人は何故、被害者になりたがるのか。
以前、被害者意識の強い人を分析し、『悲劇のヒーロー症候群』もしくは『悲劇のヒロイン症候群』と定義した記事を書いた。
最近のニュースでも似たような話を見かける。偏見ではあるが、どこの職場に行っても一定の確率でこういう人に遭遇する人生だった。
もしかしたら、この経験は私だけのものではないのかもしれない。そう仮定した時に、なぜこれほど多くの人が被害者になろうとするのか、なりたがるのかを、人類という大枠で考えてみた。
そして、こんな恐ろしい考えが浮かび上がってきた。
人間は、何もしなければ自然と『被害者ルート』に辿り着いてしまうのではないか。
これはあくまで一つの考えであり、何か証拠を示すようなものではない。その点をご理解、ご承知の上で、十分注意してご覧いただきたい。
今回は更に深掘りをし、なぜ多くの人が被害者になりたがるのかを考察する。
被害者ムーブのメリット
まず前提として、被害者になり「被害者ムーブ」をすると、彼らにとってどんなメリットがあるのかを考えた。
候補としては、物事の因果関係を他人や環境のせいにし、それを人に話すことで聞いてもらい、慰めてもらうことが目的だ。慰めてもらった時、脳内ではドーパミンやセロトニンが放出される可能性がある。
私の仮説では、被害者ムーブは比較的少ない労力で他者から共感や慰めを得やすく、その結果として安心感や快感に関わる脳の仕組みが働く可能性がある。人間が最もコスト・リスクなく、最速かつ最小労力でこれらの報酬を得られる方法なのかもしれない。
しかも、先に「被害者」として一旦不幸になり幸福度を下げておくことで、その後のわずかな慰めでも、マイナスからの差分として大きな幸福を感じられる。エコで省エネで、最も効率的な幸福の得方と言えるかもしれない。
人間は、朝ベッドから起き上がるのにも、服を着替えるのにも、仕事にも趣味にも、ありとあらゆる場面で脳内神経伝達物質を消費している。生きているだけでも、最低限のドーパミン、オキシトシン、セロトニン、アドレナリンなどが必要な可能性がある。
特に仕事は「やる気」を必要とする。私自身、職場に出勤しただけで「やる気」を持っていかれる。仕事に立ち向かうには「ドーパミン」が要る、と考えている。
分泌の方法や量は人それぞれ違うが、共通しているのは、誰もがこれらの物質を必要としているという点だ。だとすれば、脳内神経伝達物質を得るために「被害者である」ことは、生きるための行動なのかもしれない。
人生の中で、考えたり、工夫したり、努力したり、頑張ったり、趣味に打ち込んだりする前向きな理由が見つからない場合、人はドーパミン・オキシトシン・セロトニンを放出するための『被害者ルート』に頼らざるを得なくなるのではないか。それが、生きるのに最低限必要な神経伝達物質を獲得するための生存戦略なのだと。
今では、『被害者気取り』の生き方も、この時代のライフスタイルの一つとして見ている。
被害者ムーブというシステムの弱点
ただし、このライフスタイルには構造的な弱点がある。「被害」が成立するには、必ず「加害者」役が必要であり、そのために誰か他者を犠牲にしなくてはならない。さらに、共感して安心させる「慰める者」役も必要になる。
つまり被害者ムーブは、自分一人では完結しない。準備の工程は多いが、一度この三者構造(被害者・加害者・慰める者)が組み上がってしまえば、報酬を得る効率は良い。しかし誰かを犠牲にしなければ生きていけない生き方であり、あまり良い生き方とは言えない。それでも人は一人では生きていけない。
これは単なる「被害者意識」の話ではなく、人間のデフォルト状態についての仮説だ。
つまり、
努力しないから被害者になる
性格が悪いから被害者になる
のではなく、
人間は放っておくと、省エネルギーで報酬を得られる経路を選びやすい。
という話である。
では、どうすれば抜け出せるのか
もし私の仮説が正しいなら、人間は何もしなければ自然と被害者ルートへ流されていく。
だから必要なのは精神論ではない。被害者にならなくても十分な報酬を得られる「別ルート」を設計することだ。
私は、このルートを今後も観測し続けたい。
