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那由多電影 番外編|映画『シラート』

『シラート』(2025年)


『那由多電影』は、橋本那由多おすすめの映画・ドラマ作品をスピリチュアルな視点から考察する不定期連載です。


今回は、番外編として現在映画ファンの間で話題騒然となっているスペイン・フランス合作映画『シラート』(全国公開中)を紹介します。
正直、紹介するかどうか迷うほど刺激的な作品でしたが、『那由多電影』の文脈上、取り上げないわけには行かないと思い、記事にすることにしました。


以下「Fan's Voice」のインタビューには、オリベル・ラシェ監督が本作に込めた主題が簡潔にまとめられており、その中で彼はこのように語っています。
「今、時代は私たちをある種の「深淵アビス」へと押し流そうとしています。しかし、それこそが私たちの「救い」になるかもしれない。これから生きることがどんどん難しく、過酷になっていく中で、人生は私たちに「人間であるとはどういうことか」を問いかけてくるでしょう。」(なお本インタビューには若干のネタバレが含まれるため、気になる方は鑑賞後にお読みいただくことをお勧めします)
https://fansvoice.jp/2026/06/07/sirat-oliver-laxe-interview/


本作『シラート』には、骨太な作家映画としての体験はもちろん、レイヴカルチャーや世界の荒廃(終末世界)、にじり寄る戦争と管理社会への寄る辺なさなど、観る人によって様々な語り口があろうかと思いますが、その根底にはあらゆる表層的/各論的批評を打ち砕き、鑑賞者の魂をダイレクトに揺さぶる霊的・・働き・・と、人間にとって最も本質的な実存への問い掛けが横たわっています。


以前、本連載の番外編にて細田守監督の最新作『果てしなきスカーレット』を紹介し、続く第18回「死後の世界を描いた映画6選 」においても、死後の世界を描いた様々な映像作品と共に再度『果てしなき〜』を取り上げました。
本作『シラート』を観てまず驚かされるのが、現実世界の物語として描きながらも、そこに映っているのはまるで『果てしなき〜』に登場する旅人たちさながらに、冥界の荒野を彷徨い、「見果てぬ場所」を求めて上へ上へと神の山を登って行く死者たちの姿そのものであるという点です。(その意味では主人公・ルイスが探している"娘"が象徴するものとは、イザナミであり、瀬織津姫せおりつひめであり、ベアトリーチェなのでしょう)
『果てしなき〜』の紹介記事では、細田監督の『果てしなき〜』と宮崎駿監督の『君たちはどう生きるか』が同じ意識領域からのインスピレーションを受けているのではないかという話をしましたが、本作『シラート』もまた同様であり、『君たちは〜』以上に『果てしなき〜』との共時性シンクロニシティを強く感じました。


しかし、本作に込められたメッセージは、『果てしなき〜』ほど饒舌で親切なものではなく、『君たちは〜』ほど混乱した回りくどいものでもありません。
近日投稿予定の『豊宇氣とようけ神諭しんゆ』には、「ここからはてんの規則(理)にしたがわぬ者は、大神おおがみ様の直々じきじき御光みひかりでビシビシ目覚めさせて行くのじゃぞ。」とあります。
いずれの作品も、深層的にはこの時代に誰もが晒されている「最後の審判」「大峠おおとうげ」と言われる魂の洗濯と自らの進路の意志決定(5次元パラレルへ上昇するか3次元パラレルに留まるか)についてを描いたものですが、そのとどめの一喝とも言える本作では、文字通り魂へのショック療法とでも言うべき歯に衣・・・着せぬ・・・浄化と覚醒のドキュメントを見せられることになります。


