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どう関わりたいの?手紙の返事を書くには(クライアント) コーチング⛰️

あたたかいクライアントさんと出会うを実験中のなほです。

毎日楽しいが向こうからやって来るし、もっと楽しいを私にさせちゃう。

楽しくすぐに幸せになっていいよって私が私をぎゅってする。

コーチには守秘義務があり、コーチングセッション(コーチと2人で対話する時間をこう呼びます)で話したことが外に出されることはありません。
このnoteは、私がクライアントとしてコーチングセッションを受けた記録、それをさらに深めた内容です。
※noteをご覧になったコーチからのコーチング相互セッションはお受けしていません。

このnoteは、あまり明るい話ではないというか暗めなのと、重いので、基本的には読まずにスキップして下さい。

正直、凍らせて湖の底に沈めていたので向き合うの難しいと思っていた。

1人で向き合うのは無理。
それは分かっていた。
とてもじゃないけれど、もう一度あの感情を1人で見たり、どうしたいのかを考えることは無理だ。

となったので、勇気を出してコーチにお願いした。一緒に考えてもらえないか。

考えるのは私だけど、コーチはアドバイスしたりしないけど、安心して話せること、心から信頼しているコーチがきいてくれること、そのことに意味がある。
そこにいてくれるだけでも、コーチという私を分かろうとしてくれる人がいることは尊いこと。

ある程度事前に今までを振り返ってから臨むのか、さわらないで臨むのか。

迷っていたけれど、「今ここ」で臨もうと思って、振り返りを一切せずに臨んだ。

手紙の返事でさえも、読み返していない。目にふれない所に置いている。
今日までに書いたnoteも読み返していないし、とにかく今日まで凍らせたままきた。

手紙の返事がきたんです。それに返事を書こうと思う。ただ、返事を書くには何を書くのかを決めなくてはいけなくて、それはどう関わるのかを決めること。テーマについて私はそう話した。

手紙を書く、書きたいは決めているのか、は話してみて分かった。
その意味のようなものについても問われていた。
会いたいも電話をかけて欲しいも書かれていたけれど、それは私の心の状態的に出来ない。手紙であればギリギリ書けそう。
返事をくれたことに、私は誠実に対応したい。
そう思っていた。

誠実に対応したいんだ。
にも話して気づいた。

私が出した手紙に対して返事をくれたという客観的な事実はあって、それに対して誠実にしたい。

返事をしないは、私の中では選択としてなかった。返事をしないは、見捨てるような感じにも思っていた。

重たいものを持たされるような返事だった。

最も恐れていたことは起きていなくて、けれどそこそこ恐れていたことは起きていた。
そして、私や妹のことを思っていたという主旨のことは書いてあった、と話した。

主に、私がダメージを受けたことについてはテーマを話した時には、話せなくて、コーチがきいてくれたから話せた。

2番目に恐れていたというか、父親が体を壊していて、当たり前に年齢も重ねている弱った姿を私は見たくないという恐れが強かった。

それが会ってはいないのに、手紙の上なのに起きていた、孤独だ、治療が辛い、頼りたい、支えになってほしいと書かれていたことは、私にとっては持ちきれないものだったことを話した。
私が潰れるようなものだった。

だから、保留にするとは決めたけれど、剥き出しのまま置いておくことですら難しくて、凍らせて湖の底に沈めたと話した。
時折それにふれてしまうことですら無理だと思っていたから。

