心と言葉の翻訳(19)モダリティ(情意)(3)日本語は、文末でのモダリティ表現が義務的
翻訳は人間の仕事である。それは心と心をつなぐ営みだからである。機械には言葉と言葉はつなげても、心と心をつなぐことはできない。心と心をつなぐことができるのは、ただ人間だけだ。
言葉ではなく、人間を中心に据えた翻訳観――それが本書をつうじて流れる通奏音である。
(↑のつづき)
日本語は文末でのモダリティ表現が義務的
翻訳を考える際の日本語のモダリティ表現での最大のポイントは、文末のモダリティ表現の使用が任意的ではなく義務的であるという点にある。
そのため、
一見するモダリティが含まれていないようにみえる文にも、モダリティが必ず含まれている。

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たとえば、
「明日は日曜だ。」
という日本語表現には、一見するとモダリティは含まれていないように思える。
しかし実際には、最後の「だ」のなかに断定の意思表現が含まれている。
そこで、報道文のように社会的要請としてモダリティをできるかぎり避けたい場合には、モダリティを避けるために、文末の「だ」を使わずに体言止めを使うという工夫を凝らしている。
首相は15日から訪米の予定だ。
首相は15日から訪米の予定。
すなわち
日本語は主観的な心の働きに非常に強く縛られている言語だといってよい。

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このことは「人・共同の視点」を基本とする伝統的日本語の世界観の表れともいえるだろう。
一方、英語を含む西欧語では、基本的に情意の表現は任意的であって義務的ではない。
たとえば、上の「首相は15日から訪米の予定だ。」にあたる英語では、
The Prime Minister is scheduled to go to the United States on the 15th of this month.
とすれば、そこに明確なモダリティ表現は含まれない。
英語の世界では、日本語の世界のようにモダリティ表現に強く縛られることはない。
☆☆ほし
この日英の違いを、自動車に例えてみよう。
英語の場合、モダリティ表現とは取り外しがきくボンネットやバンパーにあたるものである。
それがないと自動車らしくはないが、とりあえず自動車としてきちんと走る。
一方、日本語の場合には、モダリティ表現はハンドルやアクセルやブレーキのようなものである。
取り外しはきかず、それがないと自動車として機能できないのである。
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「気持ちをわかってもらう」ではなく「内容を明確に伝える」
一般的に日本人は、モダリティ表現の使用を非常に好む傾向にある。
多くの日本人にとって、言葉を使う最大の理由は「内容を伝える」ことではなく「気持ちを通い合わせる」ことであるとの仮説も成り立つかもしれない。
しかし、
私たちがグローバル英語を使う際の第一の目標は、あくまでも「内容を明確に伝えること」である。
「気持ちを通い合わせること」ではない。
お互いに気持ちを通い合わせることが大切なのは当然であるが、それは言語以外でも実現できる。
私たちがグローバル英語を用いて行うべきことは、まずなによりも自分の述べたい内容を、世界の誰にでもわかる客観的なかたちで明確に述べることにある。
そのために、私たちは「気持ちをわかってもらおう」とするのではなく、「内容を明確に伝えよう」とする姿勢を強く持たなければならない。
(つづきは↓)
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