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成瀬由紀雄の「参考図書あれこれ」:『日本語はいかにつくられたか?』『日本語は進化する』(6)

https://note.com/naruseyukio/n/nb3b07a4479c4

(↑のつづきです)

そして、ついに革命的な変化が訪れました。

明治維新における「文明開化」です。

文明開化の本質を一言でいってしまえば、中国文明からの離脱と西欧文明への参入といってよいでしょう。

明治維新からわずか30年で、日本人は洋服を着て、肉を食べ、西欧音楽を聞き、そして仏教や儒教を軽んじるようになりました。

これほどの短期間にみずからの文化をみずからの手で変化させた民族は、他にはありません。

あらゆるものを柔軟に取り入れて咀嚼してしまうという日本文化の本質がここによく現われていると思います。

よく言えば柔軟で進歩的、悪く言えば腰が軽くてじつに節操がない――いずれにしろ、これが私たち日本人の特質であることは、どうやら間違いのないところのようです。

さて、こうした社会全体の革命的な変化のなか、日本語にもまた和服から洋服のような「完全取り替え」的な革命的変化が起きてもよかったのです。

初代文部大臣の森有礼が唱えた「日本語廃止論」は、その方向性を極端に推し進めようとするものでした。

しかし、実際にはそうはなりませんでした。

そしてその代わりに生じたのが、漢字を使って西欧概念を翻訳しようとする動きでした。

古代における中国文化の受容において私たちの祖先は、中国という異文化のすべてを日本語に翻訳することはとても不可能だと考えました。

そして日本語のなかに中国語をそのまま残すことにしました。

その結果、日本語の内部に中国語がそのままの意味と形で組み込まれました。

これが「漢字かな混じり文」の本質です。

だとすれば、明治維新に際しても「西欧という異文化の概念のすべてを日本語に翻訳することはとても不可能と考え、そのまま残すこと」になっても決しておかしくはなかったはずです。

すなわち西欧語の意味と形を日本語に組み込んだ「漢字かなローマ字混じり文」の創造です。

たとえば、夏目漱石は次のようなメモを残しています。

あるismを奉ずるは可。他のismを排するはlifeのdiversityをunityせんとする知識欲か、blindなるpassion(youthful)にもとづく。

このメモをもう一歩を進めれば立派な「漢字かなローマ字混じり文」が完成します。

このように当時においても「漢字かなローマ字混じり文」の可能性は決して小さなものではなかったのです。

しかしながら明治の先人たちがこの道を選ぶことはありませんでした。

(↓につづく)

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