福田恆存 『人間・この劇的なるもの』 : 所詮は「教祖の御託宣」
書評:福田恆存『人間・この劇的なるもの』(新潮文庫)
私が福田恆存を読もうと思ったのは、福田が「保守の論客」と言われた人であったからだ。どこで誰がそのように書いていたのか、すでに記憶はないのだが、この評価は、たぶんごく一般的なものであろう。
なお、福田が「保守の論客」と呼ばれる際に、同時にそう並び称されたのが、小林秀雄である。日本を代表する文芸評論家の、あの小林秀雄だ。
だから、福田恆存の「保守の論客」としての評価がいかに高かったかが、そこでも窺えよう。
また、このように呼ばれる際に想定されている「保守(思想家)」とは、「戦後の」それということになろう。
戦前・戦中の日本が、軍国主義的に保守化していった結果の「敗戦」であったから、戦後には急激な自由主義化が進んだ。
なにしろ、日本の戦時体制であった天皇制国家の国粋主義を、徹底的に解体しようとしたのが、戦勝国で、自由主義国のリーダーをもって任じたアメリカだったのだから、その庇護下において、急速な自由化が進んだのは、ごく当然のことであろう。
こうした背景の下に、一部に押しつけ憲法だと批判されることもある、「平和と自由と平等」を基本理念に掲げた「日本国憲法」も制定された。
なぜ、これが制定されたのかといえば、いわゆる明治憲法たる「大日本帝国憲法」が、「平和と自由と平等」を欠いたものだったからに他ならない。
「大日本帝国憲法」は、その名のとおり「帝国主義=植民地主義」を掲げた、反平和主義であり、その目的を達するためには、個人の自由や平等を蔑ろにするものでしかなかった。
つまり、押しつけであろうがなかろうが、悲惨な戦争を体験した日本人の多くは、「日本国憲法」の「中身」については、納得してこれを受けいれたのだ。
一一だが、占領国アメリカによる日本の「自由主義化(リベラル化)」は、さほど長くは続かなかった。
アメリカ本国が、戦後世界の覇権をめぐって「ソ連(ソビエト連邦)」との「冷戦」体制に入り、「朝鮮戦争」を初めとした「代理戦争」を始めたためである。
そのためアメリカは、自らの支配下にあった日本についても、完全な「平和国家」になってもらっては困る、と考え始めた。
スイスのような独立自存の中立国家ではなく、あくまでの「アメリカの大義(自由)」に忠実な従属国家に止まってもらわなければ不都合なのだ。
つまり、日本がまた、以前のような、危険な軍事国家に戻ってもらっては困るけれど、しかしアメリカによる「世界の自由主義国家化」には協力的であってもらわなければならない。
「アメリカの推し進める自由主義国家化」のためなら、武器弾薬でも作ってくれる協力的な「同盟国」であってもらわなければならなかった。
だから、戦後急速に押し進められていた、日本の平和主義化、自由主義化は、数年もすると「逆コース」を辿ることになる。
「平和と自由と平等」ということを、文字どおりに受け止め、それを信奉するが故に、アメリカの進める「戦争」にすら逆らうような国になってもらっては、困るからである。
だから、戦後、急激に勢力を拡大した「共産党」や「労働組合」といった政治勢力は、一転して弾圧を受けることになる。
また、敗戦によっていったんは公職から追放された、戦前・戦中の政治家などが、政治の舞台に呼び戻された。
かつての敵であったアメリカの、占領国統治機関であったGHQに許され、そのバックアップを受けて、政治の世界に戻ってきたのだ。
つまり、日本の戦後政治は、建前こそ「平和と自由と平等」ではあったけれども、現実には、アメリカ都合のそれに止まるという、矛盾を抱えることになった。
そしてその象徴が、長らく「絶対平和主義の憲法」に反するとされた「自衛隊」の存在である。
そのため、自衛隊は長らく「戦争をしない軍隊」に止まって、「自然災害時には役に立つ救難組織」として「警察予備隊」のような性格であり続けたけれど、それも徐々に「戦争もできる軍隊」へと、当初の予定どおりに、すり替えられていった。
日本の「戦後」とは、おおむねこのようなものだと考えれば良いのだが、そうした「戦後社会」においては、「理念」としては「平和と自由と平等」を掲げた「左翼リベラル」が主流であった。
それらが、「平和憲法」の理念にのっとって、「平和と自由と平等」の原則を訴え続けたのだが、しかし政治の世界では、ほぼ一貫して、アメリカの意を受けた「自由民主党」が、アメリカの傀儡政党として、政権を担い続けた。
民主主義的「選挙」の建前から、時に政権を失うことはあっても、それはごく例外的なことで、一時的なものに過ぎなかった。
本気でアメリカの意向に逆らうようなことをした非自民の政権は、瞬殺で潰されることになったのである。鳩山由紀夫民主党内閣が、その典型的な実例だ。
そんなわけで、「理屈(言論)の世界」では、ほぼ一貫して「左翼リベラル」が主導権を握っていたけれど、現実政治の方は、その真逆であった。
言い換えれば、言論界において主流だった「左翼リベラル」は、日本の政治に掣肘をくわえる存在として、一定の存在意義をもってはいたものの、しかし、その現実的な影響力はさほどのものではなく、むしろ「自由主義国」の建前を保持するための「アリバイ」としてすら機能してきたのである。
だから、こうした「戦後民主主義的な自由主義」の思想を「欺瞞」だと批判する者も、当然出てきた。
そのひとつが、結果としては、戦後の理念たる「平和と自由と平等」の理念に疑義を突きつけて、「反動的」だと批判されることにもなる、「保守思想」である。
そして、その代表的な「論客」とされたのが、福田恒存だった。
以上の総括からもわかるとおり、「左翼リベラル」と「保守」には、双方ともに「一理ある」というのが、私の立場である。
両者の立場の違いを、ごく端的に単純化していえば、「左翼リベラル」は「理想主義」であり、「保守」は「現実主義」だ。
「左翼リベラル」は「理想主義」として、理念としては正しいが現実的な力を持たず、理想論に終始して、いささか「無責任」な部分がある。
一方の「保守」は、「現実主義」として、現実を見据えた発言をするものの、これも「口説の徒」であることに違いはないから、結局は、現実政治に利用されることはあっても、少しも世の中を良くする力を持たない。
よく言われることだが、「保守」思想とは、文字どおりに「守りの思想」であって「左翼急進主義に対するブレーキ役」でしかなく、自らの「理想」を持たないに等しい、左翼に対する「あら探し屋の反対政党」的な存在でしかない。
したがって、上のように総括する私としては、積極的な提案をせず、現状追認の思想でしかない「保守」よりも、少なくとも現状の問題点を指摘し、「よりマシな社会」を目指そうと提言する「左翼リベラル」の方に好意的である。
仮にそれで失敗することがあったとしても、無難に注文だけをつけているだけの「保守」思想は、その非積極性において好きではないし、ましてやその思想が、頭の悪い「反動主義」に利用されるとなれば、とうてい支持できるものではなかった。
具体的にいえば、「ネット右翼」に代表されたような「頭が悪く品性下劣」な「愛国主義」「自国ナンバーワン主義」などは、私自身が一個の「愛国者」として、我慢ならないものだった。
だから、私はそうした者たちに易々と利用されるしかなかった「保守思想」をも、批判しなければならなかった。
それにも「一理ある」とは言え、その本質的な「弱さ」を、自分だけが「現実が見えている」とするような、愚かな小利口さを批判しなければならなかったのである。
そのために私は、「保守思想の父」と呼ばれた、エドマンド・バークを批判したし、小林秀雄も批判した。
そのほかにも、可能なかぎり「その周辺の保守思想家」を批判したのだが、批判しなければと思いながらも、結局は、長らく手が回らなかったのが、福田恒存だったのである。
福田恆存については、このような趣旨から、ずいぶん以前に文庫本や単行本も買い揃えていた。たぶん10冊くらいは買ってあったと思うのだが、それを読むことが叶わないまま、積読の山に埋もれさせてしまった。
で、先年、退職を前にした時期に、退職したら、きっと福田恆存を読んで批判しようと、ついには全集を購入した。嵩張る全集なら、積読の山に埋もれされることもないと考えたからである。
それに、全集を買ったというのは、ある意味で私が、福田恆存を高く評価していたからでもある。
小林秀雄はあまりにも有名で、言うなれば誰でも褒める評論家だが、福田恆存について言及する人はかなり限定されるから、それならば、その美味しいところを私が批判しようと、そんな気分もあったのだ。
だが、今回、昔から文庫に入っていた、福田恆存の代表的な著書『人間・この劇的なるもの』を読んだ後、私は本書のタイトルに対する「見覚え」から、「たしか、この本だけは昔、読んでたはずだ」と思い、昔の読書ノートをひっぱり出して調べてみたところ、豈図らんや、私は本書を読んでおらず、読んでいたのは、文春文庫『日本を思ふ』だけであった。1996年のことである。

つまり、私が「ネット右翼」の存在を初めてはっきりと意識した「在特会(在日特権を許さない市民の会)」が生まれる10年も前のことだから、私がまだ「ネトウヨ」を「荒らし」と混同していた時代の話なのである。
だから、どうしてこの時、福田恆存の『日本を思ふ』を読むことにしたのか、その理由は、今となっては不明である。
だが、驚いたことには、その当時の私は、この『日本を思ふ』をかなり高く評価していたというのが、読書ノートによってわかったのだ。
この読書ノートは、その読後感を10点満点つけており、平均は7点で「まあ、面白かった」。
6点だと「イマイチだが、勉強にはなった」。5点だと「つまらなかった。読んで損をした」。4点以下は「積極的に貶したい本」で、1点、2点は「読んで、激怒した本」ということになる。
つまり、8点というのは、素直に「面白かった。出会えて良かった本」であり、9点はオールタイムベスト級。10点満点は、このノートをつけていた20数年の間では、ポール・ギャリコの『七つの人形の恋物語』と大西巨人の『神聖喜劇』の2作だけだったはずだ。
『神聖喜劇』と並んで私の聖典である中井英夫の『虚無への供物』や、ドストエフスキーの『カラマーゾフの兄弟』でさえ、9点止まりだったのである。
無論これは、文学史的な評価ではなく、あくまでも、まだ若かった私の感動を尺度とした評価にすぎないのだが、話を福田恆存の『日本を思ふ』に戻せば、8点というのが、正真正銘の肯定的評価だったというのが、これでご理解いただけたかと思う。
そんなわけで、後年「保守思想」を敵視し、福田恆存を敵の大物だと考えるようになっていた私は、昔、福田の保守思想がわかりやすく出ていたであろうエッセイ集『日本を思ふ』を、私自身が高く評価していたという事実が、まったくの意想外だったのである。
「人間論」と思しき『人間・この劇的なるもの』のような本なら、読んだ上でその印象が残っていないということもあり得るから、再読になってもいいから、今回は手始めに、この本から読もうと考えて読んでみた。
だが実際には、本書は今回が初読だったのであり、記憶には無かった『日本を思ふ』の方を読んでいた。しかも、それを高く評価していたのである。
したがって、私の福田恆存評価が、なんとなく高かったのは、もしかすると、記憶にはなかったものの、『日本を思ふ』を読んだ時の「好印象」が残っていたからではないかと、今になって、初めてそう気づいたのであった。
○ ○ ○
そんなわけで今回、意想外の「初読」となった本書『人間・この劇的なるもの』なのだが、そのタイトルや紹介文から予想されたような、当たり前の「人生論」の本ではなかった。
つまり、意想外にも本書には、福田恆存の「保守思想」が語られていたので、その点では、次の本を待たずに「福田恆存の保守思想との対決」が出来たのである。

しかし、福田恆存の「保守思想」と対決できたのは予期せぬ「成果」ではあったものの、だから、この本を読んで「面白かった」かと言えば、そうではなかった。
なぜなら、本書で語られている福田恆存の「保守思想」が、それなりに私を説得するほどの力を持つものではなく、十分に批判可能なものでしかなかったからである。要は、いささか「期待はずれ」だったのだ。
かつて、福田の『日本を思ふ』を高く評価した私が、本書『人間・この劇的なるもの』を高く評価できなかったのは、単に私の思想的立場が変わったからなのか、それとも私の思想が深まったからなのか、それはまだ定かではない。
一一たぶん、その両方の要素があるのだろうが、いずれにしろ、このたび読んだ『人間・この劇的なるもの』は、今の私には、決して高くは評価できない「期待はずれの敵」だったのだ。
無論、それなりに説得力のある本だとは認めるが、もう今の私では、この程度の理屈に「折伏」されることはないと、そう物足りなく感じたのだ。
一般読者向けの、本書の内容紹介は、次のようなものである。
『本の概要
「恋愛」を夢見て「自由」に戸惑い、「自意識」に悩む……。
「自分」を生きることに迷っているあなたに。若い世代必読の不朽の人間論。
人間はただ生きることを欲しているのではない。現実の生活とはべつの次元に、意識の生活があるのだ。それに関らずには、いかなる人生論も幸福論もなりたたぬ。
――胸に響く、人間の本質を捉えた言葉の数々。自由ということ、個性ということ、幸福ということ……悩ましい複雑な感情を、「劇的な人間存在」というキーワードで、解き明かす。「生」に迷える若き日に必携の不朽の人間論。解説:佐伯彰一。
本文冒頭より
