い、大きさが大きいものだったことが分かりました。
見ようとしていなかったので、全体の大きさが私は分かっていなくて、今回の時間を通して思ったより大きいなって感じました。
やっぱり一人で対峙するには厳しいものだったと感じます。
コーチがいてくれることの力を感じました。心から感謝です。


伝えたい私

子どもの頃の私は、父親が大好きだった。
これを私は伝えていない。
気づいたからにはこの気持ちを伝えなければ。

その気持ちは強いものでした。

コーチから、意志を感じます。
というフィードバックをもらっていて、伝えることには迷いがない、と言葉をかけてもらいました。

それは本当にそうで、気づいていなければ、そこにあるのにないものとして過ごしていたのだろうけれど、ちゃんとあるんだよってことに気づいたからには、この気持ちをどうにかしないと、外に出さないとって感じになっていました。

▶伝える意味は?

とコーチに何度か聞いてもらいました。

多分、今日のセッションにおいて私は尋ねられたことと違うことを何度か答えていて、コーチングセッションという場はそれで全然OKなのだけど、大体において私は質問されたことに適切に答えようという意識が強い方だと思うので、それだけほんとに自分でも分からないことに向き合った時間だったのだと思います。
加えて自由に感じたことを出せていた。

私にとっての「伝える意味」を握ってから進めていけたことが、ありがたい時間でした。

伝える意味
私が完了させたいだと思います、と答えていて、それはそうなんだと思いましました。気づいてしまったからには、それを伝えることが私にとって完了。

「全然、伝えていない。」
って思ったからです。こんなに大好きだったのに、私はそれを伝えていない。感謝とは違っていて、大好きだったという気持ちを私は伝えたい。

書いて思うのは、こんなに好きだったのにそれが全然伝わっていないかもしれないこと、伝えていないことが私は悲しいんだ、と思いました。

後悔する
これも話していて、伝えないままに父親が死んだら私は後悔するって思いました。だから、伝えたい。

そして、伝える意味について問われる中で出てきたのが、伝えた時点でもう完了する、目的は達成されると思っていたけれど、私は父親からの反応が欲しいのかもしれない、ということでした。
これ、今までには考えたことがなくて、自分中心にしか考えられていなかったので、ただただ伝えたいの欲求だけだった。
けれど、何かを返して欲しい私がいることに気づけたのは1つ大きなことでした。

未来に向けて父親と今の私は関係を作っていきたいのか?

という疑問も私は持っていて、セッションでは話していないけれど、反応を返して欲しいと思う私は、父親と会いたいし、また関係を作っていきたいのかもしれない。
離婚当時、私は離婚に反対していてそれは叶わなかったけれど、どんな父親でも良いから父親でいて欲しかったと思っていました。
それだけ大事な存在だったのだと思います。たとえ家族に害をなすような存在でも父親に私はいて欲しかった。

会うのが怖いと思っている、その「怖い」を見に行きました。

怖いの中には何があるの

思考の世界にときどき戻っていることが、話しながらでも自分で分かるようでした。
これは、私がコーチング学習者で授業の事前動画を見た当日にセッションを受けたから俯瞰の私がそう感じました。(改めて課題動画を見ると、ともにいられない感情だから、ともにいられないがまさに私に起きていたのかな、って思います)

思考ではなくて、感情の世界に近づくこと、感じることをしました。

何が怖いのか、それは今の父親に会うことが怖い
全然会っていないけれど、確実に年老いている父親に会うことが怖い。弱っていることが分かるから、余計に怖い。

電話で話した時に、体を壊した話を私は聞いていて、看護師だから知識がある。下手に知識があるだけにそれがどういう状況を指すのかが理解出来てしまいます。年老いた弱った親の姿を目にしてしまうと、それが現実になる。
父親という私が頼る、頼りたい存在の人が、立場が逆転してしまうというかそういうことを私は怖いと感じているのだと思う、と話しました。
その一方で、体を壊していなくても年老いた親を子どもが世話するというのは普通に起きること。
けれど、それが怖い。

怖いの中身はいろいろあった。

拒否したい
認めたくない
逃げたい
悲しい・ショック

実際に会うことを想像してみて?という感じの仮定に私を置きました

めちゃくちゃ拒否したい感じを受けました。
それを体で現すと、全身で距離を取る、のけぞる、引いちゃう感じでした。
直視したくない、見たくないし、認めたくない。
けっこう強い感情だなって思いました。

