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独居老人のぎっくり腰・初期の顛末記

一昨日の朝にやってしまった「ぎっくり腰」でしたが、おかげさまで当社比70%の回復を見て、日常生活に支障のないところまで漕ぎつけました。

私などのことを心配して下さった奇特な方々、逆に、私がぎっくり腰になったと知って「そのまま再起不能になりやがれ」などと願ったであろう、北村紗衣小林えみなどの「オープンレター:女性差別的な文化を脱するために」に参加して、今はその過去に頬被りをしている無責任な似非フェミニストの面々、あるいは、私に批判されて赤っ恥をかき、恨み骨髄の「匿名その他」の面々(例えば、noteアカウント名で、糞リプマン吉成学人ら各氏)に、私の回復状況をお伝えして、安心していただくなり落胆をしてもらうため、あるいはまた、今後、私と同様「独居高齢者のぎっくり腰」を経験するであろう方たちのために、私の経験を公開して残しておき、多少なりと役立てていただきたいと思います。

 ○ ○ ○

まず、私がここで語るのは、あくまでも、ぎっくり腰になって丸2日、3日目までの体験と思考にすぎません。つまり、長期的な回復や治療経験の話ではない。

あくまでも、独居の人が、突然ぎっくり腰になり、立つことさえままならなくなって、さあ困ったぞとなった時の話です。

言い換えれば、ぎっくり腰になった当初に限った話です。

まず、一番最初の対応として必要なことは、

・火の始末などの安全の確保
・無理に動かず、安静にすること
・患部を冷やすこと

などがあります。
しかしながら、こういったことは、ネット検索すれば、必ず出てきますから、そうしたことについては、ここに詳しく書くことしません。

もっと、当事者として差し迫った問題、そして私が検索した範囲では回答の見当たらなかった部分について書きたいと思います。

まず、ぎっくり腰は、おおむね「1週間」で自然回復すると、ネット記事などでは紹介されています。
このあたりは、複数の専門家の書いていることなので、大筋として信用して良いと思います。

そして、その上で、それ以上に痛みが長引くようなら、医師の相談して治療を受けろと、おおむねそういう話のようです。

つまり、ぎっくり腰は、安静にさえしていれば自然治癒で治るものなのだけれど、痛め方によると、完全には治りきらないこともあるので、医師の治療を受けろ、と。

無論、自然治癒したところで、そのままでは、ぎっくり腰になった要因そのものは無くなっていません。
例えば、私のような、

・運動不足(による筋力低下)
・同じ姿勢を長時間とる生活

などですが、治癒後も同じような生活をしていれば、当然、再び三たびぎっくり腰になる怖れはあり、前回よりも症状を悪化させ、さらには慢性化させることもある。

ですから、腰痛の回復後は、軽い運動から始めて筋力アップに努め、ぎっくり腰の原因となるような生活を可能なかぎり改めるといったことが、必要となってきます。

しかしながら、私の場合だと、本を読む、文章を書くというのは、生活の中心ですから、それを止めるわけにはいかない。
したがって、私がやらなければならないのは、ぎっくり腰にならない体を作ることであり、要は運動をして、筋力アップと身体の柔軟性を高めるなどすること、ということになります。

しかしながら、以上のような「今後の話」は、本稿の眼目ではありません。

この程度のことは、どこにでも書いてあることだからなのですが、問題は、まさにぎっくり腰になったばかりで身動きのとれない時期には、こうした知識はほとんど役に立たない、という事実です。

したがって、私が以下に書きたいのは、ぎっくり腰になってしまった当日と翌日の体験です。
未体験の困った事態に直面した、まさにその時の問題です。

まず、一番大切なのは、前記のとおりで、

・安全の確保

例えば、火を使っての調理中にぎっくり腰になったら、まずしなければならないのは、確実に火を消すこと。
これは、アイロンを使っているなどの、類似行為でも同じです。

当たり前すぎる話のようですが、ぎっくり腰になった際の腰の痛みのために、これらのことを忘れてしまうことがある。
例えば、鍋やプライパンを火にかけながら、もう一方で食材を刻むとか洗うなどしていた場合、そこでぎっくり腰になると、「目の前の作業」は否応なく止めざるを得ませんが、あまりの痛みのために、鍋やプライパンを使っていたことの方は忘れてしまう場合がある。