愛は自然にまかせて内側から生れてくるものではない。ただそれだけではない。愛もまた創造である。意識してつくられるものである。
女はそうおもう。自分はいつでもそうしてきた。だが、男にはそれがわからない。かれは自然にまかせ、自然のうちに埋没している。愛はみずから自分を完成するものだ、そうおもっている。だから、男は手を貸そうとしない。女は疲れてくる。すべてはひとりずもうだったとおもう。……』
(Amazon本書紹介ページより)
これを見ると、私が本書を、露骨に「保守思想」を語った本ではなく、基本的には「人生論」の本だと思って読み始めた、という事情もご理解いただけよう。
実際、本書の「前半」は、上の「本文冒頭」からの引用文からもわかるとおり、いささか抽象的な「人生論」であり、「中盤」では、シェイクスピアの翻訳者で劇作家である福田恆存の本領を発揮して、シェイクスピアを、中でも『ハムレット』を語っていて、福田恆存におけるハムレットという「自己矛盾した人物」の重要性が窺える記述になっている。
しかし、こうした中盤までの記述であれば、福田恆存という人の「人柄」を忍ばせはしても、福田の「保守思想」そのものがハッキリと窺えるものではなかった。
ところが、終盤になって、その「保守思想」が急速に前面化してきて、中盤までの記述は、この終盤に説得力を持たせるための「前振り」であり、「伏線」であったことが、了解されることになる。
いささか「奇矯」と言っても良いだろう福田恆存の「保守思想」に説得力を持たせるためには、前半の抽象的な議論や、中盤のハムレット論が必要だったのだ。
福田が、それをどこまで計算していたのかは定かではないとしても、結果としては、そのようなものとなっている。
つまり、読者を、反時代的な「保守思想」へと、説得力を持って誘導するための「前振り」としての「人生論」だった、ということである。
その点では、本書の併録されている新旧の解説文、佐伯彰一と坪内祐三のそれも、基本的には、同じような構成になっている。
つまり「保守」という立場を前面には出さないかたちで説きおこして、それらの方へ徐々に読者を誘導するような、「覆面勧誘」的な解説文になっている、ということである。
ともあれ、肝心なのは、福田恆存による本文の方である。
前述のとおり、前半は「抽象的な人生論的議論」、中盤は「ハムレット論」、終盤は「保守思想」となっているのだが、この終盤を知らずに読んでいた際、本書の前半と中盤を読んで、強く私の印象に残ったのは、「福田恆存の断言調(文体)」であった。
別に間違ったことを書いているわけではないし、私としても「そういう考え方もありだな(出来るね)」とは思うものの、「これだけが正しい=これが唯一の真実だ」と言わんばかりのそれは、「ちょっと待て」と言いたくもなるものだったのである。
『多くのひとびとは、日々の行為がたんなる断片にすぎず、ひとつひとつが充実し燃焼しきることなしに、断片から断片へと追いやられているにもかかわらず、その事実を自覚するいとまもなく、その苦痛を苦痛と感じる神経のこまかさすら失ってしまっているのだ。が、無意識のうちに、不満は堆積する。』(P 14)
『 私たちは、自分の生が必然のうちにあることを欲している。自分の必然性にそって生きたいと欲し、その鉱脈を掘りあてたいと願っている。劇的に生きたいというのは、自分の生涯を、あるいは、その一定の期間を、一個の芸術作品に仕たてあげたいということにほかならぬ。この慾望がなければ、芸術などというものは存在しなかったであろう。役者ばかりではない。人間存在そのものが、すでに二重性をもっているのだ。人間はただ生きることを欲しているのではない。生の豊かさを欲しているのでもない。ひとは生きる。同時に、それを味わうこと、それを欲している。』(P21)
こうした「意見」が間違いだという人は、ほぼいないだろう。私もこうした意見には、ほぼ同意する。
一一だが、ここで問題なのは、その「当たり前と言えば当たり前の意見」を語る際の、福田恆存の「文体」なのである。この「強い断言口調」なのだ。
福田恆存の文体がこのようなものであるのは、単に福田が「昔の人」だったから、ではない。
福田恆存と同時代の文人の多くは、もっと柔らかい文体で、同じようなことを書いている。
つまり、福田の文章に見られる、こうした「強い口調」にこそ、福田恆存という人の「個性」があり、その「人柄」が窺われるものなのだ。
例えば、同じことを、文体を変えて書いてみると、どうなるだろう。
「少し考えて欲しいのだが、多くのひとは、日々の行為がたんなる断片にすぎず、ひとつひとつが充実し燃焼しきることなしに、断片から断片へと追いやられるようにして、生きているのではないだろうか? また、それにもかかわらず、その事実を自覚するいとまもなく、断片的な生活に流されて、その苦痛を苦痛と感じる神経のこまかさすら失ってしまっているのではないだろうか。一度は、それを疑い、自身に問うてみるべきなのではないだろうか。一一だが、大概の場合私たちは、それをしないし出来ないから、無意識のうちに、不満は堆積させてはいるのではなかろうか。」
言っていることは同じである。だが、印象は、かなり違うはずだ。
つまり、福田恆存の書き方は「こんなこと、わかりきった話だ」という断定口調なのに対し、私の書き直した文章では「私はこう思うが、あなたはどう思うだろうか。ちょっと考えてみて欲しい」というものである。
で、こうした意見を聞かされた時、あなたは「なるほど、自分もそう思う」とは思うかもしれないが、しかしその「語り口」に引っかかりを覚えた時に、あなたは、上のような語り口の福田恆存に対して、「先生は、そうおっしゃいますけど、私は必ずしもそうは思いません」と言えるだろうか?
逆に、私が書き換えた文章のような口調で語る相手になら「大筋では同感です。ただ、〇〇の部分については、必ずしもそうではないのではという引っかかりも覚えました」と、自分の感想を述べやすいのではないだろうか。
つまり、ここからわかるのは、福田恆存の「論客」としての「強さ」の一端は、この迷いや容赦のない「断言口調」にあると、そう見て間違いないということなのである。
こういう福田恆存のような人を相手にして、「ご意見によっては、私はいくらでも考えを改めますよ。それは少しも恥ではないのですから」と考えるような「謙虚な人」が議論を行った場合、傍目にはきっと、福田恆存が「一方的に押しており、対話者は一方的に譲っているように見える」だろうと、そういうことなのだ。
単に後者の人が、自分の意見を押しつけることに興味がなく、どんな相手からでも学べるものは学びたいと考えるような「謙虚な人」だったなら、傍目には、福田恆存が一方的に相手を説得してしまったように見える、ということなのである。
無論、福田恆存は、単なる「断言おじさん」ではなく、それなりの信念持って生きており、それなりのロジックを持ってもいるからこそ、対話の相手もそれには耳を傾けるし、その意見を取り入れたりもするのだが、しかし、福田恆存の方はというと、本書を通読して感じられるのは、「確信に凝り固まっている」人という印象なのだ。
自分には、すべてが見えていて、左翼知識人と呼ばれるような輩は、軒並み「流行に乗って空言を弄している輩にすぎない」と、そんな調子なのだ。一一言うなれば「宗教信仰者」的なのである。
だから、たしかに福田恆存は「議論には強い」かも知らないが、その思想は偏頗かつ頑迷であり、あまり感心したものではないと、そのように感じられた。
私はしばしば、「ネット右翼」や「信仰者」を批判して議論もしたけれど、こういう人たちというのは、自分の意見を絶対化して、一歩も譲ろうとはしない。自分は、ことの本質を理解しているから、基本的に、人に学ぶ必要はないと考えている。
無論、知識として学ぶことはあっても、それが自分の根源的認識を強めることはあっても、それを変える(改めさせる)ことはないと、そう確信している感じなのだ。
だから、こういう人を説得しようとしても無駄である。もともと聞く耳を持っていないからだ。
また、だからこそ、こういう人を説得しようとする人は、変に自分の方ばかり譲ることになって、こんなはずではなかったのに、という結果にもなってしまう。
「自分も譲るのだから、相手も譲るだろう」と、自分基準の期待をしてしまうからである。
したがって、肝心なのは、相手が「議論に値する人なのか」つまり「聞く耳のある人なのか否か」を事前に見定める目である。
それが無ければ、「馬の耳に念仏を唱える」がごとき無駄な愚行となって、恥をかくことにもなる。
そんなわけで、たしかに福田恆存はひとかどの思想家ではあるけれども、良き議論の相手などではない。
あくまでもこちらが、福田の議論を拝聴して「なるほど、そうですね」「私も同感です」という調子で「下手に出る人」以外は、対話するに値しない相手である。
言い換えれば、福田恆存と対談するような人というのは、元から「討論」などする気のない人であり、せいぜいが、自分の「物分かりの良さ」アピールしたいだけの人であろう。
だから、本気で福田恆存を論駁しようとして議論した人など、ほとんどいないはずだし、福田恆存の文体からすれば、それはそうなって当然なのである。
しかし、上のような事態をして、「読めない人」たちは、福田恆存を「保守の論客」だと呼んだのはないか。
人間と犬とが吠えあって、人間が退いたら、犬の勝ちだというような、物の見方である。
そんなわけで、本書『人間・この劇的なるもの』で肝心なのは、無論、終盤の「保守思想」の部分である。
そしてその中身は、さほど意外なものではない。要は「保守思想らしい保守思想」にすぎない。
そんな「保守思想らしい保守思想」を、私が要約しても仕方がないし、要約したものに論駁しても説得力はないだろうから、福田恆存の「保守思想」の肝となる部分、そのよく表れた部分を、少々長くはなるが、適当に区切りながらそのまま紹介して、それに論駁を加えることにしよう。
○ ○ ○
『自由とは、所詮、奴隷の思想ではないか。私はそう考える。自由によって、ひとはけっして幸福になりえない。自由というようなものが、ひとたび人の心を領するようになると、かれは際限もなくその道を歩みはじめる。方向は二つある。内に向うものと、外に向うものと。自由を内に求めれば、かれは孤独になる。それを外に求めれば、特権階級への昇格を目ざさざるをえない。だから奴隷の思想だというのだ。奴隷は孤独であるか、特権の奪取をもくろむか、つねにその二つのうち、いずれかの道を選ぶ。
人が自由という観念におもいつくのは、安定した勝利感のうちにおいてではない。個性というものを、他者よりすぐれた長所と考えるのは、いわば近代の錯覚である。』(P95)
冒頭の『自由とは、所詮、奴隷の思想ではないか。私はそう考える。自由によって、ひとはけっして幸福になりえない。』というところが、いかにも福田恆存らしい「断言」力だとわかるだろう。
いま読めば「何を言ってるんだ、この人は?」となりかねない言葉だが、戦後長らく「平和・自由・平等」ということが語られすぎて、それが「陳腐」とさえ感じられるようななっていたからこそ、こういう「逆張りの断言」も、新鮮なものと映ったのだ。
冒頭の「断言」のあと、普通ならば、その「断言」の「根拠説明」が続くはずなのだが、福田恆存の場合は、見てのとおり、その「根拠すら、説明ではなく、断言による決めつけ」にすぎない。
しかし、ある意味では、右派の言うとおりで「平和ボケ」していた、当時の日本人のなかには、説明よりも、このように断言してくれる「教祖」を求めていた者も少なくはなかった。
なにしろ、戦後は、現人神であったはずの天皇が人間に成り下がって「絶対確実的に信じられるものが失われて、自分の頭で考えろと要求されるようになった時代」なのだ。
だからこそ、「新宗教」が次々と生まれて、その勢力を拡大させていった時代でもあったのである。
したがって、新たなる「信仰対象」を求め、こうした「教祖的な断言」に魅力を感じる人が少なからず存在して、その需要があったのだ。
ちなみに『近代の錯覚である。』という断言にも、新宗教と同様の「反近代=反理性主義」が、よく表れている。
『 ひとびとは自由の名のもとに奉仕を拒絶する。あるのは取引としての奉仕だけだ。なるほど、特定の個人(※ 天皇など)にたいする従属的奉仕のかわりに、社会にたいする公共的奉仕の観念が生じたというかもしれぬ。が、その、ひとびとのいう社会というのは、救世軍(※ キリスト教プロテスタントの一派)の共同鍋(※ 困っている人たちのための寄付金集め)にひとしい。投げ入れたものは、必要に応じて取りかえそうという下心にすぎぬ。あくまで利害関係に基づく商取引である。人と人との結びつきは、いまでは、ほとんど利害によるほかなにもなくなってしまったのだ。そして(※ 愛国心などによる)無条件の奉仕としての信頼感は、無智とあなどられるしまつだ。』(P103)
平たく言えば、一般的な「奉仕活動」も「困っている人のための寄付活動」も、結局のところは自分のためのものでしかなく、その意味で「不純」なものであり「偽善」だと、福田恆存はそう言いたいのである。
しかも、自分たちのすることは、そうした「偽善」ではなく『無条件な奉仕』であると手前味噌に決めつけた上で、それが『無智だとあなどられる』と、被害者アピールまでしている。
たしかに、多くの場合、「奉仕」や「寄付」には「偽善」的な、あるいは「自己満足」的な感情がつきまとうだろう。それは事実だ。
しかし、誰が、自身の価値観を満足させないようなことをするだろうか?
