#115 政府はなんとかしろという病
先日、サッカー日本代表がウェンブリーでイングランドを下した朝、SNSは熱狂に包まれていた。三笘の美しい一撃に沸き、「日本は強いのかも?」と誰もが興奮していた。
だが同じタイムラインを少しスクロールすると、別の興奮が溢れていることに気づく。ホルムズ海峡の封鎖が続き、石油由来製品が逼迫し、価格も上がり続けるなか、「政府はいったい何をやっているんだ」という憤慨の礫だ。
コメント欄で最も目立った声は、「親日国であるイランと交渉して、日本のタンカーだけでも通してもらえ」というものだった。「なぜ、個別に交渉をやらないんだ」「米国の犬か」と怒号が飛んでいた。
しかし、本邦の外相は「誰もが通れる状態を作ることが重要」として個別交渉を否定している。タイムラインには「安易な先送りか」「対米従属の無能な外交」という断罪が続く。
「政府はなんとかしろ」
原油が入って来ない、景気が悪い、物価が上がり続ける、全ては政府のせい。あるいは自分の将来が不安なのも、すべては政府の不手際のせい。この言葉を口にするだけで、私たちは一瞬にして「被害者」という安全地帯に逃げ込める。
サッカーの場合は私たちは観客でいい。チケットを買い、応援し、負けたら悔しがる。それで完結する。プレイヤーと観客は厳格に区別され、それでエンタメとして成立している。
だが、政治や行政は違う。試合の結果が、自分の給料や医療や子どもの教育に直接跳ね返ってくる。観客席にいるつもりでも、私たちはピッチの上に立っている。
それなのに私たちは、政治を観戦しがちだ。感情の回路が同じだからか、立ち位置の違いを意識した視点の切り替えが起きない。これを、私は「政府はなんとかしろという病」と呼びたい。
多くの人は、税金を行政サービスというエンターテインメントを楽しむためのチケット代だと勘違いしている節がある。「高い金を払っているんだから、もっと面白い試合を見せろ」「ミスをするな」と。
しかし、本来の民主主義は演者と観客がいるエンタメではない。全員参加のスポーツだ。税金はチケット代ではなく、自分たちが所属するクラブを維持するための運営費であり、ピッチを整え、ボールを買うための資金に過ぎない。
観客席や画面越しからは、俯瞰した状況がよく見える。だが、実際にピッチに降りてみると景色は一変する。相手の強いプレッシャーを受けながら、足元にボールを保持する。限られた視界で周辺状況を瞬時に把握し、最も期待値の高い選択を、呼吸を乱しながら連続的にし続ける。
現場は常に、あちらを立てればこちらが立たない「トレードオフ」の連続だ。100点満点の正解などどこにもない。あるのは、その瞬間に選び取れる「よりマシな選択肢」だけだ。
「政府はなんとかしろという病」が厄介なのは、このピッチの現実に対する解像度を遮断してしまうことにある。観客席に座り続けるほど、現実への想像力は失われ、結果に対する怒りだけが濃縮されていく。
今、タイムラインに最も欠けているのは、ピッチで戦っているプレイヤー、つまり、実務を担うプロフェッショナルたちへの敬意ではないだろうか。もちろん、政府や行政が完璧であるはずがない。批判が必要な場面も多々ある。しかし、安全な場所から人格を否定するような野次を飛ばし続けることは、建設的なフィードバックとは正反対の行為だ。
過剰なバッシングは、現場から挑戦する気持ちと判断の柔軟性を奪う。ミスを恐れたプレイヤーたちは、ただボールを回すだけの消極的なプレーに終始し、結果としてシステム全体が硬直していく。硬直したシステムのしわ寄せは、最終的に私たち自身に返ってくる。観客席からの野次は、巡り巡って自分たちが座る観客席の鉄柱を腐食させている。
だからこそ、プレイヤーに敬意を持つことは美徳ではなく戦略でもある。プロフェッショナルが背負っている重圧と、彼らが見ている現実に想像力を働かせること。相手を無能と切り捨てる前に、同じチームの一員としてリスペクトを持つこと。それができて初めて、批判は攻撃から意味を持つフィードバックに変わり、私たちは対話のスタートラインに立てる。
「政府はなんとかしろ」と叫ぶのは、もう終わりにしよう。野次はどれだけ大きくても、リザルトを動かしはしない。私たちがすべきなのは、安全な観客席から立ち上がり、ピッチへ向かうことだ。大きな政治を動かそうとすることだけがプレーではない。選挙に行くこと、職場の非効率を正すこと、隣人に手を貸すこと、地域のイベントに顔を出すこと。それぞれがゴールを目指してチームの中でのパスを繋ぐことの一つだ。
ウェンブリーで三笘がゴールを決めた瞬間、私たちは「同じチームの一員」として熱狂した。その感覚を、少しだけ政治や行政の側に持ち込んでみてほしい。ただし、熱狂ではなく、全てのステークホルダーの利害を俯瞰する真の当事者意識を抱えて。
あなたは今、スタジアムのどこに立っているだろうか?
