《闘病記》親子ゲンカ勃発‼️『手術しないで死んでやる〜💢』と開き直ったトホホな私の話しʅ(◞‿◟)ʃ
去年、大病を患い心臓カテーテルの検査中に「心臓が止まる」という体験をしたことから書き始めた闘病記。我が家は息子と私の二人家族。今日は、病気が分かってから繰り広げられた、我々の壮絶な親子ゲンカのお話しを書きます✍️
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病名を告げられてから、息子も私も不安でいっぱいになっていた。
息子は表面上は「大丈夫だよ、手術すれば治るんだから」と明るく振る舞っていて、私も、表面上は不安を外に出さないようにしてたつもりだったが…
普段なら気にならないような言葉がすご〜く気になったり、息子のちょっとした言葉にショックを受けて腹を立てたりして、いつもピリピリしていた。
そして、
”もっと私の不安な心に寄り添って欲しい”
”もっと優しくして欲しい” などなど、
知らず知らずのうちに、息子に対する要求が大きくなっていたようにも思う。

私にダンナ様がいて、息子にとっても共に暮らす父親がいたら、お互いの想いも分散されて、だいぶ楽なんだろうが。
病状の説明や、心肺停止した際や、手術中の待ち時間も、全て息子が一人で背負うことになる状況だった。
今なら私も、心細かった息子を思いやることもできるが、あの時はそんな余裕がなかったのだろう…
息子の対応をいちいち不満に感じて、
文句を言ってケンカになることが増えていった。
息子は息子で、
今まで元気だった母親が一度心臓が止まり、
”もしかしたら、死ぬかもしれない”
という不安でいっぱいな現実を受け止めきれなかったのだと思う。
その不安な気持ちは若さゆえ、矛先がイライラや怒りみたいな感情に向かったようだった。

私達親子は、ちょっとしたことで激しくぶつかり合って、ケンカの度合いもどんどんエスカレートしていった。
唯一の家族である息子の態度に失望した私は、
大ゲサかもしれないが…
生きる希望を失った(T . T)…
連れ合いがいるわけでもなくて、私が死んだとしても悲しむ人など息子以外にいない…その息子でさえ、私が死んでも悲しまないかもしれないという超ネガティヴな想いに囚われていく。
そして、一度目の手術前日の夜、この夜は特に不安な気持ちになっていたせいか、ちょっとしたことで息子と言い合いになり、私は、自分の部屋にこもって食事も摂らずにふて寝していた。
その後、少し話し合ったものの、互いの気持ちはスッキリすることなく、気持ちは落ち込んだまま翌朝を迎え、出かける支度をしていたら、またまた息子とケンカに(><)
その時、
私のネガティヴは最高潮に達してしまい、
生きる希望を失っていた私は、
「もう手術なんてしない!
絶対にしない!」
「このまま何もしないで
死んでやる〜〜〜(˃̶͈̀ロ˂̶͈́)੭ꠥ⁾⁾!!!」

と言い放って、支度をやめベットに潜り込んでしまった。
その発言を聞いた息子は怒り爆発!!!💣
玄関のドアが壊れるほど強い力で
「バーン!!!」とドアを閉めて
どこかへ消えた。
こうなると、もうどうにもとまらない笑。
私は、息子が戻って来れないように玄関の鍵を閉めてドアロ〜ック🔐
今、振り返ると大人気ない馬鹿みたいなことしたなぁと思うけど、
あの時は、完全に
感情コントロールが不能になっていた💦
だが、ひとりになって少し冷静になった私は、粛々と入院準備を再開して、
荷物を車に積みひとりで病院に向かった🚙
病院に着くと看護士さんに
「あれ?付き添いの方は?」と聞かれたので、
「息子が来る予定だったんですけど、実は、息子とケンカしてしまったので、今日は来ないと思います」と答える私。
こんな時に、嘘を付いて体裁を取り繕ってもしょうがないという持論の元、こういう時は、正直に話すようにしている。
その後、手術の準備をしていたら…
なんと!
ふらっと息子が病室に入ってきたではないか^^;
何事もなかったように笑。
私と看護士さんはアイコンタクトで
「来ましたね」みたいなやりとりをした。
もう来ないだろうと覚悟を決めていたので、
なんか肩透かしをくらった感じだったが、
きっと心の中はホッとしていたように思う。
そして、無事に手術を終えたのであった。
まだ一度目だったが😂
そして、2度の手術を終えた今、
怒鳴り合ったり、罵しり合ったり、互いを否定したり、私達親子は時に激しくぶつかり合うけど…
これまでの大変な幾つもの山を、ひとつひとつ二人で乗り越えてきたことは事実で、今回は『生命の危機』という大きな山をまたひとつ越えたんだ…と感慨深い想いがある。
これからも、心配や迷惑を掛けたり、掛けられたりしながら、我々親子はファンキーに生きていきたい(๑>◡<๑)

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