現実的に損をする行動を、人があえて採るのは、それで「精神的な満足」が得られるからであって、そこに右派も左派も無い。
つまり、福田恆存だって、単なる金儲けだけではなく、そこに自己満足があるからこそ、本を書き、他人に「説教」してもいるのである。
もちろん、自身の「善行」の質を自己検証する必要はあるだろう。
だが、そこにこだわるが故の「病的な潔癖症」のために、自縄自縛で善行が行えなくなるのでは、本末転倒だ。
その意味で、以前ときどき言われたように「しない善より、する偽善」という言葉は、一面の真理なのである。
「善」を為そう(行動しよう)と思えば、自分内面に対する検討は、いったん棚上げにしなければ、できるものではない。一一というのは、後で福田恆存自身も書いていることなのだ。
前の引用部に続けて、福田は次のように語る。
『 だが、ひとびとは、社会意識をたんなる利害関係に還元してしまうことを好まない。そこにヒューマニズムなどというあいまいなことばがさまよい歩く余地が生じる。が、そんなものが自由の否定的傾斜をおさえるにたる倫理的規範となりうるであろうか。もし無条件の奉仕としての信頼感が、既成秩序を維持するための欺瞞にすぎないとすれば、ヒューマニズムもまた一種の欺瞞ではなかろうか。既成秩序ではないが、将来やってくるであろう、しかし、いまは存在しない、あるいは永遠にやってこない秩序のための欺瞞であるとはいえないか。』(P104)
いかにも、「平和・自由・平等」を「目指そうとするリベラル」が大嫌いな「現状保守」らしい言い草である。
要は「より多くの人の幸福を実現するという、ヒューマニズム的な理想を未来に設定して、今を改善する」という「リベラル」の思想は、「欺瞞」であると言いたいのである。
「未来をめざす」のではなく「現状に対して、無条件の奉仕をすべきだ」と、福田はここで主張している。
それが、『いまは存在しない、あるいは永遠にやってこない秩序のための欺瞞であるとはいえないか。』という問いの、意味するところなのである。
しかしながら、私に言わせれば、「理想とは、実現できるものではなく、目指すべきものである」ということになる。
「実現する」と思うから「欺瞞」だという話にもなるけれど、「完璧な実現は不可能でも、より善きを目指すための目標」だと思えば「欺瞞」でも何でもなくなる。
「理想」とは、到達することのない、永遠の「目標」なのだ。「標(しるべ)」であって、「約束の地」などではないのである。
喩えていえば、「健康のために運動をしましょう」という言葉は、「運動をすれば、絶対に健康になる」という「保証」ではなく、「将来も健康であろうとするなら、運動という不断の努力が必要だ」という話にすぎないのである。
福田は、それに対して「絶対に健康になるという保証を要求する」勘違いおじさんみたいなものなのだ。
前に続けて、福田恆存は語る。
『 私たちは過去にたいする不信から未来への信頼を生むことはできない。身近な個人にたいする不信から社会にたいする信頼を生むことはできない。それにもかかわらず、現代の自由思想は、そういうむだな努力をしてはいないだろうか。その未来社会にたいする期待は、過去の伝統や秩序や倫理感の否定と、身近な特定の他人にたいする不信感とから出発したものではないだろうか。さらに、今日の私たちの不信は、他人に裏切られ、自分だけが貧乏くじを引くことの恐しさから出ていはしないか。つまりは、他人に利用されることを嫌い、他人を利用しようとする心がまえにすぎないではないか。ふたたび、自由とはそういうものなのだ。さらに、今日の私たちの不信は、他人に裏切られ、自分だけが貧乏くじを引くことの恐ろしさから出ていはしないか。つまりは、他人に利用されることを嫌い、他人を利用しようとする心構えに過ぎないではないか。再び、自由とはそういうものなのだ。』(P104)
典型的な「呪文」である。
だが、「過去の失敗に学んで、行いを修正し、慎重になる」というのは、当たり前の話でしかない。
それなのに『不信は、他人に裏切られ、自分だけが貧乏くじを引くことの恐ろしさから出ていはしないか。つまりは、他人に利用されることを嫌い、他人を利用しようとする心構えに過ぎないではないか。』などと、やたらに人を信用しろと進めるのだが、斯く言うご当人が、それほどの「お人好し」には、とうてい見えない。
「過去の失敗」に学ぶことをせず、ただ我欲を捨てて「過去」を信頼し続けよ、いかに過去が胡散くさいものであっても、それは現に存在した事実なのだ一一というような「呪文」を真にうけたなら、その人は何度でも「詐欺被害」に遭うだけであろう。
前に続けて、福田恆存は語る。
『 もちろん、私たちの不信感には、それだけの理由がある。が、その理由を分析し、合理化し、ひとたび、それを肯定してしまった以上、未来社会にたいする期待すら、私たちはどこからも引きだせないのである。おそらく誤解をまねかずにはおくまいが、ある瞬間には、批判の自由という自我の特権を棄てて、既存の現実に随い、過ちを犯して顧みぬということが必要なのだ。それが倫理というものであり、掟というものではないか。私たちは倫理の不合理を批判することはできる。が、合理的な倫理などというものは、いつの時代にもあったためしはない。なるほど、ヒューマニズムは合理的であろう。だから、それは倫理ではないし、倫理的な規制力をもちえないのだ。』(P104〜105)
「おいでなすった」というところだろう。
『もちろん、私たちの不信感には、それだけの理由がある。が、その理由を分析し、合理化し、ひとたび、それを肯定してしまった以上、未来社会にたいする期待すら、私たちはどこからも引きだせないのである。』というのは、何を言っているのかというと、要は、
「昔もそれなりに「合理的に信じた」つもりだったのに、やはり、十分に合理的ではなかったから、誤りを犯してしまった。だとすれば、今だって、合理的な反省して新たな未来を設定したとしても、それも確かなことではない。」
一一と、そういうことなのだ。
だが、そんなものは当然である。
人間は「神」でも「マックスウェルの悪魔」でもないのだから「すべての可能性を考慮することなど出来ない」のは当たり前なのだ。
しかしながら、「完璧」は期し得ないとしても、過去の誤ちに学んで「よりマシ」を選ぶことに、右派も左派もない。
それなのに福田恆存は、「未来志向の左派」にだけ「完璧」を求めて、「完璧ではない=保証など無い」と難癖をつけることで、相対的に「過去への執着的保守性」を正当化しようとしているのである。
前に続けて、福田恆存は語る。
『 既存の現実に随って過つということによって、私は既成勢力の温存を擁護しようというのではない。社会の推移に応じて倫理感も変るというようなあやふやな考えかたに、私は疑問をもつのである。それは事実でもあろう。が、それを平然と命題化しうるのは、すでに倫理感がないからではないか。そういう連中に、私たちは社会の変革を期待することはできない。かれらのなしうることは、戦術と力とによる革命であり、転換と粛清とによるその維持である。私たちは社会の変革のためにも、既存の現実に随い、過って顧みぬという倫理的な潔癖と信頼感とを必要とするであろう。それが革命への潜在力となり、革命後の安定勢力ともなるのだ。』(P 105)
冒頭の『既存の現実に随って過つということによって、私は既成勢力の温存を擁護しようというのではない。』という言葉は、福田恆存のやっていることが、現実には、それ以外の何物でもないからこそ、お得意の「断言」で、無根拠に否定して見せているだけなのだ。
その証拠に、福田恆存がここで持ち出してくる、彼の立論の根拠とは、彼の「倫理」とやらである。
まるで、自分にだけは「倫理」があって、『社会の推移に応じて倫理感も変るというようなあやふやな考えかた』を採るような「左翼リベラル」には「倫理」がないかのような「レトリック」だが、ここで左翼リベラルに一貫して存在する「倫理」とは、『過ちを改めるに如くはなし(過ちを犯したら、それを改めることをためらってはいけない)』(孔子『論語』)という、ずーっと昔からある、当たり前の「倫理」なのである。
前に続けて、福田恆存は語る。
『 親子、夫婦のあいだでも、昔の道徳をもって裁くことはできないなどと、いかにも気のきいたことをいうが、それなら、なにによって裁くことができるか。私たちはなにによっても裁かれはしまい。完全な自由なのである。が、だれがこの自由に堪えうるか。それに堪えうるのは、おそらく、昔の道徳をもって裁きえぬなどといいながら、どこかでその昔の道徳によりかかっているひとたちだけであろう。もちろん、そのよりかかりは信頼感に基づくものではない。たんなる便宜と利害の問題である。』(P105〜106)
ここでの「レトリック」のポイントは『完全な自由なのである。』の部分である。
つまり、福田恆存はここで、「左翼リベラル」に対して「君らは、すべてが自由であるべきだと言うが、そんなものに誰が堪えられるのか?」と問うてみせているように書いているのだが、これは「一人芝居」にすぎない。
と言うのも、「左翼リベラル」の言う「自由であるべきだ」というのは、「自由ではないことの方が多すぎるから、より自由であるべきだ」ということであって「現に自由だ」という話ではないからである。
そもそも「完全な自由」なんて「あり得ない」のだから、「そんなものに誰が堪えられる?」などと心配する必要はない。
福田恆存自身は、相当に「自由」な戦後民主主義の日本に生きたから、こういう太平楽が言えたのだが、世界に目を転ずれば、まだまだ満足な自由など存在しない場所などいくらでもあるし、戦中の日本では、行きたくもない戦争に行かされ、したくもない人殺しを強要されたのだ。それを断る「自由」など無かったのである。
前に続けて、福田恆存は語る。
『 もし、私たちが、真に過去の道徳によっては裁きえぬことを知ったなら、同時に、また、過去の道徳によってしか裁きえぬこともさとるであろう。私はそれがまちがっていると知りながら、それによって裁かれることを欲する。なぜなら、私のうちには、新しい自分とともに古い自分が生きているからだ。たんに過去の道徳が私を裁いたのではない。古い自分が新しい自分を裁いたのである。逆に、新しい自分が古い自分を裁いたとしたら、私は自分自身の存在を失い、もちろん新しくもなりえない。』(P106)
この『真に過去の道徳によっては裁きえぬことを知ったなら、同時に、また、過去の道徳によってしか裁きえぬこともさとるであろう。私はそれがまちがっていると知りながら、それによって裁かれることを欲する。』とは、何を言っているのか、おわかりだろうか? 一一これは典型的な「逆説」である。