『マッドマックス』やパニック映画の古典『恐怖の報酬』などと比較して語られることの多い本作ですが、むしろ現代の若手映画作家にして、アレハンドロ・ホドロフスキーやタル・ベーラ、あるいはイエジー・スコリモフスキなど、かつての名だたるアートハウス映画の巨匠たちにも引けを取らない貫禄を湛えていることに驚かされます。
私は前述のインタビューを読んで、彼の存在に藤井風さんのようなまったく新しい"霊性の世代"の台頭を感じましたが、ヒンドゥー教の女神・サラスヴァティ(≒瀬織津姫)の守護を受ける藤井風さんや、同じく瀬織津姫様など女神神界の働きを受ける細田監督と比べ、ラシェ監督はシヴァ神(≒スサノオ様)を感じさせる男神的エネルギーを持ち、同じ荒神あらがみでもより直情的で雄々しい働きを担う魂であると感じます。(本作はスサノオ様のエネルギーの台頭とも深くリンクしていると思います)
劇中、何度かショッキングな描写があるため、体調が不安定な方や何らかの精神的トラウマを抱えている方には鑑賞をお勧めしませんが、今まさにこの地上(あるいは4次元幽界)で巻き起こっている私たち一人一人の魂の真実について知りたいという方は、その覚悟を持って鑑賞されることをお勧めします。


タイトルにある「シラート」(Sirāt)とは"道"を意味するアラビア語で、コーランにおいて最後の審判の日に架けられるとされる"髪の毛よりも細く、剣よりも鋭い橋"を指し、日月神示の文脈で言えば「誠の道」「元なる神の道」「奥山おくやま」と言った表現と同義にあたります。
拙著『いづ神諭しんゆ』には、「有為うい奥山おくやまとは、真澄ますみなる赤子心あかごごころでなければ越えられん細き細き御道おみちでありますぞ。御魂みたま審判たてわけ容赦ようしゃなき時の神様にこうべれ、かしこみかしこみお通しいただけよ。」(第八帖「神祀れ、神語れ」)とあります。
主人公・ルイスとその一行は、最後にこの細き細き奥山の道(シラート)を渡ることになりますが、ご神示にはこの世に命あるうちに身魂みたまみそぎ、誠の道に帰ることが出来れば、あらゆる大難は小難となり、晴れて地上天国、ミロクの世へと赴くことが出来ると示されています。
身魂を禊ぐとは、つまり肉体中心、現世中心の生き方の中で凝り固まった自我を洗濯し、心身の歪みを正すことであり、監督が語るスーフィズム(イスラム神秘主義)の概念「死ぬ前に死ぬ(Morir antes de morir)」とは、今多くの人々に起こっている自我の死・・・・と、それによって立ち起こる真我の・・・目醒め・・・を表しています。(日月神示ではこの概念を「はらくくる」など切腹のイメージを使って表されます)


本作を通して世界中の人々の魂が刺激され、人類の集合的覚醒が促されることを祈ります。
目醒めのプロセスには多くの苦しみが伴いますが、誠の道を学び、日々魂の声に耳を傾けることで、山道は険しいものからよりなだらかで導きに満ちたものとなって行くでしょう。





『シラート』(2025年/スペイン・フランス/115分)

【解説】モロッコの砂漠地帯を舞台に、行方不明の娘を捜す父親が過酷な現実と向き合うサバイバル・ロードムービー。タイトルの「シラート」とはアラビア語で「道」を意味し、宗教的な概念(天国へ架かる細い橋)をメタファーとして、人生の過酷な旅路を描き出す衝撃作。

【ストーリー】砂漠の奥地で行われるレイヴパーティに参加したきり、娘が失踪してしまう。父親のルイスと幼い弟のエステバンは、娘(姉)の行方を追ってモロッコの山岳地帯から砂漠の奥深くへと車を走らせる。ようやくたどり着いたレイブ会場には娘の姿はなく、そこは現実世界から隔絶されたカオスな空間であった。手がかりを求めてさらに砂漠の奥へと進む父子は、レイヴァー(パーティ参加者)たちの一行に遭遇し、彼らと共に道なき荒野を進むことになるが・・・。

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