そのまま、床にうずくまって動けなくなるとか、なんとかベッドまで這って行って横になるといった場合、火にかけたままの鍋やフライパンは視野から消えてしまい、すっかり忘れてしまうことにもなりかねません。
ですから、こうした当たり前の「安全確保」が、まずは絶対に必要なのです。

しかしこれも、ぎっくり腰になった当事者以外には、当たり前の話でしかないでしよう。
ですから、以下では、こうした「当たり前のこと」をした上での問題について、語りたいと思います。

 ○ ○ ○

まず横になって安静にしなければならないのですが、その際に必要なのは、携帯電話を手元に置くこと。

つまり、いつでも「助けを呼べる」よう、連絡手段を確保する。
それから、できれば、横なって休んだ場所から移動せずとも携帯電話の充電ができるよう、コンセントにさした充電器が、寝ている手元にある方が良い。
ぎっくり腰になれば、充電しに行く、充電器を取りに行くなどといったことさえ困難になるからです。

携帯電話があれば、すぐに助けを求めることができるのは無論、ぎっくり腰についての情報が得られますから、その点で、安心感も得られます。

特に本稿では「独居者」の場合を想定にしており、家族に相談したり、頼ったりできない人の場合ですから、そうした身近な人の代わりになる相談者役としての、携帯電話(スマホ)が重要なのです。

ちなみに今どきなら、携帯電話のAIにあれこれ相談するだけではなく、慰めてもらうことすらも可能でしょう。「腰が痛くって仕方がない。慰めて」と言えば、優しい言葉をかけてくれるでしょう。傍目には、気持ち悪いことかもしれませんが。

さて、ここまでは、最低限必要なことでしたが、その上で、私が直面した問題について、さらに突っ込んだ説明をしましょう。

前述のとおり、ぎっくり腰はおおむね1週間で自然治癒し、痛みのピークは3日目くらいまでだとされています。
ですから、3日目までは、その痛みでほとんど身動きできないと考えてください。3日目までは、安静にしていなければならないのです。

けれども人間は、3日間、ただ寝ているだけ、というわけにはいきません。

栄養補給と排泄

だけは、否応なく必要だからです。

しかしながら、人間は、1週間くらいなら、飲まず食わすでも死なないそうですから、3日間くらいなら、飲まず食わすでも、何とかなるでしょう。

しかしながら、それで身体が弱って、意識朦朧となったりすれば危険ですから、できれば、最低限の水分補給と栄養補給が出来るようにすべきです。
特に、水分補給の方が重要だと言いますから、水分補給の手段を確保はしなければならない。

つまり、痛くても苦しくても、水分を確保するため、最低限は動かなければならない。

喉が渇くたびにいちいち起き出して水を飲みに行くわけにはいかない。
だから、最低1、2本のペットボトル飲料などの買い置きが必要だし、それが無くても、容器としてのペットボトルがあった方が良い。ペットボトルや水筒などは、蓋ができるから便利なのです。

しかしそれさえ無いのであれば、洗面器であろうと丼鉢であろうと、とにかく容器に水を入れて、いつでも飲めるよう枕元に置いておく必要があります。

しかしながら、これらはこぼしてしまう恐れが高いし、それ以外に、これらの「蓋のできない容器」で水を運ぶことの困難がある。
平時であれば、それらの容器を手に持って運べば良いだけですが、立てない状態で移動する場合、つまり四つん這いや匍匐前進などでは、容器を手に持つことはできません。

ですから、その場合はどうするのかというと、お盆などを使うのです。
つまり、水を入れた容器をそのまま移動させるのではなく、お盆などに乗せて移動させる。

具体的に言えば、水を入れた容器などを乗せたお盆を、床の上で、押して滑らせるようにして移動させ、そのあと自分が前進し、その位置から更にお盆を押して前進させ、そのあと自分が前進するという、尺取り虫的な搬送移動方式です。
四つん這いや匍匐前進になると、そんなやり方しかない、ということです。

お盆の良いところは、物をいくつも乗せられことです。
水を入れた容器を一度にたくさん、例えば、ペットボトルを10本一度に運ぶことも出来ますし、食料やタオルなど、必要と思えるものを同時にいくつも運べます。

腰が痛い時は、這うことさえ苦しいのですから、一度にたくさん運べるというのは、大変なメリットです。
私も、思いついた物を運んだあとに「あれも一緒に取ってくれば良かった」と、何度もほぞを噛んだものです。

