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#27 キャッチーな「反対論」に、地味すぎる「実務論」が勝てない理由

対象: 論点構造や議論の勝敗が気になる人
    ポピュリズムが心配な人
概要: キャッチーな反対論が広まりやすい
    構造的理由を考える話

選挙が近づいている。​「民営化反対!」という候補者の政策を目にするたびに、強烈な既視感を覚える。かつての、そして今も続く「原発反対」の論法と、その構造が驚くほど似ているからだ。

​誤解しないでほしいが、私はここで個別の政策の是非を論じたいわけではない。原発がいいとか、水道は民間に任せろとか、そういう話は別にしたくはない。

私が気になっているのは、議論の構造そのものだ。どうあがいても「正確な実務論」が「キャッチーな反対論」に勝てない、残酷なメカニズムが存在している。そこに注目している。

今日は、その構造的敗北の理由と、それでも現場の実務家が守ろうとしている「地味な正義」について、水道を例にとって書きたい。


​■ 「確率」を扱えない感情

​水道も原発も、反対論の精神的コアにあるのは「ゼロリスク信仰」だろう。

​・万が一、毒が入ったらどうするんだ?
・絶対に事故は起きないのか?
・本当にこの水質は安全と言えるのか

​この問いに対して、大多数の人間の感情は「Yes」か「No」の二択しか受け付けない。

「命にかかわるものに、1%でもリスクがあってはならない」という主張は、倫理的にあまりに正しく、そしてあまりに「キャッチー」だ。誰にでも瞬時に理解でき、直感的な恐怖を煽り、そして拡散される。

​一方で、我々のような実務家が現場で見ているのは、全く別の景色であり、「確率」と「期待値」で描かれる世界である。

・​トラブルは過去のデータから0.x%程度発生すると見積もり、そのリスクをキャッシュとして留保しておく
・保守点検の結果から交換が推奨されるが、予備機があるため、事後保全で対応する
・100%の安全確保は不可能だから、フェイルセーフ(多重防護)を組んで確率を上げる

​我々の言葉は常に「条件付き」であり、程度問題だ。許容可能なリスク水準を定め、それを超過しないよう、あらゆる活動に反映していく。

しかし、この実務的な正確さを口にした瞬間、勝負はついてしまう。

​・確実に安全だと言い切れないじゃないか!
・確率は低いが起きたらどうするんだ!
・2台同時に壊れるかもしれない!

​0.001%のリスクを認め、それをどう管理するかを誠実に語れば語るほど、感情の世界では「危険なものを推進する悪人」のレッテルを貼られる。

「確率」という概念は、人間の「不安」の前では無力化されるのだ。

​■ 「地味な契約書」vs「分かりやすい物語」

​反対論には「物語」がある。

「悪代官のような業者が、私たちの水を奪い、金儲けをする」

この勧善懲悪のストーリーは、水戸黄門のように分かりやすい。​対して、実務論には物語がない。あるのは、数百ページに及ぶ契約書類だけだ。

そこには、皆さんが心配するようなあらゆることを許さないための、退屈で、細かくて、がんじがらめなルール(要求水準)がびっしりと書かれている。

・​いつでも守らなければいけない水質項目と基準値
・異常があれば、たとえ深夜だろうが現場で対応しなければならない義務
・儲からないからと撤退するなら、莫大な違約金

​本当の安全は、雑踏に向けたスローガンの中ではなく、誰も読みたがらない分厚いファイルの中にしかない。

だが、「数百ページの契約書によって、リスクは適切に分担されており、それぞれの当事者により適切な手当がなされています」という言葉は、あまりに地味で、映えない。キャッチーさの欠片もない。

​だから、拡散されない。

​■ 「公共精神」という情熱の限界

​そしてもう一つ、最大の断絶がある。「水で金儲けをするな」という道徳的な反発だ。しかし、我々は冷徹な事実を直視しなければならない。

「公共精神」という情熱だけでは、インフラは維持できない。

​なぜなら、人間の情熱や善意は「枯渇する資源」だからだ。「市民のために」という公共の現場職員の献身は美しい。だが、それに依存しきったシステムは、職員の疲弊や自己犠牲の上にしか成り立たない。それはある種の「やりがい搾取」であり、人が変われば途絶えてしまう不安定なものだ。

