#60 爪を1本ずつ切る社会
対象: 止められないシステムを動かしている人
概要: 部分最適や逐次対応の危うさの警鐘と
止めないことが真に誠意か?疑う話
最近、自分の指先でちょっとした実験を試みていた。
これまでは週末に「一斉に手足の指20本分の爪を切る」というバッチ処理をしていたのだが、それを「伸びた指、気になった指から、その都度切る」というオンデマンド方式に変えてみた。
爪は意外と指ごとに伸びが違う。だから、伸びた爪から切るというFIFO的(先伸び先切り方式)なマネジメントを適用することがベターなのではないか?という仮説に基づく実験だ。
理屈では、作業量は同じはずだった。20本をまとめて切るのも、1本ずつ20回に分けるのも、「刃を動かす回数」は変わらない。
しかし実際は、驚くほど落ち着かない。原因は明白だ。細切れに発生する作業のオーバーヘッドを甘く見ていた。
ライフサイクルコストの見積もり違い
爪の維持管理には、「切る」という直接作業以外のコストがある。爪切りを取り出し、照明を確保し、切った爪を片付ける。この段取りは、1本でも20本でもほとんど変わらない。
頻度を上げた瞬間、私の人生における爪切りのライフサイクルコストは跳ね上がった。部分最適が、全体最適を裏切る。この構図は、私の本業である上下水道インフラのアセットマネジメントとよく似ている。
心臓を止めずに外科手術
老朽化した処理場(プラント)を、いっそ全面的に更新できたらどれほど合理的だろう。しかし、現実はそれを許さない。浄水場も下水処理場も、24時間365日動き続ける。水は止められない。
私たちに許されているのは、稼働中の心臓を止めずに、行う外科手術だ。流れる水は止めずに、予備系列や仮設設備をうまく活用しながら、ポンプを入れ替え、沈殿池を補修し、制御盤を更新する。
そしてここから、「都度切り」の地獄が始まる。例えば、プラント内の一系統だけを停止して設備を更新する場合。事前の工程調整、一部停止中の負荷配分の検討、仮設ポンプの設置、夜間作業の人繰り。関係部署との調整会議、場合によっては住民説明、リスク評価。
更新対象がほんの一部であっても、その背後には同じだけの準備と緊張が発生する。本来なら、複数設備をまとめて停止し、一気に更新した方が合理的だ。しかし全面停止は許されない。結果として、私たちは設備を1台入れ替えるたびに、毎回プラント全体の神経を張り直している。
外側の社会的合意
アセットマネジメントの数学的なモデルを元に、可能な限りの一括施工を計画してみても、「止められない」という制約が消えない限り結論は大きく変わらない。もし状況を変えられるとすれば、それは技術ではなく社会的合意だ。
「計画停止を1日、あるいは数時間だけでも認めてほしい」
その一言が通るだけで、更新は面で行え、オーバーヘッドは大きく削減できる。だが実際には、停止という言葉は強い拒否反応を生む。止まらないことが前提になった社会では、止めることそのものが失敗の証のように扱われる。
いびつに伸びた爪
ふと、自分の手を見る。親指はあまり伸びていないのに、小指だけが妙に長い。人差し指は少し欠け、薬指は切りすぎた。一本ずつ気になったところを切ってきた結果、指ごとの伸び方に差が生まれ、全体のバランスが揃わなくなっている。
本来なら、ある時点で一度すべてを整えるべきだった。インフラも同じだ。散気装置は更新されたが、ブロワは旧式のまま。制御盤は新しいが、建屋は限界に近い。止められないという理由で、優先順位の高い部分から手を入れる。それ自体は合理的だ。だがその繰り返しは、設備群の「伸び」をばらばらにしていく。
インフラを止めないことはサービスを受ける方々に対しての、我々の責任ではある。けれど本当にそれは、未来に対しても誠実なのだろうか。
私の指先は、まだ揃っていない。
