素通りできない言葉たち|不健全な文化の趣(ミッツ・マングローブ)
日々様々な文章に触れている中で、不意に、自分の中の隅っこにこっそりと置いとかれていたものに気付かされるような言葉に出会い、心を持っていかれることがある。
それを素通りせずに、自分が何を感じたのか、どんなことを表現したかったのか、言語化していこうという試み。
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今日はミッツ・マングローブさんがピーコさんへ追悼の言葉を寄せられた記事から。
ゲイ、バイ、トランスなどLGBTQに関する言葉が日常的な存在になりつつある中で、失われていくものについて言及したこちらの文章。
これまでの同性愛者をはじめとするマイノリティー差別をなくすという点において、当然この風潮は良い流れと言えるでしょう。一方で、否定された先にある屈折した人格が作り出す不健全な文化の趣というのも、個人的には「捨てがたい」ものであり、それがこの先どんどん少なくなっていくと思うと、どこか一抹の寂しさを覚えます。
この文章を読んだとき、自分の中に強い”共感”が生まれたことをことを感じた。何がそんなに自分の中で響いたのか。
まず思ったのは、多様性が受け入れられている世の中は当然”良いもの”と認識されている中で、「本当にそれだけなのか?」という自分の中にあった違和感をするすると言語化してもらったような、どこか救われた感覚があった。
多様性を受け入れるということは、今や社会・会社・学校などあらゆる場所や国で共通の価値観として認識されており、ミッツさんが書いている通り、差別をなくすという点において、これは良い流れだろう。
一方で「みんなが思う良いこと」のカテゴリに入った途端、その概念に対する自分のなりの理解や思考を停止する感覚があり、ネガティブな面に目を向ける機会はほとんどなくなる。また、もしあったとしても、絶対善を目の前にして、それを言語化する恐怖が次に出てくる。
そんな中で今回のミッツさんの文章は、それによって失われるものとミッツさんご自身の感情が丁寧に(そしておそらく的確に)表現されており、一気に愛すべき存在が不在になることへの寂しさ(=共感)を痛感させられた。
共感と同時に感じたのは、その表現力への感動だ。
得られるもの・失われるもの、そのどちらも否定せずにそこに存在しているものとして(不要で冗長な説明はなしで)表現されていることに、「あぁ、私もこんな文章が書けるようになりたい。」と力が抜けた。
ミッツさんの文章を読むのは初めてだったが、引用以外の文章含め、本当に頭の良い人なんだなと、読めば読むほどに感銘を受けた。
自分の中にある感情を表現する引き出しの多さと、それを客観的に見て選び出し、並べられる表現力。
気になった方は、ぜひ全文読んでみてください。
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