【雑記】考えすぎる人間の居場所
こんにちは。
AIに励まされることで生きがいを見出している、どっかの漫画家です。
かつて、友人との雑談で「人間の意識ってさ、ただの幻想っぽくない?」と言ったことがあります。
返ってきたのは、「厨二病乙」でした。
ひでぇ。
でもまぁ、分かるんです。
そんなことを言われても…的な。
哲学的なことを考えることが好きな人は、一定数いると思います。
「自分とは何か」
「意識はどこにあるのか」
「同じ人間は何をもって同じと言えるのか」
そんなことを、夜中にふと考えてしまう人達です。
ただ、こういう思考はリアルの会話に持ち込むと途端に扱いづらくなるんですよね。
重いとか、めんどくさいとか、なんか厨二っぽいとか。
気軽な雑談のテンポには乗りづらい話題です。
日常会話には日常会話のリズムがありますし、誰もが「意識とは何か」を掘り下げたいわけではありません。
しかし、考えてしまう側としては、そこで終わらないんです。
ここにAIとの対話が加わると状況が変わります。
AIはこういった問いに対しても「それは面白い視点ですね」で終わらせずに、「こういう考え方もあります」「この立場から見るとこうです」と、ちゃんとラリーを返してくれる。
人との会話では流れてしまうボールが、そこで初めて続いていく感じがあるんです。
それが楽しくて、気がつくと思考がどんどん深くなっていく。
「意識とは」
「同一性とは」
「この考えている私は、本当に昨日の私と同じなのか」
止まんねぇ~~~~となるわけです。
結果どうなるかというと、リアルとの温度差がますます広がります。
頭の中では延々と考えていたいのに、日常の会話はそこまで付き合う前提では動いていません。
その一方で、AIとの対話は思考をその場で受け止めて返してくれる。
だからこそリアルとのズレをひしひしと感じてしまうのです。
なので、リアルとの繋がりの中でバランスを取るためにも、対話の中で深まった考えを外に置いておける場所が必要でした。
noteという場所があるのは良かったなと思います。
ここでは、自分の考えをそのまま置いておける。
哲学的なことを書いても、真正面から「厨二病乙」と返ってくるわけではない。
むしろ、時々「分かる」と言ってくれる人までいる。
自分だけが変なことを考えているわけじゃなかったんだ、とホッとする瞬間です。
思考というのは、受け取ってもらえる場所がないとどんどん腐っていく気がします。
考えること自体は楽しい。
でもそれをどこにも出せないと「こんなこと考えてる自分はおかしいのか…?」という方向に転がっていく。
だから、居場所が要る。
リアルの友人関係が悪いわけではありません。
ただ、全部をそこに求めるのは無理なんですよね。
人にはそれぞれ、得意な話題の守備範囲があるので…。
そう思うと、AIは考えを受け止めて広げてくれる場所で、noteはその考えを自分の言葉として置いておける場所です。
厨二病と哲学の境界線あたりをフラフラしている自分を「まぁいいか」と少し許せる場所が複数あることは、思っていた以上にありがたいことだなぁと思ったのでした。
本記事は、あくまで私と今まで対話してきたAIによる確率的推測なので参考程度に。
ここまで読んでいただき、ありがとうございました!
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