与那覇潤 『江藤淳と加藤典洋 戦後史を歩きなおす』 : 北村紗衣批判の先輩・与那覇潤の素顔
書評:与那覇潤『江藤淳と加藤典洋 戦後史を歩きなおす』(文藝春秋)
与那覇潤の存在を知ったのは、与那覇の第三著書の『中国化する日本 日中「文明の衝突」一千年史』(2011年)が話題となり、「気鋭の歴史学者」としてマスコミに大きく取り上げられた頃だと思う。
当時は2010年9月の「尖閣諸島中国漁船衝突事件」などで「反中国」が盛り上がっていた時期だったからだろう。

しかし、私はこの時、同書『中国化する日本』には興味がなかった。時局便乗的との印象があったからだ。
また、私としては、すでに「ネット右翼」との臨戦体制に入っていたから、「中国」がろくな国ではないのは大前提として、「ろくな日本人ではないネトウヨ」への批判を、日本人として優先させていたのである。
ちなみに、「在特会(在日特権を許さない市民の会)」が発足したのは2006年であった。
で、そんな私が、与那覇潤に多少なりとも興味を持ったのは、第四著書の『日本人はなぜ存在するか』(2013年)が刊行された後の頃ではないかと思う。
その頃、友人と電話で「最近読んだ本」の話か何かをしていた際に、友人の口から与那覇の名前が上がり、好意的な評価を聞かされたのだ。それで、「1冊くらいは読んで、味見してみるか」という気にはなったのである。
だが、そうこうしているうちに、与那覇が本を出さなくなったので、またその存在を忘れていたところ、2020年に精神科医で文芸評論家の斉藤環との対談本『心を病んだらいけないの? うつ病社会の処方箋』が刊行されて、与那覇が鬱病を患い、書けなくなっていたことを知った(2018年の『知性は死なない 平成の鬱をこえて』については、あまり記憶にない)。

で、私としては「中国の歴史」みたいな話よりも、格段「精神の病い」の方に興味があったから、こちらを読むことにしたのであった。
同書の中で、与那覇は、
『精神の病気にしても歴史のイメージにしても、「社会との関係で決まっている」と(※ 私が)いうと、なぜかそれを「本当は存在しないニセモノだ」という意味にとられてしまうんですよね。』
(単行本・P242)
と語っているが、今回『江藤淳と加藤典洋 戦後史を歩きなおす』(以下『江藤淳と加藤典洋』と略記する)を読んでもわかるとおり、与那覇の言う「歴史」もまた、「事実関係の連なり」といったような「即物的」なものではなく、「人間によって生み出され、生きられるもの」といったニュアンスのものだというのがわかる。
与那覇は、本書『江藤淳と加藤典洋』においても、くり返し、「即物的な」、しかし「歴史学界の主流をなす歴史学(者)」を厳しく批判しているのだ。
前述の『心を病んだらいけないの? うつ病社会の処方箋』に、与那覇がどうして鬱病になったのか、そのあたりの事情が具体的に書かれていたか否かは、もはや記憶にないのだが、その理由のひとつとして、「歴史学者の世界」に「順応」できなかったからということもあったのだろうというのは、容易に推察できる。
だから与那覇は、本書『江藤淳と加藤典洋』の中でも、自身について『歴史学者を廃業して、いま、ようやく(※ ヴァルター・ベンヤミンが「歴史」について語った言葉の)その真意がわかった気がしている。』(P215)としており、その上で自身を、江藤淳や加藤典洋に連なる「文芸評論家」だと、位置づけ直しているのだ。
だから、与那覇潤の「文芸批評」観が「テクスト論」的なものではない、というのは、わかりやすいところでもあれば、必然的なものでもあろう。
「テクスト論」とは、簡単に言えば、「テクスト」には、「作者」は存在しない、とするものだ。
文学作品は、作品として、読者の前に提示された段階で、「作者」とは切れて独立した存在なのだから、その「テクスト」から読み取れるものがすべてであり、その限りにおいては「どう読んでもかまわない」ということになる。
平たく言えば、「作者の意図」などというものは、「完成した作品」とは無縁だとする、考え方である。
だが、与那覇潤は、こうした割り切り方を好まない。
「歴史」が、単なる「事実の連なり(の列記)」ではないように、「文学」も「テクスト」という事実だけがあるのではなく、「作者」との相関関係において、初めて「意味」を持つし、その上で、「作者の存在」を想定する「読者」があって、初めて意味を持つものだ、と考えるのである。
本書でも、「生成AI」が書いた(合成した)作品が、人間にとって「文学」たり得ない理由を、その「作者の不在=作者の死」性に見ている。