ここで、私たちが思い出すべきは、福田恆存がG・K・チェスタトンの翻訳者であるという事実である。
チェスタトンとは無論、『ブラウン神父の童心』や『ポンド氏の逆説』などで知られる、カトリックの「護教理論家」である、伝統主義者だ。


「逆説」というのは「論理の遊戯(レトリック)」である。
だから、「推理小説(ミステリ)」のような「抽象空間」での話としては「面白い」が、それをそのまま「現実世界」に適用すれば、「ペテン」の一種になる。
例えば「神の存在は、不合理であるがゆえに、私は神の存在を信ずる」(テルトゥリアヌス)というのと同じことだ。
たしかに「合理的ではなく、根拠らしい根拠がないから、ただ盲信するしかない」というのは「理屈」ではあるけれど、ならば「投資詐欺」にでも何にでも、勝手に何度でも信じて、被害に遭えば良い。ただし、そのツケを人には回すなよ、という話である。
前に続けて、福田恆存は語る。
『 古いものが新しいものを裁くということは、それ自体としてはまちがっている。が、その原則を否定すれば、私たちは、さらにまちがいを犯すことになろう。新しいものが古いものに自分を裁かしめるというのは、過去にたいする信頼感なくしてはできぬことだからだ。そればかりではない。自分の新しさにたいする強い自信がなければ、それは不可能であろう。古いものをして新しいものを裁かしめるという原則を否定したとき、いいかえれば、自由の原理に身をゆだねたとき、私たちのところにやってくるものは、この自他にたいする信頼感の喪失である。現代の革命への姿勢において、私が本能的に嫌うのは、それが信頼感の喪失から出発したものであり、その意図がどうあろうと、結局は信頼感の喪失に輪をかけるものでしかないからだ。
自由の原理は私たちに快楽をもたらすかもしれぬが、けっして幸福をもたらさぬ。信頼の原理は私たちに苦痛を与えるかもしれぬが、私たちはそのさなかにおいてさえ生の充実感を受けとることができる。』(P106〜107)
ここで強調されているのは「古いもの(過去)への信頼感の必要性」である。
「お信じなさい。信ずる者こそ救われるのです」
一一こんな、俗人の戯言と真に受けていたら、どんな目に遭うかは明らかだろう。
だが「教祖」というのは、こうした「呪文的な文体」を弄して、高い壺を売りつけるものなのだ。
「宗教」とは、そうしたものであり、信じた者には、ただの壺でも、ありがたく思えるものなのである。その意味でだけ、嘘ではないのである。
当然、福田恆存の教説の本質は「宗教」であり、それを信じるというのは、「自己欺瞞としての演技」ということになる。
それを「信じている」限りにおいては、人は、ただの壺を撫でさすっているだけで、幸福でいられるのであろう。
それで、二度と目を覚さないまま死ねるのなら、その人はたしかに「幸福」ではあるのだが、側から見れば、それは「愚者の幸福」でしかあるまい。
『 劇はつねに宗教的な秘儀のうちに、その起原を置いている。ギリシア劇においては、そのことが明際に看取される。その宗教的背景が、シェイクスピア劇では、一見うしなわれているかのように見えるのだ。すべては明快であり、どこにもミスティシズム(※ 神秘主義)のおもかげは窺えぬ。そこに見いだされるあらゆる要素は、そのまま私たちの近代劇が受けつぎうる(※ 世俗主義的な)ものであり、また、じじつ受けついできたと思われている。その軽率な同伴者意識から、私たちは、かえってシェイクスピア劇に、今日まであいまいな疑いをもちつづけてきたのだ。
もちろん、かれの詩的天才を疑うものはいない。また、やや通俗的ではあるが、の作品の劇的効果は否定しえない。それにしても、近代的な合理主義からいえば、かれの作劇術は、あまりにも粗雑にすぎ、実証的な写実主義からいえば、心理的リアリティを欠いている。その精神や思想にいたっては、私たちは、シェイクスピアのなかに一個の人間である作者の像をみとめることができない。つまり、かれは近代的な意味における芸術家ではない。ひとびとはいうであろう、ハムレットやリアの主張を読みとることができても、作者の主張はどこにも読みとれない。作者はどこにいるのか、と。
そういうひとたちに、私は答える。すでにいったように、私は個人の主張などというものに、もはやなんの興味も感じない。個性や心理の、いかに微細な分析も、いまの私にはなんら新鮮な驚異や喜びを与えない。すべてはわかりきったことだ。それらは季節に開花する路傍の花ほどにも、私の眼を惹かぬであろう。が、作者の思想と現実の分析となくして、現代文学はなりたたぬ。問題は、それが路傍の花にどう道を通じているかである。私ばかりではあるまい。私たちが求めるのは博物学でも博物学者でもなく、生きた花なのではないか。シェイクスピアから私たちが受けとるものは、作者の精神でもなければ、主人公たちの主張でもない。シェイクスピアは私たちになにかを与えようとしているのではなく、ひとつの世界に私たちを招き入れようとしているのである。それが、劇というものなのだ。それが、人間の生きかたというものなのだ。』(P122〜123)
自分と立場の違う者を、意図的に馬鹿に設定し、自分が「シェイクスピアの権威」に基づいて語るなら、そりゃあもっともらしくは聞こえるが、ここでの福田恆存によるシェイクスピア論は、別に深いものではない。
単に「今の価値観だけで、昔のものを評価してはならない」と、ただそれだけの話を、このように、ことさらに威張って、お得意の「断言」口調で語っているだけなのだ。
前に続けて、福田恆存は語る。
『 宗教的な秘儀は、つねにそのことを目的としていた。見ることを許された特定のひとたちを、眼前に「おこなわれていること」の世界に引きずりこむのが秘儀の目的である。いわば路傍の花が私たちを季節のなかに引きずりこむように、奥義が啓示されるのである。ミスティシズムというものは、近代人が近代的な猜疑を働かせるほど不可解なものではなかったであろう。奥儀の啓示とは、全体感の獲得をうながすものにほかなるまい。とすれば、古代人は、かれらもまた、近代人が近代的な猜疑を働かせるほど、それほどに個我を全体のうちに埋没せしめていたわけではあるまい。もちろん、かれらの時代には、他我を対立物と考えさせられる機会よりは、暴風雨や旱魃などの天災を障碍と考えさせられる機会のほうが、はるかに多かったのにちがいない。』(P123〜124)
わかりやすく「宗教」的になってきたのは、福田恆存の「保守思想」が、一種の「宗教」である以上、必然的な結果でしかない。
しかし、ここで注目すべきは『ミスティシズムというものは、近代人が近代的な猜疑を働かせるほど不可解なものではなかったであろう。』という部分の『猜疑』という言葉だ。
つまり、「神秘主義宗教」や「オカルト」や「壺売り宗教」などに対する「近代理性」の、当然の「懐疑」を、福田恆存はここで「猜疑」と言い換えることで卑小化する「レトリック」を用いて、読者を「印象操作」しているのである。
前に続けて、福田恆存は語る。
『 が、やはり、かれら(※ ミスティシズムを丸ごと信じた、昔の人々)はかれらなりに、自然や集団の全体性から離脱する危機を感じていたのである。その孤立の危機感が秘儀を要求し、奥儀の啓示にすがりついたのではなかったか。それは自己と対象とのあいだに、あるいは自己のうちにある自己の情念とそれを否定してくる外界とのあいだに、調和と均衡とを保とうとする試みである。いってみれば、違和感の消滅にほかならぬ。それこそ、路傍の花に眺めいるとき、私たちの感じる喜びではないか。私たちは小さな花を通じて、季節のうちに、自然のうちに、全体のうちに復帰しうるのを喜んでいるのである。私たちの祖先は、泉や若芽に神がやどるのを見た。ミスティシズムというのは、元来、それほどの意味にすぎない。なにも不可能なことがらではないのである。サルトルが『嘔吐』のなかで女にいわせている「完璧な瞬間」というのも、じつはそういうものを背景にしなければ成りたたぬのである。対象とのあいだに、違和感を見ず、自己も対象も部分のままであり
ながら、全体に抱きかかえられている瞬間、それを(※ 『嘔吐』の登場人物の)女は欲した。そして失敗した。相手の男が協力しなかったからである。ということは、女は男のまえで、路傍の花にたいするようにすなおに、自分の違和感を棄てさることができなかったということだ。のみならず、女は相手にそれを棄てることを求めていたのである。いいかえれば、自分が主役を演じうるように、相手がふるまうことを期待していたのである。もし、個人が、個人の手で全体性を造りあげようとすれば、自分がその中心になり、相手を自分のまえに跪かせるまでは、とどまることを知らぬのである。『嘔吐』のなかの女は、たとえ受身の端役においても、主役を批判し制御しようとしているではないか。
対象を路傍の花にかぎれば、それは逃避にしかならぬ。が、自然のみを対象とすることも、今日では、すでに逃避である。天災と戦おうとする科学は、私たちの自然にたいする支配慾の現れかもしれぬが、その裏で、もし私たちが自然との調和だけを心がけるとしたなら、やはりそれは逃避であろう。同様に、階級や戦争の悪を根絶しようとする試みも、私たちのあいだにあっては、容易に逃避に転化しうるのだ。』(P124〜125)
ここで、福田恆存が何を書いているのか、それは結論部分である『もし私たちが自然との調和だけを心がけるとしたなら、やはりそれは逃避であろう。同様に、階級や戦争の悪を根絶しようとする試みも、私たちのあいだにあっては、容易に逃避に転化しうるのだ。』に明らかだ。
要は「平和・平等」の理念は、「逃避」の一種にすぎないという、否定のための「逆説」である。
そのために、こうも長々と「呪文」めいた書き方をしている。そのまま率直に書いたのでは、誰も騙せないからである。
前に続けて、福田恆存は語る。
『そればかりではない。個人が個人の手で、あるいは人間が人間の手で、全体を調整しょうとすれば、自分が勝ち、相手を滅ぼすしか道はない。生命の貴重や平和を口にしょうと、それが当然の帰結なのである。なぜなら、生がそれ自身によってのみ全体を構成しうるとすれば、それはあらゆる名目のもとに自己を正当化し、その極限においては、他人の死をも、自己正当化のために利用せずにはすまなくなるであろうから。』(P126)
要は「人間は信用できないから、人間が人間を調整しようなどとしては危険すぎる。したがって、左翼リベラル的な理想主義など信用するな」という話なのだが、そういうことを書いている自分だけは「無私であり、嘘をつかない、信用できる人間」だとでもいうのであろうか?
