【あとがきでBL】サタネラ【noteでBL】
ご挨拶
皆様ごきげんよう、四四田です。
毎月、主宰であるなみさんのくじ引きで決まる、
クレイジーな三つのお題で書かれた、
多種多様なBL(ブロマンス)作品が一堂に会するのを楽しめる企画、
noteでBL。
一昨日はその投稿日、でした。
四四田の提出物はこちらです💁♀️
noteでBL、今回のお題は、
「地獄」「土壇場でキャンセル」「オタク×オタク」
でした。
今回もいつもどおり、投稿された作品群は、なみさんがアンソロジーとしてまとめてくださっています。
どうぞこちらもお楽しみください!
なみさん、いつも本当にありがとうございます。
というわけで、あとがき記事です。
バレエ最近書いてなかったんじゃないの問題
何回か言ってるんですが、四四田の個人的目標といたしまして、
プロフィールに書いたことは守っていきたい、というものがありまして。
ちなみに現在プロフィールには、
だいたいバレエダンサーかお坊さんの話書いてる
って書いている。
なので、ここを増やしてかないと嘘になっちゃうなって。
そういうわけで、今回のnoteでBLは、極力バレエの話か、
もしくはお坊さんの話にしよう、と思っていました。
お坊さんの話だとさ、ほら、「地獄」とか出しやすいじゃないですか。
壁に地獄絵図でもかけておけばいいんですよ。
と思って書きかけてたんだけどそちらはオタクの項を処理できなくてお蔵入りに。
結果出来上がったのはバレエのほうでした。
これってシリーズものだったりしましたっけ問題
こちら単独でもわかるように書いたつもりですが、実は同じ登場人物の話があったりします。
FFの月さんがチームテンペストって呼んでくださるのが嬉しいのでチームテンペストです。
挫折したダンサー:山城幸人(ユキ)
スターダンサー:荒井理央
若手ダンサー:野分颯
名前は全員何らかの形で「嵐(テンペスト)」を連想させるものになるようになっていたりします。
四四田が書いた順番自体は、
1:むべ山風~
2:いつ見きとてか~
3:サタネラ
ですが、
時系列で並べると、
1:いつ見きとてか~
2:むべ山風~
3:サタネラ
となります。
三人の関係性は、三本のどれか一つしか読んでいなくても、それなりにわかっていただけるようにしている、かなあ。
でも続けて読んでいただけたら、それはそれでわかることもあるかもしれません。
特に、今回は、理央の言い分は一切入っていないので。
なんでサタネラだったのか問題
バレエの話にしようと思って、考えたはいいものの、
「地獄」要素をどうしようか、ってところが悩みどころでした。
オタク×オタクについては、僕がよく書くタイプのダンサーズのワーカホリック傾向が強いので、己の仕事に対してオタク的だろうから、ダンサーがメインになる時点で回収できる見込みがありましたので。
ドタキャンも、まあどうにでも調理はできそうかなと思いつつ、地獄について考えた。
バレエもので地獄……?
レッスンが地獄みたいにきついとか、うまくいかないのが地獄みたいだとか、色々考えられるけれど。
とりあえずベースになる「地獄」的な世界観、モチーフになるような何か有名演目ってなんかあったっけ?
もしかして無い?
