#51 未来を食べる僕らと、明日のためのタガ
投票箱の前では「狩猟民族」
「減税」という言葉には、抗いがたい魔力があります。それは仕事帰りにふと手を伸ばしてしまう甘いスイーツのように、私たちの本能を直接揺さぶります。
一方で「財政の持続性」はどうでしょうか。それはまるで、10年後の健康のために毎日地味な筋トレを続けるような、退屈で手応えのない話に聞こえてしまいます。
なぜ、私たちはこれほどまでに「目先の利益」に弱いのか。行動経済学ではこれを「双曲割引」と呼ぶそうです。
遠い未来の大きな利益よりも、目の前の小さな利益を過剰に優先してしまう脳のクセ。太古の昔、明日の獲物より「今日の肉」を優先した者だけが生き残れた時代の名残です。
投票箱の前で、私たちは理知的な市民でありながら、飢えた狩猟民族に戻ってしまう。これが、民主主義というシステムにおいて気にしておかなければいけない「仕様」なのです。
宿主を殺すウイルスの命運
私はこれまで、長くインフラを守る仕事に携わってきました。
正直に言えば、一人のビジネスマンとして、大きな仕事を勝ち取り、利益を上げることは純粋に嬉しいことです。そして、いっときの給付金があれば、私だって喜んで受け取ります。しかし、組織の舵取りや数字の責任を背負う立場になった今、自分の中に拭えない恐怖があります。
それは、「宿主を殺してしまう、できの悪いウイルス」になってはいないかというものです。
短期的な利益のために、持続性のない場当たりの修繕で急場をしのいだり、改築を先延ばしにして将来へのツケにしたりして「数字上の帳尻」を合わせること。それは、社会という宿主を食い荒らし、結局は自分たちの居場所を失うことにつながりはしないか。
この「持続性」と「目先の利益」のズレは、何もインフラに限った話ではありません。財政も、教育も、そして私たち自身の人間関係さえも、同じ構造の危うさを抱えています。この絶望的なギャップを前に、できることは無いのでしょうか。
解決の右輪:仕組みで「タガ」をはめる
一つは、システムで自分たちに「タガ」をはめることです。
人間は本能的に誘惑に弱い。だからこそ、ギリシャ神話のオデュッセウスがセイレーンの歌声に負けないよう自らをマストに縛り付けたように、社会の根幹に関わる決定を「短期的な熱狂」から物理的に引き剥がす仕組みが必要です。
財政運営をチェックする独立した機関や、官民連携などの長期的な契約によって「未来への投資」をあらかじめ予約してしまうこと。それは人間を信じないからではなく、自分たちの「弱さ」を認めた上での、大人の知恵としての仕組みです。
解決の左輪:賢明な人を信じる
そしてもう一つの車輪は、それでも「人は想像力によって賢くなれる」と信じることです。
ここでいう賢さとは、難しい専門知識を持っていることではありません。「自分が去った後の世界が、今より少しだけマシであってほしい」と願う、ささやかな想像力のことです。
自分がこの世から去った後も、誰かがこの街で暮らし、誰かが蛇口を捻り、誰かが新しい未来を築いていく。その「誰か」のために、自分の代で全てを使い切らず、自分が受け取った社会よりも、少しだけ良い状態でタスキを渡す。その「ペイ・フォワード」の精神を子供達に伝えていくことこそが、理屈を超えて投票行動や社会の選択を変えていくのだと信じたいのです。
タスキを繋ぐということ
48歳。人生の後半戦に入り、思うことがあります。
若い頃は「勝つこと」や「奪うこと」に躍動感を感じていました。けれど今は、自分が去った後の静かな日常を守ること、そのための「持続可能な仕組み」を残すことの方が、ずっと価値があると感じています。
私たちは、すべての可能性を現在価値に引き直し最適なシナリオを構築する、完璧な賢者にはなれません。けれど、自分が「目先の利益に弱い、不完全な生き物である」と自覚できる程度には賢くなれます。
冷徹な「システム」で自分たちを縛りつつ、同時に、次世代を想う「想像力」という温かな意志を忘れない。その両輪でしか、この複雑な社会のハンドルは制御できない。しかし、その操作は決して楽ではないのです。
