輸入に依存している日本の欠点1
サプライチェーンが切れる前に食料そのものが消える—気候変動が日本の輸入先を侵食する構造ー
序論:問いの設定の転換
日本の食料安全保障をめぐる議論は、ほぼ一貫して「輸送ルートの確保」「輸出規制への対応」「価格高騰への耐性」という文脈で語られてきた。ホルムズ海峡の封鎖・海上保険の崩壊・地政学的リスクによる輸出制限、本稿でもこれらの問題を詳しく論じた。
しかしここで問いの次元を変える必要がある。これらはすべて「食料は存在するが、届かない」というシナリオだ。本節が論じるのは、より根本的な問いだ。「そもそも輸入できる食料が、輸出元の国に存在しなくなる」というシナリオだ。
これはホルムズが開いていても、海上保険が機能していても、地政学的対立がなくても起きる。気候変動が日本の主要輸入先の農業生産基盤を侵食すれば、輸送インフラとは独立して、輸入可能な量そのものが減少する。
第一章:日本の輸入構造、どの国が「壊れる」と日本が困るか
まず日本の食料輸入がどれほど特定の国々に集中しているかを確認する。
日本の食料安全保障に関する農水省資料によれば、輸入割合が高い農産物品目のうち、とうもろこし・小麦・大豆・牛肉では、輸入先上位3か国で輸入額の9割以上を占めている。
より具体的には、小麦の90%超を米国・カナダ・オーストラリアから、トウモロコシの約90%を米国・ブラジル・アルゼンチンから、大豆の約90%を米国・ブラジルから調達している。牛肉はオーストラリアと米国で約8割だ。
農林水産省自身の分析が「気候変動、大規模自然災害、高病原性鳥インフルエンザ等の家畜伝染病、感染症の流行、ロシアによるウクライナ侵略といった多様化するリスクを踏まえると、食料の安定供給の確保に万全を期す必要がある」と指摘している。
この列挙において重要なのは、「気候変動」が他のリスクと並列に置かれていることだ。しかし気候変動は他のリスクとは異なる性質を持つ。地政学的リスクは交渉で緩和できる。感染症は終息する。しかし気候変動は今後数十年にわたって深刻化し続け、農業生産基盤への影響は不可逆的に積み重なる。
第二章:米国:農業の「安全地帯」が侵食されつつある
日本にとって最重要の農業輸出国は米国だ。小麦・大豆・トウモロコシのいずれでも首位に近い。その米国で何が起きているか。
米国中西部のコーンベルト、イリノイ・アイオワ・インディアナ・オハイオは世界有数のトウモロコシ・大豆の生産地帯だ。しかし気候変動による降水パターンの変化が、この地域に矛盾した形で打撃を与えている。春の洪水(播種の遅れ・根腐れ)と夏の熱波・干ばつ(登熟期の高温ストレス)が交互に、あるいは同じ年に発生するようになっている。
2024年のトウモロコシ生産は記録的な水準だったが、これは例外的な気象条件が重なった好年だ。問題は「平均」ではなく「変動の拡大」にある。豊作と不作の落差が大きくなるほど、日本のような輸入依存国は「不作の年」に致命的な影響を受ける。
オガララ帯水層の問題は本稿で既に論じた通りだが、この文脈での含意を改めて明確にする。米国カンザス・ネブラスカ・テキサス・コロラドにまたがるオガララ帯水層は、米国の小麦・トウモロコシ生産の灌漑水源として不可欠だ。この帯水層は既に年間1メートル以上水位が低下している地域があり、一部の専門家は今世紀中盤に農業的利用が困難になる地域が出ると警告している。帯水層が枯渇した農地は雨天依存の農業に戻るが、乾燥した気候変動後の平原では収量の大幅な低下が避けられない。
第三章:オーストラリア・日本の最重要穀物・牛肉輸出国の農業生産の不安定化
日本の農水省の気候変動適応計画関連資料によれば、主要作物収量への将来予測研究の多くで、概して収量の減少が予測されており、特にアフリカや中南米を含む現在温暖な地域ではプラスよりマイナスの影響が予測されている。
オーストラリアはこの「現在温暖な地域」の典型例だ。小麦・大麦・牛肉の主要産地であるオーストラリア南東部では、既に乾燥化の傾向が明確になっている。2019〜2020年のブラックサマー(山火事)・2022年の記録的洪水、これらは異常気象の「例外」ではなく「これからの普通」に向かう軌跡の前兆だ。
