見出し画像

【W杯 2026】Group E/F - 敗者達の控え室 #24|城を飲み込んだ神話|イングランド vs アルゼンチン

第24章 城を飲み込んだ神話


この物語について

『Group EF - 敗者達の控え室』は、世界大会で早期敗退したGroup E、Group Fの国々を中心に、敗者たちが控え室から大会の続きを見届ける非公式サッカー擬人化群像劇です。

試合結果、対戦カード、サッカー史、報道などをモチーフにしていますが、登場人物はすべて創作上の擬人化キャラクターです。

公式大会・各国協会・実在選手・実在団体とは関係ありません。

初めて読む方へ

この章の時系列

この章は、世界大会2026準決勝。

イングランド対アルゼンチンの試合直後をモチーフにしています。

前夜。

スペインはフランスを2-0で破りました。

太陽が。

怪物の咆哮を出させないまま。

静かに決勝へ進んだ夜でした。

そして今夜。

もう一つの準決勝は、まるで違いました。

歌がぶつかり。

身体がぶつかり。

歴史がぶつかった。

試合を決めたのは。

メッシでも。

ケインでもありませんでした。

二人の外側で動いた国が。

最後に、勝敗を決めました。


1.接戦を越えてきた二つの国

敗者の控え室。

大型モニターには。

試合開始前のスタジアムが映っている。

日本は。

ホワイトボードに、二つの線を引いていた。

イングランド。

アルゼンチン。

どちらの線も。

準決勝まで、真っすぐではなかった。

イングランドは。

DRコンゴを相手に先制しながら。

最後まで安全にはならず。

メキシコの熱と。

アステカに残された歴史を越え。

ノルウェーに先制されながら。

延長で城を建て直した。

アルゼンチンは。

カーボベルデの星に、二度先を行かれ。

エジプトには。

敗退寸前の時間まで追い詰められ。

スイスの時計には。

百十二分まで止められた。

キュラソー

「どっちも」

キュラソー

「ずっと苦しかったんだね」

ベルギー

「だから、ここにいる」

ドイツ

「余裕があった国同士ではない」

ドイツ

「苦しい時間を」

ドイツ

「敗退という結果にさせなかった国同士だ」

ノルウェーは。

モニターの中のイングランドを見る。

ノルウェー

「私も、一度は先に城へ入った」

スウェーデン

「でも、閉じられた」

ノルウェー

「うん」

オランダは。

アルゼンチンの名前から伸びる河を見る。

途中には。

キュラソーが描いた、黄色い星。

そして。

百十二分で止まった、銀色の時計。

オランダ

「止められても」

オランダ

「次の場所から戻ってくる」

日本

「城と河」

日本は。

二つの言葉を書く。

日本

「どちらも」

日本

「一度、終わりかけてからここまで来た」

決勝まで。

あと一つ。

その場所へ。

無傷の国は、どちらも来なかった。


2.歴史を着た国と、戻ってきた姓

大型モニターに。

試合前のアルゼンチンが映る。

いつもの水色と白ではない。

深い濃紺。

その色については。

試合が始まる前に。

十人で、すでに確認していた。

一九八六年。

マラドーナが。

二つの異なる意味で歴史に残るゴールを決めた夜。

一九九八年。

ベッカムが退場し。

アルゼンチンがPK戦を制した夜。

どちらも。

アルゼンチンは濃紺を着ていた。

ホワイトボードには。

日本が書いた言葉が、まだ残っている。

歴史は。

着て入ることはできる。

でも。

最初のパスにはならない。

キュラソー

「本当に」

キュラソー

「この色で来たね」

ドイツ

「そこまでは、昨日確認した」

ベルギー

「監督本人は」

ベルギー

「自分が選んだわけではないと言っていたけどね」

オランダ

「意図があるかより」

オランダ

「見た側が、何を思い出すか」

日本

「歴史を着ることと」

日本

「歴史で戦うことは違う」

エクアドルは。

画面の濃紺を、静かに見つめる。

エクアドル

「それでも」

エクアドル

「記憶は働く」

アルゼンチンは。

過去を振り回さないと言った。

