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第2部2話:原因を深く分析すれば改善施策は見えるのか?

1. もう少し原因を掘ってみる

前回、私は原因らしきものまでは見つけていた。

問題も整理した。
困りごとも整理した。
その背景にありそうな理由も、いくつか見えてきた。

それなのに、施策は決まらなかった。

振り返ると、そのときの私は
「まだ原因の理解が浅かったのではないか」
と考えていた。

問題の表面は見えている。
でも、その奥にある構造まではまだ見えていないのかもしれない。
もし原因をもっと深く理解できていれば、
自然と施策も見えてくるのではないか。

そう思ったから、もう一度掘り下げてみることにした。
前回よりも丁寧に、もう少し深く。

2. 掘るほど説明できることが増えていく

原因だと思っていたものについて、なぜそうなっているのかを改めて考えてみた。

すると、その背景にさらに別の事情が見えてくる。
その事情についてもう少し考えると、またその奥に何かある。
一つ掘るたびに、見える範囲が少しずつ広がっていく感覚があった。

ただ、それは新しい何かを発見しているというより、
以前から見えていたものが「再配置」されていくような感覚に近かった。

最初は無関係に見えていた二つの問題が、同じ背景から生まれていたように見えてくる。
別々のタイミングで起きていた出来事が、実は同じ流れの中に並んでいたように見えてくる。
「あの問題とこの問題は、根っこが同じだったのか」という感覚が、少しずつ積み重なっていった。

なぜそうなったのか。
なぜその状態が続いているのか。
以前は「何となくそうなのだろう」としか言えなかった部分が、
「おそらくこういう流れがあるからだろう」と説明できるようになっていく。
説明できる範囲が広がるにつれて、理解は確実に深まっていると感じていた。

そしてその感覚が積み上がるほど、私は次第にある期待を持ち始めていた。

3. 今度こそ見えてきたと思った

掘り下げる前と比べると、理解は明らかに変わっていた。

以前は「何となくこうだろう」と思っていた部分が、
「こういう背景があって、こういう流れでそうなっているのだろう」と筋道を立てて説明できるようになっていた。
問題そのものではなく、その問題が生まれる構造まで見えてきた感覚があった。

ここまで来れば、もう十分ではないか。

そんな手応えがあった。
原因の理解がここまで深まったなら、施策も見えてくるはずだ。
いや、もう見えかけているかもしれない。
原因と施策は地続きのはずだから、原因をこれだけ説明できるようになったということは、
施策の手前まで来ているということではないか。

今度こそ前進できる。
そう思っていた。
少なくとも、前回とは明らかに違う地点に立っていると感じていた。
理解の手応えが、そのまま前進の根拠に見えていた。

4. それでも施策になる感じがしない

ところが、実際に施策を考えようとすると、また手が止まった。

前回より理解は深い。
説明できることも増えた。
納得感もある。
それでも、「では何をするのか」が決まらない。

不思議なことに、原因について語れることが増えれば増えるほど、かえって「施策はこれだ」と言い切れなくなっていくような感覚があった。
理解は進んでいる。
しかし前進している感じがしない。

その違和感は前回よりも大きかった。

前回は「まだ理解が足りないから施策が見えない」と思っていた。
だから、もっと掘れば見えると信じていた。
しかし今回は違う。
理解は深まった。
説明もできる。
それなのに施策への道がひらけない。
「理解が足りないから」という説明が、もう使えなくなっていた。

それなのに、施策は相変わらず決まらない。
その事実だけが、静かに残っていた。

5. 理解と施策は別なのだろうか

その頃から、ずっと当然だと思っていたことが、少し揺らぎ始めていた。

私はずっと、原因を理解できれば施策も見えてくると思っていた。
だから原因分析を進めれば進めるほど、施策にも近づいているはずだと信じていた。
理解と前進は、同じことを指しているはずだと。

しかし実際にはそうなっていない。
原因の理解は深まっている。
説明できることも増えている。
それにもかかわらず、施策は決まらない。

だとすると、原因を理解することと施策に近づくことは、思っていたほど同じ意味ではないのかもしれない。

もちろん、この時点では確信はなかった。
単にまだ掘り下げが足りないだけかもしれない。
あるいは、もう少し続ければ突然つながる瞬間が来るのかもしれない。
それでも、「掘れば見える」という前提を、
これまでのように素直に信じることが難しくなっていた。
どこか引っかかるものが残っていた。

6. 何が足りないのだろう

原因については以前より理解できている。
説明もできる。
納得感もある。

それなのに、施策へ近づいた感じがしない。

もし原因理解だけで施策が決まるのなら、もう少し自然に前へ進めてもよいはずだった。
しかし現実には止まっている。
「理解が足りない」とは言えない。
しかし「では何が足りないのか」も、まだはっきりとは分からない。

私は原因をさらに深く理解しようとしていた。

しかし、もしかしたら探している場所そのものが違うのかもしれない。

そこで次は、実際に施策を考える過程そのものを見てみることにした。

施策を考え始めると、いったい何が起きているのだろうか。

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