【成瀬 日本語・英語・翻訳講座】日本語編(41)文体(3)西欧的論理の受け皿としての翻訳文体、そして翻訳文体による日本語の歪み
(↑のつづき)
現代の日本語文体を詳細に検討するなどという大仕事は、ここでとても務まるものではない。
ここでは、翻訳の文体にしぼって現代日本語の持つ課題について簡単にみてみたい。
西欧的論理の受け皿としての翻訳文体
明治期以降の日本語において、翻訳文体が果たした役割はきわめて大きい。
日本語の現代文は翻訳文体とともに「欧米的」な基本構造をつくりだした。
この構造は社会の西欧化を進めるために意図的につくられたものであった。
「欧米的」基本構造のもと膨大な数の日本語の文章がつくられ、多くの日本人が欧米的構造にあわせて思考のプロセスを組み立てるようになった。
翻訳文体を使うことで日本人が西欧的な論理を活用できるようになったことは確かである。
まさに大きなメリットといえるだろう。

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翻訳文体による日本語の歪み
しかしその一方で、それに伴うデメリットもまた小さくない。
翻訳文体を使うことで、日本語の文体は大きく歪んでしまった。
素直で自然な感性とスタイルというものを、なくしてしまった。
たとえば文学理論研究者の吉本隆明は、次のような文体で文章を書いている。
わたしが文学について理論めいたことを語るとすれば巨匠のように語るか、あるいは普遍的に語る以外にないことをプロレタリア文学理論を検討する不毛な日々のはてが体験的におしえた。(略)わたしは、文学は言語でつくった芸術だという、それだけではたれも不服をとなえることができない地点から出発し、現在まで流布されてきた文学の理論を、体験や欲求の意味しかもたないものとして疑問符のなかにたたきこむことにした。

私は吉本隆明の仕事を高く評価しているが、この文体は馬鹿げていると思う。
こうした文体を使わなければ吉本の思想をうまく表現できないとは、思えない。
日本語は、それほどやわな言語ではない。
もっと自然でわかりやすい文体でも、吉本の思想は十分に表現できる。
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翻訳文体は日本語の文体を非常に歪ませると同時に、私たちの思考そのものも歪ませる。
翻訳文体を使えば、本当には深くわかっていない内容であってもそれなりの恰好がついた文章になる。
そのため、きっちりとした思考をすることなく、ただ翻訳文体を使って難しげに文章を書くという風潮が現代日本には、はびこっている。
三流の学者の書く文章や多くの大学生の卒業論文などは、そうした中身のない翻訳文体の文章の典型例といえる。
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