過去だけで試合をしないと言った。

けれど。

過去を脱いで来るとは。

一度も言っていなかった。

歴史は。

大声で説明されなくても。

一つの色だけで。

ピッチの上に立つことができる。

けれど。

今回、ピッチへ戻ってきたのは。

色だけではなかった。

モニターが。

アルゼンチンの先発選手へ切り替わる。

右側。

一人の名前が映る。

ジュリアーノ・シメオネ。

キュラソー

「シメオネ?」

ベルギー

「ディエゴ・シメオネの息子だよ」

チュニジア

「ベッカムの退場に関わった方の?」

ドイツ

「その息子だ」

一九九八年。

ベッカムと向かい合ったのは。

ディエゴ・シメオネ。

二〇二六年。

スペンスと向かい合うのは。

その息子。

同じ姓が。

別の世代を連れて。

同じカードへ戻ってきた。

スウェーデン

「因縁のために選んだの?」

日本

「そこまでは分からない」

日本

「走力と守備強度を買われた、戦術的な起用だと思う」

ベルギー

「でも」

ベルギー

「戦術で選ばれた選手が」

ベルギー

「歴史まで連れてきた」

濃紺。

シメオネという姓。

国歌の前から響く歌声。

アルゼンチンは。

歴史を相手へ投げつけたわけではない。

ただ。

自分たちの背後へ。

歴史を立たせていた。


3.歌がぶつかった夜

国歌が始まる。

けれど。

二つの歌声は、順番を守らなかった。

イングランドの歌の上に。

アルゼンチンの声が重なる。

歌が終われば。

ブーイングが返る。

アルゼンチンの番には。

今度は、イングランド側から別の音が重なる。

特に。

アルゼンチンの歌声は大きかった。

選手も。

監督も。

観客席も。

試合が始まる前から。

一つの巨大な声になっていた。

チュニジア

「始まる前から熱量が高すぎる」

ドイツ

「静かな試合にはならないな」

キュラソー

「昨日と全然違う」

日本

「昨日は」

日本

「静けさが先に試合を包んでいた」

日本

「今夜は」

日本

「始まる前から、声がぶつかってる」

ベルギー

「同じ準決勝でも」

ベルギー

「入口から違うわけだ」

オランダ

「歴史を知っている国同士は」

オランダ

「静かに始められない時がある」

ノルウェーが。

小さく口を開く。

ノルウェー

「喉」

チュニジア

「また心配してる」

ノルウェー

「だって、前に枯らしてたから」

スウェーデン

「今日は歌で枯れる前に」

スウェーデン

「試合で削られそう」

誰も否定しなかった。

アルゼンチンは。

試合前に歴史を煽る言葉を選ばなかった。

メッシも。

相手へ火を投げるのではなく。

自分たちの後ろにある火を、一つに集めた。

そして。

言葉で抑えられていた熱は。

歌声になって、スタジアムを満たしていた。


4.何も始めさせなかった四十五分

前半。

数字だけを見れば。

静かだった。

両国を合わせても。

枠内シュートはない。

けれど。

試合は、少しも静かではなかった。

身体が入る。

足が伸びる。

一対一で止める。

前を向く前に寄せる。

中盤で潰す。

次のパスを出す前に。

進路を閉じる。

シュートが生まれなかったのではない。

シュートになる前の一歩を。

両国が潰し続けていた。

エクアドル

「シュートが少ないんじゃない」

エクアドル

「シュートへ行く前の線が、全部消されてる」

メッシが中央へ入る。

アンダーソンが寄る。

ケインが低い位置まで下がって受ける。

その次の行き先に。

アルゼンチンの身体が入る。

スペンスと。

ジュリアーノ・シメオネ。

右サイドで。

何度も同じ場所へ戻る。

一人が抜けば。

試合が動く。

けれど。

どちらも、その一歩を許さない。

一九九八年とは違う二人。

ベッカムではない。

ディエゴでもない。

それでも。

同じ二国の。

同じ因縁を知る者たちは。

シメオネという姓を見ただけで。

古い場面を思い出した。

けれど。

今夜の二人が作ったものは。

退場の記憶ではなかった。

何度も繰り返される。

一対一のフットボールだった。

ドイツ

「姓は戻った」

