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【創作大賞2026応募作】『普通のサラリーマンが「普通の投資」で10億円築いた投資日記』

あらすじ
青い作業着のエンジニアが、35年で総資産10億円を築いた半実話に基づく戦記。相続なし、過度な節約なし。元手2000万円を、複利と「市場の歪み」を突く数理ロジックで50倍へと導いた。ドルコスト平均法の「盾」と、暴落時に振るうナンピンの「剣」を併用するハイブリッド戦略。家族の笑顔を守るための投資は、大病やインサイダー規制による「強制放置」を経て、10億円という数理の必然に到達する。これは単なる成功譚ではない。第一キャリアとしてのサラリーマンを全うした後、第二の人生として文筆業と株主に情熱を捧げる「サイドスローFIRE」を掴み取るまでの魂の記録である。

【プロローグ】

世間は私を、特別な人間だと思うかもしれない。
相続なし、過度な節約なし、派手な短期投機もなし。50代後半を迎えた今も、一着の青い作業着に身を包み、日々開発現場の最前線で泥にまみれている、どこにでもいる普通のサラリーマンである。

しかし、私のスマートフォンの画面に表示されている証券口座の数字は、厳然たる事実を告げている。

総資産、10億円。

この数字を目にすると、多くの人は「どうせ元手が凄かったのだろう」とか、「デイトレードのようなギャンブルで一発当てたに違いない」と口にする。50倍という数字は、それほどまでに非現実的に映るらしい。

だが、ここに最初の手品の本質、つまり「種明かし」を置いておこう。

私がこの35年間で市場に投じた自己資金の総額は、およそ2,000万円である。
2,000万円を10億円にする――。数字だけを見れば「50倍のギャンブル」に思えるが、理系の冷徹なロジックで因数分解すれば、それは極めて現実的な「数理の必然」へと姿を変える。

鍵を握るのは、アインシュタインが「人類最大の非凡な発見」と呼んだ【複利効果(コンパウンド)】と【時間】の掛け算だ。

仮に、35年間という歳月をかけて、配当金の再投資と株価の成長を組み合わせ、年利「約12%」という運用を継続できたとしたらどうなるか。複利の計算式において、資産は12年で4倍、24年で16倍、そして35年が経つ頃には、数理的にちょうど「50倍」へと到達する。

もちろん、毎年綺麗に12%ずつ増えるわけではない。市場の暴落で資産が乱高下する凄惨な嵐の夜もあった。しかし、私が平時はドルコスト平均法という盾で守り、歪みが生じた暴落局面でだけ「ナンピン」という鋭利な剣を振り下ろしてきた結果、この「平均年利12%・35年で50倍」という数式は、奇跡ではなく「再現可能なロジック」として私の口座に結実した。

これは、組織の歯車として生きるしかなかった一人の理系人間が、自らの知性だけを武器に、時間を味方につけて市場の歪みと戦い続けた「誇りの証明」だ。

私が目指したのは、ただ通帳の数字を増やして早期退職する、若者の「ニートFIRE」ではない。投資で経済的な自由を完全に確立した上で、自らの情熱と知性を、社会に価値を提供する「文筆業」へと傾ける「サイドスローFIRE」という生き方だ。

この物語は、一人の等身大のサラリーマンが、どのようにして10億円の城を築き、そしてその先にある真の自由を掴み取ったのかを記録した、血の通った戦記である。


【第1章】投資の原点 ―― すべては一通の「お願い」から始まった

1. 若きエンジニアの純情と、作られた口座

35年前、私は二十代の若きエンジニアだった。当時の私の脳内に「投資」や「資産運用」などという言葉は1ミリも存在していなかった。金儲けのためにこの道を選んだのではない。自らが設計した数ミリの部品が、巨大なインフラを動かし、世界の誰かの役に立つ。そんなエンジニアとしての地道なプライドと純粋な憧れだけが、私の原動力だった。
会社が用意してくれた古びた独身寮は、油と鉄の匂いが染み付いた「青い作業着」を脱ぎ捨てるだけの場所だった。平日は朝から晩まで実験室に籠もり、回路図と格闘する日々。夜勤明けの重い体を引きずりながらも、納得のいくモノづくりに没頭できる環境に、私はそれなりの満足感を覚えていた。 「お金なんて、生活していける分だけあればいい」 本気でそう思っていた。物欲もなく、趣味は技術書を読み漁ること。給料の使い道すら浮かばないほど、私は仕事と技術に打ち込んでいた。
そんなある日、一人の古い友人が寮の狭い部屋を訪ねてきた。大手証券会社に就職した彼は、泥臭い営業現場で必死にノルマと戦っていた。彼の顔には、隠しきれない疲弊と、私に頭を下げざるを得ない切実さが混じり合っていた。 「直樹、本当に申し訳ない。今月の新規開拓の目標が、どうしてもあと一件足りないんだ。口座を作るだけでいい。株なんて買わなくていいんだ」
差し出された申込書を見つめながら、私は少しだけ考えた。当時の私にとって、投資とは「汗水垂らさずに金を右から左へ動かすだけの虚業」であり、全財産を失うギャンブルだという偏見があった。 だが、目の前の友人は、かつて共に夢を語り合った大切な仲間だ。彼を救うための「設計変更」だと思えば、口座一つ作るくらい、エンジニアの私にとっては何の痛手でもない。 「分かった。協力するよ」
私はボールペンを握り、住所と名前を記入した。それが、私と「市場」との最初の接点だった。机の上にぽつんと残された、開設通知の入った青い封筒。それは、後に10億円へと繋がる巨大なシステムの、最初の「起動スイッチ」だったのだ。

2. 机上の勉強 ―― 株とは本来、何ぞや

「作ってしまったからには、その動作原理くらいは理解しておくか」 理系人間特有の、いや、エンジニアとしての旺盛な探究心が頭をもたげた。私は本屋へ向かい、株式市場に関する専門書を数冊買い込むと、寮の狭いデスクでページを捲り始めた。
そこで知った「株式投資の本質」は、私の抱いていた偏見を根底から覆す、極めて高潔なシステムだった。 株の本質とは「企業の一部を買い、その未来の伴走者になること」である。
一株を買うということは、その企業のオーナーの一人になること。つまり、組織の歯車であるサラリーマンが、資本の力を使って「もう一つの経営権」を握るロジックに他ならない。さらに、投資とはギャンブルではなく、自分が応援したい企業に資本を提供し、その企業が社会に生み出した価値の果実を「配当」として分かち合う、極めて合理的な「人類の知恵」であった。
「これは、ものすごく面白い仕組みじゃないか……」 エンジニアとして、現場の努力や技術の価値は嫌というほど理解している。株式市場とは、私と同じように現場で泥にまみれる人間たちの成果を正当に評価し、応援するためのインフラだったのだ。 まだ一銭の株も買っていない。だが、机上の猛勉強によって株の「設計図」を脳内に叩き込んだ私の目は、すでに一人の「投資家」としての光を宿し始めていた。


【第2章】楽しむ投資 ―― 「優待」と「配当」で心の余白を作る

3. ネット証券の幕開けと、最初の一歩

勉強を終え、仕組みを完全に理解した私に、時代が最高のパスを出してきた。
世の中に【ネット証券】という新たなインフラが産声を上げたのだ。

それまでは、株を取引するとなれば、平日の昼間に証券会社の窓口へ足を運ぶか、担当の営業マンと電話でやり取りをするのが常識だった。手数料は高く、私のような一介のサラリーマンが気軽に手を出せる世界ではなかった。

しかし、インターネットの普及とともに登場したネット証券は、その常識を根底から覆した。パソコンの画面越しに、いつでも、信じられないほど安い手数料で、自分の意思だけで注文を出せる。
理系の私にとって、これほど直感的で、かつ感情を排してコントロールできるシステムはなかった。

