日本人の英文法学習は「無駄に几帳面」
(↑のつづき)
日本人の、ものを包装する際の几帳面さは、尋常ではない。
デパートだけでなく、どこのお店にいっても、折り目の合わない包装など見たことがない。
すべての折り目が、一分の歪みもなく合わされている。
私などは、包装など少々荒っぽくとも中身がよければそれでよいという考えだが、こうした考えは日本人としては例外らしい。
「たかが包装」に、ここまでの精度を求めるのは、極めて日本人的ではないだろうか。
もちろん、この几帳面さが日本製品の品質の高さを生み出す一要因となっている。

しかし残念ながら
英語学習ではこの几帳面さが、逆に大きなトラブルのもととなっている。
一言でいってしまえば「無駄に几帳面」なのだ。
そしてこの「無駄な几帳面さ」が特に目立つ分野が英文法である。
日本の英文法書をみると、実にこまごまとした規則や事例が「几帳面に」書いてある。
そして、ほとんどの英語学習者が、それを「几帳面に」学ぼうとする。
だが、どちらの几帳面さも単なる無駄骨であり、几帳面であればあるほど、英語学習は脇道に逸れていく。
包装に例えてみれば、
ひとつひとつの折り目を一分の狂いもなく合わせようとして懸命に努力しているが、その包装紙は中身をくるんでいない
といったところか。

何がいけないのか。
理由は2つある。
☆☆☆
理由のひとつは、やはり過剰な几帳面さだ。
言語法則は、そもそもいいかげんなものである。
例外は山ほどあり、極端なことをいえば規則に沿っているもののほうが少ないくらいだ。
とても「几帳面に」処理できるものではない。
それを几帳面に処理しようとすれば、そこに無理が出るのは必然である。
もうひとつの理由は、学校英文法自体のレベルの低さである。
すでに何度も書いているが、学校英文法は100年以上前の知識を基本にできている。
それを今も用いるというのは、例えて言えば100年前以上の医学知識を現在でも基本として使っているようなものだ。
☆☆☆
こんな馬鹿げたことはないのだが、
今も日本の英語教育業界では「みんなで渡れば怖くない」状態が続いている。

本当に、愚かしいことである。
そして、
この「無駄な几帳面さ」を捨てるだけで、私たちの英語学習効率は爆上がりする。
☆☆☆
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