ドイツ

「だが」

ドイツ

「事件は戻らなかった」

エクアドル

「歴史は」

エクアドル

「同じ場所へ戻っても」

エクアドル

「同じ結末を選ぶ必要はない」

キュラソー

「メッシとケインが主役なんだよね?」

日本

「うん」

キュラソー

「でも」

キュラソー

「まだ主役っぽくない」

ドイツ

「主役だからだ」

キュラソー

「え?」

ドイツ

「二人とも」

ドイツ

「名乗る前に止められている」

メッシへ届く前に。

足が入る。

ケインが前を向く前に。

身体が寄る。

二人を止めたのではない。

二人の外側が動き出す。

その一歩前を。

止め続けていた。

ベルギー

「スペインは」

ベルギー

「フランスの線を、静かに消した」

ベルギー

「でも今夜は違う」

ベルギー

「互いの線を、身体で踏み消してる」

オランダ

「しかも」

オランダ

「どっちも、そのやり方を嫌ってない」

前半、0-0。

何も起きなかった四十五分ではない。

何も始めさせなかった。

四十五分だった。


5.城門を抜けたのは王ではない

後半。

先に流れを強めたのは。

アルゼンチンだった。

アルバレスがゴールへ迫る。

ピックフォードが止める。

メッシが右から送る。

ベリンガムが遮る。

シメオネが走る。

スペンスが滑り込む。

アルゼンチンが。

少しずつ。

イングランドの陣地へ流れ込み始める。

ノルウェー

「嫌だな」

キュラソー

「イングランド、危ない?」

ノルウェー

「うん」

ノルウェー

「河の流れが強くなってる」

けれど。

先に門を開いたのは。

イングランドだった。

五十五分。

タグリアフィコのクリアが短くなる。

ライスが拾う。

ロジャーズへ通す。

ロジャーズが右から運ぶ。

クロス。

ファー。

ゴードン。

右足。

白いネットが揺れる。

イングランド、先制。

キュラソー

「先に入れた!」

ノルウェー

「今度は」

ノルウェー

「城の怖さ」

キュラソー

「さっきは、河が怖いって言ってた」

ノルウェー

「両方」

ノルウェーは。

ゴードンへ駆け寄るイングランドの選手たちを見る。

ノルウェー

「押し込まれていても」

ノルウェー

「一度、外へ出れば」

ノルウェー

「ケインじゃない人が決める」

得点者は。

ゴードン。

運んだのは。

ロジャーズ。

縦へ通したのは。

ライス。

ケインではない。

それでも。

最初にケインの名が。

この部屋へ現れた時。

日本は問いかけていた。

ケインがいる国は。

そのまま優勝するのか。

その答えは。

まだ分からない。

ただ。

一つだけ分かった。

ケインがいる国は。

ケインが決めなくても、点を取れる。

日本

「やっぱりケインが優勝する国、じゃなかった」

ドイツ

「ケインがいることで」

ドイツ

「別の誰かが決める国だった」

キュラソー

「じゃあ」

キュラソー

「最初の質問は、半分だけ当たり?」

日本

「半分だけ」

日本

「ケインがいる国は強い」

日本

「でも」

日本

「ケインだけの国じゃない」

城門を抜けたのは。

王ではなかった。

王の外側にいた者たちだった。


6.門を閉じた城

先制したあと。

イングランドは変わった。

城門を開いて。

一点を取った。

そのあと。

自分で門を閉じた。

ゴードンを下げ。

守備の人数を増やす。

ラインは低くなる。

白い壁が。

ゴール前へ集まる。

ケインも戻る。

ライスも弾く。

スペンスは。

何度も滑って止める。

ピックフォードが。

最後の場所に立つ。

ドイツ

「城らしい選択だ」

ベルギー

「ただし」

ベルギー

「少し低すぎる」

ノルウェー

「私たちを止めた時の城より」

ノルウェー

「ずっと低い」

エクアドル

「守ってるだけじゃない」

エクアドル

「次に外へ出る場所まで、閉じてる」

それでも。

イングランドを。

臆病だったと片づけるのは違う。

この時間。

城は本当に持ちこたえていた。

スペンスの足が止めた。

ピックフォードの手が止めた。