湖の底にあるっていうのは大きなこと?みたいにきかれたけれど、

それ自体は大きなことではなくて、ちゃんと沈めたから、ただここに沈めていることを私は知っているということだけだった。

一度だけ、思いがけず父親のことを思い出したことがあったことを話した。

双子に会いに行った時。
妹が産んだ双子は私にとって初めての甥っ子であり、父親にとっては初孫になる。

父親がしんどい状態だってことは分かっていたから、ふと、この子たちの存在を知ったら、生きる希望になり得るのではないか、と思った。

妹はそもそも知らせるつもりはないから私が勝手に言うことはない。
けれど、孤独を感じている父親にとっては支えの1つになるのでは?という気持ちがよぎった。

思い出したのはその時くらいで、後は私の心は守られていた。

その時の私の表情は険しかったっぽい。思い出す、ふれるのがイヤだった。

コーチを私は信頼しているので、氷の箱を湖から引き揚げてみた。引き揚げて目の前に置くことは全然平気。
私の頭くらいの大きさのサイコロみたいな箱。

開けるをやってみた。私のタイミングを尊重して、心を整えるために深呼吸してみましょうって促してもらった。

開けるも意外と出来た。

何が見える?ってことになるんだけど、黒かった。
しかも、液体だった。量は9割くらいは入っていた。

予想と違っていた。
いろんな感情があって振り子が振れまわる状況だった、ということを私はコーチにどこかのタイミングで話した。

だから、いろんな感情が形を持って詰まっていると思っていた。
そしたら、黒くてしかも液体って、捉えどころがなかった。

分かるになりたいってことをコーチに問われて答えた。

じゃあ、分かるになるにはどうする?

最初、私は別の容器に移してみる?って考えた。液体だから取り出すことは出来ない。だったら、とりあえず移してみるか、と。
けれど、移したところで何かが分かる訳ではないか?と思って、手で触ってみると伝えた。

私は、どうすれば良いかを考えていて、それをコーチがちゃんと待ってくれた。

とりあえず触ってみたら、何も感じないに近かった。冷たいも熱いもないってコーチに話した。
人肌くらいの温度?って聞かれたので、まさにその通りだ、と答えた。ちょうどの温度。

さわってみるから、もっと手を入れてみた。やっぱり何も感じないって感じだったけど、底の方に砂が溜まっているって思った。ざらざらした。

その砂はどんな砂?を問われて、さらさらしていて、掴んでも指の間からこぼれていっちゃうくらい細かいことを話した。

けれどかろうじて掴むとほんの少しは手のひらに残る訳で。

その砂はどんな色って聞かれて、普通にすぐ箱の中に戻しちゃいそうになっていたけど、見ると、灰色で砂というよりも粘土っぽい感じだった。

分からなさ。あまりよく分からないと思った。

黒い液体で、底には灰色の砂というか粘土っぽいものが溜まっている。

黒と灰色であまり明るい印象はない。
けれど、思っていたよりも怖くないって思った。何も感じない。

この凍らせた箱の中身について考えるか、他の視点から考えていくか、コーチが提案してくれたので、私は箱は一旦横に置いておくことにした。

そこから何を問われたか、はちゃんとは覚えていないけれど、手紙に何が書かれていたか、について話した。

恐れていたことの1つは現実になってしまったこと。
私が拒否されるという最大の恐れは起きていないこと。
会いに来たことがあるし、忘れたことはないって書いてあったし、応援しているとも書いてあった。
けれど、一度会いたい、電話でもいいからかけて欲しいも書いてあった。
さらに、孤独も、辛いも支えになって欲しいもあって、そこで感じた私の感情を語った。

子どもの私は、ただただ娘としての私を認めて欲しくて、元気にしてたか?ってただそれだけが欲しかった。何も難しいことは頼んでいない。
そして親と子であることを求めていた。

他方、それも書いたけれど、1人の人間として関われたらということも私は書いていてた。

しかし、親子の関係を修復したいと返ってきていて、それは私は求めていない。少なくとも未来に向かっては私はそうしたいと思っていない。

けれど、そう書かれていて、だったらなおのこと、親としていてくれよって思った。こんなに重いものを持たせないで。親なら親らしくしてって思った。

おそらく、もう一度直後ではなく今の私がそれらを語ることは必要だったのではないか、と思う。

理屈では説明できないけれど、そして大きくは変わっていないけれど、確実にそれを語ることは必要だった。

悲しいもあるし、怒りもあった。重過ぎて耐えられないって思った私もいた。

いろいろ語った中で、どれが一番気になるか?というようなことを問われた。

となると、怒りだと答えた。
どうして分かってくれないの?にはどんな言葉が続きますか?