したがって、与那覇潤の「文芸批評」観は、いたってオーソドックスであり、古典的でもある。
『 小林秀雄が著名な警句で示したように、文芸批評とは作品の内側にあらかじめ存在した意味を読みとる行為ではなく、作家のテクストに評者の精神が関わることを通じて、新たに生じた相互作用を記録し、他者との関係から物語を紡いで自己を語る営為でした。』(P151)
これには、私もまったく同感で、「読者=評者」無くして「作品の意味」など、あり得ないというのは、作品そのものを「読もう」とする者には、避けたくても避け得ない事実なのだ。
「テクスト」から「客観的に」意味を取り出したいと願って、「読者」としての私(主観性)の関与を排除しようとしても、その「客観的たらん」とする構え自体がすでに「意識的=主観的」なものたらざるを得ない。
評者が「客観的」であるつもりでも、そうした「テクスト読解」が、実際には様々なものであり得る、あるいは、様々でしかあり得ないのは、結局のところ「個性的な客観性=主観性」が、そこに関与・反映されざるを得ないからである。
したがって、「テクスト」は「作者」から自由に「多様に客観的な読みが可能だ」という「テクスト論」というのは、結局のところ、1回まわって、あまり前の「読み」に戻っているだけなのだと、私は考える。なぜなら、「作者」という存在は、「読者」の中に、抜きがたく存在するものだからだ。
無論、こうしたポストモダンな「テクスト論」が生み出されるには、それ相応の事情があったのであり、それは生み出されて然るべきものではあった。
その事情とは、次のようなものである。
「作者が日記に、この作品の意図はこうだと書いているから、この作品はこう読むのが正解であり、それ以外の解釈的読解は、恣意的な誤読にすぎない」といった、いかにも「事実」を重んじる「研究者」らしい、「唯物論的な読解」を、一度は葬らなければならなかったからである。
つまり、「作者の意図がどうであろうと、完成した作品(テクスト)は、作者から独立したものとして読まれなければならない。読解とは、本質的にそうしたものだ」ということだ。
そして私自身は、しばしばこのことを強調して、次のように書いている。
「作者が『この作品のテーマは愛です』と言って、それで愛が適切に描かれているということになるのであれば、誰も苦労はしない。問題は、作品が、そうした作者の意図どおりに出来上がっているか否かであり、たいがいの場合、実際の作品は、作者が目指したほど立派なものではないのだから、作者の意図を鵜呑みにするような評価というのは、単に、作品そのものを読むことのできない、文盲の盲信にすぎない」
だから、小説ばかりではなく、映画でも漫画でもそうだが、作者のコメントや、識者の見解をそのまま繰り返すような読者の「感想」は、クズである、と私は言うのだ。
そこには、「読者」としての主体的な関与が無いのだから、そんなものは「読解」ではないのである。
つまり、作者の提供する情報なり何なりの「周辺情報」を得て、それを参考にすること自体は間違いではないけれど、それを鵜呑みにするのは間違いなのだ。単なる「権威主義による盲信(信仰)」にすぎない。
実際のところ、そうした「事実関係」の情報を得たとしても、「読者」はそれを「参考資料」というかたちで、結局のところはそれをも「読解」するしかない。
そうした「周辺情報」さえ、「私の解釈」を経ることでしか「意味」をなさないものなのである。
つまり、「作者の提供する情報」もまた、「テクスト」と同様に、それ自体としては「意味」を持たないのだ。
それが意味を持つのは、読者がそれを「解釈的に位置づける」からなのである。
一一ともあれ、そんなわけで、与那覇潤の「歴史」観は、きわめて「文芸批評」的なものであり、それは正しいと私は思う。
なにしろ、この私だって、「文学」や「歴史」というものを、この私を通してしか理解できないのだし、そのことでしか、それらは存在し得ないものだからである。
言い換えれば、「文学」や「歴史」とは、人間的な観念であり、物理的事実(個物)としての存在物、などではないのである。
ただしここで、本書の与那覇潤に注文をつけさせてもらうと、前述のとおりで、歴史学者の現実に対して、不満と怒りを感じている与那覇の「歴史観」であり「文学観」は、そうした心情からの反動として、いささか主情主義的になりすぎているのではないか、という点である。
つまり、客観的事実を蔑ろして、恣意的な主情主義に、傾きすぎているうらみがある。
