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宵闇の魔法使いと薄明の王女34 1章:7話;鈍色空と忘れ草(3)


 7話:鈍色空と忘れ草(3)


 どこをどう走っているのか、自分でも分からない。

 ジルファリアはただ足を前へ前へと走らせた。
 色々な思考と感情が混ざり合い、自分でもどうしたらいいのか分からなかった。

 (母ちゃんの分からずや!なんでオレの気持ちを分かってくれねぇんだ)
 心の中では母への恨み言をずっと繰り返していた。

 ジルファリアはアドレが何故あそこまでアカデミーへ行くことを反対するのか理解できなかった。
 きちんと自分の考えを伝えれば、きっと応援して送り出してくれると思っていたのだ。

 大きな瞳からはぼろぼろと涙が溢れてくる。
 それを拭うこともせず、ジルファリアはひたすら走り続けた。

 やがて息が上がり、口の中に血の味が滲んできた頃、

 「あれ……」

 気がつけば、見覚えのない場所に出て来ていた。
 薄ぼんやりと仄かに光る提灯がいくつか木からぶら下がっているそこは、小さな広場のような場所だった。

 「こんなところ、セレニスにあったっけ……」
 というよりも、ここはどこなのだ。
 ジルファリアは辺りをきょろきょろと見回した。

 少なくとも職人街ではなさそうだ。
 鬱蒼とした木々が立ち並び、暗い森が背後に広がっている。
 周りに家屋らしき建物は見えず、木々からぶら下がる提灯が風に吹かれながら揺れているだけだった。
 提灯の色が紫色や朱色など、あまり見たことのない色の取り合わせが珍しく、またぼんやりと光る様がどこか幻想的であった。

 提灯の下には小さなベンチが置かれており、走り疲れてくたびれたジルファリアは腰掛けることにした。

 日はとっぷりと暮れ、提灯の光以外は真っ暗闇だった。
 木々の葉が風でざわざわと音を鳴らし、まるでそこにいる者を飲み込んでしまいそうだった。
 その上聞いたことのない鳥の鳴き声が突如響き、ジルファリアは身を固くする。

 母とのやり取りで沸き上がった様々な感情に、今度は恐怖までもが加わり、ジルファリアは膝を抱えてベンチの上で蹲った。
 家へ帰りたい気持ちと、帰りたくない反抗心がせめぎ合った。

 そして風の音で目をぎゅっと瞑った時のことだった。

 「こんばんは」

 なんとも呑気な挨拶が聞こえてきたのである。
 顔を上げると、いつの間にそこにいたのだろう、黒い礼服のようなものを纏った男が立っていた。

 男は外套を羽織り、手に握った蝙蝠傘を杖のようについている。
 背が高く体格もしっかりとしており、まるでラバードのようだと思った。
 ジルファリアが身を硬くしていると、ふっふっふと愉快そうに笑いながら踊るようにこちらへ近づいて来た。

 「あぁ、すまない。知らない大人が急に近づいては怖がらせてしまうかな」
 そう呟くと、少し離れたところで立ち止まる。
 遠目には気が付かなかったが、岩のような強面がにこにこと楽しそうに笑っており人懐こい表情を浮かべていた。

 ジルファリアはひと目見て、何故だかこの紳士をとても好きだと感じた。

 紳士の年齢はパドより少し上くらいだろうか。
 こめかみあたりには豊かに生えた黒髪が天に向かってつんつんと跳ねていたが、頭頂部だけがつるりと禿げ上がっており、年齢が読みづらい。

 「君は、こんなところで何をしているのだね?」
 離れたところから紳士が首を傾げて訊ねる。

 「もう日も暮れているし、子どもが一人で出歩くには少々危険だ。私が家まで送ろうか?」
「……いやだ」
 男の声がとても温かく優しかったので、ほっとしたのも束の間、すぐに母への反抗心を顕にした。
 そしてぶんぶんと首を横に振る。
「帰りたくない」
「おや、何故だね?」
「……母ちゃんと、ケンカしたんだ」
 膝を抱えたままジルファリアが唇を尖らせる。
 なるほど、と呟いた紳士は「内容を聞いても?」と続けた。

