自分の器を知る(翻訳道中記より)
(2010.5.3執筆)
大学を出て有名商社に就職したかと思うと3年で辞めてしまい、大学に戻ったから学者になるのかと思っていたら高校教師になり、それも7年で辞めてこんどは小さな編集プロダクションに入り、つぎはPR会社に勤め…と、30歳をすぎても、ちっとも行き先の定まらない人生行路を進んでいる息子を、あきれたようにながめながら、父親はため息まじりにこういった。
「まあ、おまえは大器晩成型だからな」
そうか、そうなんだ、オレは「タイキバンセイ」なんだ、父親がそういうんだから、そうにちがいない、と私は思うことにした。
ところが、それから5年たっても10年たっても、ちっとも「晩成」なんかしない。
ひょっとすると、オレは「晩成」ではなく「不成」なのかもしれないと、ちょっぴり不安になった。
それからも私の人生は迷走に迷走を重ねたが、50に手が届くようになった頃、なんとなくだが、自分というものがみえてきた。
それを自分なりに判断すると、私は決して大器ではない。
が、どうやら小器でもない。
ずいぶんと自分をあまくみて、まあ中器といったところか。
そして、どうやら、これが私という人間の器の大きさのようである。
自分の器の大きさがみえたことで、気持ちがすごく楽になった。
自分にできることとできないことの区別がつくようになった。
今までのようにむやみと空回りをせず、ちゃんとした仕事ができるかもしれないと思った。
50になって自分の器の大きさがみえるというのは、人間としての成長がずいぶんと遅い気がする。
しかし、これも自分という人間の持ち味だろうから仕方がない。
天から授けられた自分の器のなかで、これからできるかぎりのことをやっていこうと思う。
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