オーストラリアの農業生産量は年によって極端に変動する。2018〜2019年の干ばつでは小麦生産が約35%減少し、日本向け輸出量が大幅に減少した。この種の「大型不作年」の頻度が、気候変動によって高まる。かつて10〜15年に一度だった大規模干ばつが、5〜7年に一度になり、さらに頻度が増すシナリオは科学的に現実的だ。
牛肉については、オーストラリアの牧場地帯の乾燥化・熱波の激化が飼育頭数の維持コストを上昇させ、輸出量に影響する。本稿で既に論じた「買い負け」という問題に加え、そもそもオーストラリアが輸出できる牛肉の量が気候変動によって構造的に縮小するリスクがある。
第四章:ブラジル・アルゼンチンもう一つの主要供給源の脆弱性
大豆・トウモロコシの輸入において、日本は近年ブラジルへの依存を高めてきた。米国への集中リスクを分散させるためだ。しかしブラジルが気候変動に対して免疫を持っているわけではない。
アマゾンの森林消失が農業生産に与える影響は、本稿で詳述した通りだ。アマゾン森林は雨季を作り出す「空飛ぶ川」として南米の農業地帯に雨を供給している。森林破壊が進むにつれ、セハードやリオグランデドスルといった農業地帯の降水量が減少するリスクがある。2024年のリオグランデドスル州大洪水、記録的な豪雨で農地が壊滅的な被害を受けたと、その後の干ばつは、ブラジルの農業がこれほど不安定になったことを示した。
アルゼンチンはパンパと呼ばれる肥沃な農業地帯を持つが、この地帯も降水パターンの変動に敏感だ。2022〜2023年の大干ばつではアルゼンチンの大豆生産量が前年比で約40%減少した。単一年の大幅な減産が、日本の輸入価格を大幅に押し上げた。
第五章:「複数の輸入先が同時に不作になる」という最悪シナリオの現実化
IPCCは最重要穀物の世界的な生産地が異常気象に脆弱な少数の地域に集中していることから、世界的な食料システムの崩壊や農業生産量の不足が世界的な食料価格の大幅な上昇を引き起こすリスクが大きいと予測しており、1951年から2010年ごろまでは「100年に1度」と言われていたような極めて厳しい世界的な食糧危機が、今世紀半ばまでには30年に1度の頻度で起こるかもしれないと研究者は結論づけている。
ここに日本にとって最も深刻な問題が潜んでいる。単一国の不作は、他の国からの調達増加で対応できる。しかし気候変動が引き起こす異常気象は、複数の農業地帯を同時に直撃することがある。
複数の主要生産地域で同時に発生した激しい干ばつは、2010年後半に40%、2012年夏には20%、主要穀物の価格をそれぞれ上昇させる主因となった。
2010年の事例は特に重要だ。ロシア・ウクライナの干ばつと米国の洪水が同時に発生し、世界の小麦価格が急騰した。これは気候変動以前の話だ。気候変動によって大陸規模の気象異常が「同時多発」する頻度が高まれば、日本が代替調達先を探すことすら困難な事態が発生する。
農林水産省の分析によれば、2024/25年度の穀物期末在庫率は前年比1.7ポイント低下し26.5%となる見込みで、FAOが安全在庫水準としている17〜18%を上回っているが、中国を除いた場合の期末在庫率は12.0%にとどまっており、世界的な不作が発生した場合には、食料不足や価格高騰が起こりやすい状況にある。
「中国を除いた場合12.0%」という数字は、農水省の公式文書の中に既にこの問題への警戒感が内在していることを示している。中国が自国在庫を放出しない限り、世界の実質的な食料緩衝能力はFAOの安全基準を下回っているのが現状だ。
第六章:日本国内農業も気候変動で侵食される「自給で補う」選択肢も縮小
輸入が減少した分を国内生産で補うという方向性は、本稿でも「食料自給率の引き上げが安全保障だ」と論じた通り正当だ。しかし気候変動は輸入元だけでなく、日本国内の農業生産基盤をも侵食している。
