見出し画像

こいしゆうか 『くらべて、けみして 校閲部の九重さん』 : 新潮社校閲部の理想

書評:こいしゆうか『くらべて、けみして 校閲部の九重さん』(新潮社)

「校閲」の仕事を紹介した「お仕事マンガ」である。

校閲とは、雑誌、書籍、新聞など印刷物の校正紙(校正刷り、またはゲラともいう)や原稿をチェックする仕事。

誤字・脱字など文章表記の確認や修正を行うだけではなく、書かれている内容にまで踏み込んで確認し、記述内容が正しいかどうか、差別表現など不適切な表現が使われていないかなど、緻密なチェックを行う。

印刷物の制作のほか、電子書籍やWeb制作など文字情報を発信する業種ではなくてはならない専門職となっている。』

「校閲の仕事とは?文字を直すだけじゃない!仕事の魅力や必要なスキルを解説」より)

私自身、アマチュアとはいえ、何度か小説の「解説文」などを書かせてもらい、「校閲」の手を煩わせたことがあったので、その仕事がどのようなものか、おおよそのところは理解している。
「トル」なんて専門用語を覚えたのも、その時だ。

本書は、本書の版元である「新潮社」の「校閲部」が全面協力して(というか、仕事の一環として、当然協力するだろうが)描かれた作品であり、興味深い「実話」の数々が紹介されている。

私の感覚からすれば、「ちょっと前までは」小説家は「原稿用紙に直筆で原稿を書く」というのが、当たり前だった。
だから、その手書き原稿の「字」が「読めない」、あるいは非常に「読みづらい」ということも、しばしばだった。

すでに私たちの多くは、キーボードを打つことで文章を書くことに慣れてしまっているが、手書きで文章を書くというのは、非常に時間のかかる作業である。

例えば、「顰蹙を買う」と書きたい場合、今なら「ひんしゅくをかう」と打ち込んで変換キーを押せば、それで一発。所要時間は、せいぜい2秒ほどだろう。
ところが、これを手書きで紙に書くとしたら、どれくらい所要時間が必要だろうか?  仮に「顰蹙」という「漢字の書き方」を知っていたとしても、これだけ画数が多いと、書くだけでも30秒ほどかかるかもしれない。また、大半の人がそうであろうが、「顰蹙」などという漢字の書き方を「記憶している」人など滅多にいないから、書こうと思えば、辞書を引いてから、それを一画一画「書き写す」ということをしなければならない。
となると、音としての「顰蹙を買う」と言葉を平気で使っている人でも、文字にして原稿用紙に書きつけるには、2、3分ではとうてい不可能なのである。一一しかも、それでも誤って書き写してしまいがちなのだ。

しかしながら、例えば小説家などが典型的だが、頭の中に浮かんだ文章を原稿用紙の上に定着させていくためには、可能なかぎり素早くそれをやらなければならない。なぜなら、思いついたはずことを、書いているうちに忘れてしまいがちだからである。例えば、辞書を引いているうちに、書きたかったイメージが失せてしまい、せっかくの閃いた表現ができなくなったりするのだ。
だから、手書きよりもキーボードの方が、原稿書き作業として、どれだけ楽で便利かは計り知れないものがある。無論、手書きによる不便な書き方には書き方なりに、独自の優位性がある。しかし、だとしても、それはほとんど副産物的なものであって、かつての作家たちのどれほど多くが「頭に浮かんだことが、そのまま原稿になれば良いのに」と思ったかは、想像に難くないところなのだ。

ともあれ、作家の多くは、頭に浮かんだことを、速やかに原稿用紙の上に定着したいと考えた。だから、どうしても「文字」が荒れてしまう。
つまり、大抵の場合それは、「早く書くため」なのだから「略字」的なものになりがちだし、そのせいで、いわゆる「ミミズがノタくったような文字」になってしまいがちだ。しかも、当然それは正式な「略字」(速記文字)ではなく、作家個々が勝手に、書きやすいように省略改変してしまった文字だから、その「書き癖」を知らない者がその原稿を見れば、何が書いてあるのか「さっぱりわからない」というようなことにもなる。で、そうした手書き原稿(のコピー)が回ってきて、上のようなチェック作業をしなければならないのが、かつての校閲(者)だったのだ。

