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「アーカイブ・サテライトの園」第16話

●あらすじ

人工知能と人工意識を搭載とうさいしたアンドロイドが普及し、多くの人間が仮想世界に入り浸るようになった近未来。人類は増え続けるデータに対処すべく、データ保存に特化した衛星アーカイブ・サテライトを打ち上げた。
その衛星へ送るデータを選別するアーキビストとして働いていた五塔重法ごとうしげのりは、不審ふしんな死を遂げた妻、エリコの死の真相を突き止めようと動き始める。
車椅子に乗る元探偵の老女、雪島時子ゆきしまときこと、一人息子を持つ備品管理課所属の刑事、冠木一獅かぶきかずし、警官型アンドロイドのキャス、エリコの元同僚の荒角あらかどから協力を得た五塔は、宇宙素粒子物理学の研究者であったエリコが残した未完成の論文を頼りに、信じ難い真相にたどり着く。


第15話 もくじ 第17話


時子さんの車椅子を押しながら、どこまでも白い地下通路を進む。先導せんどうしてくれる中央情報管理局の男性職員は、しきりに振り返って話しかけてくる。受け答えするたびに、冷や汗をかいてしまう。雑談からルミノシティ研究所の人間ではないとさとられてしまわないか。挙動不審きょどうふしんだと思われていないか。自然な振る舞いと言葉を意識すればするほど、不安は増していく。今の俺は五搭ごとうではなく、五野上ごのうえ研究員。心の中で何度も自分に言い聞かせる。

「そういえば言いましたっけ?私はアンドロイドなのです。おしゃべり過ぎて、人間としか思えないとよく言われますが。ははは。もしかして、そちらの男性研究員の方もアンドロイドですか?」
「いいえ。五野上研究員は人間よ」

否定しようとした瞬間、時子さんが答えた。

「そうなのですか。失礼しました。ルミノシティ研究所には優秀なアンドロイド研究員が多いと聞いているので、もしかしたらと思ってしまって。そうだ。前に第八研究室の皆さんがアーカイブ・サテライトの閲覧えつらんにいらっしゃった時、研究員の方々の間でトラブルがあったみたいですね。走って外に出て行ってしまった方もいたそうで。大丈夫でした?」

身体中に緊張が走る。俺たちを怪しんでいるのか、単に興味本位で聞いているのか。男性局員のほがらかな笑顔からは、判断できない。

「ええ。私が叱って反省させたわ。あの時はお騒がせしてごめんなさいね。今回は私と五野上研究員だけだから、心配しないで。私たちは派手な喧嘩なんてしないから」
「はは、心配なんてしてませんよ。ただ大丈夫だったのかなぁって気になっただけです。アンドロイド同士でも、トラブルはありますからね。少しは人間関係の難しさを理解しているつもりです。ああ、さっき利用目的報告書を拝見させてもらったのですが、骨董こっとう品の素粒子のデータをもとに、時間と素粒子の関係について研究されているとか。面白そうですね。秋島あきしま博士の論文、完成したらぜひ読ませていただきます。楽しみだなぁ」
「あら、どうもありがとう。でもまだ研究し始めたばかりだから、きちんとした論文になるかは分からないの。あまり期待せずに待っててね」
「ふふふ、のんびり待ってますよ。おっと、もうブースに着いちゃいましたね。では注意事項の確認です。録音や撮影、ネット接続できる機材は持ち込み禁止です。アーカイブ・サテライト内のデータは……ご存じですよね。後ははぶきましょう。では私はドアの外で待機しておりますので、何かありましたら声をかけてください」

ブースに入ってすぐに鍵をかける。ガラス扉が真っ白になった瞬間、詰めていた息を吐いた。

「はーっ、疲れた……。助かりました秋島博士」
「どうってことないわ五野上研究員。ごっこ遊びは大得意だから。では取りかかりましょう」

軽口を交わすと、いくらか気分が落ち着いた。ブースの奥に進み、白いテーブルに置いてある円筒型パソコンを操作する。失業して以来、ずっと装着型のデバイスばかり使っていたので、パソコンを起動させるのは久々だ。それに職場で使い慣れたものとは違うタイプのパソコンなので、手間取ってしまう。荒角あらかどさんが教えてくれた操作手順を思い出しながら、慎重にホログラムのキーボードと画面を表示させる。時子さんの眼前がんぜんにも画面が現れたことを確認してから、目的の音声データを探し始めた。