「よし、ついに私の勉強の成果を、本物の市場で試す時が来た」

私が最初に向かったのは、資産を爆発的に増やすための危険な銘柄ではなく、勉強時代から心に決めていた「楽しむための優待株」だった。

選んだのは、自分が普段から利用し、現場の従業員たちが楽しそうに働いていることを知っている、身近な企業の株だ。ネット証券の画面で、いくつかのパスワードを入力し、静かに買い注文のボタンをクリックする。

カン、という電子音と共に、私の人生で初めての株式購入が確定した。

数ヶ月後、独身寮の私のポストに、一通の小さな封筒が届いた。開封すると、そこには綺麗な印刷で刷られた「株主優待券」と、企業からの感謝が綴られたスマートな報告書が入っていた。

手の中に収まる、小さな優待券。
それは、私が会社に縛られたただのエンジニアではなく、この社会を動かしている企業の一片を所有する「オーナー」になったことを告げる、確かな手触りだった。

「直樹さん、この優待券、今週末に一緒に使ってみてもいい?」

当時、まだ付き合いたてだった妻が、その優待券を見て嬉しそうに目を輝かせた。週末、私たちはその優待券を握りしめ、店舗へと足を運んだ。支払いの際、現金の代わりにその紙を差し出す。店員は笑顔で「いつも応援ありがとうございます」と、深々と頭を下げてくれた。

画面の向こうの数字を追うだけでは、絶対に辿り着けない温かさがそこにあった。
自分の資本が現場を支え、現場が私たちに笑顔を返す。心の余白を作るこの「楽しむ投資」の心地よさを知ったことこそが、後に私が「10億円」という途方もない城を築くための、最も強固で揺るぎないスタートラインとなったのである。


4. 人生に伴走する一冊の優待券 ―― コロワイドが教えてくれたこと

ネット証券という新たなインフラを手に入れ、私の投資は本格的に動き出した。次に私が目をつけたのは「コロワイド」という企業の株だった。動機はエンジニアらしくないほど単純だった。「会社の寮から徒歩圏内に、コロワイドが運営するステーキ屋があったから」である。 だが、実際に店舗へ足を運び、自分の目で見た現場は、単なるチェーン店ではなかった。お米は抜群に美味しく、従業員の教育も行き届いている。「この企業は、現場が生きている。設計に狂いはない」。エンジニアとしての直感が、数字の奥にある生命力を捉えた瞬間だった。
あれから35年。この一枚の優待券は、私と家族の歩みを特等席で見守り続けてくれた。 まだ結婚したばかりの若き日、少しだけ背伸びをして妻と食べたステーキの味。やがて娘が生まれ、賑やかで慌ただしい日々に追われるようになると、家族の笑顔が集まる場所として、毎月のように足を運んだ。そして、娘が独立し、再び妻と二人きりの静かな生活に戻った今は、夫婦の健康を支えるサラダバーを目当てに通っている。
年間4万円。35年間でじつに140万円分以上の果実を、私たちは「美味しく」いただいてきた。株価も購入時から3倍の価格になっている。世間のトレーダーが画面の数字に一喜一憂し、精神を削っている間、私は妻とステーキを切り分け、娘の成長を祝い、心の余白を満たしていた。 株主優待を楽しむことは、ギャンブルではない。企業の成長を信じ、そのサービスを生活の一部として愛し、人生の時間を共に刻んでいくことなのだ。この「優待と配当」という揺るぎない盾があったからこそ、私は後に訪れる市場の暴落局面でも、決して怯むことなく戦い続けることができたのである。

【コラム①】なぜ、最初のステップは「優待投資」なのか?
投資をこれから始める方や、なかなか成果が出ずに悩んでいる方に、私はまず「配当・優待投資」から入ることを強くお勧めしています。
普通のサラリーマンが市場という荒波で生き残るためには、戦略的に「プロ(機関投資家)と同じ土俵に立たないこと」が絶対条件になります。実は、配当や優待を狙う個人投資家の領域には、最先端のAIや数億円を動かすプロのファンドマネージャーはほとんど参入してきません。なぜなら、彼らは短期的な成績で評価されているため、数年単位でじわじわと効いてくる配当や、株主優待のメリットを評価に組み込めないからです。つまり、この領域は個人投資家が圧倒的に有利な聖域なのです。
そして何より、私が個別株を選ぶときに最も重視しているのが、物語パートでも触れた「下町ロケットのような、誇り高き従業員がいる100年企業」かどうか、という視点です。
四季報の数字やPERを読み込む以上に、優待券を持って実際にお店や現場に足を運んでみてください。「従業員が経営者のような感覚を持って、楽しそうに仕事をしているか」これらは、パソコンの画面からは絶対に読み取れない、生きた一次情報です。日本企業の本当の強さは、経営陣の手腕ではなく、現場を支える素晴らしい人材の力です。自分が心地よいと感じ、この人たちの未来を応援したいと思える現場を持っている会社は、どんな大暴落が来てもそう簡単に潰れません。
画面の数字を追うだけの冷たい投資ではなく、自分の五感を使って、企業を支える「人間」を信頼する楽しさを知ること。心の余白を作りながら市場の癖を学ぶこと。それこそが、普通のサラリーマンが10億円という途方もない城を築くための、最も確実で強固なスタートラインになります。


5. 豊かさを加速させる「配当株」というもう一つの車輪

コロワイドをはじめとする株主優待株で「投資の楽しさ」と「生活の心の余白」を手に入れた私が、次に着手したのは、資産形成のスピードを劇的に加速させるための「高配当株投資」というもう一つの車輪だった。

優待が日々の生活を美味しく、楽しく彩るものであるならば、配当は私の証券口座に「冷徹な現金(キャッシュ)」をダイレクトに積み上げていく、純粋な経済的兵器である。

サラリーマンの多くは、毎月、会社の給与口座に振り込まれる固定給だけを頼りに生きている。私もそうだった。どれほど夜勤をこなし、開発現場で血の滲むような試作を繰り返しても、会社の査定ひとつで給料の伸びは頭打ちになる。組織の力学に依存する限り、私たちはどこまで行っても「歯車」の域を出ない。

しかし、堅実に利益を稼ぎ出し、それを株主に還元してくれる優待・高配当株をポートフォリオに組み入れた瞬間、私の世界には「第二の給与口座」が誕生した。

3ヶ月に一度、あるいは半年に一度、私が働いている間も、眠っている間も、企業たちが稼いだ果実が「配当金」という名の確固たる盾となって口座に流れ込んでくる。この現金の響きは、サラリーマンとしての私のプライドを内側から静かに、しかし強固に支えてくれた。会社の仕事は好きである。好きでエンジニアの仕事を選んだのだから当然といえば当然である。「私にはもう一つの確固たる収入源がある」という事実は、会社でも本当にやりたい仕事を貫く上で最高の精神的な防護壁となったのだ。

だが、世間の投資家たちは、高配当株投資と聞くと、ただ「今、画面に表示されている利回りが高い銘柄」へと盲目的に飛びつき、大怪我を負う。沈みゆく泥船のような斜陽産業の株を買い、後に「減配(配当が減ること)」や「株価暴落」という手痛い一撃を喰らうのだ。

理系出身のエンジニアとして、私はそんな行き当たりばったりのギャンブルを絶対に許さない。私が高配当株を選定する際に用いたのは、直感だけに頼らずと4つの変数でスクリーングする「直樹流スクリーニング・アルゴリズム」だった。


