【怪談ショートショート集 怪怪談談】 ♯41『ムラサキ色の水中ボール』
♯41『ムラサキ色の水中ボール』
文字数:約2,270字
ある小学校で五年生のプールの授業が行われていた。
今季一回目ということもあり、まずはプールに慣れようという方針から、クラスのみんなで楽しく水遊びをするレクリエーションの時間となっている。
ブールサイドに立っている教師が水に沈む多面体の水中ボールをプールの各所に投げ込み、それを児童たちがよーいどんで追いかけて行ってプールの底からいち早く拾い上げるというゲームだ。
水中ボールには赤、青、黄色、緑、水色、ピンクなどの様々な色があり、それぞれに異なる得点が指定されている。たとえば、赤なら1点、青なら2点、黄色なら3点という具合だ。最も点数が高くなっているのは一番数が少ないピンク色の6点である。そのため、トップランカーを競い合う水泳が得意な児童たちは、先生がつぎつぎと投げ込んでいく水中ボールの色をよく見定め、低得点のボールには目もくれず、ピンクのボールを狙って追いかけていく。
幾度目かのゲームが開始される前に、水色のスイミングゴーグルを掛けた男の子が舌なめずりをする。現在の総合得点で首位を独走している彼には〝アクアマン〟という仇名がついていた。まわりから〝水の男〟と呼ばれるほどに泳ぎが大得意なのである。
水中ボールを投げ終わった先生が、ピッ!、と鳴らした笛の音で、プールの端に控えていた児童たちが一斉に泳ぎ出す。先頭をゆくのはアクアマンで、もちろん彼が狙っているのは、一番遠い地点に投げ込まれたピンク色の水中ボールだ。
他の追随を許さない華麗なクロールで水を掻き分けていき、投げ込まれた地点まで接近すると、息を止めて水の中へ潜る。イルカのようなドルフィンキックでぐんぐんとプールの底に近づいていき、沈んでいた水中ボールを手の中に収めた。
アクアマンが、浮上する前に、プールの底で一度手のひらを開き、獲得したボールを確認しなおす。
……これ、ピンク色じゃない。ムラサキ色だ。
これまで何度も手にしてきたピンクの水中ボールとは、あきらかに色合いが違った。青みを帯びてくすんでいるムラサキ色をしているのだ。こんな色の水中ボールなど見覚えがなく、無いはずの色だった。
とりあえず、浮上してみんなに知らせようと、アクアマンは、真上に向かってプールの底を両足で蹴り、太陽の光がゆらゆら揺れている水面を目指す。
「ムラサキ色のボールが――……あれ?」
水上へ頭を出すなりスタート地点に向けて手を振ったのだが、誰も居ないのだ。
プールの中で一緒に泳いでいた児童たちも、プールサイドに座って見学していた児童たちも、そして、先生までも、自分以外の全員が居なくなっている。プールの中でグルっと一周まわって見ても、プールの敷地内に人影は見当たらない。
「おーい……先生? みんな? どこ?」
クラス全員でドッキリを仕掛けてきたのかと思いながらプールサイドに上がると、様子がおかしいことにアクアマンは気づいた。
恐ろしいまでに静かなのだ。
あれだけやかましく鳴いていたセミの音も、音楽室から聞こえていたピアノと合唱も、町の中から聞こえていた工事の喧騒も、そのすべてが消えて、静まり返っている。プールサイドをヒタヒタと歩く自分の足音しか聞こえてこない。人の気配がまるで無いのである。
「ここは異次元の空間なんだ」
元の世界にはやく帰らねばとアクアマンは焦った。
でもどうやって?
それまでずっと握りしめていた右手の力を抜いて、ゆっくり開く。
「これが原因なら……」
プールの底に沈んでいたムラサキ色の水中ボールを拾い、水面に浮上していたら皆が消えていた。
もう一度沈めて、同じように拾い上げて浮上したら、戻れるのではないか。
思い浮かんだ瞬間にはもうプールサイドから放り投げていた。
ムラサキ色の水中ボールは、先生が投げ入れていたのと大体同じ場所に着水。
ひたいに乗せていたスイミングゴーグルを付け直し、プールの中に入るとクロールで向かっていく。
沈んだ地点が迫ると潜り、プールの底に沈んでいるムラサキ色のボールを目掛けてまっしぐら。
ぎゅっと握りしめて、両足で底をひと蹴りにし、急浮上。
水面から頭を出す。
「あっ!? アクアマンが居たよ、先生!」
と、指を差し向けて声を上げたのは、プールサイドで見学していた児童だった。
消えていたクラスメイトたちと先生がプールサイドのところに集まっている。
服を来たまま水を頭から被ったようにびしょ濡れになっていた先生が大声で叫ぶ。
「どこ行ってたんだよ。みんなで探し回ってたんだぞ!?」
◯
その後、アクアマンは先生と児童たちに事情を説明して聞かせた。
ムラサキ色の水中ボールを見つけて浮上したら、みんなが消えてしまっていた、と。
しかし証拠を見せようと手のひらを開き見せたとき、彼の手の中にあったのは、ピンク色の水中ボールだった。
アクアマンはそれでも「このピンクのボールはもう二度と使わないで」と必死で訴えた。
先生は半信半疑ながらも、他の児童が怖がっていたこともあり、処分することにしてズボンのポケットにしまった……のだが、先生が気づいたときには、そのピンクの水中ボールはポケットから消えてしまっていたという。
(了)