私は本当にすべてと言っていいくらいに正直に自分の気持ちを書いていて、何が欲しいかもちゃんと書いていた。どうして分かってくれないの?って思っていた。

何もいらない、ただ認めて欲しいだけ。
正直、他のことは知らせてくれなくて良かったし、それは私の勝手な気持ちかもしれないけれど、何で分かってくれないの?って怒りについて話した。

もっと感情を込めて言って下さい、というようなことを言われたので、もっと感情を込めて言った。

そうすると、悲しいってなった。

もうこの願いが叶えられることはない。

私の望む父親として接してもらう、私がただ存在することを認めてもらうは起きていないし、起きない。
1人の人間として親と子という役割から離れて接することも出来ない。
孤独にある父親にそれは出来ない。

そして、遠からず私の思っていたものはあった、と思いたかったんだ、ということに気づいた。

けれど、それは「遠からず」であって、ぴったりのものではない。
私のことを気遣っている言葉もあったけれど、遠からずであって、私の中では願いが叶ったではなかったんだ。

それを認めたくなかった。

「1日も忘れたことはなかった。」この言葉は近いけれど、そうじゃない。

最大の恐れはおきていない、私が拒否されるは起きていない。それは手紙を書く上での最大の恐怖だったから、それが起きていないは良かった。

けれど、それは望みではなくて恐れ。

拒否されなかったことと、受け容れてもらうは違うんだ。
拒否されない=受け容れられている、だと思ってきたけれど、違う。

私は、この違いを分かってなかったことに書いてみて分かった。

父親に私という存在を認めてもらうとは、どういうことか?
を以前のセッションでも話したけれど、そして聞いたけれどということをちゃんと言葉で伝えてもらってから、それを聞かれた。

コーチの誠実さ、真剣に私を見てくれているということは、こういう言葉から分かる。

私にとって父親にただ存在を認めてもらうとは何なのか?

私というものを形作るものの一部。

私が球のようなものだとすると、その一部分。私はそこが欠けているというとまたちょっと違うかもしれないけれど、そこがないよねって思っていて、それを見つめ続けていた。

だから、そこを埋めたい、ただ受け容れて認めて欲しいって思っていた。
それをちゃんと書いて伝えたけれど、そこにぴたっとはまるものは返ってきていないし、返ってこない。

ただ、その凹みというかないよねって見えている所にばかり目がいっていたけれど、いやいや、他の部分はちゃんとある。ってことが分かった。

明らか、私の様子は変わっていたようで、それはもうそこが埋まることはないって分かってしまったからなのか、諦めざるを得ないってことかもしれないけれど、悲観する気持ちはなくて、開き直りでもなくて、という感じ。

変化したのか、変化するのか…みたいなことを答えた。

手紙を出した時点から変わった?ということを聞かれて、その時点というよりは、返事が返ってきた所からかもしれない、ということを答えたと思う。

何が変化した?

と問われて、「視点」と答えた。

前述のように、欠けているように見えていて、そこばかり見ていたけれど、もっと遠くから俯瞰で見られるようになった。球の形をしていて、その一部分はへこんでいるかもだけど、別にいいんじゃないか。

軽くなった、って答えた。
へこみじゃなくて、満たされているというかそこがなくても私が私であることを規定することは出来る。

これ以上ないくらい私というものをそのまま手紙に書いていて、それは本当に強い気持ちがあった。

だから、それに執着もしていたし、それに願ったものを返してもらいたいは強くなっていた。

けれど、もうそれが返ってくることはないし、私が明るく生きていくことに大きな影響はない。

会うのも無理だし、電話をかけることも無理。手紙を書くのですらもぎりぎり出来る精一杯の選択だ、ということを私は最初話した。

けれど、それは視野が狭くなっていたからそう見えていただけ、というのが分かった。

そして、支えになるのも無理だし、会うのも電話するのも無理。
なら、それを書いたらいいやって思えた。

ぎりぎり出来ることの選択として本当に苦しい辛いで書くのではない。
以前の私なら支えになるを選んだけれど、今の私はそうすることが出来ない。私が明るい未来を生きていくためにそれは出来ない。
重た過ぎて私が潰れちゃうから。