ケインの帰陣が埋めた。

ニコ・ゴンサレスのヘディングも。

ピックフォードが弾いた。

ポストも。

一度はイングランドを守った。

スウェーデン

「壊れてはいない」

日本

「うん」

スウェーデン

「でも」

スウェーデン

「外へ出なくなった」

アルゼンチンの攻撃が続く。

イングランドのクリアも続く。

けれど。

クリアするたび。

白い城は。

少しずつ。

自分の奥へ押し戻されていった。

城は。

最初から間違っていたわけではない。

ただ。

閉じたあと。

もう一度、門を開く方法を失った。


7.右へ流れた神話

イングランドは。

中央のメッシを、長く消していた。

それは間違いなく。

イングランドの成功だった。

アンダーソンが寄る。

ライスが絞る。

スペンスも戻る。

中央に立たせない。

前を向かせない。

キュラソー

「じゃあ」

キュラソー

「止めたんだよね?」

オランダ

「止めた」

キュラソー

「なら」

キュラソー

「どうして、まだ来るの?」

オランダは。

右へ移っていく。

濃紺の光を見る。

オランダ

「中央から追い出したと思った?」

キュラソー

「思った」

オランダ

「違う」

オランダ

「流れる場所を変えただけ」

メッシは。

右へ移った。

中央を閉じられたなら。

中央を奪い返そうとはしない。

右からクロスを入れる。

右から。

次の攻撃を始める。

ニコ・ゴンサレスのヘディング。

マク・アリスターのポスト。

セカンドボールの回収。

一度切れたように見えた流れが。

また。

イングランドの前へ戻ってくる。

エクアドル

「河は」

エクアドル

「同じ場所を、流れ直さない」

日本

「でも」

日本

「止まった場所から、また始まる」

オランダ

「カーボベルデ」

オランダ

「エジプト」

オランダ

「スイス」

オランダ

「全部そうだった」

黄色い星。

七十九分から戻した試合。

百十二分まで止めた時計。

アルゼンチンは。

この大会で何度も止められた。

けれど。

止められた場所から。

いつも。

別の流れを作ってきた。

キュラソー

「じゃあ」

キュラソー

「今夜も?」

オランダ

「今夜も」

神話は。

中央を失っても。

流れを失わなかった。


8.外から城壁を撃つ

八十五分。

アルゼンチンのコーナー。

素早く始める。

右でメッシが受ける。

正面には。

白い壁。

ゴール前も埋まっている。

城の中に。

隙間はない。

だから。

メッシは。

城の中へは入れなかった。

正面へ戻した。

エンソ・フェルナンデス。

右足。

強烈なシュートが。

城壁の外から。

ゴールへ突き刺さる。

同点。

キュラソー

「うそ」

ベルギー

「うそじゃない」

ベルギー

「中に入れないなら」

ベルギー

「外から撃つ」

日本

「中央は閉じてた」

エクアドル

「ゴール前も埋まってた」

ドイツ

「だから」

ドイツ

「壁の外から撃った」

イングランドの守備は。

完全に崩されたわけではない。

それでも。

城壁の外から撃ち抜かれた。

ノルウェー

「河が」

ノルウェー

「城門を通らなかった」

スウェーデン

「壁そのものを越えた」

神が決めたわけではない。

神が視線を集め。

神が返した先で。

神話の一部が。

城壁を打ち抜いた。


9.ポストから戻った河

同点になっても。

アルゼンチンは止まらない。

イングランドも。

まだ折れてはいない。

九十分を越える。

時間が足される。

歌声は。

もう遠い。

残っているのは。

息と。

足音と。

最後まで走る者の影だけ。

そして。

後半アディショナルタイム二分。

マク・アリスターのシュート。

ポスト。

普通なら。

ここで攻撃は切れる。

普通なら。

ここで流れは止まる。

キュラソー

「止まった」

オランダ

「止まらない」

メッシが拾う。

右へ走る。

クロス。

途中出場のラウタロ。

ヘディング。

逆転。

白い城の奥へ。

濃紺の河が。

ついに。

すべて流れ込んだ。