なお、お盆を使い、それを床を滑らせて移動させるという方法なら、量だけではなく、それなりの重さであっても運べるというメリットがあることを付言しておきます。

以上のように、ひとまず最低限の水分と食料の確保が必要となりますが、当然のことながら、ペットボトル飲料なども、日頃から買い揃えておかないと、取りに行くこともできません。
特に、食料の場合、室内の平温では痛むナマものは避けて、お菓子やチョコレート、あるいは、カロリーメイトなどがあれば、緊急食として便利です。

ただし、以上のことは、今回の私の場合に限られる話も、多々あります。
私の場合は、寝室に使っている居間も、台所も洗面所やトイレも、そして玄関も、すべて同じ一階にあり、すべて5メートル圏内にあります。
だから、四つん這いでの作業も、痛ささえ我慢すれば、なんとか可能なのですが、例えば、ぎっくり腰になった部屋が2階の寝室であり、キッチンも洗面所もトイレも、すべて一階にしかなかった場合などは、事は極めて困難になる。

四つん這いで、階段を降りることなど、健康体であってさえ、そう簡単なことではないからです。

ですから、そうした場合には、その2階の寝室で休むのではなく、腰の様子を見ながらも、何としてでも、1階に横になる場所を確保しなければなりません。

もちろん、他になければ、ソファーでもかまいませんが、たぶん柔らかいソファーは腰に悪いでしょう。ですから、その場合には、カーペットの上に直に寝た方が、まだマシかも知れません。

無論、カーペットのうえで横になるかぎりは、その部屋の温度調節が必要です。
つまり、エアコンの無い部屋で、冬の時期に、布団と被らずに寝ることは不可能だし、熱帯夜の時期に、エアコン無しで床に寝るというのも大変なことです。

つまり、それぞれの家の構造や居室の状態によって、どこでぎっくり腰になっても、それなりに対応できるよう、あらかじめ「想定」をし、その想定に合わせた、最低限の準備だけは、日頃からしておくべきだと思います。

私の場合、ぎっくり腰になったのが2階ではなくて、本当に良かったと思います。

さて次は、本稿のメインである「下の話」、つまり「排泄の問題」です。

仮に、ぎっくり腰になってからは、飲まず食わすであったとしても、それ以前に摂取した、水分や固体摂取物が体内にありますから、いずれ排泄衝動が起こり、それを避けることはできません。

つまり、横になっている場所に「垂れ流す」わけにはいかないから、何らかのかたちで排泄して、その大小を処分しなければ、安静になどしていられないのです。

仮に「おむつ」が手近にあってさえ、それを履いて、その中に漏らしながら、安静にしていたいなどと思う人はいないと思います。
ではどうするか?

まず、私の場合の話ですが、四つん這いにしかなれない状態では、トイレの洋式の便座にすら座ることができませんでした(和式でも、しゃがむことはできません)。ですから、トイレは使えない。

したがって、トイレ以外のところで用を足し、その上で、その排泄物を処分しなければならない。

そこで私が考えたのは、小便(以下「小」と記す)は、洗面器にして、それを洗面台の排水溝に流す、という方法です。
一一こうしたリアルは、ネット検索しても、出てこないのです。

もちろん、風呂場の排水溝に流してもいいのですが、風呂場は全体がタイル張りですから
四つん這いで入ると、膝がとても痛い。
もちろん、風呂場で用をたせば、あとは水で流せば良いだけだから便利なようですが、しかし次回以降は、風呂場の床が濡れていることになります。
それを想像していただければ、風呂場での排泄や、そこの排水溝に「小」を流すことのメリットの少なさがご理解いただける思います。

そんなわけで、かなり尾籠な話になりますが、私の場合は、風呂場から持ち出した洗面器を使い、洗面台の前の洗面所で「小」を排泄してから、それを洗面台の排水溝に流すことにしました。
ここからは、こうした具体的な話を書きます。

うちの洗面所の床は、水場らしく撥水加工されたの柔らかいシートが貼られています。ですから、多少、「小」が飛んでも、拭き取ることができます。
言い換えれば、畳の部屋は無論、板張りの床では、「小」すらしにくい。