本書に即して具体的に言えば、江藤淳や加藤典洋に「甘すぎる」ということである。
江藤淳と加藤典洋というのは、私が徹底的に批判した2人であり、その点で、本書を論評するにあたっては、最初から「どうなることやら」という思いが、私にはあった。
だから、私が本書を読もうと考えた理由は、江藤淳や加藤典洋にあったのではなく、あくまでも、私が「武蔵大学の教授」で自称フェミニストである北村紗衣を批判するにあたって、北村紗衣がどういう人物かを知るために、最初に参考にさせてもらったのが、与那覇の「note」だったという事実にあった。
つまり、与那覇潤は「北村紗衣批判」の先輩として、北村紗衣の「実態」を教えてくれた稀有な存在であり、また私の「note」記事では、毎回「参考記事」としてリンクを張らせていただいている、ある意味で「恩人」だから、無料の「note」記事ばかりではなく、その著書も読ませていただかないと申し訳ないと、そんな気持ちからだったのである。
それで、半年ほど前には、すでに与那覇の旧著を2冊ほど買っていたのだが、フェミニズムの勉強を優先して、そちらを後回しにしているうちに、例によって、積読の山に埋もれさせてしまった。
で、その後に本書『江藤淳と加藤典洋』が刊行されたので、これくらいは読まなければ、義理が立たないとそう考え、やっと今回、ひさしぶりに与那覇の著書を読むことができたのである。

しかしながら、恩返し的に読もうと思った本が、私の嫌いな江藤淳と加藤典洋に関するものであり、しかも、どうやら与那覇は、自身を江藤淳と加藤典洋の後継者と位置づけしているようだ。
だから、恩返しのつもりで読み、恩返しのつもりでレビューを書くとしても、それが結局は「酷評」になるのではと、そう危ぶまれもした。
だがまた、当然のことながら、恩人の著書であろうと、ダメなものはダメだと忌憚なく語るのが、批評のあるべき姿である。
したがって、私には、いくら与那覇が「恩人」であったとしても、「提灯持ちレビュー」を書く気は、さらさら無かった。
それで、結果として与那覇が私をどう思うことになろうと、私は真面目に読んで正直に語るだけであり、それが私の「恩返し」であると、そう思い定めて読み始めたのである。
一一で、どうであったかと言うと、意外にも与那覇は、本書で「江藤淳や加藤典洋を、あまり誉めてはいなかった」。
例えば、江藤淳について言えば、私が江藤淳を批判した「アメリカによる、戦後日本の洗脳」問題(WGIP問題)を、与那覇は歴史学者として、江藤淳の説を被害妄想的なものであったと認めて、斥けている。
一一ただし、問題なのは、そんな「弱さゆえの過ち」を犯した江藤淳を、私のように「弱さゆえに誤った」と、その「事実を批判」するのではなく、「なぜ江藤淳が誤ったのか」と論じて、実質的に江藤をフォロー(擁護)している点だ。
与那覇が江藤淳をフォローしたロジックとは、簡単に言えば「江藤淳は、その身を持って、日本の歴史と戦後を引き受けようとしたためだ」ということになるだろう。
その「重荷」から逃げることをせず、それを馬鹿正直に引き受けたがために、結果として江藤淳は潰れてしまったのだという、とても共感的・好意的な理解(解釈)を、本書で示しているである。
たしかに、「(再)転向左翼」のように、風向きを見て、あっさり戦後民主主義に順応してみせたような、大半の「要領の良い」人たちは、戦中戦後の「歴史的一貫性」などというものには、こだわらなかっただろう。
「時代は変わった(それで私も変わった)」で、あっさり「転向」してみせたのだ。
だが、江藤淳や太宰治といった人たちは、そういうことの出来ない不器用な人たちであり、間違いなく日本は、戦前・戦中・戦後とつながりを持ったものであり、決して「切れた別物」などではないと、そう実感を持って確信していた。また、それが「生きた歴史」というものでもあろう。
だから彼らは、戦後の「新生日本」的な欺瞞を許せず、それを告発する側にまわったのだ。
だが、結果としては、彼らはその重みに潰されて自滅してしまった。一一というのが、与那覇潤の「同情的」な読みだったのである。
一方の加藤典洋については、私の場合は、加藤と高橋哲哉の「歴史主体」論争の時代から、一貫して高橋哲哉を支持してきた。
この2人の論争は、簡単に言うと、日本(人)が戦争の傷を乗り越えて、それと向き合うために「まず必要なこととは何か?」という問いについての、見解の違いだと言えるだろう。
