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SF小説 Memory Banker Ghost Block編 第69話|「残された名前」

はなと佐倉がHelixの説明室に戻ると、そこにはまだ前の画面の光が少しだけ残っていた。

99.02%。

0.98%。

はなは椅子に座ったまま黙っていた。
佐倉は隣にいる。
レンはモニターの前に立っている。

誰も、すぐには話さなかった。

さっきまでの説明は、はなの中にまだ沈みきっていない。

0.98%は、はなを否定するものではない。
AIでもない。
別の人格でもない。
けれど、ただのエラーでもない。

Genesis残存。

人格になる前の最初の情報。
この世界に存在しようとしていた始まり。

はなは、自分の胸に手を当てた。

「佐倉さん」

「ん?」

「そのGenesisには、名前があるんですか」

佐倉は、すぐには答えなかった。

はなは続けた。

「私と関係があるんですよね」

「ある」

「じゃあ、教えてください」

佐倉はレンを見た。
レンは少しだけ目を伏せる。

そのとき、暗くなっていたモニターの端に文字が浮かんだ。

UNKNOWN MESSAGE : PROTECTED CHANNEL
不明メッセージ:保護チャンネル
Do not hide the name anymore.
もう名前を隠さないでください。
Let her receive it.
あの子に受け取らせてください。

はなは、その文字を見つめた。

「小人さん……そもそも、小人さんは誰なんですか」

画面は、それ以上何も言わなかった。

佐倉は深く息を吐いた。
そして、はなの方を向いた。

「はな」

「はい」

「今から、説明できる範囲で話す」

はなは少しだけ目を伏せた。
それでも、うなずいた。

「分かりました」

佐倉は、言葉を選んだ。

どう言えば、傷を増やさずに済むのか。
どう言えば、隠さずに済むのか。

考えても、正しい言い方など見つからなかった。

だから、佐倉は短く言った。

「君の中に残っているGhost Blockは、君の妹のGenesisです」

はなの表情が止まった。

「妹……」

その言葉は、はなの中にすぐには入っていかなかった。

妹。

自分に妹がいた。

けれど、記憶の中には何もない。
家の中にも。
学校帰りの道にも。
食卓にも。
その存在は見つからない。

はなは、佐倉を見た。

「名前は」

佐倉は目をそらさなかった。

「はる」

その瞬間、はなの呼吸が止まった。

はる。

知らない名前のはずだった。
聞いたことのない名前のはずだった。

けれど、その音は、はなの中を素通りしなかった。

白い歩道。
夜の街灯。
ショーウィンドウに映った、自分の姿。

その隣に、一瞬だけ立っていた小さな女の子。

静かな目。
届かない声。
振り返ったときには、もう消えていた姿。

はなは、椅子の背をつかんだ。

「……思い出した」

佐倉の表情が変わる。

「はな?」

「あの子」

はなの声が震えていた。

「前に、一度だけ。ショーウィンドウに映って……私の隣に、小さな女の子がいました」

レンが端末を見る。
佐倉は、はなから目を離さなかった。

はなは、胸を押さえた。

「あの子が、はるなんですか」

誰も、すぐには答えなかった。

けれど、その沈黙だけで十分だった。

はなの目から涙が落ちた。

「私……見てたんですね」

佐倉は静かに言った。

「可能性はある」

「はるのこと、もう見てたんですね」

「なぜ、急に君に見えるようになったのかは、まだ分からない」

「はい」

はなは、モニターに残る0.98%の数字を見た。

0.98%。

さっきまで、それは自分の不安の数字だった。
MCRが下がるかもしれない。
Zenith Ringに住めなくなるかもしれない。
自分が自分ではないのかもしれない。

そんな怖さの中心にあった数字。

でも、今は違った。

「私……自分のことばかり気にしていました」

はなは、涙を流しながら言った。

「MCRが下がることとか、Zenith Ringに住めなくなることとか」

佐倉は黙って聞いていた。

「でも、その0.98%は……はるだったんですね」

佐倉は、はなの顔を見た。

「君が怖がったのは、当たり前だと思う」

はなは小さく首を横に振った。

「でも、妹だって分からなかった」

「分からなかったことは、君のせいじゃない」

はなは下を向いたまま、もう一度その名前を呼んだ。

「はる」

名前にした瞬間、あのときガラスの中にいた女の子が、もう一度こちらを見た気がした。

声は聞こえない。
顔もはっきりとは思い出せない。
けれど、たしかにそこにいるような感覚があった。

はなは涙を拭わずに言った。

「はじめまして、じゃない気がします」

佐倉は息を止めた。

はなは続けた。

「でも、ただいまでもない」

少しだけ笑おうとして、うまく笑えなかった。

「変ですね」

佐倉は静かに首を横に振った。

「変じゃないよ」

レンが端末を操作した。
モニターに短いログが表示される。

GENESIS RESIDUAL RECORD
Genesis残存記録
Residual Name : HARU
残存名:はる
Relation : YOUNGER SISTER
関係:妹