キュラソー

「また戻った」

オランダ

「だから言った」

オランダ

「アルゼンチンは」

オランダ

「止まった場所から、もう一度流れる」

ドイツ

「神話だな」

ベルギー

「いや」

ベルギーは。

ホワイトボードの河を見る。

ベルギー

「神だけじゃない」

ベルギー

「神話の国だ」

メッシは決めていない。

けれど。

同点の前にも。

逆転の前にも。

そこにいた。

エンソが決めた。

ラウタロが決めた。

ケインがいる国は。

ケインの外側から、先に点を取った。

メッシがいる国は。

メッシの外側から、二つの点を返した。

神は。

決めなかった。

それでも。

神話が。

城を飲み込んだ。


10.言葉になった勝利と敗北

試合終了。

モニターには。

ピッチを離れる選手たち。

立ち尽くすイングランド。

抱き合うアルゼンチン。

そして。

試合後の言葉が流れていた。

ケインは。

一点を取ったあと。

次の一点を奪うよりも。

耐えようとする時間になったと認めた。

そして。

それだけでは足りなかったと語った。

トゥヘルは。

先制後に消極的になったこと。

ボールを持てなくなったこと。

相手にクロスとシュートを許し続けたこと。

その責任を引き受けた。

ただし。

選手たちは全てを出した。

その努力に、後悔はないとも語った。

ドイツ

「退場で失ったわけではない」

ベルギー

「一つの判定に」

ベルギー

「持っていかれたわけでもない」

日本

「自分たちで選んだ守り方を」

日本

「相手に越えられた」

エクアドルは。

ホワイトボードの城を見る。

エクアドル

「だから、痛い」

少し間を置いて。

静かに続ける。

エクアドル

「でも」

エクアドル

「負けた場所は見える」

試合後まで。

熱は残った。

ベリンガムも。

すぐには感情を収められなかった。

両国の選手が近づき。

言葉と身体が。

もう一度ぶつかりかけた。

けれど。

イングランドが敗れた理由は。

そこにはなかった。

ベッカムの退場のように。

一人の選手へ。

長い責任が残る試合ではなかった。

VARの判定によって。

勝敗の意味が。

別の場所へ運ばれたわけでもなかった。

姓は戻った。

濃紺も戻った。

歌もぶつかった。

けれど。

事件は戻らなかった。

悲劇ではなかった。

不運だけでもなかった。

イングランドは。

フットボールで負けた。

そして。

アルゼンチンは。

フットボールで勝った。

続いて。

スカローニの言葉が流れる。

アルゼンチンは。

追い詰められた時ほど。

最も良いフットボールをする。

相手が一瞬でも迷えば。

その気配を嗅ぎ取り。

持っているものの全てを使って。

前へ出る。

選手たちは。

失敗して準決勝を失うことを恐れず。

最後までボールを求めた。

フットボールは。

戦術や配置だけではない。

最後の時間には。

自分たちが信じているものの全てが出た。

日本

「試合前は」

日本

「フットボール以外の火を、持ち込まないと言ってた」

ドイツ

「試合後は」

ドイツ

「フットボールは、戦術だけではないと言った」

キュラソー

「反対のこと?」

エクアドル

「違う」

エクアドル

「火を、相手へ投げなかった」

エクアドル

「自分たちを動かすために使った」

アルゼンチンは。

歴史を忘れたわけではない。

ただ。

歴史に試合をさせなかった。

現在の選手たちが。

現在のフットボールで。

イングランドを越えた。


11.初めての準決勝

イングランドとアルゼンチン。

世界大会で。

これまで五度、向かい合ってきた二国。

一九六二年。

一九六六年。

一九八六年。

一九九八年。

二〇〇二年。

グループステージ。

準々決勝。

ベスト16。

けれど。

準決勝で会うのは。

これが初めてだった。

五度の記憶を持つ二国が。

初めて。

決勝まであと一つの場所で会った。

そして六度目も。

最後の時間まで。

一つの得点では終わらなかった。

日本

「決勝まで、あと一つ」

日本

