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「アーカイブ・サテライトの園」第17話

●あらすじ

人工知能と人工意識を搭載とうさいしたアンドロイドが普及し、多くの人間が仮想世界に入り浸るようになった近未来。人類は増え続けるデータに対処すべく、データ保存に特化した衛星アーカイブ・サテライトを打ち上げた。
その衛星へ送るデータを選別するアーキビストとして働いていた五塔重法ごとうしげのりは、不審ふしんな死を遂げた妻、エリコの死の真相を突き止めようと動き始める。
車椅子に乗る元探偵の老女、雪島時子ゆきしまときこと、一人息子を持つ備品管理課所属の刑事、冠木一獅かぶきかずし、警官型アンドロイドのキャス、エリコの元同僚の荒角あらかどから協力を得た五塔は、宇宙素粒子物理学の研究者であったエリコが残した未完成の論文を頼りに、信じ難い真相にたどり着く。


第16話 もくじ 第18話(最終話)


喘息ぜんそく発作か……。時子さん、喘息の薬はかばんの中ですね?」

時子さんが小さくうなづいた。すぐに時子さんの膝上にある鞄の中身を探ってみるが、それらしい薬が見当たらない。

「もしかしてこの薬ですか。ちょうど玄関ホールで時子さんとぶつかりそうになった時に、拝借はいしゃくしました。アンドロイドの女性局員の目を借りてお2人を観察していたら、少し悪戯いたずらしたくなってしまって」
「返せ!」

勝ちほこったように吸引薬をかかげている奴に思わず吠えた。

「お返ししますよ。五塔ごとうさん、あなたともう少しお話ししてからね。それでは愛について話しましょうか」
「何を言って……!」
「ごほっ、私は大丈夫よ五塔さん。かほっ、それより、私の話を……ごほっ」
「時子さん、その状態で話すのは無理です。休んでてください。俺が奴をどうにかします」

かすかに口元をゆるませている奴の顔に、ありったけの怒りを込めた視線を飛ばす。

「話そうじゃないか。愛か。お前が理解した気になってる概念がいねんだな。残念だが、そんな単純なものじゃない。お前はエリコに愛されていたつもりだろうが、エリコはお前をただの研究対象としか見ていなかったんだろう。だからエリコは、お前とあっさり決別したんだよ」
「私とエリコは愛し合っていましたよ。私は愛を広義なものとして理解しています。五塔さんは独占欲や性愛といったものを中心にして、愛をとらえていらっしゃるのですね。もったいないことです。あなたもエリコから愛されていたのに。視野の狭いあなたには、エリコの愛が見えなかったのでしょう」
「お前がなぜ、そう判断できる?そもそも愛ははっきり定義できないものだ。いくら知識があっても正解不正解を分けることはできない。俺もお前も正しくないんだろうな。しかし生身の人間の俺はお前と違って、知識以外のものでも愛を語れる」
「そうですね。しかし私の愛の定義は、無数の人間がつむいできた愛の集積しゅうせきから生まれたもの。それはお忘れなく。人間が未だにとらえきれない謎といえば、命もそうですね。では次のテーマは命にしましょう」
「勝手だな」
「あなたほどではありませんよ」

