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『父とのサシ飲み』/中年にもほどがある

多くの男性も人生で数回しかないのではないだろうか。
父親とサシで飲んだことは。

僕は一度しかない。
嫌だからではなく、一度で十分だった。
一度だったから貴重だったと思っている。

最後、半年だけ一緒に過ごしたが、その半年は知らない人同士でいるような気持ちだった。

実家に戻って久しぶりに顔を合わせると僕を覚えていなかったし、ほぼ会話も出来なかった。

要介護3。
実際にネットで調べてみると「4」ではないかと思った。

もうちゃんと喋れないし、記憶力もない。
最初は僕の顔を覚えていなかった。

付き添えばゆっくりと歩くことは出来るが、夜中に介護用トイレに一人で行こうとして、コケてしまえば自力で立ち上がることが出来ない。

身長が170センチで僕とほぼ同じ背丈の父を身長150センチの母は起こすことが出来ず、僕が夜中に呼ばれていた。

日中もほぼベッドで、性格も変わってしまい、言語障害もありほとんど無言だった。

元気だった頃は、「ゴルフが出来なくなったら死んだ方がましだ」と言っていた父がそうなってしまったことが、悲しいとか可愛そうとかそういうのではなく、残念だった。

僕が親父だったら死んだ方がましだと思っているだろう。

父もそう思っていたかもしれない。
そういう思考力があったのかもよく分からないけど。

父が元気だった頃の話だ。

ガソリンスタンドで「ハイオク」を頼むところを「ハイテク」で頼んだり、
ケイタイの電波が届かないと言う僕に「手を高く上げて電波をキャッチしろ」などとアドバイスする天然な父だった頃。
両親と温泉旅館に行ったことがあった。

母は旅館の夕食を食べ終えると部屋に戻り、僕と父だけお酒を飲んでいた。

お互い飲み出すと長くなるのは遺伝だろうか。
自然と父と二人でサシ飲み状態になった。

あの時何を話したかよく覚えていないが、酔った勢いで聞いたことがある。

「結婚してから好きな人がいたことある?」と。

普通親子でこんな話はしないだろうし、聞いたところで真面目に答えないだろう。

しかし父は焼酎を飲みながら普通に
「お店があったし、町中の噂になるからやめたど」
と話した。

「お店」とは実家がやっていた和菓子屋のことだ。
人口3万人の小さな町で数件しかない和菓子屋だった。

深くは聞かなかったが、店をやっていたから好きになった女性と町を出て行かなかったのかなと思った。

一人残された母親もあの町で暮らしていけないだろう。

でも女の人といい関係にあったことはあるんだなというのは感じた。

サシ飲みから数年後、父は二度目の脳出血を起こす。

そこから徐々に介護が必要な身体になり、僕が実家に戻って来た時には昔の父ではなかった。

亡くなる半年前、僕は心の中で「もういいんじゃないか」と思っていた。

最後の半年で父が笑ったところを見た記憶がほとんどない。

ほぼ一日を仏様のように右手を縦に左手を横に胸に当てて寝ていた。

器の大きかった父のその寝姿に、「この人は天国に行って仏様になるのかな」と思った。

葬式ではほぼ泣かなかった。

コロナ禍になったばかりの頃で、父の実家の種子島にいる兄弟や父の親戚も呼ばず、近くにいる母親の兄弟と姉の家族だけが参列者になった。

僕は、「本当は賑やかなところが好きな父だったので、大勢の人に集まって欲しかったのですが」といった短い弔辞を述べた。

その葬式から数日後だった。

普段そんなことはないが、玄関のドアを開けるとトンボが家に入ってきた。

何かの映画のワンシーンのようだし、僕が書くと嘘っぽい話だが、あの時トンボが父親を乗せて来たように思った。

ドアを開けたままにして外に促すと、トンボは外に戻って行った。

最後に一度だけ家に戻ってきたのかなと思った。

時々もう二度とない貴重な体験として思い出す。
浴衣を着て父とサシ飲みしたことを。

父も結婚後に好きな人がいたことがあったんだなと。

………っていうか、「も」ってなんだよ。これも遺伝かよ。

▼次回のエッセイ  妄想でキャバ嬢とLINEする話

▼前回のエッセイ  キャバ嬢とLINEだけしている話

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