で、私の場合は、洗面台の前の床で、四つん這いの状態で下着を膝下まで下ろし、四つん這いになった両膝の間に洗面器を置いて、排泄しました。

ところが、「小」は、私が想定したよりも後方に排泄されたので、洗面器の縁に当たるなどして、一部が後方にこぼれて、下着を濡らしてしまいました。

そこで私はやむなく下着を脱いで、その濡れていない部分で、若干濡れた感じのあった内腿や下肢と床をざっと拭い、それを横の洗濯機に放り込みました。

しかし、この上蓋式の洗濯機も、四つん這いの姿勢から見れば、蓋は頭より高い位置にありますから、四つん這いの片手で、下かかその蓋を少しだけ押し開け、その隙間にもう片方の手で、汚れた下着を押し込みました。
その間、両膝立ちですから、何秒もそんな姿勢は保てないのです。

それから私は、腰高の洗面台に左腕を肩まで乗せるかたちで上体を支え、右手で洗面器に入った「小」を洗面台の排水溝に流すと、その洗面台の水を流す部分に洗面器を置いて、右手で蛇口から水を出して、洗面器の中を洗い流し、裏の底面も流したあと、その洗面器に、ある程度水を張って、それを洗面台の水を流す部分に何度か流して、そこを洗浄したのでした。

そんなわけで、水を拭い払った洗面器ひとつを持った私は、下半身裸の状態で、居間の布団まで這って戻りました。
幸い手近に下着類をしまったタンスがあったので、すぐに下着を履き替えることができましたが、私はあとのことを考えて、下は、下着一枚だけにすることにしました。

以上が、初めての「小」の排泄の顛末です。

私がこの体験から学んだのは、四つん這いになって「小」をたすと、意外にも、想定よりも後方に排泄されるという点です。
男性の場合、「小の排泄器(つまり、ペニス)」が身体の前面に付いていますから、感じとしては、「小」は「前に出る」という印象を持っています。
そのため私は、四つん這いで「小」を排泄しようとした際、洗面器を、両膝の間のやや前に置いたのです。

ところが、排泄器は腰の痛みのために縮こまっているということもあって、手を添えて排泄したにもかかわらず、想定したよりも後方に出てしまった。
これはたぶん、私たち男性が思っている以上に、排泄器は「前」ではなく「下」についている、ということなのでしょう。
だから、四つん這いになると、想定よりも後方に排泄されることになるのです。

このような体験から、私はそれ以降、三度ほど洗面器を使って「小」の用を足しましたが、うまく洗面器の中に排泄できるようになったのです。

しかし、このような経験から、私は「大」の方は、洗面器にすることは出来ても、そのあとの処分が数段困難だとわかって、ひとまず3日間は、「大」の排泄は止めようと思いました。
普通なら、おおよそ毎日一度はすることですが、噂に聞く女性の便秘のことを考えれば、3日くらいは問題ないだろうし、3日もすれば、頑張れば便座にも座れるようになるだろうと、そう考えたのです。
なにしろ「大」は半固形ですら、洗面台は無論、風呂場の排水溝にすら流せないのです。

それで、私は、水分はそこそこ取らなければならないが、固形物は最低限にしておこうと考えました。
それで、冷蔵庫の最下段の冷凍室に買い置きしてあったチョコレートのパックで、3日間をしのごうと考えました。

しかし、肝心な水分の方は、たまたま買ってあった500mlのお茶のペットボトル1本しかなかった(冷蔵庫の中に、1リットル紙パックの牛乳と野菜ジュースは2本ずつありましたが、これはいったん開封するとこぼれやすい)。だから、ぺつ1本のお茶で3日間は、我慢はできても体には悪そうだと、結局は、電車で二駅ほど離れた街に住んでいる弟に電話をして、ポカリスエットの500mlを10本と、ついでにカロリーメイドを多めに買って届けてもらうよう依頼しました。

なるべく迷惑をかけたくはなかったけれど、他に助けを求めるとすれば、119番か110番しかない。
しかし、警察官をしていた経験から、119番は基本的に「緊急事態」や「救急搬送」のためのものだから、呼びつけて「食料と飲み物を買ってきてくれ」と頼むわけにはいかない。
その点、警察は融通がきいて、110番して事情を話せば、家まで来てくれ、金を渡せば、買い物すらしてくれるでしょう。なにしろ人命に関わることなのだから、断るわけにはいかないからです。
私自身、現役時代には、それに類した仕事をしたこともあるし、身動きが取れなくて困っている人のためなら、それくらいのことはお易い御用でした。交通切符を切ることよりも、よほど気持ちの良い、感謝される仕事だったからです。
(【補足】本稿をアップした後に気づいたんですが、今は、便利屋の買い物代行という選択肢があるんですね。それなら、警察ではなく、そちらを使うべきでしょう)

