宵闇の魔法使いと薄明の王女35 1章:7話;鈍色空と忘れ草(4)
7話:鈍色空と忘れ草(4)
「フォークスという家名で気になっていたのだが」
学生街の石畳の小路を紳士と二人並んで歩いていると、紳士が顎に手を当てて神妙な顔をしていた。
「もしや、君のご実家はパン屋ではないかね?職人街のフォークス亭……」
その問いにジルファリアはすぐさま頷く。
すると紳士は瞳をキラキラとさせ、それは嬉しそうな顔をしたのだ。
「ほうほう、やはりか!クラケットがとても美味いと学生の間でも評判で」
「そうなのか?」
「こう見えて私も甘党でな、以前から気になっていたのだ」
母の焼き菓子を褒められ顔が綻ぶ。
「けど、学生の間でもって……、おじさんは一体何者なんだ?」
「ふふ、何者だと思うかね?」
目を細めてにこにこと笑うが、どうやら答えてくれる様子はないようだ。
落胆したジルファリアはこっそりと隣の男を見上げる。
彼は厳つい風貌で、一見すると山賊だか盗賊だと思ってしまうが、声色や話し方などから推測するととても育ちが良さそうな印象を受けた。
(貴族なのかな……)
そんなことを考えながら学生街の風景に目を遣る。
紫や朱色の提灯が学生街のシンボルなのだろうか、不規則ながらも所々に灯りを灯していた。
家屋や集合住宅地のような建物がひっそりと佇み、人の気配を感じないほど静かな街並みだった。
そして学生街というだけあって、古本屋や魔法書店などがとても目立つ。
尤もいまは店じまいしているため寂しい外観だったが。
いつも賑やかな職人街とは対照的で、ジルファリアはいまが現実的ではないような錯覚を起こした。
「さぁ、そろそろ中央通りに出るぞ」
そんな言葉に我に返ると、視線を前方に向ける。
突然視界が開け、真っ暗だったのがきらきらとした街並みに変わる。
中央通りでは、暖かな色をした橙色の街灯がそこかしこに灯っていた。
流石に昼間ほどの人通りはないが、夜の散歩を楽しむ者や外食帰りの家族連れなどが歩いていた。
急に見慣れた風景が現れたので、ジルファリアは面食らいながらもほっとする。
そして、光が灯る街灯の並びを見ていると、あることに気がついた。
「なぁ、おじさん」
「うん?」
「……今日は、黄昏星が出てないんだな」
ぽつりと呟くと、紳士ははっと息を呑む。
__そうなのだ。
先程の学生街にしたって、普段は黄昏星の光がそこいらに漂っているはずだったのだ。
日が落ちる黄昏時から明け方にあたる薄明の刻まで、ウルファスの黄昏星が守ってくれているはずなのに、今夜はそれがない。
「ウルファスさまに、何かあったのかな」
その時冷たい風がひと吹きし、ジルファリアは自分の身を掻き抱いた。
ジルファリアは何の気なしに感じたことを発したつもりだったが、どうやら隣の紳士はそうではなかった。
「……ウルファス」
そう呟くと、王城の方に目を凝らしたのである。
「おじさん、ウルファスさまを知ってるのか?」
「悪いが、ジルファリア君。ここからは自分で帰れるかな?」
視線を王城から離さずに、男はそう訊ねる。
その表情は険しく、先程までの人懐こいものとは程遠かった。
「え……?う、うん。大丈夫だけど……」
「申し訳ない。少し用が出来たので、ここで失礼させていただくよ」
紳士はそう言い残すと、中央通りの先へと足を踏み出したのだ。
「あっ!待って、おじさん!」
ジルファリアが咄嗟に呼び止めると、彼がこちらを振り返る。
「おじさん、……名前は?」
深い意味はなかった。
ただ、名前を聞いておきたいと思ったのだ。
またきっと彼と会うことになると、直感したのかもしれない。
俯いた紳士は一瞬考えた後、こちらに温かな微笑みを向けて告げた。
「……宵闇」
一瞬聞き取れず首を傾げたが、彼はもう一度はっきりと言った。
「宵闇の、魔法使いだ」
+++
“宵闇の魔法使い“と名乗った紳士と別れ、ジルファリアは中央通りを職人街の方へと横切るところだった。
中央通りの中心には王城から流れてくる水路が通っており、水の流れる音が静かに響いていた。
昼間は水遊びをする子ども達で賑わっているのに、夜はずいぶん静かだとジルファリアは寂しく感じた。
「宵闇の魔法使い、か」
先ほどの言葉を反芻し、ジルファリアが水路に置かれた飛び石を軽やかに跳ぶ。
(そう名乗ったからには、あのおじさんも魔法使いなんだろうな)
穏やかな笑顔で、母との喧嘩のことをずっと聞いてくれていたあの紳士を思い出し、ジルファリアはまた会いたいなと思っていた。
(……それに)
ウルファスのことも知っているようだった。
飛び石から反対側の通路に飛び降りると、ジルファリアは立ち止まる。
もう一度空を仰ぎ見ると、夜空に星々は瞬いていたが、国中を漂っているはずの黄昏星は少しも見えなかった。
「ウルファスさま、大丈夫かな」
その時、木枯らしのような冷たい風が吹き、ジルファリアは身を竦める。
「……痛っ」
そして突然、びりびりと痺れるような痛みが首筋を走ったのである。
思わず首筋に手を当てたが、特に怪我をした様子もない。
ジルファリアは、つい最近もこれと同じ痛みを経験したことを思い出した。
(そうだ、マリアが連れてかれた時に会ったアイツ……)
脳裏に過ぎる、あの不気味な枯れ木のような風貌。
口元を覆う覆面から聞こえた金属音のような声。
ジルファリアはゾッとした。
それだけではない。
何か得体の知れないものが、身体の周りを這いずり回るような嫌な感覚が纏わりついて離れなかった。
(何かが、どこかで起こってる)
__いや、どこかではない。
「王宮だ」
そう感じずにはいられなかった。
そして、それはきっと彼女にとっての有事なのだ。
自分に出来ることなど、無いに等しい。
足手纏いに違いない。
__それでも何かしたい。
気がつけばジルファリアは駆け出していた。
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