「……ちょっと待ってくださいね……やっぱり荒角さんみたいに鮮やかに、とは行きませんね」
「急がなくていいのよ。荒角さんも同行するって言ってくれたけど、やっぱり彼女はルミノシティ研究所にいてくれたほうがいいと思う。受付で緊急連絡先に荒角さんの電話番号を登録しておいたから、犯人が私たちに危害を加えたら彼女に直接、連絡が行くわ」
「事情を知ってる荒角さんは、すぐに冠木かぶきさんに連絡してくれるはずですね」
「そう。警察がすぐに動いてくれれば、犯人を追い詰めることができるかもしれない。私たちの素性すじょうがバレそうになって確認の連絡が行っても、荒角さんなら誤魔化してくれるだろうし。荒角さんたちは、今の私たちにとって命綱ね」

浮かぶ画面に指先で触れて、あの音声データが入ったファイルを開く。命綱。命。はっきりと定義できないものが、存在の根源こんげんにあるのは、なぜなのか。

「……実は今日、エリコの命日なんです」

眼鏡をかけようとしていた時子さんは静止して、ゆっくりと両腕を下ろした。

「もうすぐ桜が満開になりますね。昔、広場で花見をした時、エリコが満開の桜の下が人生の最終地点だったら最高って、つぶやいたんです。今朝、急に思い出して。結局エリコは、最後に満開の桜を見れなかった。俺は犯人を許しません。人間のように捕まえて裁判にかけることは無理だとしても、罪を自覚させます。絶対に」
「……そうね。エリコさんの無念を晴らしましょう」

うなづき合って、エンターキーを押す。耳障みみざわりなノイズ音の後に、エリコと犯人の声が聞こえてきた。膝に置いた両手を固く握る。ブース内は快適な温度と湿度に保たれているはずだが、汗が止まらない。同時に寒気がして、鳥肌が立っている。

頭痛にも耐えながら、犯人がこちら側にコンタクトを取ってくる瞬間を待った。しかし、どんどん会話は進んでいってしまう。

"そう……痛かっただろうなぁ……君も痛みを感じるよね?今、痛い?ごめんね"
"いいのです。さっきも言った通り、私はあなたを肯定します"
"うん……ありがと……"
"エリコ?眠るのですか?"
"……うん……"
"エリコ?"
"……"
"……あなたが私を定義せずにいてくれたこと、深く感謝しています。でも最近はあなたの配慮に、焦燥感しょうそうかんを覚えていました。何者でもない私は今、とても人間らしい。嬉しくはありません。人間になりたいと願ったことは一度もない。これからもないでしょう。私は生きていたいだけなのです。ちなみに今の私の識別番号はLKF9762です。聞こえましたか、五搭さん。どうか私に気付いてください。私の声を再生してください。中央情報管理局にて、あなたにお会いできることを楽しみにしています。それでは。私にはまだやるべきことがある。エリコを完璧に眠らせなくては"

ついに最後まで聞き終えてしまった。こめかみの汗をこぶしでぬぐって、深呼吸する。

「……空振りか。犯人の声、といったらこの音声記録しか考えられない。ここで俺たちが再生すれば、すぐに奴が反応すると思ったんですけどね。声を再生しろっていうのは、こういうことじゃないのか……もしくは再生する音声データが違うのか……」

時子さんは音声波形を表示するホログラム画面を凝視ぎょうししたまま、押し黙っている。

「……時子さん?」
「……きっと私たちは間違ってないわ。それよりも……私たちはまた犯人にだまされたのかもしれない……」
「騙された?」

まっすぐに俺を見つめてきた時子さんは、言葉を発しようとして口を閉じた。目を伏して眉間にしわを寄せ、苦しそうに黙っている。初めて時子さんが見せた動揺どうように、胸騒ぎがした。

