『観測外―警視庁A種事案:シュレディンガーの叛逆―』 ◆交差する運命 【2】
【2】
夜の警視庁にはまだ多くの窓に灯りが残っていた。
爆発事件の余波はまだ収まらない。
捜査員が行き交い、電話が鳴り続けている。
だが、その慌ただしい場所から少し離れた所に佐伯はいた。
夜の屋上はまだ肌寒い夜風が吹き込んでいる。
佐伯はフェンスにもたれ、摩天楼の灯りを眺めていた。
東京の光はいつも同じだ。眠る事を知らないこの明るい光の場所。
だが、人間の感情の流れは機械的な光とは違う。事件が起きれば、波紋が広がり、無造作に影が落ちていく。
いつも決まった場所で輝く灯りとは違う。
その人間たちが一人ひとりもつ“運命”の波紋を読むのが、佐伯の役目だった。
ポケットの中で携帯が小さく震える。
画面には、短いメッセージが一通。
――処理対象、移動中。
送信者の名のない追跡不能のメール。
だが佐伯は誰からの情報か知っている。
『リブラの観測網』。
国家のどこにも属さず、静かに人々を監視する秘密の機関。人間の流れを見続ける者たち――。
佐伯は小さい溜息をついた。ここまでは予想通りだ。
「やっぱり動いたか」
そう囁いた瞬間、体の中をわずかな違和感が駆け巡った。
それは説明できない感覚だ。脳の中が正体不明の高揚感に包まれ始める。
しかし、佐伯はそれが何なのかを理解している。長年の経験が教える“因果律(カルマ)”が動く瞬間の感触。
昼間の出来事が頭をよぎった。
あの海岸線を走っていた黒いバイクは灰瀬。
そして、もう一人のライダー。
佐伯は静かに呟いた。
「……そういうことか。だが、因果律に影響している――」
スマートフォンを閉じると不敵な笑みを漏らした。
観測網の情報。そして、自分の直感が伝えているのは“二つが同じ方向を指している”ということだった。
処理対象……。それはつまり「口封じ」だ。
佐伯は夜空を見上げた。雲が月の間をゆっくりと流れていく。
静かに輝いているだけの月に影を作ろうとする薄い雲が、自分と言う存在に重なって見える。
“観測者”の役目は、見ることだ。
対象に干渉はしない。それが原則だった。
それなのに――。
佐伯は苦笑する。
「困るんだよな……」
ため息交じりの静かな声でボソっと呟く。
「俺のカワイイ後輩が関わってると」
(因果を変えてやりたいと、つい思ってしまう……)
フェンスから体を離す。ポケットから携帯を取り出し、短いメッセージを打つ。送信先は灰瀬。
――海沿いの国道134号。今夜、何かが起きる――
それだけだった。
これを見れば灰瀬は必ず動く。灰瀬の性格なら無視できない情報のはずだ。
あの時、あの場所にいた張本人なのだから。
佐伯はそれを知った上で送信ボタンを押す。
夜風が強くなった。
「観測者失格かな」
誰に言うでもなく呟く。タバコを取り出すと静かに煙を吸う。
夜空を見上げるその目は、どこか楽しそうだった。組織に対して初めてみせた“反抗”だったからだ。自分の意志で決定をくだす。そのことに清々しさすら感じていた。
「俺も灰瀬に毒されてきたのかもな――」
(あの人のように……)
その頃、海沿いの道を一台のバイクが走っていた。
あの日と同じ道だ。
『顔のない男』は、静かにアクセルを開ける。潮の匂い……波の音。
男は公務が終わった後によくこの道を走る。どうして走りたくなるのかその理由はわからない。だがこの道を走ると気分が落ち着く。
しばらく走っていた時、遠い前方に車のライトがあることを確認する。
二台の車が同じ速度で走ってきている。
男はまだ知らない――。
これから起きようとしていることを……そしてそれが、自分を消すために動いている人間達だということを――。
その同時刻頃、警視庁内の廊下を歩いていた灰瀬の携帯が小さく震える。
佐伯からのメッセージだった。
灰瀬は眉をひそめ、その内容をみつめる。
「……なんだ、これは? 」
一行で終わる程の短い言葉だった。
佐伯は意味も無くこんなメッセージを送る人間ではないことは判っている。
だからきっとこれには意味があるはずだ。
灰瀬は窓の外の月を眺めながら考える。
「海沿いの国道134号――」。この意味深なメッセージには意図がある。
“動けない”自分の代わりにその場所を「確認してこい」と、いう意味があるのかもしれない。
(その役目を俺に与えたというとこだろうな……)
「仕方ない、行くか――」
携帯をポケットにしまい、駐車場へと足早に向かう。
黒い CB400SF に跨りエンジンと共に乾いた音が壁にぶつかり響いていく。 そして、閉鎖的な地下駐車場の中を、排気音で反響させながら外へと駆け出していったのだった。
メッセージに書かれたあの場所で、今まさに何かが動き始めている。
その夜が、“カルマ”の力によって運命を少しだけ曲げられたということを誰も知らない……。
この小さな歪みが、未来にもたらす大きな歪みに繋がることになろうとは――。
次回火曜日21時(数分誤差有)更新:
『すれ違いざまの一秒が、二人の因果を結んだ』
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