<中編小説>『笑ってるくせに、逃がさない顔』第二王子×第一王子BL小説
<中編小説>『お前、バレてるぞ。死ね』第二王子×第一王子BL小説|なつめの続き
それは、あまりにも“自然な形”で始まった。
午後の庭園。
王城の南に広がるそれは、政治の場でも、社交の場でもあり、そして最も「何もないふりをして何かが起きる場所」でもあった。
噴水の水は穏やかに揺れ、剪定された薔薇は季節の終わりを告げるように少しだけ色を落としている。白い石畳は乾ききって、空は薄く晴れていた。
――あの日の雨が嘘みたいに。
「リュシアン殿下」
呼ばれた声は、柔らかかった。
だが、その柔らかさは計算されている。
リュシアンは振り返る前に、誰か分かっていた。
「……何だ」
振り返る。
ベルティーナ・ラウフェル公女は、今日も完璧だった。
淡い藤色のドレスは光を柔らかく受けて、布の流れひとつに無駄がない。編み込まれた髪は一筋も乱れず、笑みは常に“正しい位置”に置かれている。
美しい。
だがそれ以上に――“整いすぎている”。
人を安心させるために作られた顔。
そして、同時に人を逃がさない顔。
「少し、お時間よろしいかしら」
「断る」
「まあ」
くすりと笑う。
「相変わらずですのね」
「用があるならさっさと言え」
「ええ。ですから、少しだけ」
「ここで言え」
「では、そのように」
彼女は一歩だけ距離を詰めた。
近すぎない。
だが遠くもない。
絶妙な距離。
――慣れている。
リュシアンはそれを見て、内心で舌打ちした。
「殿下と、最近よくご一緒にいらっしゃいますのね」
直球ではない。
だが、外してもいない。
リュシアンは肩をすくめる。
「兄弟だろ」
「ええ」
「それが何か?」
「何も」
微笑む。
「ただ、少し目に入ることが増えましたので」
「お前の目が暇なだけだ」
「そうかもしれません」
否定しない。
ここがまず厄介だった。
普通なら、否定か、軽い謝罪か、曖昧な濁しが入る。
だがこの女は違う。
“受け取る”。
言葉をそのまま受け取って、次へ繋げる。
「評議会でも」
ベルティーナが続ける。
「朝食でも」
「監視でもしてるのか」
「いいえ」
にこやかに首を振る。
「ただ、見えてしまうだけです」
――見えてしまう。
同じ言葉だ。
側近も使った。
この女も使う。
つまり、それだけ露骨だということだ。
「で?」
リュシアンが言う。
「何が言いたい」
「言ってしまってもよろしいですか?」
「回りくどいのは嫌いだ」
「そうでしたわね」
彼女はほんの少しだけ、笑みを深めた。
その瞬間だけ、温度が変わる。
「殿下」
「何だ」
「第一王子殿下に、近すぎますわ」
風が止まったような気がした。
噴水の音だけが、やけに遠い。
リュシアンは、笑った。
「だから?」
「ですから」
彼女は同じ調子で続ける。
「少しだけ、距離を」
「嫌だね」
「……」
一瞬だけ。
ほんの一瞬だけ、ベルティーナの笑みが止まった。
すぐに戻る。
だがその“止まった一瞬”を、リュシアンは見逃さなかった。
「は」
軽く鼻で笑う。
「牽制か?」
「いいえ」
「じゃあ何だ」
「確認です」
「何の」
「殿下の意思の」
逃げない。
この女は、逃がさない。
「意思?」
「ええ」
「で、確認してどうする」
「どうもしませんわ」
「嘘つけ」
「嘘ではありません」
その声が、ほんの少しだけ低くなる。
「ただ」
「何だ」
「わたくしは、殿下の隣に立つべき者として、立っておりますので」
それは、宣言だった。
柔らかい声で、
柔らかい顔で、
だが確実に、線を引く言葉。
リュシアンは目を細める。
「へえ」
「ですから」
彼女は続ける。
「“見過ごす”ことと、“見逃す”ことは違うのです」
静かに刺してくる。
音もなく。
だが確実に。
「お前さ」
リュシアンが言う。
「性格悪いな」
「よく言われます」
「だろうな」
「殿下ほどでは」
「は、言うじゃねえか」
「事実ですので」
それでも、彼女は崩れない。
笑ったまま。
美しいまま。
そして、逃がさない。
「一つだけ、申し上げても?」
「何だ」
「殿下」
ほんの少しだけ、顔を近づける。
囁くほどではない。
だが周囲には聞こえない距離。
「――あの方は、奪うにはあまりにも目立ちすぎますわ」
リュシアンの表情が、変わる。
わずかに。
だが確実に。
「……何の話だ」
「そのままの意味です」
「は」
「わたくしは」
彼女はまっすぐに言う。
「王妃候補として、王城のすべてを見ています」
「気持ち悪いな」
「光栄です」
そして、最後に一言。
「ですから、“隠せないもの”には、気づいてしまいますの」
沈黙。
リュシアンはしばらく何も言わなかった。
ただ、じっとベルティーナを見ていた。
この女は分かっている。
全部ではない。
だが、核心には近い。
それでも――
まだ“言っていない”。
それが唯一の救いだ。
リュシアンはゆっくり笑う。
「で?」
「はい?」
「それで終わりか?」
「ええ」
「何もする気はねえ?」
「現時点では」
「へえ」
現時点では。
つまり――
今後は分からない。
分かりやすすぎる。
「じゃあ一つ言っとく」
リュシアンが言う。
「何でしょう」
「俺はやめない」
「……」
「距離も」
「……」
「全部だ」
「そうですか」
ベルティーナは微笑む。
完璧に。
だがその奥で、ほんの少しだけ、冷たいものが光った。
「では」
彼女は一礼する。
「そのまま、お進みくださいませ」
引く。
だが、引き方が綺麗すぎる。
まるで最初から、ここまででいいと決めていたみたいに。
リュシアンはそれを見て、ようやく気づいた。
――こいつ、最初から“確認”しかしてない。
止める気はない。
止められないことも分かっている。
だから、見ているだけ。
そして、必要になったら――
動く。
「……最悪だな」
リュシアンが小さく呟く。
そのとき。
「何がだ」
背後から声がした。
振り返る。
そこに、エドガーがいた。
いつもの顔で。
いつもの距離で。
だが、その目だけが少し鋭い。
「何してた」
「別に」
「嘘つけ」
「お前こそ」
「仕事だ」
「終わったのか」
「ああ」
一歩近づく。
――やっぱり近い。
無意識で、距離が詰まる。
リュシアンは苦笑した。
「なあ」
「何だ」
「完全に見られてるぞ」
「誰に」
「さっきの女」
「……」
「バレかけてる」
「……」
「どうする」
「どうもしない」
「強気だな」
「当たり前だろ」
「死ね」
「お前が先にくたばれ」
そのやり取りを、ベルティーナは背中越しに聞いていた。
振り返らない。
だが、ほんの少しだけ、口元が動いた。
――笑っている。
それは勝利の笑みではない。
理解した者の笑み。
そして、静かに機会を待つ者の笑みだった。
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