たしかに、信用できない人間は多いが、それでも誰かを、何かを信用しなければ、人間は生きてはいけないし、この世界も立ち行かない。
だから私たちは、人の言うことを鵜呑みにはせず、せいぜい頭を働かせ、より善きものを「選択」せざるのを得ないのだ。
つまり、「判断するな、信じろ」などと言うものほど、危険なもの(誘惑)はないのである。
前に続けて、福田恆存は語る。
『 現代のヒューマニズムにおいては、死は生の断絶、もしくは生の欠如を意味するにすぎない。いいかえれば、全体は生の側にのみあり、死とはかかわらない。が、古代の宗教的秘儀においては、生と死とは全体を構成する二つの要素なのであった。人間が全体感を獲得するために、その過程として、死は不可欠のものだったのである。死から生へ、そしてそのためには、生から死へ、その過程を演じること、それがつまり秘儀に参加しているひとびとの眼前で「おこなわれていること」だったのである。
古代ギリシアのエレウシス教のある祭司は「死は禍事ではなく、恵みである」ということばを残している。このことは、現在、私たちが考えるほど陰惨な思想でもなければ、古代の蒙味を物語るものでもない。秘儀を通じて死を経験することが、強く生きるための発案と考えられていただけのことである。かれらがそのために死ぬに値するものが生のうちにあったのであり、それがまたかれらに生きがいを与えていたのだ。もしそれがなければ、私たちは死を恐れるであろうし、同時に自己の生を信じえないであろう。そのために死ぬに値するものとは、たんなる観念やイデオロギーではない。個人が、人間が、全体に参与しえたと実感する経験そのものである。そして、それは死の瞬間においてしか現れない。この瞬間を境にして、人は古い生と新しい生とを同時に所有しうるのである。私たちは、死に出あうことによってのみ、私たちの生を完結しうる。逆にいえば、私たちは生を完結するために、また、それが完結しうるように死ななければならない。ふたたび、それが、劇というものなのだ。それが、人間の生きかたというものだ。』(P126〜127)
典型的な「宗教的レトリック」である。
そんなに「死」がありがたいものなのなら、恋々として「生」に執着などせず、さっさと死ねば良いではないか。
なぜ、戦争中に「全体」に帰依して死ななかったのか? 「兵役免除」されれば、それでよかったのか?
だが、こんな威勢のいいことを言ってる奴にかぎって、それはそれこれはこれで、なかなか死なないものなのである。
前に続けて、福田恆存は語る。
なお、三島由紀夫文の引用部分は〈 〉で括った。
『 三島由紀夫は山本常朝について、みごとな観察をくだしているー一
〈常朝が殊更、「早く死ぬかた」の判断をあげ、その前に当然あるべき、これが「二つ一つの場」かという状況判断を隠していることには意味がある。死の判断を生む状況判断は、永い判断の連鎖をうしろに引き、たえざる判断の鍛錬は、行動家が耐えねばならぬ永い緊張と集中の時間を暗示している。行動家の世界は、いつも最後の一点を附加することで完成される環を、しじゅう眼前に描いているようなものである。瞬間瞬間、彼は一点をのこしてつながらぬ環を捨て、つぎつぎと別の環に当面する。それに比べると、芸術家や哲学者の世界は、自分のまわりにだんだんにひろい同心円を、重ねてゆくような構造をもっている。しかしさて死がやって来たとき、行動家と芸術家にとって、どちらが完成感が強烈であろうか? 私は想像するのに、ただ一点を添加することによって瞬時にその世界を完成する死のほうが、ずっと完成感は強烈ではあるまいか? (『小説家の休暇』)〉
私も同感である。行動家は自己の生を芸術作品たらしめることができるが、芸術家は自己の生のそとに芸術を造ることしかできない。いちおう、そういえる。が、当面の問題はそこにあるのではない。私のいいたいのは、劇の登場人物は、行動家として、自己の生を死によって完結するように生きねばならぬということだ。
三島由紀夫は、劇のうちに、建設への意思と同時に、破滅への意思を見ているが、それはたんに作劇術の問題にとどまるまい。秘儀に発した劇の本質にかかわることがらなのだ。それが秘儀である以上、劇は観客を死に引きずりこまなければならない。そうすることによって、新しい生のよみがえりが用意されるのであるが、それは、そのまえに私たちが古き生の完結を見たからである。ギリシア語の劇はドローメノーンであるが、それは眼前に「おこなわれたこと」を意味する。元来、それは「語られたこと」ではなく、あくまで「おこなわれたこと」であったのだ。』(P127〜129)
三島の言う『ただ一点を添加することによって瞬時にその世界を完成する死のほうが、ずっと完成感は強烈ではあるまいか?』に対して、福田恆存は『私も同感である。』であると書いている。
しかし、三島由紀夫はこの言葉どおりに死んでみせたが、福田恆存の方は、どうであったか? 一一ごく当たり前に、口説の徒とした生きただけではないか。
見かけはそうでも、内面は三島と同じだとでも抗弁するつもりなのか?
しかし、「つもり」だけなら、何とでも言えるし、「左翼リベラル」にだって言えるのである。
『 行動というものは、つねに判断の停止と批判の中絶とによって、はじめて可能になる。私たちはよく「現実を認識しなければならない」とか「現実を凝視せよ」とか、そういうことばを無考えに濫用する。行動は、その「現実の認識」のうえに打ちたてられねばならぬと考え、また、じじつ、自分たちはそうしてきたと思いこんでいる。したがって、その認識が、一つの仮説にすぎぬことを私たちはとかく忘れがちである。仮説が「現実の認識」と同時に、その切り棄てによって成りたつものであることを忘れている。
劇の主人公は、つねに一貫した行動家であるがゆえに、最初に、あるいは劇の進行過程のどこかで、この判断の停止と批判の中絶とを敢行しなければならない。いいかえれば、かれは不充分な資料を、不充分なままに言頼しなければならないということだ。劇の主人公ばかりではない。じっさいには、私たちはつねにそうして生きている。どんな小さな世界においても、私たちは他人の善意を、あるいはその悪意を、ささやかな過去の経験から、たとえば、相手の表情やことばから、それとなく感じとる。が、それらは資料としては不充分である。友人間や夫婦間のいい争いは、こうしていつも不充分な資料にもとづいておこなわれ、いざ、相互のことばを検討しはじめるとなると、どちらの側にも確たる証拠のないことが発見される。つまり、そのときはじめて、私たちが、いかに軽々に、不充分な資料によってのみ、行動しているかを思い知らされるのである。
もし資料が充分に出そろってから行動に移るべきだとしたら、私たちは永遠に行動できぬであろう。資料は無限であり、刻々に増しつつあるものであり、のみならず、行動によってのみ、あるいは明らかにされ、あるいは新しく発生するからだ。私たちは認識のためにも、行動しなければならぬ。そして失敗するであろう。それが悲劇の型である。喜劇は、このいきちがいからの脱出を描く。それだけのちがいだ。
が、はたして、悲劇の主人公は破局において、失敗したのであろうか。その破局がなぜ観客に生きがいを感ぜしめるのであろうか。主人公が周囲の現実にたいする認識において無智であることを、そして、その無智のゆえにのみ破局に落ちいったことを、観客はなぜ軽蔑し嘲笑しないのか。そのことについて、私はすでにこういった、無智なるものが、無習のままに全智にいだきとられるのを、眼のあたりに見るからであると。』(P 139〜141)
ここの冒頭部『行動というものは、つねに判断の停止と批判の中絶とによって、はじめて可能になる。』が、先に予告しておいた部分である。
ここで福田恆存の言うとおりで、たしかに、すべての事情が出揃ってから、適切に判断して行動するなどということは、現実には不可能だ。
つまり、人はいつだって「過渡的な判断」において「より善き」を目指すしかなく、結果の「完全な保証」など無い、というのは自明である。
また、だからこそ人は、結果が、失敗であっても、その果敢な挑戦に、感動することもできるのだ。
しかるに、福田恆存は「左翼リベラルの言う、未来の理想など、何の保証もなく、当てにならない」と難癖をつけていたそのくせに、ここでは自分たちの「行動主義」とやらが「決断主義」でしかなくても仕方がないと、厚かましくも自己正当化しているのである。
つまり、「レトリック使いの宗教屋」の言うことというのは、このように「ご都合主義」であり、信用ならないものだ、ということなのだ。
笠井潔ではないが、彼らの本音は「理屈なら、何とでもつけられる」ということなのだ。
前に続けて、福田恆存は語る。
『 心貧しきものこそ、さいわいだといったイエスのことばは、さほど深遠な叡智の所産とも思われぬ。常識的な論理にすぎまい。論理的にいえば、知識は部分にしか関与せず、部分的な知識をいくら重ねても全体にはならぬということであり、それは、部分と全体との次元の相違を指摘しているのである。ついに全体を認識しえぬ以上、十の知識も千の知識も同断だと、イエスはそういっているのであり、その差に優越感をいだいていたパリサイ人を笑ったのである。
すでに酔おうとして劇場にやってくる観客は、いいかえれば、一つの行動に参与しようとしてやってきたかれらは、主人公の無智にたいしては、はなはだ寛大である。かれらの心理は、最初から眼を閉じようとしている。同時に、かれらは、日常生活における知識の集積から、それをいくら重ねても全体感に達しえぬ疲労から、すなわち無意味な現実から、逃避しようとして劇場に足を運んでくるのだ。かれらは、劇場から、このうえ、なんらかの不完全な知識を持ちかえろうと欲してはいない。かれらのほしいのは生の全体感であり、そのためには、かれらは喜んで無智の切りてに身をまかせるのだ。判断の停止や批判の中絶を必要とするのだ。
私たちは日常生活において、ただ知識の集積に疲労を感じるばかりでなく、同様に、無意味な行動の集積に疲れはてている。なるほど、行動は知識の放棄によって、はじめて可能になるのであるが、それはふたたび知識によって追い越される。過った行動や意に満たない行動は、より豊富な知識によって批判される。私たちの日常生活は、そういう行動によってのみ、成りたっているのだ。私はまえにいった、完全な行動家などというものはありえない、と。それは神話化されたイエスにまかすほかはない。
私小説家の犯した過ちは、批判によって追い越されぬ行動によって、自分の実生活を整えようとしたことにある。が、そういうことは不可能だ。それが不可能ならば、小説を書くという仕事を、実生活上の行動の延長線上にもってくることによって、それを追い越すという操作をくりかえさねばならなくなる。それは過ちであると同時に、一種のずるさだが、この無意識のずるさを、意識が追い越したとき、そのずるさに居なおって堕落するか、それを否定して自殺するか、二つに一つしかあるまい。それは徹底的に部分にとどまり、部分として完成することである。この敗北主義には、つねに特権意識がつきまとう。個人が自分ひとりの手で、自分の気に入るように全体を調整しようという思いあがりであり、その意思につきあってくれぬ全体とは絶縁するということであり、さらに、その絶縁によって、部分にすぎぬ自己を全体と錯覚し、その全体の名において、社会的な秩序を失った世間の生活者を批判しようということである。私小説作家にかぎらない。私たち、多くの知識階級の落ちこみやすい陥穽がここにある。