 誰かに聞いて欲しかったのかもしれない。
 ジルファリアはこくりと頷くと先程のやり取りを話し始めた。

 「ふむふむ……、なるほど。アカデミーの入試に挑戦したいのに反対されているということだな」
 すっかり打ち解けた様子で、紳士はジルファリアの隣に腰掛けていた。
 ジルファリアが話す間は神妙な面持ちで耳を傾けていたが、彼が話し終えると今度は何やら考え込んでいる。

 「母ちゃん、オレや父ちゃんたちが何言っても、ダメだ認めないってそればっかりなんだ」
 しょげた様子でジルファリアが肩を落とす。

 「うむ……、これは私の想像でしかないが、きっとお母上は君のことが心配だからそんなことを言うのだろう」
「心配?」
 思わず紳士を見上げると、彼はこくりと頷いた。
「そりゃあそうだろう。魔法のことを何も知らない息子が、いきなり魔法の何もかもを教えてくれるアカデミーに入るんだとしたら、色々と不安が生じるものだよ」
 どこか楽しんでいるような表情で男が微笑む。
 そして芝居がかった身振り手振りで立ち上がって見せた。
「友だちはできるのだろうか、そもそも難しいと言われている魔法の勉強に付いていけるのか。落ちこぼれたりして子どもが傷ついたらどうしよう……」
「そんなの、ただの想像でしかないじゃん」
 ジルファリアの言葉に動きを止めにこりと頷く。そしてまた隣に座った。
「そうだ、ただの想像なのだよ。でも、そういった不安の先取りのようなことを時折してしまうのが親なのだ」
「何だそれ」
「だから君のお母上は、自分が不安になるような状況を遠ざけようとしたのではないかな?」
「むー、よく分からないぞ」
「そうだな、君はまだ守られる側だから分からなくて当たり前だ」
 彼がふっふっふ、とまた愉快そうな顔で笑った。
「……おじさんにも、子どもがいるのか?」
 そんな問いかけに、男は首をわずかに傾げた。
「うむ……、本当の子どもはおらんが、子どものように可愛がっている子はいるよ」
「ふぅん。じゃあやっぱり心配したり、不安の……さきどり?ってやつをしたりすんのか」
「まぁ、できる限りその子の望む事は応援したいが、これがなかなか難しい」
 そう言って、手に持っていた蝙蝠傘でトントンと自分の肩を叩く。
「だから君のお母上の気持ちも分からんではないな。頑ななのは、それだけ君が大切だからなのだよ」
「かたくな……?」
 難しい言葉使いにジルファリアが首を傾げると、紳士は言葉を濁した。
「……頑固、という事だな」
「確かに!母ちゃんすげぇ頑固だ!」
 ジルファリアがそう返すと、紳士がブハッと豪快に吹き出した。
 つられてジルファリアも吹き出す。

 それだけでジルファリアは不思議と温かな気持ちになってきた。
 この紳士には人を安心させてくれる__不思議な力があるように感じた。

 「さぁ、それでは中央通りまで送ろう」
 よっこいしょと立ち上がり、紳士がこちらに笑いかける。

 「あ、そうだ。ここはどこなんだ?」
 同じようにベンチから立ち上がったジルファリアが問う。男はまた楽しそうに肩を揺すりながら笑った。

 「学生街だよ。……この森の向こうが、アカデミーだ」

 そう言うと、背後の森を指差した。
 振り返ったジルファリアは、来た時よりもここが恐ろしいとは感じなかった。

 「君、名前は?」
 ジルファリアの背中に紳士が声をかける。

 「ジル……、ジルファリア=フォークスだ」




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