以上は、あくまでも「書き文字が読めない」という話だけれども、校閲の仕事は、単にそれを読むだけではない。
読むだけなら担当編集者でもできるのだが、校閲者はその「勝手略字」の中から誤字脱字などを見つけ、そこに書かれている内容のチェックまでしなければならないというのだから、ごく一般的な言い方をすれば、なんと「面倒くさい仕事」だろうかということにもなろう。

(「校閲は、原稿を読んではならない」なぜなら、内容に引きづられて字面のミスを見逃してしまいがちだからだ)

しかし、そういう「地味で面倒くさい仕事」だからこそ、校閲の仕事は「職人芸」的な性格を持つ。まただからこそ、第三者が、話としてその逸話を聞く分には「へぇ〜っ」と感心させられもするのだ。
「私には、そんなこと到底できないし、やりたくもないが、それを矜持を持って、職業としてやっている校閲さんってすごいな」という話にもなるのである。

実際、私も、生前に多少縁のあった、ミステリ小説『虚無への供物』の作者中井英夫から、一度だけお葉書をいただいたことがあったのだが、一一これが読めなかった。まさに「ミミズがノタくったような」文面だったのである。
中井英夫は、小説家になる以前は編集者をやっていた、完全に手書き時代の物書きだったので、ただでさえ、その文字は「略字化」していたのだろうし、その晩年にはアルコール依存症にもなっていたために、さらに文字が荒れたのであろう。
それで、私は仕方なく、中井英夫の最晩年の助手であり、当時の助手であった本多正一氏に、その葉書のコピーを送るか何かして、内容を教えてもらったりしたはずである。今のように「写メを送って」という時代ではなかったのだ。

石原慎太郎の直筆原稿は、読めないことで有名であった)

以上は「読み手」としての立場から「校閲」の仕事の大変さの一端を、私なりに紹介したものだけれども、アマチュアとは言え「書き手」でもある今の私の立場から「校閲のありがたさ」ということも書いておきたい。
これは、今や当たり前になった「アマチュア物書き」に共通するものであろう。

このレビュー自体がそうなのだが、私は原稿を書き上げると、今では「3回」推敲することにしている。昔はもっと何度もしていたのだが、それは、多くても月に数本程度、しかも短めの文章しか書かなかったからこそ出来たことだ。
ではなぜ、「短いのを月に数本」程度しか書かなかったのか。それは、書けなかったのではなく、紙媒体の同人誌では、長い文章は、それだけで誌面を取ってしまうから不可だったのと、また、同人誌というのは、どんなによく出ても「隔月刊」(つまり2か月に一度の刊行)だったから、いくつかの同人に所属していたとしても、そこへ載せてもらえる原稿の執筆本数というのは、せいぜい月に2本が限度だったためである。

で、もともと多作であった私は、そうした状況にストレスを溜めていたから、好きなだけ書いて、それをそのまま公開できる、インターネット時代における「SNS」なるものが無料で利用できるようになると、タガが外れたように月に何本も文章を書くようになり、退職後の現在は、ほとんど毎日、新しい文章をアップすることになったのだ。まさに、やりたい放題である。

ところが、そうなると、以前のように、1本の文章を何度も何度も推敲しているわけにはいかなくなる。推敲はその日のうちに済ませないと、次には移れないからだ。

それに、原稿を書くこと自体は楽しいけれど、推敲は、実に面倒くさい
なにしろ、自分の書いた文章だから、内容自体はすでによく知っているものであり、ほとんど何の発見もないからだ。

