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岡山県猿神村奇譚(第4話)

 非番の日、吉岡は再び猿神村にいた。
 腑に落ちないことが多すぎて、矢も楯もたまらずこの地に足を運んでいた。

 猿神村の廃屋から吉岡が発見した拝み屋のものと思われる衣装と血痕が付着していた直刀に村長の談話から、失踪した岩見真輔は、天満屋の駐車場で焼身自殺を図った拝み屋の南部良子に殺害されたのではという推測が立てられた。
 だが失踪当時岩見が乗り捨てたと思われる自転車の周辺は古墳を含め近隣の村の消防団と警察総出で山狩りを行ったが、手掛かりらしいものはなにひとつ発見出来なかった。
 神隠しに遭ったとしか考えられないとして噂が広まって巷でも話題になり、大手スポーツ新聞にも「神隠し!横溝正史の故郷で移住者が河童にさらわれ失踪!?」などと書き立てられおもしろおかしく騒がれたものだった。
 (岩見の猫はどこに行ったんだ?)
 吉岡は、村人が拝み屋の猫たちを動かぬ保健所に代わって殺処分したという話が引っ掛かっていた。
 (村長の話を聞くからにこの村は猫を相当嫌っている。岩見が猫を放し飼いしていたとすればおそらくは・・・。)
 遠雷が聞こえる。
 吉岡が古墳の沼地にたどり着いたとき、ぽつりぽつりと頭上に水滴が落ちてきた。
 雨粒かと思いきや、見上げてみればそれは梢を揺さぶる何者かの”仕業”に他ならなかった。
 古墳とこれを取り巻く周辺は、小島のように深い森林と化している。マムシやヤマカガシといった猛毒を持つ蛇が多数生息していることもあり夏場は村人が立ち入らないこともあり腰のあたりまで雑草が生い茂っていた。
 吉岡は沼の前に立った瞬間、頭上に確かに人の気配を感じた。
 正確には、”何ものか”が高いところでうごめいているのを皮膚感覚に覚え、鳥肌が立った。
 幽霊の正体見たり枯れ尾花を期待して、勇気を出して気配が感じられた木々の付近を見上げると、エノキの巨木の空に近い梢のあたりを複数の影がせわしなくうごめいて、枝をゆすって水滴を落としていた。
 「猿かな・・・。」
 影をじっと凝視した。
 「アレが見えるの。吉岡君。」
 ふいに女の声がして、心臓が飛び出すほど驚いた吉岡は飛びのいた。
 「ふ、ふ、藤本?東京に出張に行ってるんじゃ?」
 先週村人の聞き取り調査に来た時留守だった藤本が立っていた。
 「きのう帰ってきて、きょうはお休みなのでなんとなく気になってここに来てみたら吉岡君がいたから私こそ驚いたんだけど。」
 「アレって何?」
 ”それ”を見上げながら藤本が言った。
 「私にもわからないんだけど、昔からこのあたり一帯にいるの。でも誰でもが見えているというわけではなくて。子どものころ、家の中にまで入ってきたアレを指さして泣いて親に訴えたんだけど、お父さんもお母さんも何もいないって。狐憑きを歌がわれてそれで拝み屋に連れていかれたわけ。」
 「あの古墳と何か関連あるのかな。」
 「岡山県の古墳の数、いくつあるか知ってる?11880で、あの奈良県より多いのにほとんどの古墳の発掘調査が行われていないの。猿神古墳も未調査で、正確には何にもわかっていないの。ただ・・・。」
 藤本は意味ありげに押し黙って頭上のアレの観察を始めた。
 吉岡はいてもたってもいられず藤本に詰め寄った。
 「ただなんだっての!」
 その剣幕に藤本は苦笑いを浮かべて答えた。
 「この古墳だけど・・・いままで一度も調査が行われていなくて、豪族の猿神彦のものだっていうのも村の人たちが勝手に言ってるだけだから。このあたりで一番古い神社さんというと隣町の脊山神社なんだけど。そこの神主さんが保管されている古文書によれば、この場所は当時都があったとされる場所から丑寅の方角に位置していて、天皇家ゆかりの斎宮があの世と常世(現世)を繋ぐ儀式を行ったとあったって。」
 「ということは、石室から出土したっていう刀は猿神彦命のものじゃないってこと?」
 藤本は頷いて続けた。
 「私はあの直刀は神事に使われたもののような気がする。」
 「話の腰を折るようで悪いけどアレはなんなの?」
 いまの吉岡には廃屋で拾った直刀の持ち主よりも目の前の影の群れの方が気がかりだった。
 (東スポさんなら河童と断定するんだろうな・・・)吉岡はひとりごちた。
 馬鹿げたことでも考えて気持ちを飛ばさないと恐怖で我を忘れそうな現実から距離を置こうとする吉岡なりの悪あがきだったが。
 「あの世から抜け出してきた死びとではないかと思ってる。」
 現実逃避をしている場合ではない状況がすぐそこに迫っていた。

