#221 兄との距離の理由
私は、兄の電話番号を知らない。
親を介して、近況がたまに聞こえてくる。その細いパイプだけで、私と兄はつながっている。
こう書くと、やけに情の薄い兄弟だと思われるかもしれない。いや実際、そうなのかもしれない。
私は男三兄弟の真ん中だ。一学年上に兄、五つ下に弟がいる。三人とも驚くほどばらばらの場所にいて、それぞれに距離を保ちながら生きている。
実家に残っているのは弟だ。独身で、たくさんの猫と一緒に親と同居している。たまに私が家族を連れて帰省しても、弟と多くの言葉を交わすわけではない。それでも、連れてきた子どもたちに一言二言、不器用そうに声をかけてくれる。老いていく両親の面倒を何かと見てくれていることが、離れて暮らす兄として、本当にありがたい。どことなく我が家の長男に似ているのも、不思議なものだ。
一方、上の兄とは、もう10年近く会っていない。
高校まで同じ進路をたどり、大学で別々に実家を出た。当時は連絡を取り合う手段がなく、生活が自立するにつれて顔を合わせるのは盆と正月くらいになった。幼い頃に、くだらないことで毎日喧嘩していたことが嘘のように、兄が関西の企業に就職する頃には関係は自然と途絶えがちになった。
だが、私が兄に連絡しないことには(そしておそらく、その逆もまた同じく)もう一つ、決定的な理由がある。
兄には、溺愛する一人息子がいた。
我が家の長男の一つ下の学年で、家族ぐるみで豊洲のキッザニアへ出かけたりもした。兄は仕事の関係で近畿地方に住んでいたので頻繁には会えなかったが、年に一度、子どもたちと顔を合わせるのが楽しみだった。
すべてが変わったのは、その甥が小学生になった頃に白血病を発症したからだ。
何度かの骨髄移植。長い入院生活。兄と義姉の必死の看病もむなしく、彼は十歳を迎えることなく旅立った。
葬儀の日のことは、今も耳と眼の奥に張り付いて離れない。出棺の間際、棺に向かって、狂おしいほどに息子の名前を叫び、泣き崩れる義姉。その傍らで、唇を噛んで微動だにしない兄。
あれほどまでの剥き出しの絶望を前にして、私は同じ子を持つ親として、血を分けた弟として、どんな顔で、どんな言葉をかければよかったのか。今もって、適切な答えが分からない。
我が家は3人の子に恵まれたが、末の子が生まれたのは、甥が亡くなる少し前だった。だから葬儀には、子ども3人を連れて参列した。末の子はまだミルクの匂いを残し、ハイハイでしか動けなかった頃だ。
失われた幼い命と、我が子が放つ瑞々しい生命力。
赤ん坊の声を聞いて、兄は「おかげで、湿っぽくなりすぎずに済んだ」と言った。けれど、消えない悲しみと、赤ん坊の生命力が同じ空間で重なったときの、あの胸を締めつけられる感覚を、私は今も忘れられない。
幸い、我が家の3人は健康だ。亡くなった甥の1つ上の長男も次の春には社会に出る。歳の近い我が子が元気に育っていく現実は、兄夫婦にとって残酷な刃になりうる。だからあれ以来、私から兄に連絡することはない。──勝手な思い込みかもしれないが。
親を通じて、兄と義姉が元気に暮らしていることだけを知っている。それで十分だ。
この件を境に、私が子どもたちに求める水準は、圧倒的に下がった。内向的でもいい。成績が多少悪くてもいい。逆上がりができないことなど、なんてことはない。
元気で生きていてくれれば、それでいい。
兄と次に顔を合わせるのは、おそらく両親のどちらかの葬式のときだ。相続やら何やら、話さねばならないことが山ほど出てくるだろう。
それまでは、この距離のままでいい。
答え合わせは不要だ。