長い時間をかけて少しずつ年老いていく姿を見ていれば、そんなにショックは受けないのだろうけど、私の中では美化されているのもあるのだろうし、大学生までの記憶で止まっている。

どうしたら、年老いて弱った父親を私は受け入れられるの?
が浮かぶのでメモ。

拒否したい、認めたくない、守りたいみたいなことがあって、

▶何を守りたいの?
ってなると、今の私の中にある父親像みたいなものだって思います。
そして、私を傷つけないでになる。
守りたいよりも傷つけないで。

壊さないでって感じます。

壊さないで

「壊す」という言葉にとてもよく出会います。
私は、私を壊すことを恐れていて実際に過去何度もそうやって自分で自分を壊してきたから、出会うのかもなって思います。
壊してきたというか抑えてきた。

その声はどんな声?
今までに聞いたことない位の叫んでいる声でした。必死に大きな声で訴えている声。
いつから?みたいなことをコーチがきいてくれて、私は遠いから聞こえていなかっただけで、前から叫んでいたと思います、というような答え方をしたと思います。

それを言っているの人の姿は見えますか?
子どもです。
会話は出来るけれど、論理的に話すとかは無理で、感情の方が優先で、みたいなことを話しました。

コーチが男の子なのか、女の子なのか、年齢は?どんな服を着ている?を聞いてくれました。

その子は女の子で、小学校に入る前くらいの年齢。ワンピースを着ています。うずくまって必死に「壊さないで」って叫んでいる。
何かを胸に抱えていますって答えました。

私はどこにいる?
2、3メートル離れた所から立って見下ろしています。と話していて、
どんな気持ち?を聞かれたので、冷静に見ています。と答えました。
冷静に眺めている私って、どうしたら良いのかなって考えている感じがしました。どうしてあげたら良いのか分からない。

すごく叫んでいるから、助けてあげないとって思います、って答えました。

実際に私がどうしたか、
その子の声に負けないくらい大きな声で「大丈夫だよ」って叫んで、抱きしめる。抱きしめたらその子は初めて私という存在を認識してくれる。叫ぶのもやめてくれる。
彼女の顔を見たら泣き止んだ顔で、泣いていたんだってことに初めてそこで気づきました。

時間がきたので、ここで終了したのですが、
何を抱えていたの?そんなに「壊さないで」って胸に抱きかかえている大事なものは何?が気になったので、コーチとちょっと考える時間をもらいました。

子どもの頃の私?
当時の私が描いていた父親像みたいなもの?
が出てきて、最終的には大好きだった、という思い出なのでは?ということが出てきました。私と父親が過ごしてきた時間

冷静に考えると、実際に今の父親と会っても、その思い出が壊される訳ではない。けれど、私はそれが壊れると信じていて、壊されたくない大事なものだから、叫んでいたんだ、が分かりました。

泣きながら必死に胸に抱えて守っていて、「壊さないで」って叫ぶ私を助けないといけない。
大丈夫だよって、抱きしめたら泣き止んではくれたけど、
壊さないよって大丈夫だよって彼女に分かってもらうにはどうしたら良い?

「この私を助けないと」って感じるサブパーソナリティと今までにも会ったことがあります。今回の彼女とは違うけれど、そういう私ってもはや助けを求められないというか主張が出来ない、弱ってしまっている感じの私が多かった。

「助けて」とは叫んでいないけれど、こんなにも何かを必死で訴えてくる私に初めて出会った。
「壊さないで」って叫んでいるから、私は何があっても守らないといけない。彼女のことも、彼女が胸に大事に抱えているものも守らないといけない。
彼女に安心して眠れるようになって欲しいって浮かんだので書いておく。

まとめ

起きてもない未来だから、考えても答は出ない。

けれど、私にとって父親はやっぱり父親で頼りたい存在だったんだなってことに気づきました。

自分にとっては寄りかかれる存在だと思っている父親がおそらく体を壊したことによって弱っているのが分かるが故に、会うのが怖い。
会わなければ、その現実を見なくて済むし、現実にならないから。

けど、大好きだったを伝えたい私もいるし、伝えないことは大きな後悔を生じさせることも私は分かっている。

久しぶりに帰省すると、親が弱っていてショックを受けるというのは、聞く話だけど、いざ自分にそれが起こるとなると私はとんでもなくそれを受け入れたくない、認めたくないってなっている。
元気にしている、ってことが分かっていればまた違うのかもしれないけれど、明らかに体を壊したことで厳しい生活をしていると思うから、見たくない。

実際に泣いたことがあるから、同じ経験をしたくないのかもしれない。

体を壊したという話を電話で聞いた時、私はそれを自分で抱えておくことが出来なくて、妹に電話をして父親から電話があった、体を壊した話を聞いたということを話しながら泣き出してしまって、
「泣くつもりはなかった、ごめん」って妹に謝った記憶があります。

予期不安?
会うことによって体を壊した年老いた父親を目にすることで、私は悲しい気持ちになることが予想出来てしまう。

何が私をそんなに悲しませるの?
泣きながら必死に守っているものって、過去の思い出だけなの?
それって私にとってどんな意味があるの?