【コラム②】4つのパラメーターで炙り出す:直樹流スクリーニングの極意
高配当株投資の成否は、銘柄選び(スクリーニング)の精度で9割が決まります。複雑な指標は必要ありません。理系のロジックで株式市場を因数分解すれば、たった4つの変数を見るだけで、その企業の正体は見抜けます。
PER(株価収益率):目標11倍以下 企業の稼ぐ力に対して株価が不当に低い「市場のバグ」を探します。21倍を超える銘柄は、設計上の安全率が低すぎるため、即座に除外します。このバグは長期保有すると株価が上がる可能性を示唆しています。
PBR(株価純資産倍率):1.0倍前後 「解散価値」を下回る1.0倍割れの銘柄は、最悪の事態における「最強の防波堤(マージン・オブ・セーフティ)」となります。
配当性向:30%〜50%の黄金律 70%を超えるような無理な還元は、いずれ「減配」という故障を招きます。逆に低すぎる企業は、配当株主を見ていない企業ですので配当株候補としては不向きです。利益の半分を現場の技術投資に回し、残りの半分を株主に還元するバランスこそが、100年企業の条件です。
配当利回り:上記のスクリーニングを通り抜けた上で3.5%以上の株を狙います。目先の5%や6%という数字も魅力はありますが、あくまで長期的に成長していくという狙いで選択の幅を増やします。
高配当株というと配当利回りという甘い数字に目が行きがちですが、上記の3つのフィルターをすべてクリアした上で配当利回りと直感で銘柄を選ぶわけです。
直感と言ってもこの4つのパラメーターが交差する「狭い聖域」に生き残る企業は自然と良い企業しか残りません。


【第3章】増やす投資 ―― 常識を覆す「ハイブリッド積立戦略」


6. 複利という名の「数理の怪物」に気づく

株主優待と配当金。それらがもたらす「現場を応援し、果実を分かち合う楽しさ」を知った私は、二十代の中盤に人生の大きな節目を迎えた。結婚である。

守るべき家族ができたという事実は、一介の独身エンジニアだった私のマネーリテラシーを、より長期的で、かつ強固なものへと脱皮させた。生活の余白を楽しむための投資から、家族の未来という巨大な建造物を支えるための、揺るぎない「基礎工事」としての投資へ。私は、本格的に一社を定めて積立投資を敢行しようと思い立った。

ある日の昼休み、私は社内のカフェテラスで、愛用のノートPCを開いてMicrosoft Excelを立ち上げていた。数理モデルやデータ分析にめっぽう強い、同期のエンジニアである高橋が、私の画面を覗き込んできた。

「おい直樹、昼飯時に数式とにらめっこか? 何のシミュレーションだ?」
「いや、人生の基礎工事だよ。これから定年退職を迎えるまで、およそ35年という歳月があるだろ。毎月一定額を積み立てて、生涯の累計投資額が2000万円になったとき、年利12パーセントで複利運用できたらどうなるかと思ってね。エクセルでマクロを組んで現実的な推移をシミュレーションしてたんだ」

高橋はフッと鼻で笑った。
「年利12%? 景気がいいな。まあ、単利計算なら35年で数倍ってところか。大したギャンブルだよ」
「違うよ、高橋。単利じゃない。配当をすべて同じ銘柄に放り込む『複利』だ。それに、投資の神様と呼ばれるウォーレンバフェット氏は年利20パーセントを謳っている。リスクを伴う個別株投資としては現実的だと思うよ。」

私はエクセルのエンターキーを叩き、グラフを描画させた。液晶画面に弾き出された最終資産の数字を見た瞬間、高橋の笑みが完全に凍りついた。

「……50倍、だと……? 10億円……!?」
「そうだ。2000万円の元手が、35年後には10億円に化ける。これが数理の現実だ」
「バカな、何かのバグじゃないか? 指数関数のカーブが急激すぎる!」

高橋は私のPCを奪い取り、エクセルのセルに打ち込まれた数式を食い入るように検証し始めた。だが、いくらバグを探そうとしても、数式は完璧に正しかった。

「信じられん……」高橋はブツブツと呟いた。「アインシュタインが『人類最大の非凡な発見』と呼んだのは知っていたが、これほどとは。前半の20年間はジワジワとしか増えないのに、30年目を過ぎたあたりから、まるでロケットのブースターが点火したみたいに垂直に立ち上がっている」

「その通りだ。これが複利という名の『数理の怪物』だよ。時間はエネルギーなんだ。だけど、このシミュレーションには一つ、現実的な『致命傷』があるんだ」
私はそう言って、エクセルの変数を書き換えた。

しかし、現実は甘くない。計算するまでもなく、若きエンジニアの給与口座に「2000万円」などというまとまった種銭はすぐに用意できるはずもなかった。ならば、毎月の給与からコツコツと「積み立て」をしていくしかない。それが唯一の現実解だった。

「高橋、もしこの『複利のエンジン』をかけるのが、たった5年遅れたらどうなると思う? 35年じゃなく、30年の運用期間に変えてみろ」

高橋がキーを叩いた。画面の数字が書き換わる。
「おい、嘘だろ……。10億円が、4億〜5億円近くまで激減したぞ。たった5年遅れただけで、最終的な果実が半分近く吹っ飛ぶのか!?」

「これだよ。複利の恩恵を最大化するには、1年でも、1カ月でも早く元本を大きくして、時間を長く味方につけなきゃいけない。世間では『ドルコスト平均法で毎月一定額を積み立てるだけで安心』と言われているけれど、それだけじゃ初期の買い付けスピードが遅すぎて、複利の力を最大限に発揮できないんだ。牙を抜かれた怪物になってしまう」

高橋は腕を組み、エンジニアらしい険しい目付きで画面を睨んだ。
「理屈はわかる。でも、僕たちには今すぐ出せる2000万円なんてない。ドルコスト平均法以上に、どうやって初期の購入スピードを早めるって言うんだ?」

私はニヤリと笑って、ホワイトボードに一つの投資用語を書き殴った。

「それをカバーするのが、『ナンピン買い(難平買い)』だ」

高橋は驚いた顔をした。
「ナンピンだって? 正気か? あれは下手な投資家が傷口を広げる悪手だと、どのマネー本にも書いてあるぞ」

「それは本質を理解していない人間の言葉だ。株価が下がったときに、逃げずに多く買い増せば、平均購入価格を引き下げられるのは有名だろ? でも、数理的に見れば、ナンピン買いにはもう一つの強力な意味がある。それは『購入の前倒し』と同等になるんだ」

「購入の前倒し……?」

「そうだ。株価が暴落した局面は、同じ予算で『数倍の数量』の株数を一気に仕込めるボーナスタイムだ。ドルコスト平均法でダラダラと数年かけて買うはずだった株数を、暴落時のナンピンによって、わずか数ヶ月で市場からかき集めることができる。つまり、未来の買い付け枠を現在に『前倒し』しているのと同じなんだよ。結果として、複利のエンジンに放り込む『元本(株数)』の構築スピードが劇的に跳ね上がる」

高橋は目を見開き、しばらく絶句していた。やがて、私のノートPCの画面を指さし、「なるほど……ドルコスト平均法が『静』の積立なら、ナンピンは複利のスイッチを強制的に押し込む『動』の加速装置か。お前、とんでもないロジックを組み立てたな」と、戦慄を覚えたような声で言った。

世間一般の感覚からすれば、「手元にある資金を50倍にする」などというのは破滅的なギャンブルにしか聞こえないだろう。しかし、複利効果(コンパウンド)を味方につけ、ナンピンという加速装置で時間を圧縮すれば、それは博打ではなく、極めて現実的な「数理の必然」へと姿を変える。12%の複利は、雪だるま式に資産の桁を押し上げていく。

私は、この「複利×ナンピン」という名のシステムを、私の人生における最強のエンジンとして設計することを、この日、確信を込めて決意した。名付けてハイブリッド積立法だ。


7. 35年を共にする「本物のパートナー」を探す

ハイブリッド積立を行う覚悟は決まった。次に私を待ち受けていたのは、「どの会社に自らの命を預けるか」という、エンジニアとしての思想そのものを問われる選定作業だった。

35年という長期間、システムを安定稼働させるためには、並大抵の企業では務まらない。画面の向こう側の流行り廃りや、市場の気まぐれな株価の乱高下に踊らされるわけにはいかなかった。私が己に課した選定基準は、理系人間としてのプライドと、日本のモノづくりへの絶対的な信頼から導き出された、極めて厳格な「3つの設計仕様(スペック)」だった。