親子なら支えるが正しいのかもしれないけれど、どうでもいい。

私にとっての誠実さが少なくとも手紙の返事を書くこと。
無理して引き受ける必要はない。

手紙、前のようにそれこそ必死の思いで書くレベルのことだと思っていたけれど、全然軽い心持ちで書けるやってなった。

コーチに祝福してもらった。
どんな気持ちですか?ってインタビューしてもらった。
ともに分かち合ってもらうこと、ここまでともにいてくれたコーチが変化を見つめて、祝福してくれることの尊さ。

変わっているよって返してもらわなかったら、気づけなかった。

心から信頼している、コーチとしても人としても私にとって特別なコーチに心から感謝です。
ありがとうございました。


凍らせた箱について、そのままふれずにセッションは閉じた。
箱、ちゃんと扱う。

氷の箱に入っていたのは、黒い液体と灰色の粘土状の砂。
それを私は持っておく必要はない。

「凍らせた」と表現してきたけれど、正確には氷の箱に入れてちゃんとふたが勝手に開いてこないようにひもをかけていた。
だから、中身は凍っていた訳ではない。

湖に私は箱の中身を流す。
箱を空っぽにする。


黒い液体、それはあたたかくもなく冷たくもない。灰色の砂も掴むには粒子が細かすぎた。

黒いしかも固体じゃなくて液体だったのは、私はいろんな感情を手紙によって引き起こされていて、もうそれはどこをどうしたらいいのか分からなかった。感じることをやめる、感じる心そのものをゼロにしてしまうような経験だった。

凍らせたのは、私の心を守るため。

だから、ちゃんと区別できるようなものではなくて、いろんな感情は分けて整理できなかったのではないか。

予想では、悲しい、怒り、重過ぎる、どうしたらいいの?っていう気持ちなどいくつかの名前がつけられるような感情もあったから形のあるものだと思っていたけれど、おそらく混ざりあったり、名前のつけようのない気持ちもあって、混ざっている、分けられなくて、黒くなったのではないか。

子どもの私はやっぱり理想みたいな父親像を諦めきれないし、大人の私は親も完璧じゃないと分かっている。あらゆる感情、理性で考えること、子どもは親を支えるのが当然、父親像を押しつけるのは違う、誠実に対応したい、それは私にとって大事。

本当にいろんな気持ちがあった。
何が何だか、こうやって言葉に出来ることもあるけれど、互いが複雑に関係している。

灰色の砂って何だったのか?

時間?

すぐに答を出さないとっていう強迫観念めいたものも当初は抱えていて、どうすればいい?の声が頭に鳴り響いていた。答は出ないのに、ひたすらにそれを問われる時間。焦らされる、分からない、分からない、誰か助けてって感じだった。

そこから今日まで私は距離をとり続けた。
その時間が砂になって底に降り積もったのでは?

黒いままではなくて、灰色なのは、多少は時間が経つにつれて固体に出来そうな感情や気持ちがそうなっていて、黒のままではない。

けれど、それは粘土っぽい質感でサラサラの砂じゃないのは、そこまでの距離をとって冷静に分かるになってなかったからではないか。
冷静に心を落ち着けてみれるまでにはなりきれていない。

そんな風に仮説を立てます。

湖に流すのが良いことかどうかは分からないけれど、底に沈めていたのでそこに還すのはいいことにしようと思う。

黒い液体も湖の広さに流せば、薄まって黒ではなくなる。

全ての感情や頭で考えたことは正直耐えられるものではなかった。

けれど、耐えれらなさに潰れるぎりぎりを、潰れていたのかもしれないけれど、私は周りの人に助けてもらった。

そして今日もコーチに一緒に考えてもらえませんか?ってお願いした。
手紙、書ける。

ここまで私の話を聞いてくれたコーチにも、私のどうしようも出来ない壊れるのかという心を聞いてくれた方たちにも、ここまで読んでくれた人がいたら、あなたにも感謝です。

ありがとうございました。

親子関係をテーマにしたnoteは、こちらにまとめています。


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