お父さんの桃太郎は、鬼退治をしない
子どものころ、東京で単身赴任していた父は、月に一度くらいのペースで、妻と子どもたち3人が暮らす青森に帰ってきた。
日中仕事をして、慌ただしく東北新幹線に乗り込み、鈍行を乗り継いで帰ってくる。大人になった今だからわかるけど、一刻も早く寝たい、というのが本音だったと思う。
でも、私たちは許さなかった。絶対に。寝てもらっちゃ困る。お父さんが帰ってくるまでの間、ずっと楽しみにしてたんだから。
「お父さん、桃太郎は?」
「桃太郎ね、はいはい。昔々、あるところに…」
父が帰ってきた日は、寝る前に桃太郎のお話を聞かせてもらうのが恒例だった。だけど、これがふつうの桃太郎じゃない。
父の語る桃太郎は、スーパーできびだんごを調達する。イヌの犬種は、柴犬じゃなくてコッカースパニエルだし、キジはしょっちゅう焼き鳥になって食われる。
サルやじいさんばあさんだけでなく、セーラームーンやらウルトラマンも頻繁に出演する。なんでもありの闇鍋状態である。鬼ヶ島にたどり着いてきちんと鬼退治をする、通例通りのオチを迎えるほうが稀なくらいだ。
眠気の限界が来ると、父は早々と物語を完結させようと、大急ぎで鬼退治を始めさせようとする。そんな父の邪な考えの気配を察知しようもんなら、私たち姉弟は全力でそれを阻止する。
父の手を甘噛みしたり、こちょこちょしてみたり、足を蹴っ飛ばしてみたり、散々である。父も度々、ひゃあ!とかきゃあ!とかかわいらしい悲鳴をあげた。その悲鳴は、幼い私たちにとっては最高におかしくて楽しいものだった。
育児をするようになってから知ったのだけど、子どもの笑いのツボって本当によくわからない。緻密に組み上げられた話の構成や絶妙なオチよりも、「最後は爆弾でふっとばされました」みたいな突拍子のない結末のほうが爆笑を誘う。
「…そして桃太郎は、ジャスコの店長になりました。めでたしめでたし」
「なんでジャスコの店長さんになっちゃったの(笑)!!お父さん、もう一回!」
「ええ、もう眠いよう……昔々……」
最終的に、桃太郎は地元のショッピングモールに就職したというのだから、本当にわけがわからない。だが、それでよかった。とにかく父がしゃべることが肝心だった。
こうして、一晩につき何話も、前代未聞の桃太郎の冒険ストーリーは紡がれた。次第に私たち兄弟も父を引き留めることをやめ、ともに夢の世界へ旅立つのだった。
どれくらいの時間、父があの突拍子のない桃太郎の物語を聞かせてくれたのか、思い出せない。でも、たとえほんの5分くらいであったとしても、私たちのわがままに付き合ってくれた父に、今では素直に感謝と尊敬心を抱かざるを得ない。
だって、毎日、夜めっちゃ眠くなるもん。20時くらいには普通に眠い、早く布団に入りたい。瞼にオモリでもついてるんじゃないかってくらい、目が開かない。頭も働かない。
特に疲れている日は、子どもと遊んでいてもついつい横になってしまって、体が床に溶けて染み込んでいくような睡魔に襲われる。
フリーランスで比較的自分で予定を組みやすい私でさえも、夜は仕事や家事育児でへとへとになるのだ。フルタイムで働き、そのまま新幹線に飛び乗ってきた父は、さぞかし満身創痍だったに違いない。
あの毎夜、でたらめな桃太郎を聞かせてくれた父は、まぎれもなくめちゃくちゃ疲れていた。限界だったはずだ。ところが、いくら振り返ってみても、父が私たちを取り残して先に寝入ってしまった記憶はない。
ずっと父は、私たちが満足するまで、満たされた気持ちで眠りにつくまで、ずっと物語を聞かせてくれた(単純に、私たちが父を叩き起こし続けたから、というのはあったとしても)。
たとえ支離滅裂なストーリーであったとしても、物語を創作するというのは、かなり面倒だ。自分の知っている語彙を組み合わせて、展開を作って、なんとかかんとかオチをつける。眠いとき、これ超大変。全然頭回らない。
桃太郎は、とてもメジャーな昔話の一つだ。既存の物語に頼ってしまえば、楽だったかもしれない。でも父は、必ずあのでたらめな桃太郎を語り聞かせてくれた。
幼い私にとって、父の口から歪な物語を聞くこと。そして寝ぼけている父をこちょがして、親子で大笑いすること。ぐちゃぐちゃとしたあの時間が、普段は離れて暮らしている父の愛情を、一層強く感じられる瞬間だったのかもしれない。
人生というのは、必ずしも整ってはいない。むしろ振り返ってみて、完璧な1日だったと自信を持って言える日なんて、本当にごく少数だと思う。
私も今は、2人の子を持つ母となった。子どもと一緒に過ごす日々は、目を伏せたくなるほどのカオスと頻繁に対峙する。どの靴を履いて幼稚園に行くかで大喧嘩した朝も、夕食前にお菓子をバカスコ食べさせてしまった夜も、全部私の親としての実態である。
規則正しい生活や、丁寧な対話。もう少し、きちんとした子育てができたらなぁと、しょっちゅう肩を落としてばかりだ。
でも、完璧な暮らし以上に、不完全な暮らし、でたらめでわけのわからない時間のほうが、家族にとって大切な記憶になるのかもしれない。父と笑って過ごした、あの夜のように。
今日は掃除機をかけようと思っていたのに、結局かけられずに一日を終えそうだ。部屋は片付いていないし、洗濯物も畳めなかった。カオスな景色と肉体の疲労が積み上がって、やっぱり床に溶けて染み込んでしまいそうになる。
寝かしつけの目標タイムは、21時。時計を見ると、もう21時半近い。なのに息子は、まだ歯磨きもせずにYouTubeを観ている。
なんか、今日もやっちまったな。今日一日、何ができたのかなって、ちょこっと凹んでいる自分にも気づく。
それでも、愛する子どもたちと、でたらめだけどなんだかおかしい時間を過ごしている今が、これはこれでとても素晴らしいのかもしれない。そう思いたい。
「早く寝よう、もうお化けが出るよ」と、つい喉元まで出かけた言葉を飲み込む。布団の中で、うんこだのなんだのと下品な言葉を並べてオリジナルソングを熱唱する息子を、今日はちょっとだけ見守ってあげようと思う。
親として、十分な睡眠時間を与えてあげるのは確かに必要だけど、今日くらいは。一日の終わりに、今日を十分に楽しんだ実感を持たせてあげたい。親のエゴかもしれないけれど、今日はそんな気持ちなのだ。
今夜もどこかで、でたらめな物語と夜を明るくするような幸せな笑い声が生まれているのだろうか。息子のでたらめソングを聴きながら、意識が遠のいていくのを感じる。
あぁ、でもごめん。お母さんはやっぱり先に寝ちゃうかも。おやすみなさい。
こちらのエッセイは、喫茶夜ふかし様主催の #ねむりのエッセイコンテスト へ応募させていただきます。
執筆テーマ:①ねむりの思い出
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