私たちは、認識において、現実の資料をすべて知りつくすことができないと同様に、行動においても、生涯、一貫した必然性を保持することはできない。一生を整え、それに必然の理由づけを附することは、ついに個人の仕事ではありえないのだ。個人は全体を自己に奉仕せしめることはできず、自己を全体に奉仕せしめなければならない。必然性というものは、個人の側にはなく、つねに全体の側にある。個人の脱落や敗北は、全体の必然性を証明するためにのみ正当化される。敗北しながら、自己の必然性を正当化する浪漫派の歌は、所詮、ひかれものの小唄にすぎぬ。全体の勝利を言じなければ、個人としての私たちは、安んじて脱落することさえできないのだ。
私たちは、滅びながら、眼のまえに、自分を棄てて生きのびる全体の勝利を見ようとする。それを見て喜ぼうとする。この本能は、おそらく劇場の美学の根本原理をなすものであろう。ギリシア劇においても、シェイクスピア劇においても、またイプセン、ストリンドベリ、チェーホフの戯曲においても、のみならず、スタンダール、トルストイ、ドストエフスキーなどの劇的な小説においても、この美学の原則は忠実に守られている。そこでは、個人の恣意や情念が、その極限まで刺戟され追求されたあとで、かならず全体の名により罰せられ滅ぼされていく。私たちの、意識の表面は、そこに個人の自由を読みとって、日常生活では得られぬ満足を感じるかもしれぬ。が、無意識の暗面では、その個人の自由が罰せられたことに、限りない慰撫を感じているのである。なぜなら、そこに私たちははっきりと全体の存在を確めえたからである。
こういう美学的要請は、たんに劇や小説のなかにおいてばかりでなく、現実の生活においても絶えず現れる。私たちは、平生、自分を全体と調和せしめようとして、それができずに疲れはてている。いいかえれば、生理的には必然かもしれぬが、倫理的には偶然な事故にしかすぎぬ死以外に、なんの完結も終止符もない人生に、倦み疲れているのだ。私たちの本能は、すべてが終ることを欲している。フロイトやロレンスにならっていえば、人間のうちには生への慾求と同様に死への慾求がある。いや、私たちは生きようとする同じ慾求のうちに死のうとしているのだ。この二つの慾望は別のものではない。死は生を癒すものであるばかりでなく、それを推進させるものなのだ。終止符が打たれなければ、全体は存在しないし、全体を眼のまえに、はっきりと見ることができない。』(P141〜144)
いろいろと書いているが、ここで語られているのは、さほど難しい話ではない。要は、
「私たちはすべて(全体)を知り得ないにもかかわらず、それを知ろう(見よう)として疲れ果て、その結果としての現実逃避の中での全体幻視を求めているのだ。」
というようなことでしかない。
だから、その「原理的に無理なこと」を求める「左翼リベラル」や「私小説家」は、傲慢でもあれば欺瞞的でもある。
だから我々は、われわれがどこまで行っても部分的な存在でしかあり得ないことを受け入れて生きるべきであり、それが正直な生き方である。一一と、そういうお話だ。
だがこれは、結局のところ、向上心を捨てよ、理想を捨てよ、現状を肯定することで、安心を得るが良いという、「宗教盲信による安寧」のススメでしかない。
しかし、当然ことながら、そんな「安直な安心」など、まことに危ういものでしかないのは、自明な話だ。
「思考放棄」は、なるほど「楽」ではあろうが、そのしっぺ返しは、利子がついて返って来るのである。
そもそも、この部分の冒頭の『心貧しきものこそ、さいわいだといったイエスのことばは、さほど深遠な叡智の所産とも思われぬ。常識的な論理にすぎまい。論理的にいえば』云々なんてものが、所詮は知ったかぶりの、単なる「断言」にすぎない。
というのも、イエスの言葉を含む、聖書の言葉の「最大の問題点」は、「矛盾した記述が併録されているが故に、どうとでも解釈できる」という点にあって、それは、聖書学的に言っても明らかなことなのである。
つまり、イエスの言葉についても、福田のように「大したことは言っていない」と「解釈」することもできれば、「ものすごく深いことを言っている」とキリスト教神学者のように「解釈」することも出来る。そこが問題なのだ。
その点で、福田恆存がここで述べているようなことは、所詮は、素人騙しの「知ったかぶりの断言」にすぎないのであり、福田恆存の議論とは、万事この調子の「こけおどし」なのである。
前に続けて、福田恆存は語る。
『 たとえば、私たちは、こういうことを経験しなかったか。愛している親兄弟でさえ、
かれらが死んた瞬間、悲しみや苦しみと同時に、一種の快感に似たものを感じて、うしろめたい気持に襲われたことがないだろうか。ことに長い看病のあとでは、誰しもそれを感じて、一息つくであろう。それは、愛するものの死によって、自分のなかの一部が死に、自分の生活に一つの終止符が打たれたからである。無意味な日常生活の、すべてからではないが、ある部分からだけは、解放されたからである。
そして、私たちは、絶えず自分の手もとに殺到してくる現実の資料を、それを機会に、思い切って断ち切ることができる。それを境に、私たちは、朝の何時に出勤し、夕がたの何時に帰って来る何某会社の社員であることをやめるのだ。どこで、何時に、誰と約束していた何某であることをやめるのだ。私たちは、もはや個人ではなくなる。死者の親族であり、施主である。一口にいえば、通夜から葬儀という儀式のなかの、一つの役割にすぎなくなる。そこにあるのは、個人ではなく、儀式という、一つの全体を形づくるための型である。そういう仮面をつけることによってしか、私たちは、私たちを個人として絶えず攻めてくる現実の追求からまぬかれることができない。近親の死という異常事は、たしかに平板な日常生活の停止と、それからの解放とを意味するが、もしそれにともなう葬儀という儀式がなかったなら、日常生活は停止するどころか、おなじ日常生活の次元に、さらに新しい経験の負荷を加えて、ますます複雑化するのみであろう。私たちは、死をめぐるいっさいの手つづきや気持の処理を、きのうとおなじ日常生活をつづけながら、それを縫ってやっていかねばならなくなる。
が、儀式が私たちを日常的な時空の連続から解放してくれる。うしろめたい気持を感じながらも、じつは私たちはそういう機会を日ごろ待っていたのだ。同時に、日常生活の次元では処理しきれない悲しみを、しかし放っておけば、その次元に帰してしまう悲しみを、儀式の型によって救いあげようとする。ということは、悲しみを却けることを意味しない。悲しみを却け、それとたたかい、それからのがれようとするのは、むしろ日常生活の作法である。が、葬儀はあくまで悲しみの儀式であり、悲しみを味わいつくすことを目的としている。さらにいえば、生者として、死を味わいつくすことを目的としている。生は死によってのみ完結する以上、私たちは葬儀において、生から死への、そして死から生への過程を、すなわち、生と死との同時存在によってのみ味わいうる全体感を得ようとしているのである。』(P145〜146)
人生とは、いろいろな苦労が次から次へと降りかかって来るもので、そこから逃げたいというのは、誰しも望むことである。
だが、だからと言って、介護している親を殺すわけにもいくまい。
いろいろな重荷など、できれば抱え込みたくないというのは人情として当然だが、しかし、それを無かったことにするわけにはいかず、それなりの筋を通して、順次片付けていかなければならない。一一これが、現実の生活というものなのである。
ところが、ここで福田恆存が説いているのは、例によって「現実逃避の方法」にすぎないのである。
逃避して済むことなら逃避するが良い。
しかし、世の中には、逃避し思考停止してすまないことなど、いくらでもあるのだ。
逃避は、人間にとって、必要不可欠なものではあるが、いつでも逃避していれば、それがベストなどではあり得ないからこそ、人は「安易な逃避」を避ける努力をするのである。
前に続けて、福田恆存は語る。
『 葬儀の会葬者たちは、意識するとしないとにかかわらず、深刻な表情のもとに死を悲しむ演戯をする。親疎のべつはあっても、とにかく一様におなじ仮面をかぶり、足のしびれを我慢しながら、僧侶の読経を聴いている。こういう同一条件のもとにおいては、個人的な感情や利害関係を、直接に表現することは許されない。すべてが型にしたがわねばならず、その型によって定められた役以外のことを演じてはならぬ。遺族すら、いたずらに悲しみに助ることは許されない。かれらは会葬者を迎え、挨拶し、響感しなければならぬし、いっさいを祭司としての僧侶の演出にゆだねねばならぬのだ。
それは、故人を真に愛していた遺族にとって、しらじらしい虚礼と感ぜられるかもしれぬ。が、故人を失った悲哀感は、それがなまなましいものであればあるほど、その真実性を保証するための型が必要なのである。切実な感情は、日常生活の煩雑さを厭う。私たちはなにものにも邪魔されずに、純粋にそれを味わい、一定の深さと一定の持続とのうちに保ちたいと思う。それゆえ、日常生活との断絶が必要なのだが、同時に、それは、野放図に解放されたままでは、あの悲哀感のうちにひそむ快感は消滅し、苦痛をともなった不快感と化して、かえって純粋性を失うのである。のみならず、私たちは、そのあとで、かえってしらじらしい気持になり、自己の感情の真実性を疑いはじめる。切実な感情ほど、たちまちにして虚偽に転化しやすいものなのだ。型にはまったよそよそしい儀式が私たちに悲しみの純粋性を保証してくれるのである。
そればかりではない。一人の人間の死は、遺族を日常生活の平板さ、傾雑さ、責任の強要などから解放するだけでなく、また会葬者をも解放する。すくなくとも、かれらはその機会を見のがさない。きまじめな通夜の客は、読経のあとでは、微糖な宴会の客となり、そこには、およそ人間の死という厳粛な事実にふさわしくない情景が展開される。一方、遺族は棚がそばにうなだれ、涙をおさえている。あるものは堪えきれず、居間にひっこんで、たがいに悲しみをわけあう。ときには鷹揚な施主が宴会の席に現れ、自分の悲しみを押しかくし、献酬をかさねながら、会葬者に奉仕する。かれは、この儀式の主体が、いまや死者の側にも遺族や施主の側にもなく、礼をわきまえぬ会葬者の側に、つまり生者の側にあることを知っているからだ。会葬者たちもそれを承知していて、あえて遺族の悲しみに立ち入ろうとはしない。
たまたま遺族のなかに、純粋な青年がいたとすれば、かれは会葬者たちの心なき酔態に不快を感じるかもしれない。読経や焼香のときの会葬者の厳粛な仮面にしらじらしい虚礼を見たときと同様、いや、それだけに、かれらの打って変った酔態に、まさにその虚橋の証拠を見たとおもうにちがいない。が、さきに、かれの悲哀の真実性が、よそよそしい作法によってささえられていたのとおなじように、いま、それは雑な宴会によってささえられているのだ。もし会葬者の悲哀の表現が遺族のそれをはるかに凌駕したばあい、かれはどういう気持をもつか。かれは自分の悲しみが自分のなかに沈潜していく快感を味わうことができない。逆に相手の心のなかに、より深い淵を見いだし、そこに引きずりこまれていくような焦燥感をおぼえるであろう。つまり、故人を会勢者たちに奪われるような不安を感じるにちがいない。会葬者たちの酔態は、たとえ遺族に反換を感じさせながらも、遺族たちは、その抵抗によって、自分の悲しみの真実性を保ちうるのであり、それを適度に深化し持続しうるのである。