しかも、もともと一発で上手い文章を書ける人ならば良いだろうが、私は文章が下手だという自覚があるし、それは文章を推敲するからこそ、よくわかることなのだ。もっと上手く書いたつもりなのに、推敲してみると「何だよ、これ」とそう感じ、自分の下手くそさを思い知らされるのだ。
だが、それをせずにそのまま公開するのは、わざわざ恥をかくために文章を公開するようなものだから、ひとまず「内容が正確に伝わるように」そして「なるべく読者に無用の負荷をかけない、読みやすい文章にするために」推敲をせざるを得ないのである。

前述のとおり、それを「俺って、なんて文章が下手なんだろう。内容は悪くないのに」などと自分を励ましながら、自己嫌悪と闘いながら推敲する。一一だから、その「苦行」は、いまや「3回」が限度なのである。

それでも、そうした推敲を経て公開した文章をしばらくしてから読んでみると、昔の「誤字脱字」にあたる「タイピングミス」や「変換ミス」に気づいて「あーっ、こんな恥ずかしいものを読まれていたのか!」と、あわてて修正することになる。
まあ、書き手自身が、後からいくらでも訂正できるところがSNSの良さではあるのだが、印刷媒体の場合、そうした「誤り」が作家・編集者・校閲などの目をすり抜けて、書籍になってしまう場合がある。なにしろ、いずれも「手作業」なのだから、どんなプロの仕事であっても「ミス」としての「見逃し」は付きものなのだが、その「ミス」を刊行後に見つければ、私が自分の文章にそれを見つけたときに数倍する「恥ずかしさ」を覚えることになるだろう。特に、その専門家である校閲者であれば、なおさらであり、そうしたことは、本書の中でも語られている。

そうした「誤植」の歴史の中でも、最も有名な事例が、「姦淫聖書」と呼ばれることになった『1631年にイギリス・ロンドンで印刷業者ロバート・バーカーによって印刷された欽定訳聖書』であろう。
「汝姦淫するなかれ」が誤植で「汝姦淫せよ」になってしまったという致命的なものだ。(Wikipedia「誤植」

私が個人的に印象に残っている事例としては、ミステリ作家・竹本健治の代表作『匣の中の失楽』が台湾で翻訳され『匣中的失楽』として刊行された際、奥付けの著者名が「吉本健治」になっていたというのがある。
これを日本でやっていたら、回収うんぬん以前に、かなり致命的なミスだったはず。いくら奥付けとは言え、担当編集者や校閲者は「血の気が引く」ような事態だったのではないだろうか。
だが、こんなことも手作業なればこそ、たまに起こることなのだ。

だから、自分で推敲して、そうしたミスを見つけなければならないアマチュアの私としては、校閲してくれる人がいたら、どんなにか楽だろうと思わずにはいられない。
そうした凡ミスが指摘されるのを嫌う人もあるだろうが、私の場合は、指摘されないために、恥ずかしいミスを晒し続けることの方がよほど恥ずかしいのだから、そうした指摘は心から歓迎している。

一一そんなわけで本書は、そうした「出版物を支える、縁の下の力持ち」である「校閲の職人たち」の姿を描いていて、とても興味深い。

また、同じ職人であっても、彼らも個性を持った人間だから、何を優先するか、何に重きを置くかは、それぞれの「思想」に由来するため、おのずとそこに「流儀」的なものも生まれて、それぞれのやり方で「理想」が目指されることにもなる。

だからこそ、本作は「職人たちの物語」として、面白いものになっているのだ。

 ○ ○ ○

さて、この機会に、関連する余談をいくつか付け加えておこう。

本書のモデルとなっている「新潮社校閲部」には、かつて天野哲夫が所属していた、という話を側聞したことがある。
天野哲夫とは、かの奇書『家畜人ヤプー』を書いた沼正三の名を、のちに継いだ「二代目・沼正三」と呼ばれる人だ。

