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心と言葉の日本語文法(12)日本語文の分析(4)「ちょっと、ないようですねえ」(2)「気遣いまみれ」の弊害

「気遣いまみれ」の弊害

ポンフェイ氏は著書で日本語の「ちょっとした」気遣い表現を数多く取り上げ、それらが人間関係を円滑にするうえで重要な役割を果たしていると指摘して高く評価している。

確かにそういった一面もあるにはあるのだが、そのいっぽうで日本語の「気遣い」表現には事実をぼやかしてしまうという大きなマイナス点もあることを私たちは忘れてはならない。

日本語にはこうした気遣い表現が多すぎるがゆえにイエス・ノーがはっきりせず、肝心の内容がうまく伝わらないケースがままある。私のいうところの「気遣いまみれ」の弊害である。

あるビジネスマンから聞いた話であるが、海外への技術研修指導に出かけたときに教えた相手から何か問題があるかどうかを尋ねられた際に「問題はないと思いますよ」を直訳してI think there is no problem.といったところ、あまり良い顔をされなかったということである。

相手側としてはI thinkなどはつけずにあくまで客観的にNo problem.と事実を事実として言い切ってほしかったのだと思われる。そのビジネスマンは事実として伝えたつもりだったのであるが、いつものくせでつい「~と思います」とつけてしまったのであろう。

一般的に日本語人の英語には、「はい」「~と思います」の直訳表現としてのYesとI thinkが非常に数多く出てくる。どちらも相手に対する気遣いから出てくる表現なのであるが、実際には英語でのコミュニケーションを大きく阻害する要因ともなっている。

ポンフェイ氏のいうように日本語の気遣い表現は非常に価値あるものではあるが、気遣いもあまりに過ぎるようだと、適切なコミュニケーションが成り立たない。

場合によっては、そうした対人関係を抜きにした客観的な表現が必要になってくるのである。

これからの日本語人は気遣いの文化を保持しつつも、そうした気遣い抜きのストレート表現もうまく使いこなせるようにならなければならない。


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