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心と言葉の日本語文法(13)日本語文の分析(5)「ちょっと、ないようですねえ」(3)――「ない」では、ちょっと……

さて、この「ちょっと、ないようですねえ。」を「心と言葉のグローバル日本語文法」の観点から分析をすると、次のとおりである。

「認識」(命題/叙述内容):「(品物が)ないこと」
「判断・態度」(対事的モダリティ):「ない」に含まれる断定
「伝達」(対人的モダリティ):「ちょっと」「ようです」「ねえ」

ここでの「認識」は「(品物が)ない」ことである。

それだけである。

したがって、中国語や英語のように、文において「認識」「判断・態度」「伝達」の3層を必ずしも表現する必要のない言語であれば、ポンフェイ氏のいうように「ない。」(少し丁寧にするなら「ありません。」)で言語表現として必要かつ十分である。

実際、これと同じ場面であれば、英語ならば「No」、中国語ならば「没有」だけを述べて、おしまいにするのが普通であろう。

相手への気遣いについては、表情やジェスチャーといった非言語的コミュニケーションツールで伝えるだろう(あるいは、それも伝えないのが一般的かもしれない)。

しかし、

「認識」「判断・態度」「伝達」の3層を必ず表現しなければならない日本語の世界では、そうはいかない。

もしも日本語で店の主人が、この場面で「ない。」などと答えたとしたら、それは伝達機能としてはニュートラルな伝達ではなく、であることは明らかである。

ていねい体を用いて「ないです。」「ありません。」としても、それではやはり相手への気遣いがまだ足りないと、日本語人であれば自然と考えるだろう(ここがポンフェイさんに理解できなかったところである)。

そこでどうするかといえば、わたしたち日本語人は「ちょっと」「ようですねえ」といった表現をつけるのである。

このように、判断・態度を曖昧化することやさまざまな伝達の表現を加えることによって、私たち日本語人は相手への気遣いを表すのである。

日本語では、「~のようだ」「~らしい」「~だと思う」「~かも知れない」というような本来ならば「判断・態度」を示す表現を、相手への気遣いを示す「伝達」の表現として使うケースが、非常に多くある。

「そのようです。」
「そうらしいです。」
「そうだと思います。」
「そう

。」
などだ。

これらの表現は、一見すると英語のit seemsやI thinkやIt mayに対応するように見えるが、多くの場合、そうではない。

したがって日英翻訳の現場では、じつは敢えて訳さないことがもっとも適切な訳出になることが多い。



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