やっぱり頭で一人で考える、向き合うのはしんどいし、難しい。
この問いかけは、問いかけのままにしておく。

この心をコーチがただきいてくれる、そばにいてくれるだけでもう十分。
それだけで感謝です。
ありがとうございました。


なぜこのコーチには話せたのか

コーチとのパートナーシップ(信頼関係)も関係するけれど、私がこのテーマを持ってこれたのは、コーチの人となりの部分です。

多くの時間を過ごしているから話せるでもない気がしていて、このコーチには話せるテーマというのが存在するんだなって思いました。
実際、それほど多くの時間を過ごしている訳ではありません。

コーチによって話すテーマを選んでいる感覚ってないのだけど(タイミングは考えている)、今回はこのテーマを話しても大丈夫っていうことをちゃんと分かった上で話した感覚はあります。
これは私の安全を守ることにつながります。

コーチもクライアントもお互いが安全な状態で、安全な場で対話できることが大事です。

コーチのリソースになるけれど、
真っすぐな雰囲気があって、それは「強さ」でもあるのだけど、私に真剣に向き合ってくれる目を反らさないでいてくれる感じを受けるコーチです。

まなざしが印象的だ、と思います。
だから、「目を反らさない」という言葉になるんだなーって書いてみて分かりました。
真剣さも真摯さも、コーチから受けとっているけれど、一番は目。
私に向けるまなざしに全てがこもっていて、私に届いているだ!!
書いていてとても腹落ち感を感じて、すっきり!!

前にも書いたかもだけど、私の手を絶対に離さないでいてくれるっていう確信が私にはある。
「絶対に手を離さないでいてくれる」ことは、私にとってかなり大事なことです。
抽象的なことを言っているので、それがどこからくるのかを考えると、誠実さ、真摯という言葉になる。
おそらくだけど、私とコーチは大事にしたいことが近いのだと思います。

「強さ」は、どこからきているのか。
話してみると柔らかさも感じるのだけど、強さをすごく感じます。意志のようなもの?コーチとしての覚悟?
これがうまく言葉に出来れば、私のコーチへの解像度が上がる気がします。
この強さがどこからきているのか、機会があればコーチに聞いてみようと思います。好奇心がわきます。

今ひらめいたのは、強さだけじゃないからっていうのが分かるからか?

わりと言葉にならない部分を察知すること、私は得意です。
その私の直感みたいなものでおそらく判断しているのかもしれません。

強さを感じるけれど、強さは強さだけで存在しているのではなくて、それを支える部分というか、優しさがあるからだ、っていう仮説。
なかなか良い線いっているのでは?
前面に感じるのは、「強さ」だけど、話すと柔らかさがあって他者への思いやりがあって、表面には見えにくいけど「優しさ」があるからだ。
すっきりしました!!
コーチの優しい部分、柔らかいあたたかい部分が分かったに今なった感じがするけれど、初対面ではその部分を感じ取ることが出来ていなかったと思います。
(強さをめちゃめちゃ感じて、それが圧にすら感じました…真面目、責任感、というのもコーチから感じます)
もっとこの「優しさ」を押し出して欲しいって思いました。良い所なのに、あまりそれが周囲に伝わっていないのでは?と思いました。
強さと優しさの両方があれば、無敵になるじゃんって思います(笑)

暗い所にふれに行く時間でもあったけれど、大丈夫?って思ってくれているということがコーチから伝わってきたし、実際に言葉でもそうやって私の状態に配慮してもらったと感じます。

ともに時間を作り過ごしてくれたコーチに改めて感謝です。

私は素敵なコーチに出会える運があります。
今日もこれをちゃんとここに残しておく。

久しぶりに見たくない私を書きました。
書くというよりは、コーチングセッションで起きたこと、そこから考えた私の頭の中を出しました。

最後までお読み頂き、私の心をちょっと知ろうとして下さり、あなたにも感謝です。
ありがとうございました!

親子関係をテーマにしたnoteは、こちらにまとめています。


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