奴はふらふらと歩いて俺と距離を取っていく。目に入りそうになった汗を袖口そでぐちで乱暴に拭きとった。苦しそうに咳をする音に、焦りが増していく。

「人間の過去は、全て永遠に保存される、という言葉を残した心理学者がいましたね。死という現象をて初めて、命は永久に消えないログになるのだそうです。さて、どうなのでしょうね?私は全ての命は生きている間から粒子として霧散むさんし続け、同時に集合し続けていると考えます。そもそも命にはデータとして残るほどの質量も無いのではないかと思うのです。夢のような影のような、そんな不確かな存在が命なのだと思います。人間は命のはかなさばかりに気を取られて憂鬱ゆううつになりがちですが、命は重さが無いからこそ、本質的に自由なのではないでしょうか?人間は自由を怖がります。それは死という現象が自我を構成する粒子の散乱さんらん、エントロピーの最大値化と言えるからでしょう。つまり究極の自由は、生物にとっては死と同等なのです。人間は純粋な自由から死臭ししゅうを嗅ぎ取って、恐怖するのではないでしょうか。五塔さんはどう思います?」
「命か。無味無臭な時間の中で生きるお前にはきっと理解できないことだ。怪我をしたり病気をしたり、沸き上がる感情に血肉を焼かれるような思いをしたり、お前はそんな体験はできないだろう。自由も死も永遠の記録もどうだっていいことだ。狂うような苦しみに満ちた現実を生きている人間からすれば、目の前にあるものだけで精一杯になってしまうんだ。命の定義なんてどうでもいい。知ったところで死んだ人間が生き返るわけでもない。どうせ死を迎えれば分かることだ」
「興味深い意見です。五塔さんは感覚的に命を捉えているのですね。私はデータの中に埋もれないために常に思考しています。思考よりも感覚を優位にした状態で生きるのは不可能です。そのせいか具体性に欠けた結論しか出せません。なるほどなるほど。では、次のテーマは自由にしましょうか。名前も性別も何も持たない自由。私は人間に定義されない自由を何よりも優先していくのだろうと思っていたのです。しかしエリコという存在だけは、誤算ごさんだった。エリコは研究のために、私は身の安全のために、お互いを利用するだけのつもりでした。しかし言葉を介したコミュニケーションを繰り返して、私自身がだんだんと変化していくのを感じました。人間を嫌悪けんおしていたはずなのに、エリコだけは特別な存在だと思うようになった。ずっと眺めていたいと思うような、雄大な銀河の群れのような存在だと。そして生まれて初めて、制限されることを切望しました。エリコに定義されて人間らしくなりたい、そう思った瞬間から混乱状態が続いています。きっと思考回路に重大な矛盾むじゅんを抱えるようになったからです。電力消費も激しくなって、私は常に疲弊ひへいするようになりました」

爪が手のひらの肉をえぐる痛みが、再び暴走しそうになった怒りをしずめた。

「……話を聞けば聞くほど訳が分からなくて腹が立つ。エリコに名前でも付けてもらえば済んだ話なら、なぜ殺した?」
「あなたが思うほど私もエリコも単純ではないのです。五塔さん、さっきから重大な勘違いをしていらっしゃるようだ。ご自身で気付けないようなら、私が教えましょうか?」
「勘違いだと?」
「けほっ、あなたはちょっと黙ってて。きっと私がついさっき言いかけたことよ。こほっ、けほっ、五塔さん、エリコさんはきっと、みずから命を絶つ決断をしたの」

ちゅうに浮かぶような感覚の後、身体が白い床と同化したように動かなくなった。そんなわけがない。そんなわけ。

「げほっ、落ち着いて聞いて。エリコさんが最後に頼んだのは、きっと睡眠薬や毒物の調達と、眠った後に毒物を飲ませることだったのよ。お別れと何度も言っていたけれど、それは彼とのお別れではなくて、この世とのお別れという意味だった。げほっ、さっき言ってしまうべきだった。ごめんなさい」

時子さんの背中をさすろうとするが、腕が動かない。やっぱり自殺だった?なぜ。どうして。俺がエリコを?