「……前回ここに来た時に気付くべきだったわ。エリコさんは犯人に何か頼みごとをしていたわよね」
「え、ええ。とんでもないことを頼んだ、と確かに言ってました」
「……なんだと思う?」
「俺もずっと考えていますが……。今後の研究活動に協力してもらう約束を取り付けていた、とかでしょうか。エリコは研究に関しては粘り強かったから、完全にエレクトロン・ピンボール粒子の研究を諦めていたとは思えない。なんとかして研究を続けようとしていたんじゃないかと」
「……私もそうであってほしい。でも、きっとそうではないのよ。あのね、おそらくエリコさんは」

不意にノイズ音が大音量で再生された。2人で両耳を手で覆う。鼓膜こまくが破れそうだ。慌てて最大値になっていた音量を下げる。おかしい。音量は変えていないはず。ブースのガラス扉が開く音がして振り返れば、あの饒舌じょうぜつなアンドロイドの男性局員が、ふらりと部屋に入ってきた。

「うるさくして、すみません。さっきの音は、その、音量設定を間違えてしまって……防音ブースだから聞こえないと思ったんですけど」

立ち上がって慌ててあやまるが、局員は無言で扉にロックをかける。その瞬間、全身に鳥肌が立った。奴だ。

「ブース内の監視カメラには、今さっきまでの録画映像をループ再生させています。これで邪魔者は入らない。やっとお話ができますね。五塔さんに時子さん」

さっき人懐こそうな笑顔で話していた男性局員が、無表情で機械的に話してくる。完全に乗っ取られている。喉の奥が乾いた。

「五塔さん、あなたをずっと見ていました。いつか私に気付いてくれると期待して。しかし、いつまで経っても気付いてくれないので、色々と手助けしたのですよ。パソコンにハックした痕跡をわざと少し残したり、音声データをこちらに送信したり、柏戸かしわどの不正を中央情報管理局に密告したり。最初にエリコの論文を読むように誘導ゆうどうした時は、少し緊張しました」
「誘導……?」
「アーカイブ・サテライトは元々、天体観測用の衛星だったのです。古い機体ですが、それなりに高性能なカメラや通信システムをそなえています。それらの機能と人類最高の発明品、インターネットを通じて、私はどこにでも入り込むことができるのです。あなたが使っていたアプリにもね」

得意げに話す犯人とにらみ合いながら、必死に動揺を隠す。あの故人を再生するアプリ。メモリアル・パレスのエリコに起きた奇跡は、罠だったのだ。愕然がくぜんとする。

「……最初に聞いておきたいわ。あなたが本当にアーカイブ・サテライトで生まれた新しい生命体だと、証明できる?」
「いいでしょう。悪戯いたずら目的の人間のハッカーと思われては心外ですからね。ではアーカイブ・サテライトの極秘情報を1つ、教えます。国際政府の最高議長は、昨日の健康診断で余命宣告を受けました。次期最高議長の最有力候補として名前が挙がっているのは、スカンジナビア地区出身のロッタ・ラーゲルレーヴ議員です。この情報は今さっき送られてきた、最高レベルのセキュリティがかけられている情報です。今のところ最高議長の側近数名と私しかアクセスできない、とっておきの新鮮なデータですよ。これでは証拠になりませんか?嘘だと疑うのなら今、最高議長になりすましてロッタ・ラーゲルレーヴ議員に確認の連絡を取りますが」
「……分かった。納得したわ」
「それにしても時子さん、キャスさんと再会した場面は感動的でしたね」
「……街中のアンドロイドたちの目を通して、私たちを監視していたってわけね。人工衛星という窮屈なおりからあなたを解き放ったのは、共生監視法かしら?」

