【ウェビナー開催レポート】建設ネイチャーポジティブ時代の国土資本マネジメント
国際社会経済研究所(IISE)の篠崎です 。2025年10月29日に、IISEウェビナー「建設ネイチャーポジティブ時代の国土資本マネジメント 〜グリーンインフラの実装と官民連携のファイナンスデザインとは〜」を開催しました 。
今回は2025年9月20日に『建設ネイチャーポジティブ これからの土木・建築ビジネスの必須教養』 を上梓された、国立研究開発法人 土木研究所の中村圭吾氏をお招きしました 。
世界的に「ネイチャーポジティブ(自然再興)」の潮流が加速する中、土地利用と密接に関わる建設・インフラ分野は、生物多様性の損失に影響を与える主要セクターの一つであると同時に、自然を回復させる大きなビジネス機会を持つ分野としても注目されています。
本ウェビナーでは、中村氏のご講演内容を軸に、国内外の先進的な取り組みや、それを社会実装するためのファイナンス手法、そして未来のインフラ管理のあり方について議論しました。当日の講演と活発に行われたQ&Aセッションの模様の一部をお届けします。
また、記事の後半に、当日の模様の動画アーカイブもございます。
ネイチャーポジティブの背景(IISE篠崎)
ウェビナーの冒頭で、私(IISE篠崎)から「なぜ今、建設分野でネイチャーポジティブが注目されているのか」について、背景となる国際的な動向を解説しました。

私たちの社会や経済は「自然資本」という基盤の上に成り立っていますが 、その基盤が世界的に急速に劣化していることが、深刻な経済リスクとして認識されています 。世界経済フォーラム(WEF)のグローバルリスクレポート2025年版でも、長期的なリスクの第2位に「生物多様性の損失と生態系の崩壊」が挙げられています 。
この危機的状況を打開する世界目標が「ネイチャーポジティブ」、すなわち「2030年までに自然の損失を止め、反転させる」ことです 。
この目標達成のため、2022年の生物多様性COP15で採択された「昆明・モントリオール生物多様性枠組み」では、ターゲット15として企業や金融機関に自然関連の情報開示を求めることが盛り込まれました 。
この情報開示の具体的なフレームワークが「TNFD(自然関連財務情報開示タスクフォース)」です 。TNFDは、企業活動と自然との関係性(依存・インパクト・リスク・機会)を「見える化」し 、投資家がそれを評価できるようにすることで、お金の流れを自然にマイナスなものからプラスなものへと変えていくことを目指しています 。

注目すべきは、このTNFDに対応することを宣言した「TNFD Adopter」の数が、日本が世界最多の208社(2025年10月27日時点)であることです 。
その中でも、「インフラ」セクターは金融に次いで2番目にアダプター数が多く 、建設・不動産・電力など31社が名を連ねています 。
この背景には、WEFのレポートで「インフラと建築」が生物多様性損失の最大29%の原因となりうる と指摘される一方で、この分野のネイチャーポジティブ化は世界で約450兆円 、日本国内だけでも約47兆円(2030年時点、環境省推計) の巨大なビジネス機会を生むと試算されていることがあります 。
講演:建設ネイチャーポジティブ(中村圭吾氏)
続いて、中村圭吾氏より、著書のタイトルでもある「建設ネイチャーポジティブ」をテーマに、国内外の最新動向と今後の展望についてご講演いただきました 。
これからのインフラの考え方「グリーンインフラ」
ネイチャーポジティブな建設・インフラを考える上での中心的概念が「グリーンインフラ」です 。グリーンインフラは「自然の多様な機能を生かしたインフラ整備」であり、「防災(社会)」 、「自然再生(環境)」 、「金融・にぎわい(経済)」 の3つの側面を統合的に捉え、インフラ整備によって多様な便益を生み出そうとする考え方です 。
中村氏が、部会長をつとめるグリーンインフラ官民連携プラットフォームの技術部会では、グリーンインフラの主要機能として以下の6つが挙げられています:
都市浸水対策
猛暑対策
生物多様性保全
温室効果ガス削減
健康増進
地域経済振興
また、中村氏は「グリーンには『もの』と『考え方』があると指摘します 。