​100年続くインフラを、個人の頑張りや善意に依存させることほど、リスク管理として脆弱なことはない。必要なのは、情熱がなくても、誰が担当しても、確実に回り続ける「システム」だ。​そこで登場するのが、嫌われ者の「利益」である。

​■ 「利益」は悪ではない

​実務家の視点はこうだ。

「利益という『欲望』があるからこそ、システムは自律的に動き続ける」

​企業は利益が欲しい。だからこそ、コストを下げようと技術革新(イノベーション)を起こすし、違約金で利益が吹っ飛ぶのを恐れて必死で契約を守る。

利益というエンジンがあるからこそ、外部からのエネルギー注入(税金での補填や職員の自己犠牲)なしに、自走し続けることができる。

​「利益を出すな」というのは、「効率化による余剰を作るな」「未来への投資をするな」と言っているにほぼ等しい。それは清貧などではなく、外部からのエネルギー供給なしに動き続ける永久機関の実現を信じることに近い。キツめの言葉で言えば、ただの「座して死ぬ」宣言だ。

​私は、「清貧な崩壊」よりも、「強欲な存続」を選びたい。子供たちにボロボロのインフラを残すより、たとえ企業が利益を得ていたとしても、健全に持続するシステムを残す方が誠実だと考えるからだ。

​■ 信頼への処方箋

​では、この大きすぎる断絶は埋まらないのか?実務家は「どうせ分かってもらえない」と、壁に向かって独り言をつぶやき続けるしかないのか?​私は、4つの方向性で相互理解を進めるしかないと考えている。

①「検証」の民主化

まず、「どうせ専門的なことは分からないだろう」と情報を出し惜しみするのをやめることだ。数百ページの契約書、事業計画書、業務報告書、日々の運転データ、トラブルのログ。これらをとにかく公開し続ける。「隠し事がない」という事実だけが、陰謀論に対する唯一で最強のワクチンになる。

②「覚悟」への翻訳

次は、確率で説くのをやめ、「覚悟」で語ることだ。「事故率は0.01%です」ではなく、「もし事故が起きたら、契約上、我々は全財産を失い、私は職を失います。そこまで自分たちを追い込む契約を結びました」と伝える。確率は目に見えないが、「相手が背負っているリスクの大きさ」は、感情を持つ人間なら直感的に理解できる。

③「同じ船」に乗る

さらに、最もシンプルな事実を伝えること。「私たちも、その家族も、この水を飲んで生きています」という事実である。

​提供する側(企業)と、される側(市民)が対立構造にあるから、「毒を盛られる」という被害妄想が生まれる。

「私もあなたと同じリスクの中にいて、同じ水を飲み、同じ不安を持ちながら、それでもプロとしてベストを尽くして管理している」。

そうした当事者性を、言葉にして伝えていくことだ。

④「不安に思う人」を当事者とする

最後に、効率は悪いが検討に値する方法がある。

強い賛否が固まる前に、不安に思う人を、説得の対象ではなく、最初から当事者として扱うという選択がある。具体的には、民間への発注プロセスの一部に、市民代表として関わる形をとる。

変えられない物理法則、予算、守るべき法令といった前提条件は正直に示したうえで、「何が不安か」「どこまでなら受け入れられるか」を言語化する。

この方法は、発注そのものを否定する立場の人を説得するためのものではない。それは仕様や運用ではなく、価値観の問題だからだ。この処方箋が向いているのは、その中間にいる人たちである。

不安や疑念はあるが、条件次第では前に進む余地がある層に、当事者として関わってもらうこと。社会の意思決定は、往々にしてこの中間層の納得によって支えられている。

■決して諦めない

​キャッチーな言葉に熱狂するのは気持ちがいい。

けれど、あなたの生活を足元で支えているのは、きっと誰にも読まれることのない、ワンフレーズでは表しきれない退屈で地味な実務の積み重ねだ。

​我々実務家はこれからも、情熱だけに頼らず、その退屈な「仕組み」と泥臭く戦い続ける。世界を本当に動かしているのは、キャッチーなスローガンではない。賞賛もいらない。ただ、明日も水が止まらなければ、それが我々の勝利だ。


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