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松尾芭蕉の「おくのほそ道」―日本人の心を自然とともに読み上げた傑作俳句集

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4月第2作目には松尾芭蕉の『おくのほそ道』をご紹介します。

『おくのほそ道』の作者は日本を代表する俳人・松尾芭蕉です。
元禄十五(1702)年に『おくのほその細道』を発刊。

作品中でたくさんの俳句が詠まれており、日本古典における紀行作品の代表的存在とされています。

俳句とは五・七・五の十七音を定型とする短い詩で、世界で一番短い定型詩です。



松尾芭蕉(1644~1694)

伊賀国(三重県)生まれ。本名、松尾宗房(むねふさ)。芭蕉(ばしょう)は俳号。芸術性の極めて高い俳句を生み出した、世界的にも有名な俳聖。『おくのほそ道』は、弟子の河合曾良を連れて江戸を出発し、陸奥から新潟、北陸を経て、大垣まで旅した紀行文。この旅を通して、各地に門人ができた。

代表作品:『野ざらし紀行』『更科紀行』『おくのほそ道』『嵯峨日記』など



【書き出し】


月日は百代の過客にして、行かふ年も又旅人也。舟の上に生涯をうかべ馬の口とらえて老をむかふる物は、日々旅にして、旅を栖(すみか)とす。



【『おくのほそ道』松尾芭蕉の主な行程】


元禄2(1689)年

5月16日 江戸・深川を出発
5月19日 日光東照宮へ参拝
6月7日 白河の関越え
6月29日 平泉・中尊寺へ参拝
7月13日 立石寺へ参拝
7月19日 最上川下り
8月18日 出雲崎に到着
8月29日 金沢に到着
10月4日頃 大垣に到着

(※日付は新暦で表示)



【主な章より抜粋】


いつの頃からか、さすらいの旅に出たいという思いが止まらず、今年に入ると何も手につかなくなってしまった。

旅の支度を終えると、帰ることのない旅かもしれないので、庵(東京の芭蕉庵)は人に譲り、知人の別荘に移った。


草の戸も住替る代ぞひなの家

(くさのともすみかはるよぞひなのいえ)

大意:わびしい私の草庵も住人が替わり、華やかな雛人形が飾られた家となっている

《新暦五月十二日》

※補足:その約二週間後の新暦五月二十七日、芭蕉は見送りの人と別れ、東北地方を巡り、北陸から大垣(滋賀県)へと到る「おくのほそ道」の旅に出発した。



平泉(岩手県)では奥州藤原氏の旧跡を訪れた。奥州藤原氏や源義経の館の跡は、今では草むらとなっていた。

「国破れて山河あり、城春にして草青みたり(国は滅びて、山河だけが残っている。都は跡形もなく、春の草が青々と茂っている)」という唐の詩人・杜甫の漢詩『春望』を思い、涙を流した。


夏草や兵どもが夢の跡

(なつくさやつわものどもがゆめのあと)

大意:源義経の一党や奥州藤原氏の栄華は夢のように跡形もなく消え、今はただ夏草だけが茂っている

《新暦六月二十九日》

※補足:日光・那須(栃木県)、福島、松島(宮城県)などを巡り、各地で句を詠んだ芭蕉は平泉に到着。この後は旅を南へと進めた。


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