相沢ハルが死んだ日。③【創作大賞2025】
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※この小説では、時間軸が過去に向かって進みます。
※最初から読んでも最後から読んでもストーリーをお楽しみいただけます。
2025年7月12日
ハルと出会えたことは人生の奇跡だ。
一億人以上もの人間が生きているこの日本の空の下で、よくぞ巡り合えたものだと思う。
優弥は心からそう思っていた。
だが、同時に、こんなタイミングで出会ったことを、恨みそうになったこともある。
最近、自分の現状に追い打ちをかけるような兄の言葉が、優弥の胸に刺さっていた。
「お前さ、例の入院費と、自分の通院費、それから伸弥の養育費どうすんだよ!さらにこの先の結婚・出産費用?払えるわけないだろう」
「……投資切り崩してなんとかするよ」
「一時的に凌げばいいってもんでもないんだぞ!一人ひとりの命がかかってるんだ。真面目に考えろ」
たしかに、無謀ではあった。
自分一人ですべての出費が賄えるとは到底思えない。
時々ふと、「自由になりたい。誰にも縛られない世界で一人になりたい」と願ってしまう自分がいる。
そんなことすら、願ってはいけないのだろうか。
悶々と悩んだ結果、優弥は週末を使って小さな旅に出た。
気づけば今、鎌倉の大仏に手を合わせていた。
自分はどこで間違ったのだろう?
自分の周りの人々が、皆不幸になっていくような気がするのはなぜだろう。
やはり、自分が疫病神なのだろうか?
ハルさえも、最近はどこか物憂げな顔をしている。
やっぱり俺は、ハルの思っているような理想の相手じゃないんだろう。
そもそも、入院して弱っているところを俺が担当にならなければ、出会っていなかった相手だ。
俺のことを嫌いになりさえすれば、ハルは自由になれる。
あえて嫌なやつを演じてみるのもいいだろう。
交友関係もたくさんあるし、あっちは必ずしも自分じゃなくたって、いい相手は見つかりそうだ。
多くを望まない。
そう決めて生きて来た。
来るもの拒まず、去るもの追わず。
その時に必要であれば人に寄り添うが、必要がなくなった時には深追いはしない。
ハルに自分が必要だった時間は、もうとっくに過ぎ去ったのだ。
「そうですよね?もう、ハルを自由にした方がいいですよね?」
口を真一文字に結び、だんまりを決め込んでいる大仏さまを見上げて、優弥は一人呟いていた。
――これで良かったんだ。そう思おう。
優弥はくるりと踵を返し、元来た駅へと向かった。
鎌倉の江ノ島電鉄から見える景色は、日本有数の絶景だ。湘南の海が一面に広がり、潮の香りを運んで来る。
――また、夏の海だな。
優弥の頬が、ふっと緩む。
海面がキラキラと反射して見える。その光はまるで、宝石のように綺麗だ。
そう、あの時のように。
あの忘れられない海を、いつかハルと見に行きたかった。
そんなことをどこかで惜しがる自分を心の片隅に仕舞い込み、ガタンゴトンと揺られる電車に身を任せる。
つい、うつらうつらと眠ってしまった。
夢を見た。
空から真っ赤な隕石が落ちてきて、大地が割れんばかりに揺れた。
大津波が瞬く間にやって来て、街を呑み込んでいく。
おそらく、日本列島の三分の一ほどに被害が及んでいるだろう。
自分の地元も壊滅的な被害を受けた。
優弥は瀕死の重傷を負って、全身に痛みが走っているが、死にきれなかったことだけは分かる。
電波が届かないため、ハルとは、連絡が取れない。
伸弥の行方が分からない。
入院している他の家族は、まあ、海の目の前の病院だから、生きてはいないだろう。
辛うじてまだ生きている自分は、天涯孤独になってしまうのか。
それならいっそのこと、自分が死ねば良かったのに。
死んでも死にきれなかった。
自分は一体、何をしたかったのか。
再び薄れゆく意識の中で、向日葵のようなハルの笑顔を感じていた。
2025年7月8日
優弥が「大好きだよ」と言わなくなった。
ハルはとっくに気づいていた。
自分が「大好きだよ」というと必ず、優弥は「負けないくらい大好きだよ」と返してくれていた。
なのに、最近の彼は、「大好きだよ」と言うと、「ありがとう」と返してくるのだ。
些細なことだが、ハルにとっては大きな変化だ。
思ってもいないことを言えない優弥にとって、「大好きだよ」という言葉を発することは、軽い人間の発する「大好きだよ」よりも何倍も重い言葉だった。
だからこそ、ハルはその言葉が聞きたかった。
「負けないくらい大好きだよ」
と言ってほしいがゆえに、あえて「大好きだよ」という声かけをしていた節がある。
女心は時に敏感で、優弥本人が感じていない微妙な愛情の量の変化を感じ取ってしまう。
こんな勘の良さなんて、いらないのに。
気づいてしまう自分自身に、まったくもって嫌気が差す。
かと言って、「優弥さ、最近『負けないくらい大好きだよ』って言ってくれなくなったよね」なんて、恐ろしくて聞けたものじゃない。
このところ、二人で食事をしていても、優弥はうわの空で、ボーっと周囲ばかり見ている。
彼の頭のなかに占めている私の割合は、一体何%くらいなのだろう。
付き合った直後の優弥であれば、彼の脳内の80%はハルが占めていた、という自信がある。これは自意識過剰ではなく、実際に優弥自身が口にしていたものだ。
「ハルといると癒される。ハルといる時だけは、自分のことがほんの少しだけ好きになれる気がするんだ」
そんな心境を吐露して、次に会う日を指折り数えていた時もあった。
ところが、最近の優弥ときたら、「次はいつ会える?」と聞くと、「ごめん、色々立て込んでいて。ちょっと待っててね」と言ったきり、答えが返ってこない事が多い。
そういえば、最後に会ったのは一ヶ月以上前だ。
こんな頻度で、果たして順調に付き合っていると言えるのだろうか。
一抹の不安が胸をよぎる。が、慌てて掻き消すハルがいた。
通勤帰りの電車の中で、急に吐き気をもよおした。
今までにないぐらい、気持ちの悪い、船酔いのような吐き気。
体の奥の方からじりじりと熱が湧き出てきそうな感覚もある。
いや、正確には、こんな体調不良を一度だけ、何年も前に経験したことがある。
嫌な予感がしたハルは、そのまま途中下車して、行きつけのレディースクリニックへと駆け込んだ。
(④へつづく⇓⇓)
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