 ふたりの背後でガザガザッと草をかき分ける音がして、吉岡が身構えると、肩に猟銃を下げ右手にナタを持った村長がこちらに向かって歩いてきた。
 「おう、お前たち。そこで何をしとるんじゃ。」
 「村長さんこそ猟銃持ってどうしたんですか?」
 「熊が出て村はずれの小野寺んちの鶏小屋がやられた。お前らこそこのあたりはマムシが出るけえ長靴を履かないと危ないというんだ。」
 吉岡は狼狽した。
 「熊が出るんですか?このあたりに山から降りてくるのはイノシシやヌートリアだけかと思ってました。」
 「数年前から熊も出るようになったんじゃ。この村は山に囲まれとるけえ、四方から畑の作物狙ってくるけえ、畑には電流を流してる。じゃけんども熊と猫には役に立たんのよ。」
 「熊はわかりますけど・・・猫?」
 「このあたりはみんな農家じゃ。野良猫にはぼっけえ迷惑しとった。奴らは畑の土を掘って糞をしよるんよ。おっぱらっても戻ってきよる。捕獲して保健所に電話しても手が足りんからと待てど暮らせど引き取りに来ん。処分に困って仕方がないからこの沼に沈めた。」
 巨木の高い枝から猫塚の上に、黒い影がひとつまたひとつと降りてきた。
 「やり方が良かったとは思わんが、仕方のないことじゃった。良子が入院してから半年かかって村中の野良猫を一掃したと思ってほっとしとった。それなのに、移住してきた岩見さんが猫を飼い始めたって聞いたときは、ゾッとしたもんよ。」
 いまや黒い影の群れが村長に覆いかぶさるようにまとわりついている。そのことを村長は一向に気づく様子もなく、話し続けた。
 「岩見さんが飼っていた猫は、ワシが捕まえてここから4キロ先の矢掛町まで車で運んで捨てた奴よ。首にチリンチリン鳴る鈴をつけとった。拝み屋の良子もとりわけ可愛がっていた毛むくじゃらの雌猫よ。」
 チリン。
 風が風鈴のような音を運んできた。
 「風鈴・・・違う。鈴の音だ。」
 チリン、チリン、チリン。
 「村長、いま鈴の音か何か聞こえませんでしたか?」
 吉岡が尋ねると、村長は鼻で笑った。
 「なんも聞こえんかった。それよりも臭わんか?」
 「臭い、ですか?」
 言われてみれば風に乗って、何とも言えない不快な臭いが漂ってきていた。
 藤本はというと、手に水晶の数珠を握りしめながら吉岡にそっと耳打ちをした。
 「吉岡君、村長はもう死んでいるか、すでに寿命が尽きている。」

 昔から死びとは寿命の尽きる村人の家に入ってきて、魂を連れて行った。村には藤本のように、死びとの姿が見える者と見えない者がいたという。
 「子どもの頃、祖母が亡くなる前日からアレがうちの中に入ってきて、アレを見たのはそのときが初めてだったから怖くて泣き叫んだの。それで両親にお祓いに連れていかれたっていうわけ。」
 「なんで俺にも見えるの?俺はこの村の人間じゃないのに。」
 「この村の人間かどうかじゃなくて、能力があるかないかだと思う。」
 藤本には確かに何らかの能力があるのかもしれないが、これまでただの一度も見えざる者が見えた体験などない吉岡にとっては、にわかに信じがたいことだった。
 「ううん。」
 村長が小さく呻いて膝をついた。
 「どうしました?」
 村長に近づこうとした吉岡がギョッとして飛びのいた。
 ”アレ”が村長の鼻の孔から体の中へと煙のように入り込んでいく。
 すべての影が体を占拠したかと思うと、村長はゆらりと立ち上がった。
 「わしは畑で糞をしよる傍若無人な猫が大嫌いだったんじゃ。そうじゃけえ・・・わしが殺した。岩見の留守に・・・このナタでな・・・いまいましい猫の首を、こう・・・掻っ切ったのよ・・・。」
 言うが早いが、村長は自らの首のうしろ、ぼんのくぼに手に持ったナタをあてがうや、「がはっ!」と呻いて力いっぱい打ち下ろした。
 切っ先鋭いナタだったと見えて、すとんと落ちた村長の首は勢いよく転がって、吉岡の足元で止まった。
 吉岡はへなへなと力なく座り込んで、言葉もなく首を凝視した。
 吉岡の背後でゴボゴボという音を立てながら沼の濁った水が沸き立っていた。
 沼の底から、猫の死骸がひとつまたひとつと浮かび上がってきて、最後に錆びついた首輪をつけた頭のない死骸が浮かんできた。
 その後警察が来て、徹頭徹尾に沼をさらったが、岩見真輔の遺体は出てこなかった。

 猿神村は、その後住民のほとんどが村を捨て出て行ったため、廃村が決まった。

 平和な日常を取り戻した吉岡巡査は、きょうもふくいくとしたコーヒーの香りに包まれながら拳銃の手入れに余念がない。

 神隠しに遭った移住者の行方は、いまもようとして知れない。
 
 終
 
 
 
 
 
 

 

 

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