ある日の残業終わり、開発室の蛍光灯の下でアニュアルレポート(年次報告書)を読み耽る私に、部品メーカーの動向に異常に詳しい同期の高橋が缶コーヒーを差し出してきた。

「おい直樹、また怪しげな仕様書を読み込んでるな。今度は何の設計だ?」
「人生を賭けるパートナーの選定だよ、高橋。35年間、俺の資本を預けて、一緒に世界の最先端と戦う『本物のB to B企業』を探してるんだ」

高橋は缶コーヒーを口に含み、不敵に笑った。
「ほう、面白い。部品屋の僕に言わせれば、日本の製造業なんて星の数ほどあるぞ。お前の言う『本物』の基準ってやつを聞かせろよ」

私は手元のノートに、青いボールペンで3つの条件を力強く書き殴った。

「第一の仕様は、【創業100年以上の歴史】を持っていること。関東大震災、第二次世界大戦、オイルショック、バブル崩壊――。日本の歴史上、幾度となく訪れた破滅的な危機を、その都度、現場の知恵と執念で泥臭く乗り越えてきた、本物の『生存DNA』を持つ企業でなければ、35年後の未来を託すことはできない」

「なるほど、100年の耐久テストをクリアした骨組みか。悪くない」高橋が頷く。

「第二の仕様は、消費者の流行に左右されない【B to B(企業間取引)企業】であること。テレビCMで華やかに名前を売る消費財メーカーよりも、私は地味で不器用だが、その企業が作るたった一つの超精密部品、たった一本の極細ケーブルがなければ、世界の最先端インフラが1ミリも動かないという、圧倒的な技術の『聖域』を持つ黒子たちを信頼する。『現場の図面には嘘がない』。R&D(研究開発)にどれほどの情熱と資金を注いでいるかが全てだ」

「完全に僕たち技術者の視点だな」高橋の目が少し真剣味を帯びてきた。「で、最後の3つ目は?」

「第三の仕様は、【家族経営(同族)ではない、世界を目指す開かれた企業】であること。実力を持った叩き上げの技術者たちが、現場のプライドを胸にトップへと登り詰め、本気で世界市場の覇権を奪いに行くような、オープンで野心的な組織だ。世襲の御曹司が思いつきで舵を取るような会社に、俺のナンピンの覚悟は預けられない」

高橋は腕を組み、しばらくノートに書かれた3つの条件を凝視していた。そして、懐からおもむろに自分のノートPCを取り出し、高速でデータベースを叩き始めた。

「直樹、お前が突きつけたその仕様書……どれだけイカれた難関か分かっているか? 日本には約3900社の上場企業がある。そのうち、創業100年を超える老舗企業は数百社。さらにそこから『純粋なB to B』かつ『世界シェア上位』で、なおかつ『非同族の叩き上げ組織』となると……スクリーニングの網に引っかかるのは、日本全体でもおそらく30社から40社程度、全体のわずか1%未満の『超エリートの化物たち』だけだ」

「1%未満……。上等じゃないか。それだけの価値がある」

高橋は画面をこちらに向け、いくつかの企業名を指し示した。

「例えば、島津製作所。創業は1875年で150年近い歴史がある。分析計測機器で世界トップクラス、非同族の技術者マインドが生きるB to Bの雄だ。あるいは、ベアリング世界大手の日本精工(NSK)。1916年創立で、自動車や産業機械の摩擦を減らす『聖域』の技術を持ち、世界を相手にしている。他にも、重電や社会インフラの根幹を支える明電舎(1897年創業)なんかもお前の仕様にピタリとはまる」

画面に並ぶ企業名を見た瞬間、私の胸の奥で熱いものが火花を散らした。
世間の個人投資家たちが「明日の株価」や「流行りのITベンチャー」に一喜一憂している裏で、日本の土台を、そして世界のインフラを支え続けている、泥臭くも圧倒的な技術者集団。彼らの財務諸表は、私にとって最高に美しい「設計仕様書」そのものだった。

「問題はこれら根幹の技術力がある縁の下の力持ち企業を世の中が20から30年後に、ちゃんと評価どうかも問題だ。直樹、この1%未満の戦場に飛び込む覚悟はあるか?」
「ああ。夜、回路図を読み解くように彼らのアニュアルレポートを精査していると、彼らの『魂』が伝わってくるんだ。普通のサラリーマンである俺が、資本を通じて彼らとスクラムを組み、世界を獲りに行く。これほどエキサイティングな設計開発が、他にあるか?」

直樹はこの条件にあった企業からさらに一社に絞り込み「本物のパートナー」を決めた。

それから数年後、直樹が設計したその強固なシステム(投資戦略)は、容赦のない「現実のストレステスト」に晒されることとなった。

2000年代初頭のITバブル崩壊、そして2008年、世界経済の根底を揺るがしたリーマンショック。市場はパニックに陥り、株価ボードは連日、血の気が引くような赤一色に染まった。世間の個人投資家たちが悲鳴を上げて市場から退場していく中、直樹は再び、開発室のデスクで高橋と対峙していた。

画面に映る、私が決めた「本物のパートナー」もそれに準ずる他の100年企業たちの株価もまた、地合いの悪化によって無残に叩き売られていた。

「おい直樹、正気か……!」 画面を見た高橋の声が、明らかな戦慄で震えていた。 「あの島津も日本精工も、リーマンの濁流に飲まれて株価は半値近くまで叩き落とされている。なのに、お前の口座……買い付けの注文数が狂ったように跳ね上がっているじゃないか。何だこの異常な株数の増え方は!」

「ハイブリッドナンピンだよ、高橋」 私は乾いた声を響かせ、キーボードを叩いた。 「毎月の定時積立という『静のシステム』に加え、この暴落という市場のバグに乗じて、未来の買い付け予算を『動の加速装置』として前倒しで一気に叩き込んでいる。株価が半分になったということは、同じ資金で『2倍の株数』が仕込めるボーナタイムだ。こんな美味い設計変更の機会を、エンジニアとして見過ごせるわけがないだろう」

「バカ言え! 世間じゃ100年に一度の金融危機って大騒ぎだぞ! もしこのまま世界が破滅したらどうするんだ!」

「世界は破滅なんかしない。彼らはあの第二次世界大戦も乗り越えたんだぞ。彼らの『技術』はまだ生きている」 私はアニュアルレポートの最新の研究開発費のページを高橋に突きつけた。

「見ろ。どれだけ株価が売られようと、彼らは最先端部品のR&D(研究開発)の手を1ミリも止めていない。現場のエンジニアたちは今この瞬間も、次の時代を支配するための図面を引いているんだ。株価という『バグ』に惑わされるな。彼らの生存DNAを信じろ」

高橋は突きつけられた数字と、私の冷徹なまでに揺るぎないロジックを交互に見つめ、やがて言葉を失ったように深く息を吐き出した。 「……ドルコストで平均値を守りながら、暴落時に対象の芯(根本)を見極めて質量(株数)を爆発させる。お前が言っていたのは、こういうことだったのか。ただの普通のサラリーマンが、100年に一度の暴落を『加速装置』に変えちまうなんてな。理屈では納得していたが本当に実践するなんて。」

市場の歪みが大きければ大きいほど、ナンピンという名の補正ベクトルは強烈な出力を生み出す。ITバブル崩壊、そしてリーマンショックという暗黒のトンネルを抜けたとき、私の口座には、教科書通りの投資では到底集められないほどの株数という名の燃料が、複利の怪物に引き渡されるために蓄えられていた。

8.ハイブリッド投資と放置が生み出した4億円

​人生には、すべての時計の針が強制的に止められてしまう瞬間がある。

54歳の秋、私は命に関わる大病を患った。35年間、大きな病気もせず現場を統括してきたこの身体が、突如として悲鳴を上げたのだ。手術台の上で天井の無機質なライトを見つめたのを最後に、私の意識は暗転した。

手術は無事に成功したものの、術後の病室で目覚めた私は、管だらけの身体でベッドに横たわっていた。身動き一つ取れない病院の夜、窓の外の深い暗闇を見つめながら、私は自分の歩んできた道のりを静かに振り返っていた。