「その場所で会うのは、初めてだったんだね」

ドイツ

「だから」

ドイツ

「過去の再現ではなく」

ドイツ

「新しい傷になった」

チュニジア

「傷って言い切るんだ」

ドイツ

「敗れた国には、傷だ」

スウェーデン

「でも」

スウェーデン

「誰か一人の傷ではない」

ノルウェーは。

まだ、モニターから目を離さない。

ノルウェー

「イングランド」

ノルウェー

「軽く負けなかった」

コートジボワールが。

小さくうなずいた。

あの言葉は。

ちゃんと。

ここまで届いていた。

コートジボワール

「うん」

コートジボワール

「届いた」


12.また、君か

試合後のピッチ。

歓声の残りが。

まだ空にある。

イングランドは左から。

アルゼンチンは右から。

歩いてくる。

けれど。

どちらも。

最後まで立っている力は残っていなかった。

二人は。

同じ芝の上へ倒れ込む。

勝者も。

敗者も。

今はもう。

立つより先に。

息を整えたかった。

白い腕が伸びる。

濃紺の腕が伸びる。

偶然。

ほんの少しだけ重なる。

イングランドは。

空を見たまま笑った。

乾いた笑いだった。

イングランド

「また、君か」

アルゼンチンは。

目を閉じたまま答える。

アルゼンチン

「また、私だ」

数秒。

どちらも動かない。

アルゼンチン

「スイスにも」

アルゼンチン

「同じことを言われた」

イングランドは。

ほんの少しだけ吹き出す。

イングランド

「便利な返しだな」

アルゼンチン

「便利じゃない」

アルゼンチン

「何度も言われた」

イングランド

「言われすぎだろ」

アルゼンチン

「そうね」

試合前の熱とは。

まるで違う会話だった。

歌声も。

ブーイングも。

今はもう遠い。

イングランド

「君は」

イングランド

「結局、決めなかったな」

アルゼンチンは。

少しだけ首を横へ向ける。

アルゼンチン

「決めたのは」

アルゼンチン

「私たちだ」

イングランドは。

一度だけ目を閉じる。

イングランド

「それが」

イングランド

「一番厄介だった」

アルゼンチン

「イングランドも」

アルゼンチン

「ケインではなかった」

イングランド

「私たちも、だ」

アルゼンチン

「知っている」

イングランド

「止めたと思った?」

アルゼンチン

「ケインを?」

イングランド

「違う」

イングランドは。

ゆっくり息を吐く。

イングランド

「君を」

アルゼンチンは。

再び空を見る。

アルゼンチン

「長い時間」

アルゼンチン

「止めていた」

イングランド

「長い時間だけか」

アルゼンチン

「十分ではなかった」

イングランド

「負けた時に聞くと」

イングランド

「少し悔しいな」

アルゼンチンは。

少しだけ考える。

アルゼンチン

「そうね」

少し間を置いて。

静かに続ける。

アルゼンチン

「でも」

アルゼンチン

「強かった」

イングランド

「もっと悔しいな」

アルゼンチンの口元が。

ほんの少しだけ緩む。

イングランド

「ずいぶん歴史を着てきた」

アルゼンチン

「歴史は」

アルゼンチン

「脱ぐものじゃない」

イングランド

「右には、シメオネまでいた」

アルゼンチン

「ジュリアーノだ」

イングランド

「父親を思い出すなという方が無理だ」

アルゼンチンは。

少しだけ目を開ける。

アルゼンチン

「思い出してもいい」

アルゼンチン

「でも」

アルゼンチン

「息子を、父親にはしないで」

イングランドは。

しばらく黙っていた。

イングランド

「スペンスも」

イングランド

「ベッカムではない」

アルゼンチン

「そうね」

イングランド

「今回は」

イングランド

「誰も退場しなかった」

アルゼンチン

「誰か一人の傷で」

アルゼンチン

「試合が終わることもなかった」

イングランド

「濃紺も」

イングランド

「シメオネも」

イングランド

「気にはなった」

アルゼンチン

「そう」

イングランド

「でも」

イングランド