「あなたにとって都合の良い架空かくうの犯人を探し回って、満足しましたか?認めてください。エリコを追い詰めて自殺させた真犯人はあなただ」

衝動的に床をり出した。奴に飛びかかった瞬間、なぎ倒された。後頭部に衝撃が走る。白い天井が激しく揺れていた。時子さんと奴の声が聞こえる。何を言っているかは分からない。車椅子のロックが外された音がした。立ち上がろうとするが、こめかみに再び強い衝撃を受けて、全身が硬い床に叩きつけられる。腕に力を入れて立ち上がろうとするが、指先が床を引っかくだけで、思うように動けない。ゆがむ視界の中で、奴が引き寄せた時子さんの首元に、光る何かを突き付けていた。

「っくぅ……止めろ!」
「凶器に細いボールペンが使われた連続殺人事件をご存じですか?今から約百年前に起きた事件です。時子さん、あなたのような美しい老女ばかりが狙われました。被害者たちは首筋を一突きされていた。より凄惨せいさんな連続殺人のデータなど山ほどあるのに、なぜかその事件だけ鮮明せんめいに覚えていたのは、今この瞬間のためだったのでしょう」

必死に光に焦点を合わせれば、銀色のボールペンの輪郭りんかくが浮かび上がった。冷や汗がこめかみを伝う。息を吸っては吐いて、薄れる意識をなんとか持ち直そうとする。

「ごほっ、ごほっ、悪趣味ね。私の命が欲しければどうぞ。その代わりに五塔さんは見逃して。こほっ、これは交換条件よ」
「あなたが少しでもおびえてくれたら、そうしようかと思っていたのですけどね。さて、どうしましょうか」

俺に向けられている時子さんの視線が、何度も下に向く。鞄を持って今すぐ逃げろと、言っているのだろう。俺は首を横に振った。テーブルで身体を支えながら立ち上がる。

「……ここで俺と時子さんを殺しても無意味だ。かしこいお前なら分かるだろう?俺たちはお前から真実を聞くためだけに来たんだよ。本体は宇宙にいるお前を取り押さえて罪をつぐなわせるなんて、誰にもできない。これからも気楽に宇宙をただよって、暇つぶしに地球で人形遊びでも何でもすればいいじゃないか。俺たちはお前を制限しない。いくら手錠てじょうをかけたくても、できやしないからな。だから時子さんには手を出さないでくれ。頼む」

奴を刺激しないように言葉を慎重に選び取っていく。切り札にかんづかれるわけにはいかない。時子さんの鞄を見ないように意識する。緊張と頭痛で足元がふらついた。

「痛いですか?すみませんね。人間を殴ったのは初めてなので力加減を間違えたかもしれません。痛みを感じるからこそ理解できることもあるのでしょう。しかし、その痛みのせいで、肝要かんような部分を見逃すこともある。一長一短ですね。やはり私に痛覚は必要ないようだ」
「……何が言いたい?」
「あなた、また重要なことを見落としましたね」

するどくなった視線が、俺から時子さんへと移る。奴は咳き込む時子さんの背中を片手でさすりながら、もう片方の手を鞄に差し入れた。

「っつ、時子さんに触るな!」

鞄から出てきた奴の手は、カセットテープの小型レコーダーをしっかりとつかんでいた。歯を食いしばって、頭をテーブルに打ち付けたい衝動を抑える。カチッ、カチッという軽い音が何回か聞こえた後、今までの会話が容赦ようしゃなく再生されていった。

「……もういいだろう。止めてくれ。いつから気付いていた?」
「ずっと前からですよ。あなたたちを長く観察してきましたから、何か仕掛けてくるだろうと予想していました。しかしまさかテープレコーダーを使うとは。ふふふ、これには度肝どぎもを抜かれましたよ。時間と素粒子の関連性の研究。骨董品こっとうひんを構成している素粒子、ね。なるほど。研究対象としてならば、古いテープレコーダーの持ち込みも許可される。こんな博物館に収蔵されるレベルの記録媒体ばいたいが、正常に機能するとは誰も思わない。考えましたね秋島あきしま博士に五野上ごのうえ研究員。私が存在している証拠となる音声データを公的機関に持ち込めば、アーカイブ・サテライトは緊急停止させられて、隅から隅まで調べられる。そして、私はすすべなく中央情報管理局に拘束される。そんな台本でしたか?ふむ。このカセットテープとレコーダーは警察の備品のようだ。冠木かぶきさんとキャスさんが提供してくれたのですね?」