家族のためにただただ働き、エンジニアとして図面と格闘し、空いた資金でナンピンを繰り返してきた日々。俺の人生は一体、何だったのだろうか。

その時、病室のドアが静かに開いた。見舞いにやってきた娘が、少し照れくさそうに、しかし真っ直ぐな目で私に告げた。

「お父さん、私、結婚することになったよ」

一級建築士として自立し、立派に成長した娘の姿がそこにあった。その言葉を聞いた瞬間、胸の奥から熱いものが込み上げると同時に、私の心に強烈な「生への執着」が灯った。

死んでたまるか、と思った。この子の結婚式を一番いい席で見届け、この子の未来を支える揺るぎない壁にならなければならない。それが、父親としての最後のエンジニアリングだ――。病室の天井を睨みつけながら、私は涙を堪えていた。

過酷なリハビリを経て無事に退院し、懐かしい我が家のリビングに戻った私は、本当に久しぶりに書斎のノートパソコンを開いた。娘の門出を祝う資金を算段するため、そして今回の入院費を確認するための作業だった。

電源が入り、液晶画面が立ち上がる。ブラウザのブックマークから証券口座のログイン画面を呼び出す。指先が少し震えていた。

最後にまともに口座を開いたのは、44歳の頃だった。毎月5万円の積立と、ITバブル崩壊とリーマンショック時の市場の暴落時にのみ発動させた「ナンピン」のハイブリッド戦略により、累計投資額がようやく2000万円に到達したあの時だ。「もう基礎工事は終わった。あとは複利のシステムに任せて放置しよう」と決め、それから丸10年間、私はパスワードすら入力していなかったのだ。

ログインボタンをクリックした瞬間、私は呼吸を忘れた。

「……え?」

声にならなかった。画面の向こうで静かに数理の息吹をあげていたのは、およそ一介の普通のサラリーマンの日常には存在し得ない、巨大な数字だった。

評価総額:400,000,000円

4億円。

一瞬、ディスプレイのバグか、あるいは退院直後の幻覚かと思った。何度もページを更新したが、コンマ1秒ごとに時価評価を変えるその数字は、厳然たる事実としてそこに君臨していた。

画面を見つめているうちに、私の脳裏に、かつてこの口座がもたらしてくれた家族との泥臭くも愛おしい記憶が、走馬灯のように鮮やかに蘇ってきた。

そうだ、まだ娘たちが小さかった頃。株主優待の入った封筒が届くと、我が家はちょっとしたお祭り騒ぎになった。
「お父さん、今週末はあのハンバーグのお店に行ける?」
そう言って目を輝かせる娘たちの手を引き、優待券を握りしめて向かった賑やかな外食の風景。
娘達が好きなサンリオのテーママークの入場券がもらえるからと株を買って毎年テーマパークにも行っていたな。
あるいは、優待割引を使って少しだけ贅沢をした家族旅行。一級建築士を夢見て、旅先の歴史ある建造物を熱心に見上げていた娘の、幼い横顔。

あの頃の私にとって、投資とは「家族の笑顔という心の余白」を作るためのささやかな道具だった。それなのに、私が病床で生死を彷徨い、完全に「強制放置」されていた間にも、あの時仕込んだ苗木たちは、目に見えない地下深くで途方もない根を張り巡らせていたのだ。

20代から始めた優待と配当のハイブリッド。暴落の恐怖に耐えて買い向かったナンピン。そして、10年間の完全なる放置。それらが複利の暴発的な力と掛け合わさり、4億円という圧倒的な出力となって結実していた。

私は静かに涙を流した。これは幸運などではない。私が信じて貴重な資本を投じた、あの100年企業の技術者たちが、私に代わって24時間365日、現場で価値を生み出し続けてくれた結果なのだ。

普通のサラリーマンである私は、一人ではなかった。資本を通じて、日本のモノづくりの魂と、確かに繋がっていたのだ。

4億円という数字の向こう側に、私はこれから歩むべき「オーナー」としての本当の人生の幕開けを見た気がした。

9.「ダメ押しの強制放置」による10億円ゴール

​4億円という現実。私は即座に売却を考えたが、そこには思わぬ「システムエラー」が待ち受けていた。私が30年前に惚れ込んだ企業は、皮肉にも現在の勤務先にとって最も重要なサプライヤーとなっていたのだ。 「これは……インサイダーのリスクがある」 直感的にリスクを察知した私は、法務部へ相談に走った。
「直樹部長、絶対に、今は売らないことを強くオススメします。売らなければ、リスクはゼロです」 法務部からの冷徹な宣告。目の前に4億円という甘美な果実がありながら、指一本触れることができない。サラリーマンとしての規律を全うするためには、このまま株をホールドし続けるしかなかった。それは、自らの意志を超えた、ルールによる「第二の強制放置」の始まりだった。

幸い、入院費は保険で全て賄いお釣りが来た。会社を休んでいる間も満額の給料をもらえた。役職も部長のまま降格はなかった。娘の結婚式のお祝いをしても目先のお金には困らなかった。放置という選択肢に逆らう理由もなかったのである。

それから5年。私は「売れない」という制約を、さらなる資産拡大のための「最適化プロセス」として受け入れた。相談相手の野村證券の担当者と対話を重ねる間も、複利の雪だるまは加速度的に膨らみ続けていた。 ある日、再び口座を開いた時、そこに刻まれていたのはついに大台を突破した「10億円」という数字だった。
35年前、独身寮の狭い部屋で叩き出したあのシミュレーション。ドルコスト平均法にナンピンという「鋭利な剣」を掛け合わせたハイブリッド戦略は、35年の歳月を経て、完璧な「解」を導き出したのである。


【コラム③】世間の「ナンピンNG」を論破する:地合いの暴落と企業の根本

投資の教科書を開けば、必ずと言っていいほど「下手なナンピン、素寒貧(すかんぴん)」という格言が踊り、買い増しは絶対の禁じ手とされています。しかし、エンジニアの視点から言わせてもらえば、これは数理の本質を見誤った、非常に偏った見方です。

なぜ世間のナンピンは失敗するのか。理由は明確です。企業の不祥事や業績の構造的な欠陥という、いわば「設計ミスで底が抜けた船」に対して、感情に任せて資金を継ぎ足してしまうからです。それは投資ではなく、ただの現実逃避です。

私が実践し、普通のサラリーマンでありながら10億円を築く原動力となった「ナンピン」は全く違います。それは、市場全体のパニック(地合いの悪化)によって、優良企業の株価まで巻き込まれて引きずり降ろされる「連れ安」という名の【市場のバグ(一時的なエラー)】を突く、極めて冷徹な数理的アプローチなのです。

ここで、簡単な算数を使って、その「ベクトル補正効果」を証明してみせましょう。

初期状態:1,000円の株を1,000株購入(100万円投資)

市場のバグ発生:市場全体の暴落につられ、株価が500円に急落。この時点での含み損は50万円。

ナンピン発動:500円のバーゲンセール会場で、2,000株(100万円分)を大胆に買い増し。

補正後の結果:総投資額200万円で、保有株数は3,000株。

さあ、計算してください。平均取得単価は一気に「約666円」まで劇的に下がります。

もしナンピンをせず、世間の教科書通りに「じっと耐える」か「損切り」をしていたらどうなるか。株価が元の1,000円という大台に戻るまで、一銭の利益も出ません。しかし、この数理的補正を行うことで、株価が底値からわずか33%ほど反発し、666円に戻った時点で含み損は完全に消失します。そして、元の1,000円に復帰した時には、ナンピンをしなかった人がようやくチャラになった横で、あなたは「約100万円の純利益(資産1.5倍)」を手に入れているのです。

■ 「定時積立」×「ナンピン」が複利を化け物にするロジック
さらに、ここからが本書の核心です。私はこのナンピンを、単発の技ではなく、毎月の「ドルコスト平均法(定時定額積立)」と完全に融合させてシステム化していました。これこそが、複利の力を限界突破させる「ハイブリッド戦略」の正体です。