「最後に負けた理由は、そこじゃない」

アルゼンチン

「そうね」

イングランド

「今回は」

イングランドは。

少し長く息を吐いた。

イングランド

「フットボールで負けた」

アルゼンチンは。

すぐには答えなかった。

それから。

静かに言う。

アルゼンチン

「だから」

アルゼンチン

「次の答えを作れる」

イングランド

「ドイツみたいなことを言うんだな」

アルゼンチン

「長く戦っていると」

アルゼンチン

「似ることもある」

イングランドは。

もう一度、空を見る。

少し長く。

言葉を探す。

イングランド

「……で」

アルゼンチンは。

何も言わずに待つ。

イングランド

「この試合は」

イングランド

「ただのフットボールの試合だった?」

アルゼンチンは。

すぐには答えない。

五度の過去。

六度目の今夜。

濃紺。

シメオネという姓。

ぶつかった歌声。

それでも。

退場も。

疑惑の判定もなく。

現在の選手たちが。

現在のフットボールで決めた試合。

その全てを。

短い沈黙の中へ置く。

アルゼンチン

「イングランドとの試合は」

アルゼンチン

「ただの試合にはならない」

イングランドは。

目を細めた。

その答えに。

ほんの少しだけ。

救われたようにも見えた。

イングランド

「やっと本音が出た」

アルゼンチン

「試合が終わったから」

二人の腕は。

まだ、重なったままだった。

イングランド

「ところで」

イングランド

「このままだと」

イングランド

「どちらが先に起きるべきなんだ?」

アルゼンチン

「腕が下にある方」

イングランドは。

重なった腕を見る。

イングランド

「私か」

アルゼンチン

「たぶん」

イングランド

「勝った国が決める話じゃないのか」

アルゼンチン

「そこまで勝つ必要はない」

イングランドは。

今度こそ。

少し大きく笑った。

強豪で。

古い城で。

いつも歴史に掘り返される国。

けれど。

こういう時だけ。

少しだけ、調子がずれる。

イングランド

「それで」

少しだけ間を置く。

イングランド

「歌える?」

さらに。

以前と同じ曲名を置く。

イングランド

「ワンダーウォール」

以前は答えなかった問いへ。

今度は。

アルゼンチンが迷わず答えた。

アルゼンチン

「歌える」

イングランド

「歌わないの?」

アルゼンチンは。

首を横へ振る。

アルゼンチン

「それは」

アルゼンチン

「イングランドの歌だ」

イングランドは。

芝の上で。

少しだけ笑った。

悔しさの混じった笑いだった。

イングランド

「取らないんだ」

アルゼンチン

「勝った国が」

アルゼンチン

「負けた国の歌まで取る必要はない」

イングランドは。

少し黙る。

それから。

今度は空ではなく。

隣を見る。

イングランド

「じゃあ」

イングランド

「君の歌は?」

アルゼンチンは。

その問いに、すぐ答えなかった。

試合前から続いていた歌声。

相手の声に重なっても。

ブーイングに覆われても。

消えなかった大合唱。

試合後も。

観客席の前で跳ねる選手たちの中から。

アルゼンチンの歌は続いていた。

曲の名前は。

ここからでは分からない。

ただ。

誰の歌かだけは。

分かっていた。

アルゼンチン

「聞こえていただろう」

イングランド

「最初から」

イングランド

「ずっと」

アルゼンチン

「なら」

アルゼンチンは。

ようやく目を開けた。

アルゼンチン

「もう答えている」

イングランドは。

数秒だけ、何も言わなかった。

それから。

重なった腕を、ゆっくり抜く。

イングランド

「決勝でも」

イングランド

「歌うつもりか?」

アルゼンチン

「歌える間は」

イングランド

「相手は太陽だぞ」

アルゼンチン

「知っている」

イングランド

「私より静かだ」

アルゼンチン

「城より」

アルゼンチン

「場所を消す」

イングランド

「じゃあ」

イングランド

「河がどこを流れるか、見せてもらおう」

アルゼンチンは。