しかしながら、そんな仕事をしてきたからこそ、できれば警察官の手をわずらわせたくはなかったし、何よりそうなると、弟が恥をかくことになる。警察官は、事後のためにも、後事を託せる身内の存在を確認して、可能であれば連絡をとるからです。

つまり、身寄りのない人ならばともかく、わりあい近くに弟が住んでいるのに、そちらに助けを求めず、つまらないことで警察に助けを求めたのだとしたら、弟はよほど信頼されていない、当てにされていない人物だということになってしまうからです。
また。そんなかたちで、いきなり警察からの連絡を受ければ、弟だって「なんで先にうちに連絡してこないんだ」と思うだろうし、気も悪いでしょう。

ですから、誰か人に頼るのならば、まず最初は、身内である弟であり、それで間に合わないことは、警察や消防に頼らなければならないと、私はそう考えたのでした。

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ともあれ、私のぎっくり腰は、なった当初も多少は歩けたように、比較的軽症だったせいか、発症の当日(一昨日)の夕方から、翌日(昨日)の夕方くらいまでは、痛みで立てなくなって四つん這いの移動しか出来なかったものの、弟に届けてもらった湿布薬のおかげもあってか、翌日の夜には、何とか立って歩くことができるようになり、トイレで用をたせるようになって、一安心しました。

だから、昨日の夜には、「大」の後始末の心配する必要も無くなったので、炊飯器の中に残っていた冷飯をレンジで温め、冷蔵庫あったキムチで、立ったままの食事を済ませました。
椅子などに座ると、また立つのが大変だったからです。

そんなわけで、弟に買ってきてもらった、食料はほとんど必要なくなったのですが、これは結果論だから仕方ありません。
それに腐るものではないから、備蓄品として置いておくことも出来るのです。

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そんなわけで、今朝は7時頃に目覚めてから、これを書いています。
お昼を過ぎた今でも、まだ朝食も取っていませんが、いつでも食べられると思えば、それも平気です。

しかしまた、そろそろ腹も減ってきたし、この文章もおおむね書き上げたので、そろそろ食事にしようと思っています。

今朝、小用に立ったら、昨夜よりもさらに痛みが退いており、最初に書いたとおり、おおむね70%の回復といった感じでした。
ですから、トイレは無論、いつもどおりにパンを焼くことも、ご飯を炊くことも、もう可能です。

だからこのあと、パンを焼いて朝昼兼用の食事を済ませ、何度かにわけで食べられるよう、多めにご飯も炊いておくつもりでいます。

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本稿で主に語りたかったのは、立てなくなると、飲料や食料の確保にも困るし、何よりも排泄に困るという、生々しい現実です。それをお伝えてしたかった。

なぜなら、一人で生活していれば、いつでもこのくらいの事態にはなりうる、ということを、未経験の人には知っておいていただきたかったのです。
たとえ若くても、そうなると。

もちろん、同居の家族がいれば、面倒を見てもらえることでしょう。
しかし、いずれはさまざまな事情で、そうもいかなくなる事態や状況に、陥らないとは限りません。

そしてそうなった際には、私の経験したようなことになるのだということは、知っていて損はない。

かといって、そんな目には遭わないためにも、結婚しようなどという馬鹿なことを考えるのではなく、まず自分ひとりでも、何とか出来るように、考えておかなければならない、ということです。

そうでなければ、最後は、大小垂れ流した状態の変死体として、人さまに発見されるような事態にもなりかねません。
私は40年の警察官人生で、そういう人をたくさん見てきたのです。

もちろん、一人暮らしをする以上、最後の最後はそうなるという覚悟は必要なのですが、最後の最後まではそうならない、簡単にそうはならない意志というのは、必要なものだと思います。

そうした非常の覚悟を促すために、私はこれを書いたとも言えるでしょう。

現在、午後1時ちょっと前。
さすがに腹が減ったので、ここで筆を置くことにします。

食事を済ませたあと、何度か推敲をして、今日中には「note」にアップする予定です。

(2025年12月2日)

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