はなは、その文字を見つめた。

HARU。
はる。
妹。

それだけだった。
それ以上の説明はなかった。

けれど、はなには十分だった。

「本当に、いたんですね」

レンは答えた。

「いた」

佐倉も言った。

「いました」

はなは、小さくうなずいた。

「私、その子を忘れていたんですか」

佐倉は少しだけ黙った。

レンが、代わりに口を開いた。

「忘れていた、というより、認識できなかったと考えた方が近い」

はなはレンを見る。

「認識できなかった?」

レンは、引き出しから一枚の紙を取り出した。
そして、机の上に置く。

「この紙の上にしか生きられない存在がいるとする」

はなは、紙を見た。

「その存在には、紙の表面しか見えない。紙の上にあるものは分かる。だが、紙の外側にあるものは分からない」

レンは、紙のすぐ上に指を近づけた。

「でも、外側にあるものが紙に触れた瞬間だけ、紙の上の存在には、突然現れた点として見える」

はなは、紙とレンの指を見比べた。

「つまり……はるは、見えない場所にいた?」

「そう考えるのが近い」

レンは言った。

「はるのGenesis Blockは、消えたわけではない。ただ、この世界の通常の断面には映っていない。だから、普通は見えない。Akashicにも、通常の検査では出てこない」

はなは、紙の上を指でそっとなぞった。

「でも、ショーウィンドウで見えた」

「ああ」

レンはうなずいた。

「君と、はるのGenesisが、何らかの理由で一瞬だけ接点を持った。だから、君は見た」

「それは、普通に起きることなんですか」

レンは短く答えた。

「起きない」

はなは顔を上げる。

レンは、静かに続けた。

「だから、私はそれを奇跡と呼ぶ」

「奇跡……」

はなは、涙を抑えながらレンを見た。

「ああ。奇跡だ」

説明室の空気が、少しだけ変わった。

はなは、モニターの名前を見つめた。

「はる」

その名前を呼ぶと、胸が痛んだ。
でも、その痛みは、ただ怖いだけではなかった。

本来なら、つながらないはずのGenesisがつながった。
本来なら、見えないはずの存在が、一瞬だけ見えた。

0.98%。

数字だったものに、輪郭が生まれた。

あの夜、ガラスに映った小さな女の子。
届かなかった声。
自分の隣に一瞬だけ立っていた影。

その名前が、はるだった。

はなは胸に手を置いた。

「私たちは、奇跡を起こしたんですね」

佐倉は、すぐには答えられなかった。

レンも黙っていた。

そのとき、モニターの端に、また文字が浮かぶ。

UNKNOWN MESSAGE : PROTECTED CHANNEL
不明メッセージ:保護チャンネル
Thank you.
ありがとう。
That is enough for today.
今日はそれで十分です。

はなは、その文字を読んだ。

「小人さんは、はるのことも知っていたんですね」

佐倉は答えなかった。
レンも答えなかった。

はなは少しだけ寂しそうに笑った。

「でも、今日は聞きません」

佐倉がうなずく。

はなは、しばらくモニターを見つめていた。
やがて、小さく息を吐く。

「今日は、ここまでにします」

「わかった。」

佐倉は答えた。

「少しだけ、なぜか幸せな気持ちなんです」

佐倉とレンが、驚いたようにはなを見る。はなは涙の残る顔で、少しだけ笑った。

「悲しいです。でも、全部悲しいだけじゃないんです」

胸に手を置く。

「はるが、消えていなかった気がするから」

佐倉は何も言えなかった。
はなは、佐倉とレンを見た。

「話してくれて、ありがとうございます」

はなは立ち上がった。
少しだけ足元が揺れる。
佐倉が手を伸ばす。

今度は、はなはその手を拒まなかった。

「ありがとうございます」
「送ります」
「はい」

レンはモニターを消した。
妹の…はるの名前が画面から消える。
はなは一瞬だけ、その黒い画面を見た。

「消えちゃうんですね」

レンが言った。

「記録は、君の中にあるだろう」

はなは少し驚いて、レンを見た。レンは、ほんのわずかに微笑んでいた。

「そうでした」

はなは、自分の胸に手を当てる。

「はるは、ここにいました」

それから、少し意地悪い顔をしてレンを見た。

「レンさんも、笑うことができるんですね」

佐倉が思わずレンを見る。レンは、佐倉とはなを見た。

「一応、高MCRだからな」

そう言って、もう一度だけ微笑んだ。

はなは小さく笑った。
涙はまだ残っていた。
けれど、その顔には、ほんの少しだけ温かさが戻っていた。

説明室の外では、Helixの白い廊下が静かに続いている。

はなはまだ、事故を知らない。
身体の真実も知らない。
母のことも知らない。
小人さんの正体も知らない。

それでも、今日、ひとつだけ思い出した。
ショーウィンドウの隣に立っていた小さな女の子。

その子の名前は、はる。

0.98%は、もうただの数字ではなかった。
はなの記憶の奥で、ずっと名前を待っていた、残された始まりだった。

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