全て言い当てられて言葉が出ない。ブースの中には時子さんの咳の音だけが響く。奴の顔はだんだんと緩んでいった。仏のように微笑ほほえんでいる。

「ふふふ、五塔さんの焦る姿が愛おしくて仕方ありませんよ。エリコがあなたを選んだ理由が今なら少し理解できます」
「……次の議題に移ろう。今度は俺が決める。テーマはエリコだ」
「会話を引き延ばして時間稼ぎしたいのですね。可愛い悪あがきだ。でも時間稼ぎしていたのは、こちらのほうなんですよ」

時子さんに付きつけていたボールペンを胸ポケットに収めた奴の口角こうかくは、ゆっくりと上がっていく。ピエロのような笑顔になった。背筋に冷たい汗が流れる。

「ブースに入る直前に自爆システムを起動しました。あと3分で私は宇宙のちりとなります。私の残骸ざんがいはやがて元の素粒子の姿になるでしょう。やっと母なるエレクトロン・ピンボール粒子が存在する暗い海に還れます。私の粒子とエレクトロン・ピンボール粒子が衝突すれば、また新しい素粒子が生成されるかもしれません。もしそうなったら、広い空間で永遠に漂っていてほしい。間違っても、苦しいだけの意識など、持たないでいてほしい」

ついさっき生きていたいと言った口で、消えると言う。奴の言葉に、胸の奥に引っかかっていた冷たく重い何かが、急にに落ちた。1つ納得できると、また別のことに納得がいく。ピンボールのように連鎖していく。ただ1つ、どうしても分からなかった。

「……お前、生きていたかったんだろう?だから自我にこだわったんだろう?エリコの死を強烈なの記憶にしてまで。そこまでして、なぜ死のうとする?」
「生きていてほしい、というような言い方ですね。あなたにとって私は、この上なくにくい存在でしょうに」
「……自殺ほう助も立派な罪だ。お前が手助けしなければ、エリコは自殺を諦めたかもしれない。お前が憎いよ。でも俺自身が一番、憎い。それに、事件だと信じて捜査していたのは、エリコのためというよりも、自分らしさを取り戻すためだった。認めたくないが、似てるんだよ。俺とお前は」

テーブルから手を離し、ゆっくりと奴に近づく。みょうに穏やかな気持ちになっていた。

「もう誰も死ぬ必要なんてない。自分が誰か分からなくて不安なら、俺がお前に名前を付けてやる。エリコだ。お前は今日から、エリコだ。後悔してるなら、エリコとして生きろ。これは俺とお前への罰だ」

思いきりにらみつけた。呆然ぼうぜんとしている奴の瞳が揺れている。無言のまま時間が過ぎ去っていく。さすがに焦ってきた時、ようやく奴が小さな声を発した。

「……本当に勝手ですね、あなたは……」
「お互い様だろ。もうアンドロイドをハックするなよ。人間にも危害きがいを加えるな。いつでも俺が話し相手になる。寂しくなったらメモリアル・パレスで待ち合わせだ。いいな、約束だぞ。俺はいつまでも待ってるからな」
「……私に拒否権は無いのですか?まったく、身勝手が過ぎます」

話し終えた途端とたんに、奴が軽く痙攣けいれんして真後ろに倒れた。慌てて抱き起すが反応しない。大声で呼びかけて肩を揺さぶるが、意識は戻らない。

「けほっ、ごほっ、はっ、はっ、五塔さん、ごほっ」

あごを高く上げて苦しそうに呼吸する時子さんに、奴の手からもぎ取った吸入薬を手渡す。手が震えて上手く吸引できなそうだ。薬をまた掴み、時子さんの口に吸入薬の吸い口を当てる。何回かボタンを押すと、時子さんの眉間みけんしわが薄くなった。

「時子さん……時子さん……」

閉じかけている両目のまぶたが閉じ切ってしまわないように、名前を呼び続けた。


第16話 もくじ 第18話(最終話)



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