チャック・パラニューク 『サバイバー』 : 絶望的な世界に告ぐ
書評:チャック・パラニューク『サバイバー』(ハヤカワ文庫)
ブラッド・ピットの主演で映画化された第一長編『ファイト・クラブ』がカルト的な人気を博して、一躍人気作家となったパラニュークだったが、それはいささか、皮肉な「売れ方」だった。
小説家である以上、本が売れて読まれることは、この上なく喜ばしいことなのだが、明らかな「誤読」によって人気が出たのでは、心中穏やかではいられなかったはずだ。
『ファイト・クラブ』に描かれたタイラー・ダーデンという男は、言うなれば「美しき狂気」とでも呼ぶべき青年であり、そのイメージを、ブラッド・ピットが見事に具現化して見せたのである。

そして、今のこの世の中に「満たされない」ものを感じている若者たちが、「理屈なんていらない。ぶっ潰せ」と煽ってくるカリスマたるタイラーに酔い、作中のタイラー信者たちと同様に、彼の崇拝者になった。
そうした意味で、『ファイト・クラブ』は、まさに「カルト映画」であり、「カルト小説」となったのである。
だが、映画版ではわかりにくいものの、原作小説を読めば、作者パラニュークが、タイラー・ダーデンを支持していないことなど明らかだ。
だがまた、それにもかかわらず、原作を読んでもなお、タイラーが「カッコいい」といって、同作に酔う読者が少なくないことに、パラニュークは、苛立ちを募らせたであろうことは、疑い得ない。
「なんて馬鹿ばっかりなんだ!」
無論、世の中は馬鹿ばかりでもないのだが、馬鹿の声はデカくて通りやすい、ということはあるだろう。
類は類を呼ぶで、馬鹿は連れもって盛り上がりたがるものであり、またそれによって、さらに思考停止を深め、誤った自信を強めていく。一一まさに、カルトの世界だ。
作者が「タイラー・ダーデンなどいない」といくら訴えたところで、信じたいものを信じることしかしない、思考停止した人々には、そんな当たり前の言葉は届かない。ましてや「理性の言葉」など届くわけがない。
考えたくないから思考停止している人たちに「考えてもみろよ」と言ったところで、それは原理的に無理な要求でしかない。
犬や猫に「考えろ」と要求するより、ある意味では、無理な注文なのだ。
『ファイト・クラブ』は、殴り合いをする秘密クラブが、やがて反社会的なテロリズム集団へと発展していく物語だった。
そこで描かれた、タイラー・ダーデンを頭目としたグループは、そうした意味において「カルト集団」だったのだが、本作『サバイバー』では、そのまま「宗教カルト」が描かれる。

本作の語り手である主人公は、「集団自殺」を遂げたカルト教団の生き残りだった。
その意味において彼は、「サバイバー」だったのである。
しかし彼は、すき好んで生き残ったのではない。
たまたま取り残されたのであり、そうした生き残りを保護しようとした政府の監察措置によって、後追い自殺をし損なっているうちに、信じていた教団の実態を徐々に知ることになる。
教団は、主人公の「僕」が信じていたような「無垢で社会奉仕的な信仰集団」などではなかったのである。
主人公は夢破れ、この不浄な「地上」に取り残されてしまった。
「デプログラミング(洗脳解除)」による、現実社会への復帰である。一一正確には、「復帰」ではなく「放逐」だったのだが。
『上空で燃料が底をつき、エンジンが一基ずつ停止を始めた航空機のコクピット。(※ 機内に)ただ独り残ったハイジャック犯である僕は、ブラックボックスに自身の半生を物語る。カルト教団で過ごした過去。外の世界での奉仕活動。とある電話を通じて狂い始める日常。集団自殺で崩壊した教団の生き残りとしてメディアから持て囃される狂騒。それら全てが最悪の方向へ転んでしまった人生を――『ファイト・クラブ』を超える傑作カルト小説』
(Amazonの本書紹介ページより)