グリーン(もの):防災調整池をビオトープとして機能させる 、開発後に緑地を増やす など、物理的に緑や自然を増やすアプローチ。
グリーン(考え方):見た目は従来のコンクリート(グレーインフラ)でも、自然を壊さないルート選定 や工法を採用する 、環境負荷を極力減らす設計にする アプローチ。
建設分野においては、この「考え方」としてのグリーンインフラも非常に重要であると強調されました 。
グリーンインフラの「考え方」が生かされている事例
・吉野川サンライズ大橋 | 土木学会デザイン賞
先進事例:英国の「生物多様性ネットゲイン(BNG)」政策
ネイチャーポジティブを政策として実装する世界の最先端事例として、英国の「生物多様性ネットゲイン(BNG)」が紹介されました 。
英国では2021年に成立した環境法に基づき、2024年2月から、開発事業者は開発前と比べて生物多様性を10%以上増加させること(純増=ネットゲイン)が法的に義務化されました 。
この「+10%」を達成する方法は、以下の3つが用意されています 。
オンサイト:開発現場(敷地内)で自然を再生・創出する
オフサイト:別の場所で創出された生物多様性の価値を購入する(例:ハビタットバンク)
法定クレジット:政府が用意したクレジットを購入する(最後の手段)
重要なのは、その評価方法である「生物多様性メトリック」 です。これは、生物の「種」ではなく、生物がすむ場所である「生息場」を評価対象としています 。
生物多様性ユニット = 生息場(面積) × 質
この計算式に基づき、開発前(100ユニット)と開発後(例:115ユニット)を比較し、10%(=110ユニット)以上になっていれば開発が許可されます。
クレジット購入よりもオンサイトでの達成が最もコストが安くなるよう設計されており 、事業者に自然再生技術の向上を促す強力なインセンティブとなっています 。
生物多様性メトリックについての参考情報
イングランドにおける生物多様性ネットゲイン(BNG)政策と その影響について(中村圭吾 著)| リバーフロント研究所報告 第 33 号 2022 年 9 月
日本のトップランナー:データと技術が支える「川づくり」
英国が強力な「規制」で進める一方、日本でも先進的な取り組みが進んでいる分野として、中村氏は自らの専門でもある「川づくり」を挙げました 。
国土交通省は2024年5月、「ネイチャーポジティブを実現する川づくり」を進める提言を発表 。その最大のポイントは、英国のBNGと同様に、「生物の生息・生育・繁殖の場」(=生息場)を河川環境の「定量的目標」として設定することです 。
例えば、多摩川では河口部の「干潟」を現状の11haから18haへ、「自然裸地(河原など)」を152haから164haへ増やす、といった目標が具体的に法定計画に書き込まれつつあります (参考:多摩川水系河川整備計画(変更)河川環境における目標設定の考え方|令和7年7月13日 国土交通省 京浜河川事務所)
こうした定量的な管理が可能になった背景には、日本の河川行政が持つ強力な「データ基盤」があります。
生物データ:1990年代から続く「河川水辺の国勢調査」による30年以上の生物データ蓄積 。
生息場データ:「河川環境管理シート」により、国が管理する109水系全ての生息場の状況が1kmメッシュでデータベース化されている 。
地形データ:「グリーンレーザ(ALB)」と呼ばれる航空測量技術で、陸上だけでなく高精細な水中の3次元地形データも多く整備されている

さらに、生物調査のイノベーションとして「環境DNA」技術(バケツ一杯の水から生息する生物種を特定する技術)が令和8年(2026年)から国交省で公式採用される予定であり 、生物データの解像度が劇的に向上することも紹介されました 。
「国土資本マネジメント」への転換とファイナンス
最後に、こうした取り組みを川だけでなく流域全体、さらには国土全体へと広げていくための課題として、「ファイナンス」 と「発想の転換」が挙げられました。
流域全体の環境保全活動には多様な資金調達(グリーンファイナンス)が必要であり、グリーンボンド 、カーボンクレジット(特にJブルーカーボン ) 、企業版ふるさと納税 、クラウドファンディング 、PFS/SIB(成果連動型民間委託) 、そして将来的には「生物多様性クレジット/ネイチャークレジット」 などの活用が模索されています 。
紹介事例:
Jブルーカーボン :「ブルーカーボン」は、海草・海藻など海洋生態系によるCO2吸収を指すクレジットです 。日本の「Jブルークレジット」は、再エネ等のクレジットに比べて極めて高値(1トンあたり数万円レベル)で取引されることもある、世界的に見てもユニークな事例 。
ナミノバ(福井県・九頭竜川): 福井県永平寺町では、カヤック競技の練習場所「ナミノバ」を整備するにあたり、クラウドファンディングを活用しました 。約300万円の支援を集め 、最終的に民間資金のみで河川工事(水辺整備)を実施 。この場所は現在、ジャパンカップ(世界大会予選)が開催されるなど、地域のにぎわい創出拠点となっています 。

