泣きたい毎日に笑いがあった
毎朝、大量の洗濯物を片手で抱えたまま、私はひとつの競技に臨んでいました。
おしっこでずっしり重くなった紙パンツをビニール袋に入れて口を結ぶ。
そのままベランダの窓に向かって、床の上をそっと滑らせる。手前で止まってもダメ、窓にぶつかってもダメ。ちょうど窓の前でピタッと止まった瞬間、心の中で思いきり叫ぶ。
「今日も金メダル!」
名づけて「紙パンツカーリング」。
寝起きのお父さんは、パジャマも防水シーツも、びっしょり濡れていました。下半身だけじゃなく、背中まで。
それを片付けてお着替えを手伝って、洗濯物を抱えて洗濯機へ向かう。それが毎日でした。
誰も見ていないし、誰にも言えない。
でも、このおかげで、そんな毎朝が少しだけ乗り越えられた気がしたのです。
しんどさをゲームに変えると、前に進める。なかなかいい発明だったと今でも思っています。
小さな笑いは、食卓にも転がっていました。
ある日のお昼、一緒にうどんを食べていたら、お父さんが突然箸を止めてひとこと。
「おー、こんなに長いのあるよー」
本当にうれしそうに麺を持ち上げていました。
確かに長かった。箸を持ったお父さんの腕は頭の上まで上がっていたのです。
「当たりだよー、おめでとう!」と返すと
「やったー!」と満面の笑みで大喜び。
宝くじでも当たったかのようなテンションで喜ぶお父さんを見て私も笑っていました。
こういう瞬間は、素直に優しくできました。同時に、冷たく接してしまったことを思い出して、胸がちくりとしました。
「お醤油が足りなーい! でも今日は買い物行かなーい!」
ひとりごとのつもりでした。
でも——
「ハーイ」
お父さんが返事をしてくれた。思わず笑ってしまったら、お父さんも笑いながら不思議そうに
「何笑ってんの?」と。
毎日ガチガチに張り詰めていた心と体が、この一瞬ほどけた気がしました。
戸惑いから笑いに変わることもありました。
冷蔵庫の扉を開けようとしているお父さんを見つけたときのこと。
自分で冷蔵庫を使うことがなかったので
「何してるの?」
と声をかけたら、
「これどこに入れればいいかな?」
と、国語辞典を両手で抱えるお父さん。
一瞬、思考が止まった。
なんで辞典が? どこから持ってきたの? なんで冷蔵庫?
いろんな疑問が渦巻いたけれど、それを全部飲み込んで出てきたのは
「お父さん、辞書は冷やさなくても大丈夫だよ」
という言葉。
まさか人生でこんなセリフを言う日が来るとは思っていませんでした。
お父さんは「そうか」とあっさり納得して、辞典を持って自室へ消えていきました。
われながら、よく言えたと今でも思っています。
そのときは正直、ショックのほうが大きかったです。
でも今になって思い返すと、冷やし辞典……
笑えますよね。
私は料理が得意ではありません。でも、お父さんには食事を楽しみにしてもらいたくて、それなりに頑張っていました。
お父さんはいつも「おいしい」と言って食べてくれていました。それだけでうれしかった。
亡くなったお母さんが作ってくれていて、私が大好きだったとん汁、コロッケ、牛肉としらたきの甘辛煮。
その三つは何度も練習して作れるようになりました。
繰り返し作っているうちに、ふと気づいたことがあります。
このときだけ、お父さんの反応が違う気がしたのです。
一口食べるたびに「うまいなあ、これは!」と繰り返す。取り分け料理のとき、お皿に残っていると私に勧めてくれることが多いお父さんだったのに、このときは何も言わずにパクパクと食べ進めていくのです。
気のせいかもしれません。それでも——
お母さんのことはもう忘れてしまっているのに、お父さんの中にはちゃんとお母さんがいるのかもしれないと思ったのです。
記憶じゃなく、味として。