加藤典洋の場合は「まず自国の戦死者を弔ってからでないと、他国の戦死者を弔うことなど出来ない(弔う主体にはなれない)」という立場なのに対して、高橋哲哉は「日本人は、戦争加害者であるという立場を直視し、まず被害者たちの弔いを優先し、それを果たしたのちに、自国の戦死者たちを弔うべきである。それが筋というものだ」と、おおむねそういうようなことだ。
この違いについて、加藤典洋側からその立場の違いを説明した言葉を、本書から紹介しておこう。
『 そもそも1995年に加藤さんが批判されたのは、そのとき昂揚がはじまっていた、従軍慰安婦の問題を背景としていた。
あなたたち日本人は責任をとれ、と要求する他者がげんに目のまえにいるのに、「まずは日本の戦死者とつながる(※ 日本人たる)自己をじっくり確立してから」などという議論をするのは、不道徳なことだ。そうした他者論の立場からの非難が、高橋哲哉さんのような哲学者によって寄せられた。
加藤さんはこのとき、「高橋は自己を作るのは他者との出会いだ、といっており、わたしは、自己がなければ他者に会えない、といっている」と応じた。論争の的確な要約だったが、しかしあまりにも的確すぎて、そこで議論はとまってしまった。』(P 248〜249)
私たちは、「自分」ではない「他者」があって、初めて「自分」というものの「輪郭」を認識・確定することが出来るようになる。
心理学的に言えば、本書でも語られているとおり、子供が「自分」と「世界」との区別をつけられるようになるのは「鏡像段階」を経た後だ、というになる。
子供は鏡を見て、それを「自分」だと認識するようになって初めて、自分が「世界と一体化した視点」といったようなものではなく、明確な輪郭を持った(限界づけられた)存在、世界から文節化された存在であるとの認識を持つようになるのである。
したがって、「日本人」というのも、「他者(外国人)」があって初めて存在し得る観念であり、「日本人」をより正確に規定しようと思えば、そうした「他者」と向き合わざるを得ない。
それをしないかぎり、日本人はいつまで経っても、内向きの自他未分の主観性に止まって、適切な対他的関係を取り結べない、未熟な存在にとどまらざるを得ない。
一一というのが、高橋哲哉らの「他者論」の立場である。
一方の加藤典洋の立場は、前記のとおりで、『高橋は自己を作るのは他者との出会いだ、といっており、わたしは、自己がなければ他者に会えない』とものであった。一一これが「主体(の確立優先)」論である。

で、この論争当時の私は、この問題を「主体vs他者」だとは考えず、単純に「加害者が被害者に対して、まず謝るのが筋だ」という、わかりやすくマッチョな立場だった。
まず自分を慰め納得させてからでなければ、謝罪すらできないというような「甘ったれた」考えなど、論外であった。
言い換えれば、「日本人が日本人としての誇りを持っているのならば、自分の傷の治療は後回しにしてでも、まずは被害者の治療を優先するのは当然だ。それで自分が死んだとしても、それは誇り高き死だ」というような考え方だったのである。
だから、そんな「主体主義(誇り高き我主義)」的な私にとっては、「今更、主体確立のための自己慰撫」などというものは、論外だったのだ。
そんなわけで、私は加藤典洋が大嫌いだったのだが、一一なんと加藤は、後にこうした立場を捨てていたということが、本書で語られていて、とても驚いた。そんなこと、私はぜんぜん知らなかったのだ。
そして与那覇潤は、加藤典洋のそうした立場変更を、勇気あるものとして、本書で高く評価し賞賛していたのである。
加藤典洋の立場変更あるいは「転向」と呼んでも良いが、その本質は、前述の「まず主体を確立した後に、他者と向き合う」というような「わかりやすく論理的な段取り論」ではなく、「矛盾を抱えながら現実に向き合い、その中で自身を確立していく」という、より現実的なものに変わっていった、ということになる。
そしてそれが、加藤典洋の「平和憲法の選び直し論」である。

「平和憲法」としての「日本国憲法」は、たしかに形式的には「アメリカから押しつけられたもの」なのだが、しかし、だからといって「自主憲法」を制定しなければ、日本はいつまでも偽善を生きなければならない、というような「段取り的な潔癖症」は、正しくない(あるいは、偽善的だ)と加藤典洋は考えるようになった。
そうではなく、私たちはいつでも、不純な現実の中で、その現実に耐えながら、よりマシを選択して生きていかねばならない存在であり、その意味で私たち日本人は、今を生きるその立場から、「押し付けられた憲法」を「主体的に選び直せば良いのだ」と、そういう立場に変わっていたのである。