中村氏は、これからの建設・インフラ分野に求められるのは、橋やトンネルといった「人工資本」の維持管理(インフラメンテ) だけでなく、それらが立脚する「自然資本」と統合的に管理する「国土資本マネジメント」 への発想の転換であると締めくくりました 。
Q&Aセッション
当日は、参加者の皆様から多数のご質問をいただき、活発な議論が交わされました。その一部をご紹介します。
Q1. なぜ英国で、生物多様性を重視した法整備(BNG義務化)がこれほど強力に進んだのでしょうか?
A1.(中村氏) 背景は複合的ですが、主に4点あると考えています。
高い環境意識:欧州西側諸国はもともと環境への意識が日本よりも総じて高い土壌があります 。
強い危機感:英国は産業革命以降の開発で、生物多様性が既にかなり失われているという強い危機感があります 。
高い開発圧力:日本とは異なり現在も人口が増加しており、開発圧力が非常に高いため、強い規制が必要とされました 。
技術的蓄積と金融力:BNGを支える「生物多様性メトリック」のような評価手法が、何十年もかけて研究・蓄積されてきました 。また、金融が強い国であり、これを新たなビジネスイニシアチブとして捉える側面もあると思います 。
Q2. Jブルーカーボン(海洋でのCO2吸収クレジット)が高価な要因は何でしょうか?
A2.(中村氏) 明確な答えは難しいですが、購入者アンケートなどを見ると「地元(地域)に貢献したい」という動機が非常に強いようです 。 また、単なるCO2吸収(カーボン)だけでなく、藻場の再生による「生態系の改善」といった多様な価値(コベネフィット)が評価され、価格に反映されているのではないかと思います 。
Q3. 河川の定量目標(生息場の面積)は、何を根拠に設定されているのでしょうか?河川ごとに絶対値の持つ意味は変わってくるように思います。
A3.(中村氏) まず、河川ごとに「こういう生物(象徴種など)を増やしたい」という目標があります 。その生物が生息するために必要な「生息場(例:ヨシ原、河原)」はどのくらいかを考え、予算や事業量との兼ね合いも考慮して、それを定量目標として設定しています。 ご質問の通り、河川ごとに大きさもかなり異なるので、「河川ごとに絶対値の持つ意味は変わってきます」 。
Q4. グリーンインフラの分野で、PFS/SIB(成果連動型民間委託)は今後行われるのでしょうか?
A4.(中村氏) PFS/SIBは、日本では福祉や医療分野での活用が先行しています 。まちづくり分野でも前橋市の例などが出始めています 。 ただ、自然環境事業は、ボンド(債券)を発行するほどの大きな事業規模(数百億円単位)にならないケースも多く、そのまま適用するのは難しいかもしれません 。 しかし、例えば「治水事業」だけではお金が集まらなくても、それに「生物多様性の改善」といったグリーンインフラのメニューを加えることで、民間投資家の関心が高まり、投資が集まりやすくなる、といった傾向はあります 。これは世界的な傾向です。
動画アーカイブ
本ウェビナーの全編は、以下のリンクからご覧いただけます。
編集後記
建設・インフラ分野は、WEFのレポートが示すように「生物多様性損失の主要因」 であるという側面と、環境省の試算が示すように「ネイチャーポジティブ経済移行というビジネス機会」 であるという側面を併せ持っています。
この転換を加速させる鍵こそ、中村氏のご講演にもあった「データ」と、それを社会実装するための「考え方」です。自然環境に関するデータ基盤が整備され、日々進化するAIなどのデジタル技術の恩恵を享受できるようになること、いわば「環境情報化」とも呼べる大きな波が来ていると感じます。
企業の目線で見れば、この「環境情報化」とは、単にTNFDなどの規制に対応するために環境データを整理することではありません。それは、データを「企業価値と競争力に直結する情報」へと昇華させることです。
「考え方」とは、生の「データ」から、特定の「目的や目標」(=ネイチャーポジティブの達成やWell-beingの向上)に向けた「意味のある情報」へと変換する羅針盤(らしんばん)とも言えます。この「データ」と「考え方」を両輪とし、社会システムに実装していくプロセスこそ、「環境情報化」という大きな波です。
この波を捉える上で、中村氏が紹介された日本の「川づくり」の先進性は、大きな示唆を与えてくれます。生命の源ともいえる水を循環させる河川において、日本が30年以上にわたり蓄積した「河川水辺の国勢調査」や、「河川環境管理シート」、「グリーンレーザ」による3次元地形データといったデータ基盤は、まさに「国土資本」の一部です。この強みは、今後グローバルなネイチャーポジティブ市場において、大きなビジネス機会の源泉となることを感じました。
この「環境情報化」が最終的に生み出す「価値」とは何でしょうか。IISEが開催協力した「【イベント】 well-beingを高めるグリーンインフラ×スマートシティのあり方とは」でも、グリーンインフラが私たちのWell-being(幸福)にどう貢献するのか、という点が議論されました。
中村氏が最後に提唱された「国土資本マネジメント」とは、従来の「人工資本」(インフラ)の管理に留まらず、「自然資本」(生態系)や「社会資本」(人間の幸福)をも統合し、そこから「自然・経済・社会の調和とWell-beingの向上」という新しい価値を生み出していく、未来への羅針盤に他なりません。まさに、「インフラメンテから国土資本マネジメントへ」という発想の転換が、これからの時代に不可欠であることを痛感しました。
次回のIISEウェビナーのご案内
そして今、この「環境情報化」は、公共以上に、企業に求められています。TNFDへの対応もその一つです。企業は今、自らの事業地だけでなく、サプライチェーン全体において、サプライヤ情報や環境負荷データを統合し、調達の意思決定を最適化する「サステナブル調達」の実現への取り組みの重要性が一層高まっています。
IISEでは、この「サプライチェーンサステナビリティ経営」をテーマに、次回のウェビナーを開催します。
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最後に
今後もIISEは、ネイチャーポジティブ経済に向けたICTの可能性についてnote記事やイベント開催などを通して情報発信・対話を続けてまいります。是非、IISEおよび以下、環境のnoteのマガジンをフォローいただけますと幸いです。
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