イングランドを見る。

アルゼンチン

「その前に」

アルゼンチン

「まだ、終わっていない」

イングランドの顔から。

一瞬だけ、笑みが消える。

三位決定戦。

待っているのは。

前夜に太陽へ止められた王冠。

イングランド

「王冠と」

イングランド

「最後に戦ってくる」

アルゼンチン

「そう」

イングランド

「勝った後の歌なら」

イングランド

「任せてくれ」

アルゼンチン

「喉は?」

イングランド

「もう治った」

アルゼンチン

「なら、よかった」

今度は。

イングランドが先に立ち上がる。

アルゼンチンも。

少し遅れて立ち上がる。

因縁が消えたわけではない。

和解したわけでもない。

ただ。

この試合だけを見れば。

二人は一度。

同じ地面に倒れ。

同じ空を見ていた。


13.太鼓の裏表

大型モニターには。

アルゼンチンの祝福の輪が映っている。

選手たちが跳ねる。

抱き合う。

サポーターの前で歌う。

その中心で。

一つの太鼓が目立っていた。

片面は。

守護神。

もう片面は。

神話の主将。

しかも。

叩かれているのは。

守護神の顔が描かれた方だった。

本人が。

すぐ後ろにいるのに。

キュラソー

「本人の顔、叩いてる!」

チュニジア

「遠慮がない」

ベルギー

「メッシの面は叩かないんだ」

ノルウェー

「神話への配慮?」

ドイツ

「守護神への配慮はないな」

オランダ

「本人」

オランダ

「すぐ後ろにいるけど」

キュラソー

「見えてないのかな?」

チュニジア

「見えてるから面白いんじゃない?」

ようやく。

控え室の空気が。

少しだけほどける。

日本は。

ホワイトボードに。

決勝の二つの名前を書く。

スペイン。

アルゼンチン。

日本

「世界王者」

日本

「南米王者」

日本

「世界ランキング一位」

次に。

もう一つの名前を指す。

日本

「欧州王者」

日本

「世界ランキング二位」

エクアドル

「肩書きが多い」

チュニジア

「多すぎて」

チュニジア

「もう鎧だね」

キュラソーは。

ホワイトボードの隅にある。

小さな黄色い星を見る。

キュラソー

「しかも」

キュラソー

「星に二度、先を行かれた国と」

キュラソー

「星に止められた国」

オランダ

「決勝の因縁としては」

オランダ

「妙に細いな」

キュラソー

「でも、ある」

日本

「あるね」

アルゼンチンは。

星と時計を持って来た。

スペインは。

ベルギーの一点と。

怪物を止めた形を持って来た。

どちらも。

無傷の国ではない。

傷を抱えたまま。

最後まで残った国同士が。

決勝で会う。

モニターには。

まだ。

アルゼンチンの歌と太鼓が映っている。

けれど。

控え室の視線は。

もう、その先へ進んでいた。

日本

「これ以上の肩書きが並ぶ決勝を」

日本は。

二つの名前を見比べる。

日本

「この大会は、最後に残していたんだね」

チュニジアが。

少し遅れて。

日本を見る。

チュニジア

「……それ」

チュニジア

「私が言いたかった」

一瞬。

控え室が静かになる。

そして。

オランダが、少しだけ笑った。

オランダ

「久しぶりに聞いた」

チュニジア

「取っておいたからね」

扉の向こうには。

まだ。

もう一つの試合が残っている。

白い城は。

まだ完全には。

この部屋へ来ない。

王冠も。

まだ終わってはいない。

けれど今夜。

決勝へ進んだのは。

神が決めなかった夜に。

神話そのものとして。

最後まで流れ続けた国だった。


第24章 城を飲み込んだ神話 了

ここまで読んでいただき、ありがとうございます。

続きが気になった方は、スキやフォローで応援していただけると励みになります。

次回も、敗者たちの控え室から大会の続きを見届けます。


続き・前回はこちら

前回:#23|メッシとケインの外側で|イングランド vs アルゼンチン

次回:#25|城は、まだ座らない|イングランド、3位決定戦へ


いいなと思ったら応援しよう!

この記事が参加している募集