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《闘病記》一度死ぬという体験から”死を恐怖”と考えていた感覚が変わったオハナシ(´-`).。oO

前の記事で、大病を患い❤️心臓カテーテルの検査中に「心臓が止まる」という体験をしたお話しを書きました。

今後、闘病記として、病気のことだけでなく、病気をしたことで感じたこと学んだことなどを、独自の観点からつづっていこうと思います✍️

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私のライフワークは「瞑想」とともにある。


「瞑想」は「死ぬ練習」と言われており、
死への恐怖などを解放する為に行うという側面もあり、

いわゆる全ての「恐怖」とか「不安」などというネガティヴな想いを浄化していくという作業なのだ。

そして、その全ての恐怖や不安といったネガティヴな感情の中で、誰もが「死」というものに最も恐怖を感じるのでないだろうか。

もちろん私も「死ぬのは恐い」という恐怖心を持っている。

だからそんな私は…

「瞑想」=「死ぬ練習」


をしてきた。



こんな風に、もう10年以上も毎日
「死ぬ練習」をしている私が、
実際に一度死ぬという体験をして、

二度目の電気ショックで生還したわけだ。

まさか自分が・・・よくテレビで見ていた
 ”医療機器で蘇生” という
あの場面を体験するなんて夢にも思っていなかった。

そして生還した時、自分の心臓が止まって蘇生が行われていたことなんて本人は知る由もない。

当たり前と言えば当たり前のことなのだが、
実際に体験すると、
なんだかとても不思議な感覚なのだ。

それはきっと、

死への恐怖など全く感じないまま心臓が止まったからだと思う。


恐怖心だとか「私、死ぬんだ」という感覚などなく、ただなんとなく意識が遠ざかっていったことだけが微かに思い出されるだけだ。

だから目が覚めて、自分が蘇生され生還したことを聞いて、自分が一番驚いたという感じ。

その出来事があってから、私は、自分の体験を元に「死への恐怖」ということについて考えるようになり、

死ぬ間際って、

そんなに恐くないんじゃないか


という結論に至った。




「恐い」という感覚は、人それぞれだと思うのだが、これまで私が抱いていた死への恐怖は、死ぬ間際が最も恐いというものだった。


例えば、自分が余命宣告をされたら、その時、もうすぐ自分は死ぬかもしれないということに恐怖を感じると思うが、それは、死ぬ間際のことを想像してしまう恐怖から来ているものだと、私自身は感じていたから。


だが、意識が遠のいていく感じで心臓が止まるという経験をした私は、

全く恐怖心がないまま
一度死んだ形になったのだ。


こういう特殊な体験を、文章で伝えることはなかなか難しい。

だが、幸か不幸かなかなか体験できないことを経験したので、是非とも自分なりの感じたことを伝えたいと思った。


だって、「死」というものは、例外なく誰もが経験しなければならないことで、誰もがそのことに恐怖を感じていると思うから。

私自身も大病を経験して、病気をしている人の気持ちが深く分かるようになり、

もし、今、自分が余命宣告されたら・・・
という観点から考えても、

今までは、
その時のことなど想像もできなかったけど、

今は、

どんな死だったとしても、死ぬ間際は恐怖心みたいなものはないと思えるから、

死ぬまでの残された時間を、恐怖におののき泣き暮らすのではなく、大切に大切に過ごしたい…という意識に変わったように思う。

今回の体験がなかったら、死に対する恐れが強かった私は、こんな風に考えられず、
余命宣告なんてされたら泣き暮らしてウツになっていたかも💦


変な話しだけど、
毎日あちこちでたくさんの人が亡くなっているのを見聞きすると、

”みんな、
ちゃんと死んでいくよなぁ” 


という不思議な想いが浮かぶ。

それと共に、自分は先人たちのようにちゃんと死んでいけるのだろうか…

と考えることが何度もあった。

今は、

”きっと私もちゃんと死んでいける”  
と思えるようになった自分がいる。




どんな物事にもいろんな見方や考え方があるように、死に対する考え方も人それぞれだと思うから、ここに記したことが全てだとは思っていない。

実体験から得た、ひとつの考察だと思って読んでもらえたら幸いです。

そして、私は、これからも「死」に対する恐怖心みたいなものを、更に更に軽くできるように「瞑想」を続け、いつか先人達のようにちゃんと死んでいきたいと思うのであります。

いつか来る本番のその日まで
命を燃やして生きていきたい✨


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