教団の実態など、知らない方が幸せだったのだ。
あの頃の「僕」は、教団による労働搾取を受けながらも、それが世のため人のためにもなれば、自分が徳を積むためにもなって、その先に「天国」が待っていると、そう本気で信じることが出来ていたからである。
一一だが「僕」は、その教団の、この世からの「脱出(エクソダス)」から取り残されてしまった。置いてけぼりにされてしまった。
神の手が、「僕」をこの「地上」に取り落としてしまった。「僕」は否応なく、この地上の「現実」を生きなければならなくなった。一一もう、何もかもどうでも良くなった。
こんな世界など無くなってしまえばいいのにという投げやりな感情だけが残り、そこに悪魔がつけ込むように、「僕」は「偽物の宗教カリスマ」へと仕立て上げられていく。
我ながら馬鹿馬鹿しいと思いながら、それでも、そんな自分の「堕落した生」を捨てることができない。どうして、こんなことまでして生きているのかよくわからない。
それでも、そこで得られる快楽を捨てることができない。
多くの人が、所詮は「人工的な偶像」でしかない「僕」を、崇拝してくれる。
「僕」はスポットライトを浴び、注目されることに、たしかに喜びを感じている。
馬鹿馬鹿しい。一一そう思いながらも、「僕」は、そんな人生を捨て去ることができなくなっていた。
『 僕がこんなことをしでかしたのは、死ぬまで飛行機で地球の周りを飛ぶなんて愚かなハイジャックを計画したのは、ステロイド剤をやりすぎたからだと世間は言うだろう。
名にし負う世界的超有名宗教家(※ である僕)の実像を知りもせず。この事件を報じるニュース番組を眺め、僕に勝手な判決を下す間にも、リスクのない退屈な生き方に意味を与えてくれる新たなグルを探して、早くもきょろきょろし始めているくせに。人は誰もが探している。すがるべき手を。安心を。すべてうまくいくという希望を。世間が僕に求めたのもそれだった。ストレスに負けそうで、やけっぱちで、知らぬ者のない僕に。プレッシャーに押し潰されそうな僕に。巨大な、魅力的な、巨大な、カリスマ的な、巨大なロールモデルであり続けるというのがどんなものか、世間の連中はこれっぽっちも知りはしない。
(※ ダイエットのために)階段(※ マシーン)を昇って百三十階あたりにさしかかると、うわごと、大ぼら、異言が口から飛び出す。
僕をここに追いこんだのは日々のそうした努力だということを知るのは、たぶん、フアーティリティ(※ 登場人物の名前。予知能力を持つ女性)ー人だ。
想像してみてくれ。残りの人生がどうにも耐えがたい仕事に変貌したら、果たしてどんな気持ちになるか。
いや、世間の誰もがこう信じている。自分の人生はせめてマスターベーションと同程度には楽しいものだと。』
(P 211〜210・註:本書はページ数がカウントダウンする形で振られている)
『 エージェントによれば、大衆は指導者を求めている。精力的な人物。巨躯の持ち主。
力強さにあふれたリーダー。骨と皮だけのちっぽけな神など誰も求めていない。胸囲と胴囲の差が三十インチある人間を求めている。盛り上がった胸筋。長い脚。先の割れた顔。たくましいふくらはぎ。
人間を超えた人間を求めている。
等身大を超えた人物像を求めている。
解剖学的に正確なだけじゃ物足りない。
大衆が望むのは、解剖学的な大きさだ。外科手術で補ったものだ。新しく、改良されたもの。シリコンを注入したもの。コラーゲンを注入したもの。
念のため。デカデュラボリンを摂取して最初の三カ月が過ぎるころ、靴の紐を結びたくても手が届かなかった。僕の腕はそこまで太くなっていた。騒ぐほどのことじゃない、エージェントはそう言って、僕の靴紐を結ぶ係を雇った。
ロシア製のメタハポクテホジッチを十七週摂取すると髪がみんな抜け、エージェントはかつらを買ってくれた。
「この点では妥協してもらわないとな」とエージェントは言う。「自分で靴紐を結ぶ神なんか、誰が祟めるものか」
口臭とぼさぼさの髪とささくれに悩む一般人を、誰が祟めるものか。』(P207〜206)
『 エージェントが説明した計画では、僕らが狙い撃ちする層は、ごく一部の知的水準の高い人々ではなく、その他大勢のほうだ。
エージェントは言う。「これからは、自分をダイエットコーク(※ 気休め)だと考えることだ」
エージェントは言う。「時代遅れの宗教に不満を抱いたり、まるで信仰を持たない世界の若年層を思え。それがきみがターゲットとする市場だと考えることだ」
大衆はすべてのものをつなげる手段を探している。肉体的魅力と神聖性、ファッションと精神性を結びつける統一場理論を必要としている。大衆は、道徳的であると同時に見た目よくありたいと願っている。』
(P205・ゴシック強調は引用者による)
大衆が求めているのは、ドナルド・トランプのような「力強い男」である。
彼は、「僕」よりも頭の悪い、その分「幸福」なカツラ男であり、実在である分、そこまで見目麗しくはない「タイラー・ダーデンもどき」なのだ。
「僕」が、この「地上」に絶望したくなるのも、当然なのではないだろうか?
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【追記】 最悪の解説者・北村紗衣
私が読んだ本書『サバイバー』は、現行の「新版」ではなく、「文庫元版」の方で、解説者は柳下毅一郎であった。
したがって、この記事の本文を書いている段階では気づかなかったのだが、当「note」ページを作成するために、新版の「書影」を確認したところ、解説が、「武蔵大学の教授」で自称フェミニストの北村紗衣のそれに、差し替えられていることに気がついた。
いったい、編集者は何におもねって、わざわざ解説者を北村紗衣などに差し替えたりしたのであろうか? 一一その解答は、次のレビューにある。
知っての方は知ってのとおりで、私と北村紗衣は、因縁浅からぬ関係なのだが、そんな私に言わせれば、「Xのフォロワー5万人」を誇る北村紗衣こそ、ある意味ではリアル「タイラー・ダーデン」であろう。
しかし、女「ドナルド・トランプ」と言うよりは、北村紗衣当人も「似ている」と認めるとおりで、女「イーロン・マスク」と呼んだ方が良いかもしれない。
一一無論「能力」の話ではなく、「性格」の話だ。
『サバイバー』の解説を書いた頃とは違い、すでに1年ほど、私に攻め立てられて、ぐうの音も出なくなった北村紗衣は、「空虚な偶像」の虚しさを、多少は実感できるようになっているのではないかと、私はそう確信している。
その証拠は、ここに「一部」ご紹介した、「北村紗衣批判」を含むレビューの数々である。
それにしても、ケンカを売ったのは北村紗衣の方なのだが、一発殴り返すと、それっきりダンマリでは、あまりにも物足りない。
私がしたいのは、素手の「言葉」で、殴り合おうぜということだけなのである。プチ「タイラー・ダーデンもどき」さんよ。
(2025年8月17日)
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