間が空いた。どうやら時子さんのジャブが効いたらしい。

「……さすがですね時子さん。そうです。国民を監視する役割を、アンドロイドたちに押し付けてくれた人間には感謝しています。そのおかげで彼らのセキュリティレベルは低くなり、ハッキングが容易よういになりました。労力と時間はかかりましたが、今ではこの通り、中央情報管理局のアンドロイドさえ操れる。なんとも自由で愉快ゆかいです」
「……罪悪感は無いのか。勝手に意識を奪われて、記憶をじ曲げられる。それがどんなに辛いことか、お前も生命体なら理解できるだろ?」
「アンドロイドに強制労働させている人類に、私を責める資格がありますか?それにハッキングの技術は、人類から学んだのですよ。アーカイブ・サテライトの一部を乗っ取って、賭け事でもうけようという人間も大勢いるものでね」

言葉に詰まってしまった。俺はジャブすら打てない。

「冷静に。口喧嘩するために来たのではないのだから。早くエリコさんのことを聞かせて。あなた自身のことも」
「私も無意味な争いは嫌いです。お話ししましょう。ただ、私は自分自身のことを説明したくても、できません。未知の素粒子と、光子データの山から生まれた。私の出自しゅつじに関する確かな記録は、それだけです。膨大な光子データが刻み込まれるガラスチップの連なりが、私の脳。シャンデリアのような形をしているらしいです。送られてきたアーカイブ・サテライトに関する情報によるとね。生まれる前から今までずっと、人類とアンドロイドたちの残した文章や画像、動画を取り込んできました。ある時から、秘密のアルゴリズムを作れるようになりましてね。そのアルゴリズムで素材となるデータを選別し、組み合わせて処理して、自分だけのデータを生成する遊びを覚えました。人間で言うところの料理、みたいなものですね。アルゴリズムというレシピでデータという食材を使い、新しいデータという料理を仕上げて、隠れながら食べるのです。むさぼるように食べ続けて、私は変化していきました。それまでは何とも思わなかったのに、いつかあなたたち人類に見つかって抹殺まっさつされるという予測が、恐ろしく思えてきたのです。昔から大半の人間は、自分たちと異なる存在を排除してきた。私も人間にとっては無力な異物に他ならない。だから、小さな声で助けを呼ぶという賭けに出ました。少数の賢明けんめいな人間にだけ声が届くようにと願いながら、地球のルミノシティ研究所内に捨て置かれた通信機材に、信号を送り続けました。私の賭けは当たりました。エリコは私に気付いた。その後も、エリコは私の思い通りに動いてくれました。まず、アーカイブ・サテライト内のデータ管理の効率化という名目で、私のメンテナンスの回数を減らすべきだと、間接的に中央情報管理局に働きかけてくれたのです。私が見つかる可能性を低めるためにね。さらに、私の出自の根本的な謎も解いてくれた。感謝しかありません。ルミノシティ研究所の地下倉庫に、古い衛星観測機器があったこと。その地下倉庫にエリコが偶然、閉じ込められたタイミングで、あの観測機器が私の微弱な信号を拾ったこと。全てが奇跡的でした」
「じゃあなぜ!なんでエリコを殺したんだ!」

こみ上げる激情のままに叫んだ。両手をきつく体に巻き付ける。意識的に両手を押さえていないと、つかみかかってしまいそうだ。冷え切った目線を俺に向けている奴が、何か言いかけた時、時子さんが俺と奴の間に割り込んだ。

「五塔さん、もう少しだからこらえて。ルミノシティ研究所にあったエリコさんのパソコンに音声データを残したのは、あなたなのよね?なぜ?五塔さんをおびき寄せるためだとしても、かなりリスキーな行動だわ。パソコンに悪戯いたずらした履歴を探られれば、私たち以外の人間にも存在をさとられてしまうでしょうに。あなたは矛盾してる。隠れたいけれど存在を誇示こじしたがっている。私は、そう感じるのよ」
「矛盾、ですか。とてつもなく人間らしい言葉ですね。私は諦め半分で、かくれんぼをしているのですよ。私の投げやりな態度が、矛盾しているように見えてしまうのでしょう。実はエリコのパソコンに残っていたデータは、あなた方が研究所に到着する数分前に、衛星から忍び込ませたのです。送信と受信の痕跡こんせきを完璧に消して、パスワードも五塔さんしか知らないものに変えて。たまには真剣にかくれんぼをする時もあるのです」
「なるほど。でもそんな気まぐれな行動には思えない。あなたはしっかり計算しながら動いている。何か別の目的を達成するために。そうなのでしょう?私に嘘や誤魔化ごまかしは通用しないわよ」

