相沢ハルが死んだ日。②【創作大賞2025】
※前回の話はこちら⇩⇩
※この小説では、時間軸が過去に向かって進みます。
※最初から読んでも最後から読んでもストーリーをお楽しみいただけます。
2025年7月20日
「あのさ、俺のこと、もう忘れてくれないか」
優弥からの十日ぶりの電話で、衝撃の言葉がもたらされた。
これまでも自分への気持ちが遠のいている感覚があったが、こんなにも連絡がないのは初めてだった。
薄々覚悟はしていたが、ついにこの時が来たか。
ハルは動機が激しくなるのを感じたが、ぐっとこらえて息を整えた。
それでも、まだ可能性がゼロではないかもしれない。
何よりも、ハルには今日、優弥に伝えなければいけない、大切なことがあった。
思いきって、優弥に向き合ってみることにした。
「優弥、私のこと、好きって言ってくれていた時、あったよね」
「……うん。それはね」
「じゃあ、今は、好きじゃなくなったってこと?」
「それを今、答える必要ある?」
つんとした優弥の声が帰ってきた。
異常に冷たく、距離を取ろうとしているのがよく分かった。
「お互いの家族の状況があるから、難しいっていうのは分かるんだけど、それって愛があれば乗り越えられる話なんじゃないの?」
「………」
受話器の先の優弥に、一瞬の間があった。しかし、直後に帰ってきた答えは、無機質な冷気を帯びたものだった。
「ハルはさ、夢見る乙女なんだよ。いつまでたっても子ども。俺はさ、色んな人の人生背負ってるの。だから、これ以上来られると重いんだよ。頭いいんだったら、気づけよそのぐらい」
どんな時でも温かく包み込んでくれるはずの優弥。何かがおかしい。
いつもの彼らしくないようにも感じた。
でも、これが今まで見せて来なかった優弥の本心なのかもしれない。
私は一体、彼の何を見てきたんだろう。
ハルはスマホを持つ右手の震えが止まらなくなるのを感じていた。
優弥はさらに早口で続けた。
「あとさ、なんか勘違いしてそうだから言っとくんだけど、俺、再婚とかは考えてないんだよね。もう、誰かに縛られる人生はまっぴらなんだ」
その言葉が、ハルの胸を突き刺した。まるで心臓部に、鋭利な十字架でグサリと刺されたような、呪いの言葉だった。
「それから、この先子どもがほしいとか、全く思わないから。万が一妊娠とかあっても、経済的に無理だし、堕ろしてもらうことになると思う」
心の中心部から、鮮烈な血しぶきが飛び散る。
そして流れゆく血は誰にも気づかれることはない。
どす黒い血が地面をヒタヒタとつたい、いつしか身体中のすべての血が抜け去ってしまうかのような錯覚に陥る。
「だからハルも変な期待はしないで」
優弥は何事もなかったように続けた。
……やめて。もう言わなくていい。
「それに、ナツミちゃんいるじゃん?俺、自分の子と同じように愛せる自信ないんだよね」
……もうやめて!私の心を壊さないで!
と、声をあげて言いたかったが、ハルには言うことができない。
「うん、そうだよね。優弥はこれまでいっぱい傷付いてきたもんね。だから、今は先のこととか考えなくていいよ。苦しい時に、ただそばにいるだけ。そんな関係でいいんだよ」
口から出まかせにもほどがある。
どうして自分はこんなにも優等生な答えしかできないのだろう。
「私好きならば 方法あるはずよ でなきゃさよならね」
なんて歌い上げた中森明菜は天才か。
それとも実生活の彼女は、繊細で弱気な一面も持ち合わせていたのだろうか。
少なくとも、自分には「十戒」のような歌詞を言ってのける自信はない。
そんなことが言えるような性格なら、そもそもここまで事態を拗らせていないだろう。
最後に、とどめのような言葉を食らった。
「まあ、そういうことだから、さ。もし、ハルがこれ以上のことを望む相手がほしいなら、俺たち終わりにしましょ。ジ・エンド」
スマホを持つハルの手の痙攣が激しくなる。
が、その震えが優弥に見えることはないだろう。
「本当に、終わりで……」
その後は声が出なかった。
言葉を続けることが出来ず、通話を自ら切った。
通話終了と同時に、自分の中で、何かがプチッと切れたのを感じていた。
そしてその足で、マンションの屋上へと向かった。
部屋の机の上には、うっすらと形の見えるエコー写真が残されていた。
2025年7月19日
「あのさ、俺のこと、もう忘れてくれないか」
優弥はハルに向かって、心にもない言葉を発する準備をしていた。
何日も何日も、入念にその一言を告げる練習をしていた。
不覚にも脚が震え、「失うのが怖い」という気持ちと闘っていた。
こんなはずじゃなかった。
ハルとは真剣に将来を考えていた。
今まで出会ったどんな女性よりも、自分を理解してくれていると感じていた。
すべて綺麗さっぱり片付いてから、いつか正式に両親にも紹介しようと思っていた。
が、ハルにはまだ打ち明けていない話があった。
実は、何度かカミングアウトを試みたこともあった。
だが、どうしてもハルにだけは、やはり言い出せなかった。
彼女には、自分の良い部分だけを見せておきたかったのかもしれない。
事実を知られて、嫌われるのが怖かった。
だからといって、今の自分にはどうしたら良いかが分からなかった。
スマホを持ちながら、部屋の中を何十分もグルグルと歩き続ける。
優弥の頭のなかでは、これからハルとの間で起きるであろう、想定問答が何度も繰り返しイメージで流されていた。
たとえばこんなふうに。
「とにかく、本当にごめん。今ならハルはまだ、引き返せるから」
「どういうこと?」
「そのまんまの意味だよ。ハルはまだ若い。未来は無限の可能性がある。きっと俺じゃない人の方が幸せになれるかもしれない」
「……なんでそういうこと言うの」
「……それに、最近気づいたんだ。俺たち、考え方が結構違うんだな、ってこと」
「考え方?」
「例えば、俺は人生の中で息子が一番大事。伸弥のためなら、全て捧げてもいいって思ってる。でも、ハルは人生のなかで一番大事なもの、仕事なんじゃない?」
優弥の頭のなかのハルは、一生懸命言葉を編み出してくる。
「そんなことないよ。仕事も頑張りたいけど、大切な人と一緒に幸せを創り出していくための仕事でしょ」
優弥も脳内イメージで、言い返す。
「そうかなあ?じゃあ聞くけど、俺がハルの仕事に協力的じゃなくて、伸弥と水遊びするのを優先していたらイライラするでしょ?」
「……」
「悪いけど、俺のこのスタンスは変わらないから。あとさ、この際はっきり言っておくけど……」
……こんな感じで言えば良いだろうか。
距離を取るには十分な理由だろう。
さあ、心を鬼にして。
明日はハルに電話をしよう。
辛いかもしれないが、これは彼女を自由にしてあげられるチャンスでもある。
優弥はスマホのライン画面を開き、ハルのアカウントを愛おしそうに撫でた。
この時の優弥は、まだ知らなかった。
二人の話がヒートアップするということを。
自分の想定問答の通りにはいかず、ハルに致命的な傷を負わせてしまうことを。
そして、ハルに本当は優弥に伝えたかった、大切な話があったことを。
(③につづく)⇩⇩
全話まとめマガジンはこちら⇓⇓
