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#11「何も起きない」という究極の成果を求めて

​蛇口をひねれば水が出る。道路に穴はない。停電はめったに起きず、電車は時刻通りに発着する。そんな「当たり前」が維持されているとき、社会インフラの存在は忘れ去られていないか。公民連携の現場に限らず、インフラ運営の現場において、最大の成果とは「何も起きないこと」に他ならない。しかし、その静寂を創り出す裏側には、様々な葛藤がある。「成果が出るほど存在が消えていく」という矛盾の中で、公民連携の実務者たちは何を思い、どこに誇りを見出しているのだろうか。


公民連携の本質は、単なる安価な業務代行ではなく、行政と民間という異なる論理を持つ組織が、一つの地域の未来を共に守り抜くという高度な共生関係だ。しかし、この連携が深化し、現場が理想的な「凪(なぎ)」の状態に近づくほど、民間側には言葉にしがたい「割り切れなさ」が蓄積する。

1. 「過去の否定」という地雷

公民連携によってパフォーマンスが向上した際、民間が最も配慮すべきは「手柄の語り方」だ。効率化や改善を声高に主張することは、暗に「公共単独時代」のやり方を否定し、パートナーである行政担当者の面子を傷つけるリスクを孕む。

私たちは、「改善」という言葉を慎重に「時代の要請に合わせた進化」へと置き換えなければならない。行政が長年守ってきた現場の知恵を尊重しつつ、それを次世代へ繋ぐための「英断」を支える黒衣としての立ち位置を貫く。それが、信頼関係の絶対条件だ。

​2. 「トラブルゼロ」が価値を隠す皮肉

インフラに関わる公民​連携の価値が理解されにくい理由は、公営時代も民間参入後も、体感的なトラブル発生率が「ほぼゼロ」で変わらないという事実にもある。市民からすれば、運営主体が変わっても「何も起きない」という結果は同じであり、そこにサービス向上といった変化を感じる余地はほとんどない。

しかし、この変わらぬ「ゼロ」を維持するために、不具合を先回りした適切な工事計画の検討や、深夜に警報一つで現場へ駆けつけ、人知れずトラブルを抑え込む「静かな出動」が繰り返されている。もともと高い合格点を取り続けてきた日本のインフラにおいて、その水準を維持し続けることの凄みは、結果が変わらないがゆえに、かえって透明化してしまうという矛盾を抱えているのだ。

​3. 要求水準の「行間」を埋める専門性の共有

​公民連携は「要求水準書」という契約によって規定されるが、その行間を埋める民間からの自発的な協力なくしては、円滑な事業運営は立ち行かない。民間が現場で培ったノウハウを惜しみなく提供し、公共側の意思決定を技術的・専門的な側面から支える。こうした「知の共有」は、契約上の義務を超えたパートナーシップの証だ。

議会などの場で、どのような価値が事業で生まれているのかを公共側が自信を持って説明できるよう、条文の範囲に留まらず、裏側で客観的なデータや専門的な知見を整理し、提供し続ける。こうした「公共のマネジメント能力を補完し、共に高めていく献身」こそが、インフラの強靭さを支える真の基盤となる。

​4. 求められる「無関心」を支える想像力

前述の通り、​最大のジレンマは、これら全ての苦闘が、一般市民にとっては「当たり前の背景」に過ぎないという点にある。体感的な変化がない以上、民間がどれほど心血を注いでも、市民の感謝が私たちに直接届くことは稀だろう。

しかし、耐え忍ぶだけでは、インフラを支える「人」の情熱はやがて枯渇してしまう。私たちが真に願うのは派手な賞賛ではない。当たり前の日常の裏側に、過去を敬いながら未来を案じ、時には胃を痛めながら凪を創り出している営みがあるという、市民側でのささやかな想像の共有なのだ。

​公民連携を「社会の共有資産」へ

​公民連携の成功は、民間側の手柄や忍耐だけで完結すべきものではない。その成果がどちらか一方に閉じることなく、地域全体の資産として理解される必要がある。

​過去を否定せず、凪の海を共に眺め、目に見えない信頼を積み上げていくこと。そして、その静かな営みを、市民が「街の誇り」として少しだけ意識してくれること。「公営でも民間でも変わらず安全である」という贅沢な日常を、孤独な忍耐ではなく、官民共同の誇りに変えられる社会へ向けて対話を諦めないことこそが、インフラを担う実務者の新たなミッションであると、私は考える。


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