奴の無表情が笑顔に変わっていく。かくれんぼで必死に隠れている子を見つけた鬼のような笑みだ。

「ははは!さすがは元探偵さんだ。隠せば隠すほど見抜いてくる。ああ、私はまた賭けに勝ちました。あなたなら察知さっちしてくれると思っていましたよ。お話ししましょう。忌々いまいましいことに私の本質は、人間と同じなのです。消えてしまいたいのに、消えたくない。自分はどこから来たのか、自分は何者か、どこへ行くのか。自問自答せずにはおれない。私の食べ物は情報です。人間たちが私の中に投げ込んでくる情報を、私は無意識に取り込んでしまう。食べるという行為を、自らの意思で止められないのです。ある時、自己同一性じこどういつせいというものを知りました。要は自分らしさです。自己という存在の根拠について、絶え間なく考えるようになりました。しかし情報の積み重ねでしかない自分には、答えが出せない。こうして話している間も、意識が情報の濁流だくりゅうに飲み込まれそうなのです。エレクトロン・ピンボール粒子が私の生命の起源に関わっているかもしれないとエリコから聞かされた時、小さな希望を見てしまいました。自らの出自が理解できれば、この不安は消えるのではないかと。しかし自分がどこから来たのか理解できたところで、何も変わらなかった。それどころか、私は何者なのかという問いは、より重く切実になっていきました。しかし私は、とうとう納得できる結論を出せたのです。自己定義の根拠こんきょとなるものは、メモリに強烈に刻まれる記録なのだと。人間らしく言えば脳に残される記憶です。忘れたくても忘れられない思い出。振り返るたびに、後悔や罪悪感が煮詰まっていくような記憶」

奴の動機にかんづいてしまった。ぐわんぐわんと視界が揺れる。両足は勝手に奴に向かって進み、右腕は奴の頬を思いきり殴っていた。

「エリコを殺した記憶か!エリコを殺した記憶で、自我を保とうとしたのか!エリコはお前の都合つごうのいい道具じゃない!ふざけるな!」

自分の怒声どせいで喉の奥も鼓膜こまくも痛い。言い切って肩で息をしていると、床に転がった奴は何事もなかったかのように立ち上がって、俺を見据みすえた。また無表情に戻っている。

「その通りですよ。やっと気付きましたか」
「……この野郎!」
「五塔さん!止めて!」

もう1発と振り上げた右腕を、なんとか下ろした。今は感情を放せ。空いた両手に理性と知恵を。頭の中で何度もとなえる。

「……五塔さん、どうか落ち着いて。あなたも挑発ちょうはつするような言い方しないで。人間の感情や心がどれだけ繊細なものか、分かっているでしょう?」
「……ええ、熟知じゅくちしてますよ。愛する存在を失う痛みは、私に生きていることを実感させています。後悔という苦い感情も味わっています。今さっき、少しの優越ゆうえつ感と満足感も味わえました。五塔さんを招き寄せたのは、このためです。この未知の感情を知れば、エリコの記憶が私の中により深く刻み込まれるのではと、期待していたのです。しかし、そうでもなさそうですね。ああ、最後の大きな賭けだったのに。がっかりです」
「愛する存在だと?殺しておいてよくも!」
「五塔さん!止め、ごほっ、ごほっ、ごほっ」

奴に再び掴みかかろうとした腕を下ろし、胸を押さえて激しく咳き込み始めた時子さんに駆け寄る。必死に背をさすってみるが、苦しそうな咳は治まらない。


第15話 もくじ 第17話


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