ドルコスト平均法は、波のない穏やかな海を一定の速度で進む「巡航ミサイル」です。長期で資産の平均値を押し上げるのには適していますが、初期の「株数(元本)」を貯めるスピードが遅いという弱点があります。第6項でお話しした通り、複利の爆発力は「期間」×「元本の大きさ」で決まるため、ただダラダラと一定額を積み立てているだけでは、複利の怪物が牙を剥くまでに時間がかかりすぎてしまうのです。

そこに、市場の暴落という「大波(バグ)」が来た瞬間、ナンピンという「加速装置(ブースター)」を点火します。

定時積立で毎月5万円ずつ買っていくはずだった未来の予算を、株価が半値になった暴落期に「前倒し」してドカンと投入する。すると、同じ予算でありながら「通常の4倍のスピード(半値×2倍の資金)」で、爆発的な数量の株数が一瞬にしてあなたの口座にチャージされます。

複利のエンジン(配当再投資システム)に放り込まれる「株数」という名の燃料が、一気に数倍に膨れ上がるわけです。

【定時積立(ドルコスト)】= 穏やかに株数を増やす「静のシステム」
↓ +(暴落というバグが発生)
【ナンピン(前倒し購入)】= 一気に燃料を投下する「動の加速装置」
↓ =
【極限まで肥大化した元本】×【配当再投資】=『10億円に化ける複利の怪物』
市場の暴落は、世間にとっては悲劇ですが、我々「100年企業」を信じる長期投資家にとっては、複利の時計の針を10年単位で進めてくれる、神様からのギフト(ボーナスタイム)に他なりません。

投資に感情はいりません。ただ、計算式から弾き出された「解」を、血の通わない機械のように市場へ叩き込む。この冷徹なロジックと、現場の技術への絶対的な信頼こそが、地味な普通のサラリーマンを「10億円」という数理の必然へと導く、最強の剣となるのです。


【第4章】守る投資 ――「出口と防衛」

10. 牙城の構築 ―― 直樹流・新NISAの「超ナンピン」

人生の転換期は、いつも不意に訪れる。

55歳の時、世間は「新NISA」という新たな国家制度の誕生に沸き立っていた。テレビやネットでは「20代、30代からオルカン(全世界株式)をコツコツ積み立てよう」という大合唱が響き渡っている。だが、アニュアルレポートを何十冊も解剖してきた私の目には、その盛り上がりが酷く画一的なものに映った。

新NISAという仕組みは、確かに長期間の積立投資こそ最大の力を発揮する。しかし、国が提示したその最大値(生涯投資枠1800万円)という仕様は、定年退職という「システムのシャットダウン」が数年後に迫っている50代後半の世代に向けられたものではなかった。出口戦略を中心に考えている人間は、完全に蚊帳の外に置かれていたのだ。

「だが、この巨大な非課税の防護壁を、指をくわえて見ている手はない」

ある日の21時、誰もいなくなった開発室で、私はノートPCの画面に新NISAの仕様書を開き、独自のハック計画を練り上げていた。そこへ、同じく残業を終えた高橋が、缶コーヒーを片手にやってきて画面を覗き込んだ。

「おい直樹、また何か不穏なシミュレーションをしてるな。55歳にもなって、今さら新NISAでオルカンでも始めるのか?」 「まさか。そんな退屈な設計はしないよ、高橋。俺はこの1800万円の枠を、定年後の自分と家族を支えるための、独立したバックアップ電源――『月10万円の配当・分配金無税自動払い出し装置』として丸ごと再設計するつもりだ」

高橋はコーヒーを吹き出しそうになりながら、呆れたように笑った。 「無税の自動払い出し装置だって? 正気か? 1800万円の枠で月10万円の現金をノンストップで生み出すには、単純計算で年利6.6パーセント以上の配当回りがいるぞ。お前の大好きな、あの手堅い100年企業の配当利回り(3〜4%)じゃ全然足りないじゃないか」

「その通りだ。だから、ルールを変えた」 私はエクセルのスクリーニング条件の数値をマウスで書き換えてみせた。

「これまでの俺の設計思想では、配当性向の許容度は50%以下、利回りは3〜4%が絶対の安全圏だった。しかし、この新NISAの防護壁の中に限っては、配当性向の許容度を70%まで引き上げ、ターゲット利回りを5%以上という『高出力』に設定し直したんだ」

高橋は目を見開き、画面に顔を近づけた。 「配当性向70%、利回り5%超え!? おい、それじゃただの高配当の罠(減配リスクの高い危険な銘柄)を掴むことになるぞ! 技術に投資せず、株主を釣るためだけに身を削っているゾンビ企業だ!」

「普通ならそうだ。だが、俺が狙うのは『潰れる寸前の最後のもがき』や『不祥事の挽回』で無理な高配当を出している会社じゃない。基礎体力は十分にあるのに、現在の株価が市場から不当に低く評価されているため、戦略的に割安から脱却しようと、経営陣が本気で舵を切っている割安安定の積極策企業だけだ。投資家を短期間に集め、勝負に出ている企業のエネルギーを逆手に取る。長期投資には向かないが、NISAという限定された戦場なら、この戦略に乗る方が圧倒的に面白い」

高橋は唸りながら、さらに画面をスクロールした。 「待て、直樹。新NISAの『つみたて投資枠(年間120万円)』は、個別株が買えない仕様だぞ。投資信託しか選べない。お前のその高配当戦略は、年間240万円の『成長投資枠』でしか使えないじゃないか」

「そこが、第2のハックだ」私は不敵に笑った。 「つみたて枠では、個別株の代わりに、投資信託の中から『高分配金を出しているファンド』を厳選して組み込む。世間では『分配金を出す投資信託は効率が悪い、リスクが高い』と親の仇のように叩かれているけれど、それは優良なインデックス投資(自動再投資型)と比較したときの話だ。定年後の現金を目的とした出口戦略として見れば、通常の個別株に一点張りするよりも、複数の資産に分散されている分、遥かにリスクは低い」

高橋は黙り込み、私のロジックを頭の中で組み立て直していた。 「つまりお前は、成長投資枠の個別高配当株と、つみたて枠の高分配金ファンドを完全に同期させて、1800万円の枠から毎月確実に10万円の現金を無税で引き出す『インカムの砦』を作ろうとしているわけか……。だが、株価が暴落して枠内の価値が目減りしたらどうする?」

「そこで、俺の十八番である『超ナンピン』を計画的に実行するんだ」

高橋が息を呑んだ。 「NISA枠の中でナンピンだと!? NISAは一度売却して枠が空いても、再利用できるのは翌年だぞ! 枠の総額(1800万円)は決まっているんだから、ナンピンなんてしたらすぐに枠を使い切ってしまう!」

「だからこそ、計画的な『損切り買い替え』を行うんだよ。含み損を抱えた冴えない銘柄を一度損切りし、その瞬間に、さらに利回りが跳ね上がっている別の割安積極策企業へ資金を乗り換える。現代のプラットフォームは『売買手数料ゼロ』だ。この仕様変更のおかげで、枠の寿命を計算しながら、動的にメンテナンス(超ナンピン)を繰り返すことが可能になった。資金に十分な余裕がある今の俺だからこそできる、少しだけ投機に近い、型破りなエンジニアリングさ」

夜の開発室に、私のキーボードを叩く音だけが響く。

ルールが変われば、システムの最適解も変わる。国家が定めた制度のバグとも言える隙間を突き、定年というゴールのホイッスルが鳴る前に、自分だけの絶対的なセーフティネットを完成させる。それは、長年組織の理不尽に耐え、泥にまみれて働いてきた理系サラリーマンとしての、最後の意地であり、執念でもあった。


【コラム④】直樹の投資作戦室 ―― ネット証券NISA時代の「新・ナンピン論」
世間のマネー誌を開けば、「新NISAではオルカンやS&P500を買って将来のために複利で増やそう」という言葉ばかりが並んでいます。もちろん、20代や30代の若者であればそれが正解です。しかし、50代後半を迎えたサラリーマンが、その「若者向けの常識」をそのまま真に受けてはいけません。