バレエは西洋文化の中で育まれたものですから、当然西洋の古典文芸から材を得ている作品は多いんですよね。なので、西洋の文芸作品で地獄が絡んで来るものなんかあったっけの方角から考えてみて……、
正直ダンテの「神曲」くらいしか思いつかない。
あるいはドン・ジョバンニか。
とかなんとかいろいろ考えてて思い出したのがサタネラでした。
サタネラ。
サタン(Satan)つまりは悪魔から来た名前で、悪魔の娘という意味になります。
地獄と直接関係ないけど悪魔だしまあ親和性もなくはない。
作中でも解説させていますが、サタネラは、フランス幻想文学の作家、ジャック・カゾットの「悪魔の恋」をモチーフに作られた演目です。
カゾットの小説では、主人公が地獄から悪魔を召喚してしまうも、その悪魔が主人公に恋をしてしまい……、というもの。
最終的に悪魔の誘惑を振り切る小説の主人公と違って、バレエの主人公カールは、純朴な婚約者を捨てて、悪魔の娘サタネラとの恋に落ちます。
とても難易度が高い振りになっているので、バレエのコンクールなどで、腕に覚えのあるバレエ少女からは人気の演目です。これがまた小悪魔的少女で可愛らしいのです。
よしじゃあ、サタネラをテーマに置こう。
でも、サタネラって女性がメインの話だ。
男二人でサタネラ。
ってなると、踊るだけのキャラクターじゃなくて、自分でクリエイションをしてくれるタイプのダンサーにこの件を考えてみてもらわないと男二人のBLにならなさそうだ。
必然的に振付家の側面のあるキャラクターがいる、チームテンペストに、この話をまとめてもらおう、ということになりました。
何が地獄なのか問題
作者があまりにも創作意図をべらべら語るのも、本編そのものに対して何を読み取るかの個々人の自由を奪ってしまいかねないですし、それは本意ではないので、究極的には、
よかったら作品を読んでください、
としか言えなくなっていくのですが。
何が地獄とするか
というのが書いている間頭にあったことだったりします。
明確に『挫折』というパーソナリティを抱えさせている山城くんは、自分が作ってきたダンサー達の中で、一番自己投影が強いキャラクターかもしれない、と思っています。
自分が是非生きていこうと思った世界で、その世界の端っこにはいさせてもらえるのに、自分が望んでいたレベルでは関われない。
そういう、いながらにして門扉を閉ざされている状況というのは、控えめに言って普通に地獄です。
だから、山城くんをメインに置いた時点で、地獄はクリアできてもいるんです。彼に、自分が今いるのは地獄だって言わせればいいだけなので。
けれど、それってそうなのか、と。
山城くんに対して理央はわかりやすく成功をしている。
挫折をしていない人です。
いえ、本来的に何かをやれば、そこに微細な挫折は付き物なので、理央は第一線を走っていればこそ、挫折とは常に隣り合わせの人なんだろうと思います。
そんな、成功した人間にしか見えない地獄もある。
挫折した場所で立ち止まり、自分のいる場所を生き地獄だなと思ってはいる山城くんですが、理央のいる場所がじゃあ極楽かといえばそうじゃない、ということくらいは知っている。
だからこそびびって、チャレンジをしなかった、ので。
だから、この地獄を逃げても、別の地獄があるだけ。
人には人の乳酸菌ならぬ人には人の地獄があるんだよね、というのを山城くんが理解している、ということ自体が地獄の入り口でもある。
認識をしたところに世界は産まれるので、
いちいちこれは別の地獄だな、とか思ってるとそれは地獄だけれど、
たとえば野分はそういうことはいちいち考えない子なので、彼は地獄にいないんですよね。
同じようで同じじゃない。見えてる世界はそれぞれ違う。
人によって見えているものは違う問題
理央は、山城くんを置いて行った人ですが、
置いて行ったというか、所詮人間は“自分”をどうするか、というところしか、責任を負えないということを知っているだけなんですよね。
彼女は彼女にできる範囲の、山城くんへのサポートは十分しているんです。その程度には、山城くんの才能を認めていたと思う。
そういう山城くんが、ついてこれない、というのは、理央にとっては憤懣やるかたなかっただろうなと。
でも、それすら押し付けることはできない。
そうして、誰もが羨むようなダンサーとしての成功を、己の責任のもと積み上げている理央の口癖は、
「なぜ踊ることだけを考えられないのか」
踊りたいのだから、踊ること“だけ”を考えて行けば、おのずと取るべき道は見えるだろう、という。