死は私たちに日常生活の停止と、それからの逃避の機会をもたらすが、もし会葬者がいなかったら、そして葬儀という儀式の型が存在しなかったら、いいかえれば、もしそのばあい、生活がべつの次元に、それみずから完結した世界を形づくらなかったとしたら、私たちはいかに行動していいか、まったくその方途を見うしなうであろう。葬儀は、遺族たちをして、まず悲哀の深みに沈潜していかしめ、さらにかれらが密室のなかに閉じこめられて身うごきできずにいるとき、その扉を開いて、死から生への橋渡しをするのである。そこに、私たちは劇場におけるいとなみと、まったくおなじものを見る。遺族は悲劇の主人公であり、会葬者は観客である。そして会葬者もまた死を経験し、死から生への過程を演じるのである。私たちのなかのハムレットが死に、フォーティンブラスがよみがえるのだ。
私たちは三十五日とか四十九日とか、あるいは一周忌、三回忌というような法事をいとなむが、会葬者はもちろん、遺族の悲しみも、そのたびごとに浅くなる。遺族は舞台を降り、会葬者とおなじ平面に立つ。七回忌、十三回忌となれば、もはや遊山と変りはない。それは死者のための死の儀式であるよりは、生き残っている生者のための生の習俗と化してしまう。
しかし、習俗と化してしまったとしても、また、中村光夫が「葬式について」のなのかでいっているように、今日の葬儀の形式が私たちの生活感情からいかに遊離していあるにしても、私たちは、それをたんなる虚礼として軽蔑することはできない。私たちは儀式なくしては、またその世俗化したものとしての習俗なくしては生きられないのである。』(P146〜150)
「葬儀」が、心理学では「喪の儀式」と言われるように、存在しない死者の魂を弔うことよりも、生き残った者の「喪失感」を慰め、現実生活への回帰を促す儀式であるというのは、知れた話だし、ここでは福田恆存も、その効能を説いている。
だがこれも、もっと現実的に見ていけば、こういう派手な葬式で「気を紛らわせる」ことができたのも、それをする余裕があってのことであり、先立つもの(金)が無ければ、人はそうした「虚礼」に金を使う余裕が無くなるから、今のように「葬儀の簡素化」が行われ、それで、これといった不都合も生じないのである。
つまり、福田恆存の言う「葬儀の効能」の裏には「安くはない代金」が隠されている、ということなのである。「葬儀という現実逃避装置」も、現実には「無料(タダ)」ではないし、福田恆存がオススメする「過去」や「全体」への帰依なんてものも、実際には「対価」を求められるものなのだ。
前に続けて、福田恆存は語る。
『いいかえれば、私たちは、劇場においてばかりでなく、人生においても、つねに劇を求めているのだ。もちろん、劇場が逃避の場となりうるように、儀式や習俗は、容易に逃避の場となりえよう。いや、じじつ、そうなりつつある。国家的祭日も季節の折目も、今日では、日曜日と同様、たんなる骨やすめであり、レクリエイションにすぎない。せちからい現実や、むごい搾取者から、その眼を盗んで掠めとった休日でしかないのだ。それは、個人が国家や民族や自然に復帰し、全体感を味わう機会ではなく、むしろ全体の眼を盗んで、小さな個人の殻のなかに閉じこもるための逃避の場になってしまった。』(P150)
つまり、「保守」思想家である、福田恆存の『国家や民族』もまた、『劇』の一種であり、「現実逃避」だと認めているのである。
ただし、それは「左翼リベラル」が推進するような「個人主義」的で救いのないものとは違って、『全体感』とやらを味わわせてくれる「ムレ」回帰の「逃避」だと言っているだけなのだ。
それを、「神との合一」とでも言えば、もう少しありがたさも増して、騙される人も増えようが。
前に続けて、福田恆存は語る。
『 だか、誰がそれをたんなる逃避と呼びえよう。それを逃避と軽蔑し、現実に直面しろという人たちは、おそらく自分だけは逃避せずに現実という一つ次元のなかでのみ生きうると思いこんでいるのであろう。』(P151)
思い込んでなどいないよ。
人間誰しも「逃避」が必要だというのは、前に書いたとおりで、わかりきった話でしかない。
だから、「現実の中だけで生きることが可能だ」などとそんな非現実的な戯言は、よっぽど頭の悪い「左翼リベラル」や「保守」の連中の考えることでしかなく、別に「左翼リベラル」に限った話ではない。
私がいつも引用する言葉に、SF作家シオドア・スタージョンの、次のような言葉がある。
『SFの9割はクズである。ただし、すべてのものの9割もクズである。』
つまり、クズはどちらにもいるのだが、福田恆存の『それを逃避と軽蔑し、現実に直面しろという人たちは、おそらく自分だけは逃避せずに現実という一つ次元のなかでのみ生きうると思いこんでいるのであろう。』という言い草は、自分の論敵だけは「傲慢」に決まっている「クズ」どもであり、自分はその被害者だとアピールし、さらに自分は、そんな敵とは違って「謙虚」だという、手前味噌な「決めつけ」までしているのである。
前に続けて、福田恆存は語る。
『が、かれらは、そういう反俗的な思いあがりのうちに、自分たちが現実からの逃避を必要としない特権地帯の住人であることを忘れていはしないだろうか。』(P151)
一方的に「左翼リベラル」を『反俗的な思い上がり』の持ち主だと決めつけ、「奴らは特権階級だ」と、また決めつける。
だが、「左翼リベラル」が、作家や学者であるから「特権階級」だと言うのなら、他ならぬ福田恆存自身もまた、歴とした「特権階級」ではないか。
「特権階級」の福田恆存が庶民ヅラをして、他の「特権階級」に向かって「お前らはズルい」などと言う方が、よほど狡くはないのか。
前に続けて、福田恆存は語る。
『かれらは結婚式や七五三や氏神の祭典にうつつをぬかす人たちを無智蒙昧と見なすかもしれない。が、一般の生活者にとっては、そういうときを除いて、床の間の前に坐り、主役を演じる機会が、生涯おとずれぬであろうという現実を、かれらは見のがしているのだ。なぜなら、特権階級であるかれらは、国家や社会が、あるいは季節や宗教が、現実の次元の外に造りだす折目としての儀式とは無関係に、自分たちだけの小さな床の間の前で主役を演じつけているからである。かれらもまた小さな儀式の祭司であり、そしてそのまえには者がいる。かれらは自分の欲するときに、儀式をとりおこなうことができる。そういうかれらにとって、世谷の儀式は、一般民衆の眼をかれらからそらさせるものでしかない。
かれらは儀式を嫌っているのではなく、自分たちが祭司の座から引きずり降されるような儀式を嫌っているだけのことである。かれらはただかれらを中心に儀式をおこないたいというだけのことだ。が、それぞれの個人を中心として儀式をあげるわけにはいかぬ。儀式は元来、個人を没却する場でなければならぬ。人間が個人であることをやめて、生命のもっとも根源的なものに帰っていくための通路であったはずだ。それは逃避でもなければ、レクリエイションでもない。また、たんに一国の君主や革命の功労者をたたえるためのものでもない。それは、もっとも本質的には、生命の根源である自然のリズムをふむための折目であり、自己のうちで全体と調和しかねている部分を放逐し、死からまぬかれ、生の充実感にひたるための方式であり型であった。
仏教やクリスト教の、そしておそらく他のあらゆる宗教の始祖や伝道者たちは、その間の消息を充分に知っていたはずだ。クリスマスは、たんに王の王であり革命家であったイエスの誕生日を祝うものではない。それは冬至の祝いである。復活祭も、教祖の復活の祝いであると同時に、まず春の到来を祝うものであった。クリスト教の初代教会は民衆のきげんとりをしたのではない。いかに高遠な精神的教養も、自然の生理から孤立して生きることはできなかったのだ。ロレンスはこう書いている。』(P 151〜152)
要は、「伝統的な祭事は、自然のリズムに合致しているから価値がある」という「伝統保守」らしいことを、キリスト教の知識とD・H・ロレンスの「権威」を借りて、正当化しているにすぎない。
だが、キリスト教がナンボのもんだというのは、福田恆存自身が言ってることだし、いち「特権階級」の知識人でしかないロレンスの言葉で、いったい何ほどのことが「保証」されると言うのか?

前に続けて、福田恆存は、ロレンスの言葉を引いた後、それを後ろ盾にして語る。
なおロレンスの言葉(引用文)は、ここでは〈 〉で括った。
『 〈生命そのもののリズムは、時間から時間へ、日から日へ、季節から季節へ、時代から時代へと、教会の手によって、民衆の生活の根がたに保たれてきたのであり、かれらの荒々しい生命の火花は、すべてこの永遠のリズムに合せて整えられていたのである。いまもなお南の国では、ことに田舎にでも行けば、夜明けや正年中日没に鳴り響く節の音が、ミサや折騰の声とともに、時を刻むのを耳にするが、そんなとき、われわれはやはりこのリズムを感じとるのだ。それは日々の太腸の息づくリズムなのだ。それをわれわれは種々の祭日のうちにも感じとる。行列析禱に、クリスマスに、ケルンの三王祭に、復活祭に、聖霊降臨節に、聖ヨハネの聖日に、諸聖徒日に、万霊節に。これこそ一年の廻転であり、冬至から夏至へ、春分から秋分へとすすむ太陽の運行であり、四季の到来であり、その出立である。のみならず、それはまた男と女の肉にひそむリズムでもある。四旬節の
悲歎、復活祭の歓喜、聖霊降臨節の驚き、聖ヨハネの聖日の篝火、万霊節の墓の上に立てられた蝋燭、燈をともされたクリスマス・ツリー、これらすべてが、男と女の魂のなかに燃えあがるリズミックな感情を表しているのだ。〉
こうして、祭日とその儀式は、人間が自然の生理と合致して生きる瞬間を、すなわち日常生活では得られぬ生の充実の瞬間を、演出しようとする慾望から生れたものであり、それを可能にするための型なのである。私たちが型に頼らなければ生の充実をはかりえぬのは、すでに私たち以前に、自然が型によって動いていたからにほかならぬ。生命が周期をもった型であるという概念を、私たちは、ほかならぬ自然から学び知ったのだ。自然の生成に必然の型があればこそ、私たちはそれにくりかえし慣れ、習熟することができる。そして偶然に支配されがちの無意味で不必要な行動から解放される。なぜなら、型にしたがった行動は、その一区切り一区切りが必然であり、それぞれが他に従属しながら、しかもそれぞれがみずから目的となる。一つの行動が他の行動にとって、たんなる前提となり、手段となるような日常的因果関係のなかでは、そのときどきの判断によって採用された行動は、たいてい無意味で不必要な結果に終る。個人の判断が、その必然性の一貫にどれほど緻密な計量をはたらかせようとも、それはほとんどつねに偶然の手にゆだねられる。
必然とは部分が全体につながっているということであり、偶然とは部分が全体から脱落したことである。とすれば、個人がみずからの配慮で自己の行為に必然性を附与しようとするストイシズムは、個人の能力を超えた緊張を必要とするであろうし、そして、その緊張には、私たちは長くは堪えられず、『嘔吐』のなかの女のように、最後には、かならずその努力を棄してしまうであろう。型にしたがった行動は、私たちをそういう緊張から解放してくれ、行動をそれ自体として純粋に味わいうるようにしむけてくれる。そのときにおいてのみ、私たちは、すべてがとめどない因果のなかに埋もれた日常生活の、未構的な部分品としての存在から脱却し、それ自身において完全な、生命そのものの根源につながることができるのだ。』(P152〜155)
『祭日とその儀式は、人間が自然の生理と合致して生きる瞬間を、すなわち日常生活では得られぬ生の充実の瞬間を、演出しようとする慾望から生れたものであり、それを可能にするための型なのである。』一一などとわかったようなことを言っているが、この種の『日常生活では得られぬ生の充実の瞬間』とは、例えば「ロックコンサート」や「球場での野球観戦」「ディズニーランドでのイベント」などでも、感じる人は感じるし、それも少なくはないはずなのだ。