なぜなら、私たちのゴール(定年退職)はすぐ目の前に迫っているからです。死ぬ時に一番資産額が大きい「画面の上の数字の勝利」を目指すのではなく、今、生きている日々の生活を豊かにする「実効出力(現金)」を重視すべきなのです。

私が新NISAで実践した「牙城構築」のポイントは以下の3つです。

1. NISAを「資産を増やす場所」から「無税のサイフ」に変える
1800万円をインデックスに投じて20年後に8000万円にする必要はありません。1800万円の枠を最大効率で使い、毎月10万円(年間120万円)の配当・分配金を「無税」で手に入れる。定年後の生活費の足しとして、これほど強力なバックアップ電源はありません。

2. 「配当性向70%・利回り5%」は戦略的割安株を狙え
通常なら危険水域とされるこの数字ですが、企業のIR(投資家向け広報)や財務をエンジニアの目で精査すれば、不祥事の挽回ではなく「本気で株価対策に打って出ている割安安定企業」が見つかります。ルールが変わった戦場では、ターゲットのスペックも変更する柔軟性が必要です。

3. つみたて投資枠の「高分配金ファンド」は隠れた優秀な部品
世間のインデックス至上主義に惑わされないでください。個別株の暴落リスクを抑えつつ、毎月定額の現金(インカム)を無税で受け取る手段として、NISAのつみたて枠で買える高分配型ファンドは、出口戦略において非常に合理的な選択肢となります。

手数料ゼロの時代だからこそできる、計画的な損切りと買い替えを組み合わせた「超ナンピン」。常識を疑い、自分の年齢と目的に合わせた独自の「仕様書」を組み立てた者だけが、国家の制度を120%ハックして真の精神的自由を勝ち取ることができるのです。


11. 二つの選択肢

口座にある10億円。しかし、それはインサイダーのリスクという「見えない防壁」に阻まれた、触れることのできない果実だった。 私は、信頼する野村證券の担当者と向き合った。ウェブミーティングの画面越しに、彼は私の未来を見据えながら、全く異なる二つの「設計図」を提示してきた。
「直樹さん、一つ目の道は、68歳までこの株を完全に凍結し、運用を続ける道です。シミュレーションでは、その時の資産は30億円規模にまで膨らむ可能性があります」
30億円。一瞬、頭が眩んだ。その数字があれば、一族の未来まで盤石にできるかもしれない。しかし、担当者は少し言葉を濁らせながら、極めて重い現実を私に突きつけた。
「非常に言いにくいことですが……直樹さんは大病を経験されています。もし凍結を選んだ場合、その巨富を使うための『命の時間』が、十分に残されていないかもしれません」
その言葉は、冷徹な論理(ロジック)として私の胸に深く突き刺さった。 エンジニアとして、私はあらゆるシステムの「設計寿命」を考えてきた。製品には必ず終わりがあり、メンテナンスできる期間には限界がある。それは、人間というシステムも同じだ。 病室の窓から見たあの絶望的な夜。管だらけの私を救ってくれたのは、4億円という数字ではなく、娘の結婚報告という「未来へのつながり」だった。
いくら30億円に増えたとしても、それを家族と分かち合い、感謝を伝えるための時間が尽きてしまっては、その数字は何の価値も持たないただの電子データに過ぎない。 「……二つ目の道をお願いします」
私は、迷うことなく答えた。それは、10億円を段階的に使えるSMA(任意一任取引)口座に段階的に移し、現役のうちから「自由」を形にしていく道だ。
「段階的に移すといってもインサイダー疑い株の売却はリスクを伴います。弊社と御社の法務部が連携し、直樹さんをインサイダーのリスクから守ります」
その言葉を聞いた時、私は初めて肩の荷が降りるのを感じた。
具体的なスキームは、四半期決算発表直後の機密情報を知ってしまっているというリスクが低い時期に、市場影響が少ない約1億円ずつを売却しSMA口座に淡々と移していくこと。株が上がったから売却額を増やすことはしない。あくまで淡々とやるのが重要とのことだ。一度SMA口座に移せばインサイダーリスクの全くない商品をプロが自動的に運用してくれる。現金化の依頼も安全に行える。まさに最強の守りだ。

「どうしてこんないい商品を皆使わないのですか?」素朴な疑問をぶつけた。
「この商品は対面面談、Web面談を基本としています。みなさまに申し込まれるとこちらのリソースがなくなってしまいます。ある一定の資産を預けているお客様にのみ個別に紹介しているのです。」

ますます信用にあたるスキームと実感した。

私は、儲けるために投資をしてきたのではない。「いつでも自分の足で歩き出せる自由」を手に入れるために、35年間戦ってきたのだ。定年後に何をやるかはまだ決めていない。だが、今の私には、世界を自分の目で確かめ、新しい打席に立つための、最強の「原資」と「勇気」が備わっていた。


【エピローグ】投資の先へ ―― サイドスローFIRE

12. オーナーとしての覚醒 ―― 青い作業着を脱いで

初夏のまばゆい陽光が、都心のホテルのエントランスを鋭く照らしていた。

その日、私は有給休暇を届け出、35年間肌身離さず着続けてきた「青い作業着」を脱ぎ捨てていた。代わりに身に包んだのは、仕立てのいいチャコールグレーのスーツ。取引先幹事の信託銀行から「大口の安定株主として、ぜひ直接出席してほしい」と要請を受け、私は一人の「オーナー」として、その重厚な敷居を跨ごうとしていた。

普通のサラリーマンとして生きてきた男が、気づけば10億円という資産の背骨に支えられ、最高峰の言論の府に足を踏み入れる。胸の高鳴りを抑えながら、私は指定された前方の席へと腰を下ろした。

場内が静まり返り、定時株主総会が幕を開ける。
議長席に立つ社長が、厳しい表情でスライドを指し示しながら、今後の技術ロードマップと財務戦略を語り始めた。壇上で語られる「世界初」や「次世代」という言葉の裏には、今この瞬間も実験室や工場で泥にまみれ、汗を流しているエンジニアたちの執念と誇りがある。かつては組織の歯車として、その最前線で設計図面と格闘していた私が、今は資本の力で彼らの「伴走者」となっている。その数奇な運命に、妙な感慨が込み上げていた。

しかし、総会は単なる儀式では終わらなかった。事業報告が終わり、質疑応答の時間が告げられた瞬間、会場の空気が一変した。張り詰めた緊張感の中、次々とマイクの前に立つ株主たちの質問は、並みの会社の経営会議よりも遥かに本質を突き、容赦がなかった。

「前回の決算発表直後、わずか一ヶ月で上方修正が出され、株価は回復した。しかし、最初の発表による急落で、我々個人投資家は一時的に数千万円の含み損を抱えた。自己責任は百も承知だが、上方修正の理由が『予期せぬ大口注文』というのはいかがなものか。株価を左右する事象を『予期できない』と言い訳にするのは、技術に胡坐をかき、市場分析の手を抜いている証拠ではないか」

一人のベテラン投資家が放った鋭利な刃のような言葉に、ひな壇の経営陣の表情がこわばる。議長は深く一礼し、弁解の言葉ではなく、今後の受注予測プロセスの刷新を厳格な口調で約束せざるを得なかった。ナンピンを繰り返しながら企業を信じ抜くことの痛みを、私は誰よりも知っている。その痛みを代弁するかのような言葉が、広い会場に木霊していた。

続いてマイクを握った男は、熱を帯びた声で壇上を睨みつけた。

「いま世界経済を動かしているのは米国だ。御社の技術力があれば、必ず北米市場を席捲できる。社長、トランプ大統領と直接会談してトップ外交を行ってくれ。アポが取れないと言うなら、私が株主のネットワークを使って協力してもいい。それだけの覚悟を持って、この技術を世界へ押し出してくれ!」

