料理は瞑想。心の在り方が変わる「ひとり揚げもの」のすすめ。
「自分のために揚げ物をするって…わたしにとってもかなりハードル高いですよ。でも、体だけじゃなく心も魂もたいそう悦んでました。」
という締めくくりだった前回エッセイの続きです。
|揚げものが苦手だった
20代の前半まで、揚げものは邪悪なものだと思っていました。
ニキビができることを極端に恐れていたので、百害あって一利なしと思い込んでいたのです。
そんな経緯から、そもそも揚げものをした経験なんてほぼゼロ。
年越しそばに合わせて食べる天ぷら作りのお手伝い(と言っても具材を切るところまで。あとは母の様子を眺めている)だけでした。
揚げものをしてみよう!と思うようになったのは、結婚した後のこと。
女性は「7の倍数で体が変わる」と言うけれど、年を重ねたわたしは、うどん屋さんで揚げものを食べると胃もたれするようになり、揚げものを食べたくなったら自分で揚げるしかない…!と思うようになりました。
最初は揚げもの鍋の様子をジッと見ていることもままならず、ずっとハラハラ、ソワソワしてしまうのです…。まだかなぁ…と思って箸でなんども突っついたりして、心配で気になって仕方がない。
待っている間は目が離せないから他の料理を進めることもできずイライラ。揚げものをすると、ドッと疲れる。そんな有り様でした。
|いつも自分を急き立てながら生きてきた
とにかく待つのが苦手だったのです。
人生においても、意識の中でいつも自分を急き立てながら生きてきました。
サラリーマンを辞めてもなお、誰にも強要されていないのにいつも心が急いでいました。
揚げものの1ターンは、時間にしてたった1、2分のこと。
けれど、わずか1、2分であれ、目の前のことだけに集中するのがムズカシイと最初は感じました…。
いつも何かをすることに忙しく、マルチタスクで頭をフル回転させて、暇があればスマホをいじり、意識しなくても五感に訴えかけてくるノイズの多い世の中で生きる私たちにとっては特に。
そんなわたしが、揚げものを何度もするうちに、技術的な上達だけでなく、心も変化したのです。
|イライラ時間は「愛おしむ時間」へ
まず、揚げものをすることに慣れてきたために余裕が生まれ、ハラハラ、ソワソワしなくなっていきました。
すると、油たちがシュワシュワとさざ波のように揺れ動き、具材を華麗にダンスさせる様に見惚れるようになりました。
触って確かめるのではなく、目で見極め、箸づたいにジリジリと伝わるわずかな音と振動で「できあがり」の合図を受け取る心地よさを知りました。
つまり、五感を使って、いま目の前の現象をじっくり観察できるようになったのです。
過去のわたしは、
この時間がもったいない。
さっさと済ませたい。
待っている時間にも他のことをしなくちゃ!!
そんなふうに、ココではないどこかに意識を散らし、五感をふさいで、今を蔑ろにしていました。
今では、人生の悩みやモヤモヤがあっても、揚げものを通して「焦らない、騒がない、観察しよう」と言い聞かせ、自分軸に立ち戻る絶好のチャンス!とまで思うほど。
心の在り方ひとつで、イライラ時間は愛おしむ時間へとみるみる変化したのでした。
|「ひとり揚げもの」をする理由
揚げものはわたしにとって瞑想時間なのです。
「自分ひとりのために揚げものをする」
そんな面倒なこと誰がやるの…?と、表面だけみれば問われるのも当然かもしれません。
けれど、その奥にある真理、心地よさを知れば、誰にも邪魔されずただひたすらに自分と向き合うことができる「ひとり揚げもの」こそ、至福のひとときだと分かるでしょう。
|P.S
かぼちゃ、さつまいもがおいしい季節になってきました。根菜をただ素揚げして、塩をつけて食べるのは最高のごちそうです。
キッチンに立ったまま、揚げたてをフーっとしてパクリ。
じわ〜と口の中で広がる甘みに、ニンマリ。
この秋は、誰の目も気にせず無邪気な子どものように、あつあつを思いっきり頬張って幸せを感じてみませんか?