非常に計算をしながら生きている人です。そういう、踊るために“取るべき道”の中には、踊らない時間もある、ということを理央は知っていて、こなせる人でもあります。
けれど、山城くんも、野分も、そういう理央の“踊っていない時間”にある取るべき道を、必要とは思えない。ピュアといえばピュアですが。
彼らの言う『踊ることだけを考える』は、言葉としては同じだけれど、
理央の『踊ることだけを考える』
山城くんの『踊ることだけを考える』
野分の『踊ることだけを考える』
は、それぞれ全然別の手段と方法論があって、そのことが腑に落ちているのは、多分三人の中では理央だけじゃないかな。
女は男が思ってるのとはだいぶ違うよねの問題
だから、山城くんが理央に対して抱いている懸念はそもそも大きなお世話だったりすると思います。
なんというか、男二人が思っているほど、理央は暇ではないというか、山城くんと野分の才能に対しての愛情はあると思うのですが、それ以上の気持ちは無い。
仮に山城くんが野分のためにカンパニーを今さら移籍する道を選んだとしても、
「だから言ってただろうが」
という若干の苛立ちくらいはあるかもしれませんが、やたらと元パートナーであることを意識しがちな山城くんが予想するほどには、理央の中には感慨はないと思います。
なんだか山城くんがひたすらダメダメみたいなことになってボロボロですが、山城くんはダメダメな奴なので大丈夫です。これで合ってます。
愛すべきダメダメ野郎です。
自意識も強いし。
謝肉祭で運命を示唆できているのか問題
サタネラ、というのは、女性主人公の悪魔の娘の名前であって、正式なタイトルではありません。
しかし、通称として演目についてもサタネラと呼びがちなので、作中では演目についてもサタネラ、と言及させています。
正式なタイトルは『ヴェネツィアの謝肉祭』。
謝肉祭(カーニヴァル)の中で、サタネラとカールは結婚式を行うのですが、
この謝肉祭というのは、カソリックのお祭りであり、この後に来る清貧の時間の前に羽目を外してしまおうという乱痴気騒ぎの時間でもあるので、
なんだか、ぐぐっと人生のフェーズを変えてしまう決意を固めた山城くんにとってはぴったりだったなあと思ったりします。
謝肉祭は、来たる春を迎え、乱痴気騒ぎをした自分たちの罪科の責任を、わら人形に取らせて火あぶりにする、という説もある。
だからきっと、これまでの自分の長い足踏みの冬の時間を、
野分に出会った、ということに責任を負わせて清算し、
来たる春に向かって山城くんが飛び出していけるんでしょう。
四四田が選んだわけでは無く、最初からサタネラの正式タイトルであり、四四田がサタネラを思い出したときには正式タイトル忘れていたので。
示唆的かつ運命的な謝肉祭でした。サタネラにした自分、ファインプレー。
映画『ジョン・クランコ』の影響はあったのか問題
急に何の話って感じですが、わりと最近見た映画です。
実在した振付家ジョン・クランコの半生を描いた映画ですが、
現役ダンサーたちに主要キャラクターを演じさせていて、素晴らしい作品でした。
振付が何を表現しているのか、
その振付は表現したいことを的確に表せているのか、
への興味がもともと強いほうでして、現存する、今も踊り続けられている、名振付の数々にも、良いだの悪いだの勝手なことを言いがちな人間なので、
映画の中の、ジョン・クランコの振付への強いこだわりが、とても理想的でした。
その影響は潜在的にあったかなあ、と思ってます。
特に、山城くんのアトリエに結構影響が出た気がする。
ああでもあの部屋は、
『ハウルの動く城』のハウルの部屋とか、今やっている朝ドラ『風、薫る』のりんちゃんの下宿先とか、もイメージソースにありました。
一応、知り合いの劇団の大道具倉庫の隅っこを借りている、みたいな設定です。なんて都合がいいんだ。そんな知り合い欲しいぞ(いないぞ)。
長い冬眠期間を経て動き出しそうな山城くんのその後の話は今のところ思いついていませんが、チームテンペスト好きなので、あと結局山城くん作で野分が大好きな『テンペスト』ってどんな演目なんだよ、ってところも書けたらいいなの気持ちでいます。
お題を当初検討していたのとはだいぶ違う予定外な作品になりましたが(いつもでは)、自分では気に入ってます。
あとがきにまでお付き合いくださった方、あなたの根気強さに敬意を表します!ありがとう!
※見出し画像はみんなのフォトギャラリーからお借りしています。