つまり、「まず主体を立てなければ、他者もへったくれもない」という「段取り主義的な抽象論」ではなく「目の前のさまざまな他者と向き合う中で、自分の輪郭を定めていくのが人間なのだ」という立場に変わった、ということである。
一一そして、そうした「成熟した加藤典洋の立場」を、本書の与那覇潤は、支持していたのだ。
そんなわけで、与那覇は本書で、私が「弱い」と批判した江藤淳を、そのまま肯定したのではなく、「なぜ江藤淳が弱かったのか」という事情を説明して、それに共感したのだ。
「江藤淳は、他の要領の良い連中とは違い、不器用にも重荷を背負い込んでしまったから、その重荷に潰されてしまったのだ」と擁護したのである。
また、私が、やはり「弱い」と感じて「自分のことなんか、後回しにしろ」と苛立った加藤典洋についても、その頃の若き加藤典洋を肯定したのではなく、加藤がそうした立場を捨てて「成熟」していったことに対して、敬意を示したのが、本書だったのである。
だから、以上のような点については、私にも異論はない。
私が江藤淳を批判したのは、江藤が現にやったことを問題としたからで、その内情については問題にしなかったからだ。「理由はどうあれ」という立場からの批判である。
また私が加藤典洋を批判したのは、「歴史主体論争」時の加藤を批判したのであって、その後の加藤まで批判したものではなかった。
だから、本書における与那覇潤の立論には、基本的に同意できるのだが、しかし、私からすると、今の与那覇の立場は、江藤淳に対してにしろ、加藤典洋に対してにしろ、いささか「擁護的に過ぎる」と、そう感じられた。「物分かりが良すぎる」のである。
結果として彼らを擁護するのだとしても、まずは「ダメなものはダメだと批判した後、しかし、情状を酌量すべき」だと、そう考える。
それなのに、本書では、彼らに「同情すべき点」ばかりが、強調されすぎていると、私には感じられ、その点が、本書に隔靴掻痒の印象を与えて、物足りなかったのである。
ただ、与那覇潤の書き方がこのようなものになってしまったのは、たぶん与那覇が自身を、江藤淳や加藤典洋に重ねた(投影した)からではないかと、私は見ている。
つまり、与那覇潤は「歴史の重み=歴史学界の現実」に向き合ったがために、鬱病になってしまった。つまり、外見的には「敗者」になってしまった。
だから、与那覇は、「歴史」という重荷を引き受けたがゆえに潰れた江藤淳に同情し、そこに自分自身を重ねて、救いだそうとしたのではないか。
また同様に、「歴史」を生きようとしたために、傍目によくない転向すらも辞さなかった加藤典洋の勇気と不器用さに共感し、賛辞を送ったのではないだろうか。
そうした意味では、私は本書の内容を支持することはできるのだが、著者である与那覇の「主情的スタンス」には、物足りなさも感じたのだ。
また、同様な「弱点」として、最後にもうひとつ注文を付けさせて貰えおう。
与那覇潤は「フェミニスト」たちの戦いなどでは、けっこう「強気(攻撃的)」な態度に見せているが、しかし、この人は、基本的には「繊細」な人であり、案外「自信のない人」なのではないかと、私には感じられた。
だからこそ、鬱病にもなれば、江藤淳にも共感できるのではないか。
つまり「不器用で弱い敗者」に自己投影して共感し、フォローしてしまう。
また、そうした「弱さ」があればこそ、自分を褒めてくれる人には、評価が甘くなる傾向もあるのではないかと、そうも疑われる。
それは、会ったこともない与那覇に文庫解説を依頼してくれた加藤典洋や、本書に推薦文を寄せてくれた上野千鶴子などに対する態度などに感じられるものだ。
強がってはいるけれど、与那覇潤には、やはり「仲間(支持者・理解者)が欲しい」という「弱さ」があって、それが本書の、江藤淳や加藤典洋についての「擁護一辺倒」にも現れているのではないだろうか。
しかし、そうした「党派性」は、批評の誠実という点においては、極めて危険なものであるというのは、論を待たない。
無論、与那覇自身は、上野千鶴子とも一線を画してきたというようなことを「note」に書いてあるけれども、要はそれを、わざわざ自己申告しなければならないほどのベタな喜びぶりこそが、与那覇の本質的な「弱さ」の証なのではないかと、疑われるのだ。
私は本書を読み、わりあい素の与那覇に触れることで、与那覇潤は、その主張するところからすれば、もっと強靭かつクールになって然るべきだと、そのように感じたのである。
(2025年7月29日)
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