つまり「人間が自然の生理と合致して生きる瞬間」などというのは、先進国において恵まれた生活を享受している「特権階級」がひねり出した、「無い物ねだり」の、いい気な「夢」の一種にすぎない、ということだ。
そんなに「自然」が好きなら、マダガスカル島にでも移住してみろ、という話である。
前に続けて、福田恆存は語る。
『 儀式はすべてそういう純粋な、いわば劇的行動の場を、現実の生活のなかにもたらすものであるが、そのなかでも、国家的な権威の強制に害われなかった、自然のリズムに即する秘儀は、長いあいだ民衆の生活のなかに生きつづけ、今日もなおその意義を失ってはいない。』(P155)
今どきの風俗が気に入らないくせに、こういう時だけ『民衆』とやらを持ち出して、大衆な媚びて見せるところは「左翼の知識人」と、なんら変わらない。
自分は「特権階級」に安住しているくせに、まるで「庶民」を理解しているかのように語るのだが、これこそが、「特権階級」による、庶民だましのペテンではないか。
前に続けて、福田恆存は語る。
『たとえばクリスト教において、復活祭がなにゆえ最大の祝祭日となりえたか。クリスト教だけではない。ギリシア、エジプト、ペルシア、バビロニア等、古代異教の最大の祭日は、ことごとく復活祭的意味をもった、死から生への秘儀であった。なぜであろうか。
私たちが生命の根源にまで降りていき、自然との合一感にひたるための型としての儀式を要求したとすれば、それは型である以上、部分にして全体、瞬間にして永遠、つまり空間的にも時間的にも、限られた枠のなかに全体が出現しうるものでなければならない。自然におけるそういう時期は、季節の折目、ことに冬から春への変り目ではないか。そこでは、私たちは、葬儀におけると同様、死から生への過程をくぐりぬけるのである。私たちは生それ自体のなかで生を味わうことはできない。死を背景として、はじめて生を味わうことができる。死と生との全体的な構造のうえに立って、はじめて生命の充実感と、その秘密に参与することができるのだ。』(P155〜156)
「秘儀」だとか「秘密」だとか、所詮は、日本の「特権階級」である「劇作家・翻訳者・作家」の一人でしかない福田恒存が、どうしてこんなことを語れるのかと言えば、それは福田恆存が、一種の「教祖」だからである。
恵まれた現代生活を享受しながら「自然のリズムに回帰せよ」などという、いかにも胡散くさい「教説」を、お得意の「衒学趣味的レトリック」で「断言」的に説いて、無知な庶民をねじ伏せようとしている「新宗教の教祖」だからだ。
さしずめ「劇的自然伝統教」の教祖さまとでも呼べばいい。
前に続けて、教祖・福田恆存は語る。
『 その意味において、復活祭は、そのまえに聖水曜日にはじまる四十日間の四旬節をともなうのである。それは春の歓喜をまえにした、無収穫の冬の敗退していく時期である。よみがえりのために死にたるものをして死にたるものを葬らしめる時期である。倫理的にいえば、自分の属する集団を迎え、それに受けいれられるために、自己の罪を確認し、それを解放しながら、職罪と懺悔に身をゆだねる時期である。なるほど、四旬節と復活祭は、罪の償いと十字架の勝利という宗教的な意義づけを与えられてはいるが、そういう精神的な比喩だけで、民衆は動きはしない。かれらの生理そのものが、自然に支配されており、自然のリズムに生きることを欲していたのだ。無意識のうちに、かれらのなかの老廃物を、枯渇した冬とともに死なしめ、そうすることによって、春とともによみがえろうとしていたのである。四旬節の英語 Lentは、もとは春の意味であり、十三世紀くらいまでは、その意味で用いられていた。四旬節と復活祭とは、古代の農耕民族の春の祭に、クリスト教的な意義づけをおこなったものにすぎない。同時に、ユダヤ教の小麦の収穫を祝うっ越能を翻案したものでもある。
クリスト数にかぎらぬ。仏教や神道においても、死から生への秘儀は、やはり最大の行事となっている。たとえば、護国仏教において重んぜられた東大寺の修二会のごときも、四旬節に相当する時期と復活祭にあたる水取りの式とから成りたっている。「お水取りがすまなければ春が来ない」といわれるように、それは春を迎える行事であり、そのまえの十二日間は、個人的には精進潔斎と懺悔の期間であり、国家的にはすべての禍ごとを忌み祓う勤行の期間である。ただ私たちの風土においては、冬から春への年季交替の喜びは、北欧諸民族のそれのような、さほど激しいものではない。また、仏教と神道との各時代による消長が、それぞれの時代や地方や階級の行事をそのまま残存せしめたため、春を迎える祭は復活祭のように凝集した型をとらなかった。神道では正月と節分、仏教では正月の修会、二月の修二会、春の彼岸、飛迦誕生を祝う花会式、いずれも季節的な行事であり、冬から春への年季交替を祝うという意味でおなじものであった。その多様性は、私たちが用いる春ということばのあいまいさにも現れている。正月を新春といい、節分のあとに立春があり、水取りや彼岸で春の到来を知るのである。こうして、私たちの春は分散してしまい、宗教と習俗とは緊密な結びつきをもたず、今日では、正月がもっとも大きな国民的祭日となっている。が、太陽暦の正月は、春の祝いとして、年季のよみがえりとして、かならずしも適当な時期ではない。正月をすぎて、私たちは古き年の王の死を、すなわち、厳寒を迎えるという矛盾を経験する。』(P 156〜158)
所詮は「宗教学」という「近代科学」の知見を、都合よく借りてきているだけの「教祖のレトリック」である。
「保守」思想が、「革新」のブレーキ役を務めることは、おおいに結構だし、伝統を重んじるのも、その人の「趣味」としては認めている。
しかし、現に「現代社会」に生きて、「近代科学」の恩恵にも浴しながら、そのあたりについては、調子よく口をつぐんで、さも自分たちだけは、「自然と伝統」の「秘儀・秘密」に通じているかのようなことを語るのは、(福田恆存の生前には無かった言葉かも知れないが)要は、自称「魔導士」めいた「厨二病(中二病)」か、さもなければ、タチの悪い「ペテン師」にすぎないのである。
本書が「人生論」という「体裁」で始まって、最後は、次のような「劇的自然伝統教」の「布教書」のようになっているのも、オウム真理教が「ヨガサークルを装って」信者の獲得を進めたのと、同じことだ。
どちらも「反近代」で「自然志向」である。
次が、本書の締めの部分である。
『 しかも、そういう矛盾について、ひとびとは完全に無関心でいる。アスファルトやコンクリートで固められた都会生活者にとって、古代の農耕民族とともに生きていた自然や季節は、なんの意味ももたないと思いこんでいる。文明開化の明治政府が、彼岸を春秋の皇霊祭としたのは、天皇制確立のためではあったが、今日の似市非ヒューマニストよりは、まだしも国民生活のなかに占める祭日の意義を知っていたのだ。ヒューマニストたちにとっては、雛祭も端午の節句も、季節とは無関係に、ただ子供のきげんをとるための「子供の日」でしかない。つまり、レクリエイションなのである。が、雛祭より「子供の日」のほうがより文化的であり知的であると考えるいかなる理由もありはしない。そのほうが、都会生活に向いているという理窟もなりたたぬ。もちろん、古い習俗はそのままでは雑であり、私たちの生活を停滞させるであろう。が、私たちがどれほど知的になり、開化の世界に棲んでいようとも、自然を征服し、その支配下から脱却しえたなどと思いこんではならぬ。私たちが、社会的な不協和を感じるとき、そしてその調和を回復したいと欲するとき、同時に私たちは、おなじ不満と慾求とのなかで、無意識のうちに自然との結びつきを欲しているのではないか。
ことに死から生への秘儀は、そういう自然とともに生きる、もっとも本質的な人間の生きかたを啓示する。私たちがいかに知的に開化しているとしても、肉体の生理的必然から、まったく自由でありうるわけはない。私たちは、日々、死を欲している。もちろん、新しくよみがえるために。シェイクスピア劇においては、一日の終りにおとずれる仮死としての眠りが、いかにくりかえし識えられていることか。当時の人たちは、私たちが、生を慾求すると同時に、そのためには、いかに死を望んでいるかを、よく知っていたのだ。かれらばかりではない。現代の私たちにおいても同様である。ただ、ひとびとはヒューマニズムの浅薄な生の讃歌のうちに、そのことを忘れているのだ。生が、そして個人が、死や仮死を必要としないほど強いものと錯覚しているのだ。そして、その錯覚が、じつは私たちの生を弱めていることに気づかずにいる。
だが、私たちの精神や肉体は、いまなお、冬から春にかけて、一種の不整調を感じないだろうか。暗い枯死せる冬から脱けだして、明るい春の生気を浴びるためには、仮死を演ずる四旬節と歓喜の復活祭とをもったほうがいいのではないか。そういう場所をすべて奪われてしまったとき、私たちの精神も肉体も、個々にどんな重荷を背負わなければならないか。それは神秘主義などというものではない。むしろ正常な人間の生きかたなのである。個人が全体から離脱しがちな現代において、それはもっとも必要とされるのだ。私たちは、自己の内部における不協和を、それによってただすことができる。自己のうちにあって、全体から離脱した部分を死につかしめ、そうすることによって、自己が全体とともに生きかえる。
ヒューマニストたちは、死をたんに生にたいする脅威と考える。同時に、生を楯にあらゆることを正当化しようとする。かれらにとって、単純に生は善であり、死は悪である。死は生の中絶であり、偶然の事故であるがゆえに、できうるかぎり、これを防がねばならぬと信じこんでいる。が、そうすることによって、私たちの生はどれほど強化されたか。生の終りに死を位置づけえぬいかなる思想も、人間に幸福をもたらしえぬであろう。死において生の完結を考えぬ思想は、脂談、浅薄な個人主義に終る間のだ。中世を暗黒時代と呼び、ルネサンスを生の讃歌と規定する通俗的な史観や、封建時代に死臭をかぎつけ、現代に生のいぶきを感じる過った人間観は、すべて個人主義的なヒューマニズムの所産にほかならない。
生はかならず死によってのみ正当化される。個人は、全体を、それが自己を滅ぼすものであるがゆえに認めなければならない。それが劇というものだ。そして、それが人間の生きかたなのである。人間はつねにそういうふうに生きてきたし、今後もそういうふうに生きつづけるであろう。』(P155〜160)
『そういう矛盾について、ひとびとは完全に無関心でいる。アスファルトやコンクリートで固められた都会生活者』とは、他でもない、福田恆存自身のことである。
だが、福田恆存のタチの悪さは、自身のことを完全に棚上げにして、他人については「わかっていない」と決めつけ、自分ができてもいないことを「完璧にやれていない」と注文をつけ、迷うことなく、ああだこうだと「決めつけ」てみせる点である。
上の文章の「語尾」に注目すると良い。
「〜いる」「〜である」「〜あろう」「〜なのだ」「〜ればならない」
こういう「畳みかけるように調子の良い文体」とは、「論争家の論理性」などではなく、「だんだん良くなる法華の太鼓」みたいなものでしかないのである。
福田恆存は、「保守の論客」と言うよりは、「保守のアジテーター」であり、所詮、その語るところは、非論理的な「教祖の教説」でしかない。
こんなものが「論理的」だと言うのなら、池田大作や大川隆法の教説だって、それなり「論理的」だと言えるだろうし、実際「信者」たちは皆、そう信じきって疑わず、「論理的だ」と主張してもいるのだ。
だが、無神論者の私にすれば、こんな五十歩百歩の違いなど、知ったことではないのである。
(2025年7月23日)
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