(角川文庫版『家畜人ヤプー』/装画は村上芳正

『家畜人ヤプー』の作者である沼正三の正体は、一般には、裁判官だった倉田卓次(が最有力)だと言われている。倉田自身は、死ぬまでそれを認めてはいなかったのだが、業界関係者からそのような証言がいくつも出ていたのである。
当時としては「裁判官」という地位にある倉田が、仮にも「マゾヒズムSF」とでも呼ぶべき小説を書いたと認めるわけにはいかなかったのであろう。それは一種のスキャンダルだったのだ。
三島由紀夫が、公然と自身を「ホモセクシャル(男性同性愛者)」だと認めるわけにはいかなかったのと同じで、そんな時代だったのである。

ともあれ、『家畜人ヤプー』の作者・沼正三は、その正体を隠した「覆面作家」だったわけだが、『家畜人ヤプー』があまりにも話題になってしまったために、対外的に対応しなければならない人物が必要とされ、その結果「沼正三の代理人」として登場したのが、天野哲夫その人だった。当然、彼は当初「自分は沼正三ではない」と言っていたのだが、後年には「実は私が沼正三本人である」と言い出したのだ。
その段階ではすでに、天野哲夫は、自分名義で「マゾヒズム」関連のエッセイ本や小説本を何冊も刊行していたのだが、そんな天野が、『家畜人ヤプー』の作者である沼正三であると名乗り出すと、『家畜人ヤプー』を高く評価していた文学者などから「あんなやつが沼正三であるわけがない。あんなやつに『家畜人ヤプー』が書けるわけがない。私は、沼正三の正体が倉田卓次だと知っている」等と証言する人が出てきたのである。

で、私もこの「沼正三・天野哲夫別人説」を支持するものなのだが、その真相はここでは問題にしない。

問題は、天野哲夫が「私が沼正三の正体だ」と名乗って、「一定の説得力」を持ち得たのは、なぜなのかという点であり、それは、天野が、

(1)文学趣味のあるマゾヒストである。
(2)長年「沼正三の代理人」をやっていた人である。
(3)『家畜人ヤプー』のペダンティックな作風同様、天野は「博学」の人だった。

ということがあるからだ。

で、この(3)の点が「校閲」と関わってくるのだ。

本書『くらべて、けみして』でも描かれているとおり、校閲者というものは、作家が原稿に書いてよこす、あらゆる事象についてチェックする仕事なので、おのずと「博学」になってしまう。
もちろん、分野的に得意不得意はあっても、一般人と比べれば、広く深い知識を持っている人が多い。
だから「校閲出身の天野哲夫が、『家畜人ヤプー』の作者だ」と言われれば、なるほどという話にもなりやすかったのだ。

 ○ ○ ○

もうひとつは、時代が下った近年、新潮社がネトウヨ本」を出すようになった際に、私が「出版不況のために、ついに新潮社もここまで落ちぶれたか」と批判したことについでだ。

私の中では長らく、新潮社とは「良心的な文学出版社」であった。
芥川賞直木賞の勧進元である文藝春秋よりも、私は新潮社を高く買っていたからこそ、その新潮社が「ネトウヨ本」を刊行しはじめたことを、嘆かずにはいられなかったのである。

では、私がなぜ、新潮社を「文芸書の新潮社」として高く評価していたのか?

その理由は、その筋では有名な「新潮社校閲部」と「新潮社装幀室」を高く評価していたからである。こんな良い仕事をしている内部部局など、他の出版社には無かった。

だからこそ、その新潮社には、「文芸書」ではなかったとしても、それでも新潮社の看板に泥を塗るような本は、出してほしくはなかったのである。

まあ、現実というのはいろいろある、ということなのかもしれないが、新潮社の校閲部や装幀室が、採算を理由に切られたりすることのないようにと、ファンなればこそ、そう祈らずにはいられないのである。


(2025年3月16日)


 ○ ○ ○


 ○ ○ ○


 ● ● ●


 ○ ○ ○

 ○ ○ ○

 ○ ○ ○


 ○ ○ ○


 ○ ○ ○