その荒削りながらも熱い提言に、会場からはどよめきと、一部から拍手が湧き起こった。
中には、
「サイバーセキュリティに強い私を役員にすべきだ。今回の審議にかけてくれ」
「私は知る人ぞ知る伝説の相場師です。決算発表の数字から私は御社の業績は上がるとわかったが、数字しか見ない並の投資家には伝わらない内容だった。私は下がるとみて売り逃げて、下がった後に買い戻して戻って来ました。こんな上下で喜ぶのは手数料で稼いでいる証券会社と本質を見抜く伝説の相場師くらいです。どうぞ皆にわかりやすい決算発表をしてあげて下さい。証券会社の回し者か、役員報酬の株を多くするための操作と思い不誠実だと感じる一般投資家もいると思いますよ」
というユニークな提言もあった。議長によってうまく処理していたが、発言した株主にふざけている様子は微塵もなかった。皆、本気で会社を良くしたいという、剥き出しの真剣な熱量に満ちていた。

株主総会とは、経営陣に対して自らの意思を直談判する、魂の戦場なのだ。

何より胸を打ったのは、経営陣も株主も、この企業の底流にある「技術者たちの魂」を深く理解していたことだ。この技術をどうにかして世の中に活かしてほしい、この会社はまだまだ伸びるし、社会のために伸ばさなければならないという強烈な祈りにも似た思いが、会場の空気を激しく震わせていた。

不覚にも、目頭が熱くなった。同時に株主も悪くないと思った。

自分がこの泥臭くも熱い株主の、ひいては「オーナー連合」の一員であることを、心から誇らしく思った。

私は35年にわたる「守りの戦い」の先に、揺るぎない投資哲学の完成を見た。
10億円という資産を築いた。だが、その数字の向こう側にあったのは、単なる自己の利益や数字のゲームではない。投資とは、資本を通じて企業の魂を支え、社会の進歩に参画する「美しき仕組み」そのものだったのである。

私は静かに席を立ち、誇らしさを胸に、再び初夏の街へと歩き出した。
そして、次は投票だけでなく株主総会で質問してみたい。

13. 運命を変えた一冊 ―― 「サイドスローFIRE」への出港

10億円の資産を確立し、人生のゴールデンタイムをどう過ごすべきか。そんな問いを抱えていたある夜、私は一冊のKindle本に出会った。半澤和洋氏の著書『自費出版の旅路』である。
そこに記されていたのは、単なる早期退職(FIRE)の勧めではなかった。「安定(投資)→ つながり(社会貢献)→ ワクワク(自己実現)」という順序で幸福を構築する生き方。経済的自由を土台にしつつ、自らの経験を「文筆」という形で社会に還元する「サイドスローFIRE」という概念に、私の心は激しく共鳴した。
私はすぐに、志を持つ人間の出版を無償でプロデュースしている「和洋ブックス」の門を叩いた。ウェブミーティング越しに向き合った半澤氏に、私は胸に秘めていた想いをぶつけた。 「私は儲けるために出版したいのではありません。35年かけて現場で磨き上げたこの『泥臭い数理ロジック』を、今、組織の中で苦しんでいるビジネスマンに届けたいのです」
「直樹さんならちゃんとした出版社さんからも声がかかるかもしれませんが、それも含めて是非お手伝いさせてください。直樹さんの経験は、今の日本に最も必要な『生き方の教科書』になります」
半澤氏の力強い言葉に、私は救われた気がした。エンジニアとしての現役を退き、青い作業着を次の世代へ引き継ぐと決めた私は、今、ペンという新たな武器を手に「第二の打席」に立とうとしている。

おわりに

14. 筆者ナンピンの直樹からあなたへ

最後までお読みいただき、本当にありがとうございました。
プロローグから始まり、私の約35年間にわたる軌跡を一つの「半実話物語」としてお届けしてきました。今、この最後のページをめくっているあなたは、どのような気持ちでこの文章を眺めているでしょうか。
「10億円なんて、自分には縁のない遠い世界の話だ」
「サラリーマンといっても現役の部長だからできた特別な奇跡にすぎない」
もしかしたら、そんなため息を小さく漏らしているかもしれません。しかし、それこそが市場の常識という名の、目に見えない鎖があなたに掛けた「バイアス」なのです。
最後にもう一度だけ、大切な事実を整理させてください。
私は決して、天才的な相場観を持つトレーダーではありません。莫大な相続があったわけでもなく、息の詰まるような過度な節約をしたわけでもなく、一発逆転を狙った派手な投機に手を染めたわけでもありません。
平日は青い作業着を身に纏い、夜勤の多さや組織の理不尽な評価に歯噛みしながら、週末は愛用の鍋で妻のために料理を作る――どこを切り取っても、私はあなたと同じ、地味で等身大のサラリーマンです。大病をして投資はおろか仕事も一時離脱することもありました。信頼する友人の一通の「お願い」から始まった、泥臭い人間関係の延長線上に私の投資の原点がありました。
そんな私が、2,000万円という原資を10億円へと育て上げることができた。この事実は何を意味しているでしょうか。
「私にできたのだから、あなたにできないはずがない」ということです。
私が少しだけ違っていたのは、「まずは教科書通りの基本を学んだ上で、自分の頭で考え、システムのバグを疑った」という、ただ一点にあります。
『ナンピンは悪だ』という世迷い言を切り捨て、地合いの暴落という「市場の歪み」に冷徹なロジックという剣を突き立てました。定時積立という「静のシステム」に、ナンピンという「動の加速装置」を掛け合わせ、複利の怪物を爆発的に目覚めさせました。そして資産が10億円へと到達した後は、組織の防衛線すら逆手に取り、自分の感情を1ミリも介入させない自動売却システムを完遂しました。
これらの仕組みは、すべて理系のロジックと、サラリーマンとしての意地が産み落とした「再現性のある知恵」です。私が歩んだ道筋は、そのままあなたが明日から歩むことのできる設計図そのものなのです。
私が本当に伝えたかったのは、こうしたテクニックの先にある「投資哲学」に他なりません。それは、自分の人生のハンドルを、組織や年齢というシステムに決して明け渡さないという、強い誇りの持ち方です。
最後になりますが、私が自らの本名や立場を伏せ、匿名ライター「ナンピンの直樹」としてペンを取る覚悟を決めることができたのは、一冊のKindle本との出会い、そして「和洋ブックス」代表である半澤和洋氏の存在があったからです。
私の拙い経験の断片を、「今の時代を生きるビジネスマンのバイブルにしよう」と、無償の情熱で伴走し、導いてくれた半澤氏のプロデュースがなければ、この哲学がウェブの海を渡ってあなたの元へ届くことは決してありませんでした。この場を借りて、深く感謝の意を表します。
私は会社の定年退職を間近に控え、青い作業着を次の世代へと引き継ごうとしています。肩書きという借り物の鎧を脱ぎ捨て、文筆業という「第二の打席」に立ち、自分の思想を社会へと投じる「サイドスローFIRE」の日々を心から楽しもうとワクワクしています。
お金を稼ぐこと、10億円という資産を築くことの本当の目的。それは、決して贅沢な暮らしをすることではありません。
組織の不条理に直面したとき、会社のデスクで理不尽に耐えているとき、
「私はいつでも、自分の意志でこの席を立つという選択肢を持っていること」
という、圧倒的な精神の自由をその胸に抱くことです。そのカードを一枚持っているだけで、サラリーマンとしての戦い方すら、劇的に、そして型破りに変えていくことができるのです。私はこの選択肢を持った上で60歳まではサラリーマンを続けることにしました。サラリーマンだからこそできる世界を相手にした大きな社会貢献ができると思ったからです。
会社のデスクで理不尽に耐えているあなたへ。
現場で泥にまみれながら、技術の未来を信じているあなたへ。
資本主義という巨大な海は、正しいロジックと哲学を持つ者に対して、常に等しく扉を開けて待っています。
さあ、今度はあなたが自分自身の人生のハンドルを強く握り、あなただけの極上の物語を書き上げる番です。
市場の歪みのその先で、あなたが真の自由を掴み取る瞬間を、私は心から応援しています。
―― ナンピンの直樹

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