2026年2月に公表された「第3次気候変動影響評価報告書」によれば、牛・豚・鶏のいずれも夏季高温による生産性・繁殖率等の低下がすでに確認されており、特に泌乳牛への影響が大きく、将来の気温上昇が比較的緩やかであっても2030年代以降には本州全域で大幅な乳量低下が予測されている。
また、サンゴに限らず海藻類への影響も大きく、アカモクやカジメの分布域が縮小し、4℃程度の気温上昇になる場合、今世紀末にはアカモクは東シナ海や本州中部沿岸から消失する可能性が予測されている。またコンブの主要産地である北日本沿岸域では、主要コンブ11種についても同様の気温上昇で今世紀末には1980年代の0〜25%にまで分布域が落ちると研究で示唆されている。
これは食料供給の構造的な問題を二重に深刻化させる。輸入量が気候変動によって減少する一方で、それを補うはずの国内生産もまた気候変動によって制約される。「輸入が減ったら国内で増産すればいい」という解答は、その国内農業基盤もまた気温上昇・降水変動・海面上昇・塩害・病害虫の変化によって侵食されるという現実の前で、単純には成立しない。
第七章:「輸出規制」という見える壁の前に立ちはだかる「生産縮小」という見えない壁
本稿で以前論じた輸出規制、2022年のウクライナ危機時に30カ国以上が発動は「食料は存在するが輸出しない」という政治的決定だ。これは外交・経済的な交渉によって部分的に解決できる余地がある。
しかし気候変動による農業生産基盤の侵食は「政治的決定」ではない。物理的な制約だ。干ばつで収穫がなければ、いくら価格を吊り上げても輸出できる食料が存在しない。買い負けという「競争で負ける」問題より深刻な、「そもそも存在しない」という問題だ。
農林水産省の安全保障関連資料は「将来的に各分野での水需要が水資源量を大幅に上回った場合には、我が国の主要な穀物輸入国の農業生産にも影響を与え、我が国への食料供給に影響を及ぼす可能性がある」と明記している。
「可能性がある」という慎重な表現が使われているが、本稿全体で積み上げてきたデータを重ねれば、これは「可能性」ではなく「進行中の現実の延長線上にある確実な方向性」として読むべきだ。
終章:輸入依存と気候変動の交点「調達の自由」が失われる時
本稿を通じて論じてきた「買い負け」「ホルムズ封鎖」「サプライチェーンの脆弱性」——これらはいずれも「日本が調達しようとする意志・能力」の問題だった。しかし気候変動が輸出国の農業生産基盤を侵食し始めると、日本の意志や能力とは独立した次元で、「調達できるものの量」が減少する。
この問題の深刻さは、対処の困難さにある。ホルムズ封鎖は停戦で終わる。輸出規制は外交交渉で緩和できる。しかし帯水層の枯渇は交渉できない。干ばつは買収できない。土壌の塩害は政治的意志で止まらない。
農林水産省の気候変動適応計画が示す通り、「気候変動影響による収量減少や不安定化について、引き続きリスクの一要因として平素からのリスク分析・評価等に含め、総合的な食料安全保障の取組を行っていくことが考えられる」という、控えめな危機認識が政策文書の水準だ。
「考えられる」という表現に、問題の深刻さと政策対応の乖離が凝縮されている。データが示す軌道は「考えられる」という表現をはるかに超えた緊急性を示しているが、それが政策言語に完全には翻訳されていない。
本稿全体を貫いてきた問いに、ここでも行き着く。サプライチェーンが切れる前に食料が消えるというシナリオは、「輸入を維持しながら対処する」という従来の食料安全保障の発想が前提とする条件を失わせる。輸入で補えるという前提が失われた時に残る選択肢は、本稿が繰り返し示してきた通り一つだ——食料自給率を実質的に引き上げ、国内の土壌・水・農業人口という生産基盤を今のうちに守ることだ。
しかしその農業基盤もまた気候変動によって侵食されつつある。これが本節が指し示す「日本のもう一つの欠点」の本質であり、二重の侵食、輸入先の生産減少と国内生産の制約の同時進行という、従来の食料安全保障論が正面から向き合ってこなかった問いだ。
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