ダメダメ代表は苦手アピールが得意
「できない」には、役割があった
唐揚げが上手く揚がらない。
味噌汁の味がいつも違う。
料理が苦手なのかもしれない…
いや、特に隠してない…
苦手アピール得意なんで、それを繰り返していたらあっという間に良い歳になっていた。
私のことです。

でも何でわかっているのに、料理上手にならない、なれないのだろう?と自分自身に対して素朴な疑問が頭に浮かびました。
そう…
アドラー心理学的に考えると
料理が苦手、苦手アピールが上手、
苦手を克服しようとしない、
それで良いと思っている節がある
それらには何らかの目的があるのです。
しかもその目的は、自分の願望と自分が理想とする明るい未来に向かっての方向性である。
と、すると何?
今日は、私が料理上手になろうとしない心理的なブレーキについて考えてみました。
「また、味噌を入れ過ぎたよ…、しょっぱいかも、味見してないし。」
「唐揚げがベチャッとしちゃって…、食べれそう?」
今の私は、作ってみたものの、味見しません。
そんな私の行動を、アドラー心理学の「目的論」で見てみると、
その料理できない私や、上手になろうとしない私にもちゃんと目的と役割があるんです。
その「できない」は、何を守っていたの?
アドラー心理学で考えると、
私はただ料理が下手だったわけじゃなかった。
まず、下手を生き残る術として使っているのです。
「苦手でも頑張ってる私を見てもらいたい」
「料理が下手なのに、毎回チャレンジしてよくやってるね」と家族に言われたい。
「大丈夫?代わりに料理するから置いといて」と心配してもったり、自分がラクをしたい。
つまり…
できない私を大事に続けてきたのは、ちょっとかまって欲しかったり、自分がラクをしたかったからです。
それを良いように表現すると、人と助け合いながら家事を進めていきたいという、つながりを保つための行動でもあったのです。
「助けて」と言葉にするのが苦手。
内心、自分の気持ちを言ったところでスルーされたり、余計に嫌な思いをすることが怖かったのです。
なので代わりに「できない私」というメッセージを送っていたんです。
人生、遠回りの理由をまとめますと、
断られるのが怖いから、先にできない自分を見せて相手に動いてもらう。
本気でやって失敗する怖さを避けたくて、まだやってない部分を残しておく。
過去に「できない→心配される→安心する」という体験が体に刻まれていた。
そう、これは「ズルい」行動じゃなくて、
生き延びるために、これまで使ってきたコミュニケーションだったんです。
「遠回しサイン」を「直球サイン」に変える
自分が理想とする明るい未来に向かって求めていたのは、
認められること・安心すること・誰かと協力すること。
目的は生きていくうえで大切なこと。ただ、伝え方が遠回りだったんですよね。
たとえばこんなふうに置き換えてみると、どうでしょう。
「唐揚げをカラッと揚げるの難しいなあ(=助けて)」
→ 「油の温度を見てもらえる?」
「味噌汁の味が決まらない(=味見して)」
→ 「味噌の量はどのくらいかな?今日のは入れ過ぎてないか味見してみて」
できないでそのままにしてきた代わりに
これからは人の助けを借りてお願いしてみるのは、どうでしょう。
それだけで関係が少しやわらかくなるものですよね。
操作ではなく、支え合う協力へ
操作:相手の罪悪感で動かす
支え合う協力:自分の望みを伝え、相手の選択を尊重する
「唐揚げを揚げるの手伝ってもらえる?」
「それか、味噌汁の味見してくれる?」
選べるのもコミュニケーションを楽しんでいることなのかもしれませんね。
ダメダメ代表のこれからは
できない私を使ってネガティブにアピールするのは、もういいかなと思ったら
その裏にある目的を見定めつつ、
素直に「助けて」もらいましょうか。
この記事を書くきっかけをくれた方
MaRuさん
私が家で揚げ物をしてみようというきっかけをくれたMaRuさんに感謝です。
MaRuさんのお子さまは「おかわり!」って美味しそうに食べてるイメージ、そんな描写にほっこりします▼
りこさん
お味噌汁の味噌の量について、だいたいこのくらいと決めちゃえと教えてくれた
りこさんに感謝です。
大好きな豚汁と真正面から向き合っている姿に、私も自分を見つめ直しました。りこさんの丁寧な食生活の記事です▼
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