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創作論がわからない私の、いまの解決策(これかも?)

昨日こんな記事を書いた。

バックリ言うと「夫にnoteの記事を読ませたら、感想の違いに納得いかず喧嘩しちゃったけど、それは『構造で読む夫』と『余白で読む私』の読み方の違いが原因だったよ」って話です。

すっかり解決、ふんふんふ〜んと思っていたのだけど、今日ハタと気づいてしまった。

…これ、もしかして「書く時」も同じ原理なんじゃないか?

で、ずっと考えてたら、私の長年の創作の悩みが少し晴れそうな気がしてきたので、ぜひ聞いてほしいと思いまして。まさかの続編!フンス!

前回みたいな法廷スタイルは、あまりにも疲れたので普通に書きます。


まずはおさらい

文章の読み方は、人によって違うみたいよって話。
<構造型>と<余白型>で、文章の「入口」の見つけ方、読む順序が違い、同じ文章を読んでも違う物語体験になるってことですね。

<構造型の読み方>

1. まず話の目的をつかみたい
2. これは何についての文章かを知りたい
3. 結論を探す
4. その上で細部を読み取る

・全体の道筋(構造)を把握してから具体へ進みたい
・線で理解するイメージ
・地図、目的地があることで旅の道中がより楽しい

<余白型の読み方>

1. まず感じる
2. 細部の描写や感情の揺れから全体像をつかむ
3. 行間や「言っていないこと」を読む
4. 結論より瞬間の気づきを重視

・細部の積み重ねから全体を立ち上げようとする
・点で察するイメージ
・その場その場の風景から、旅の意味を見つける


「書く」にあてはめるとこうなるのでは

<構造型的な書き方>

  • まず大まかな骨格を作る

  • プロットを作る

  • 具体的エピソードを詰める

<余白型的な書き方>

  • 小さい点の情景や感情から始まる

  • エピソードから膨らます

  • 結果意味が立ち上がる

この順になりますよね?
私は完全に余白型です。でね。

今まで創作のために勉強しようとしてきた
ちまたで人気のある創作論って

構造型のためのものじゃないですか…?

起承転結も、三幕構成も、序・破・急も…
てか、そもそも創作理論って再現性のある
フレームワーク=構造の話だな…?

だからなのか? 私、創作本自体はめっちゃ好きなんですよ。ワクワクするじゃないですか。なんか、宝の地図をもらったような気分になって。で、読んでるうちはワックワクだぜ〜なんですけど、実践にうつった瞬間に。

ぱあ?

ってなるんです。理解できるけど、つかめないっていうか。具体的にちょっと書くと。

◯最初に構造(骨格)を作りましょう

ストーリーの盛り上がりや、クライマックス、大きな流れを作りましょうねってやつですね。短編やnoteでも、まず構成から考えるという。

これが、めっちゃ苦手なんですよ。理屈ではわかるんですけど、構成でどうやってワクワクするん…?って思ってます。骨組んでいくんですよね、わかります。

でも、この骨がいい骨かって、わかる…?骨の形、だいたい一緒やん。ああしよう、こうしよう、と悩めないのですよね。うわー面白い話になりそうやわ!ってどうやって興奮したらいいのかわからんのです。

◯プロットを作りましょう

箱書きというやつですね。エピソードの塊。ここでこういうことが起きて、こんな変化が起きるよ、みたいなシーンの要約を小さい箱にまとめて骨格に肉をつけていくイメージです。

骨格とほぼ同じ理由で、意味わからん。書いてみな、何が起きるかわからんくない…?って思う。そう。骨格もそうなんですが、構成したところで、この筋にのっていくかどうかは、わからんけどな!って思っちゃうので、壊滅的に面白くない。プロットが。

◯結論や山場の位置を決める

冒頭どのくらいのタイミングで転換点がきて、どこで落ちて、みたいな。波が起きるタイミングを設定しましょうと。

いや〜〜〜無理やて〜〜〜。だって、その結論にいたらないかもしれないんだもの…。一応たてるんですよ。ゴールも転換点も、立てるんですけど。ゴールに向かわないといけないと思った瞬間、非常に書くのがむずくなるんですね。

ほんで、気づいたらあっちいってました〜みたいになる。もしくは「ここで山場ってなってるんだが、なんでそうなるのかがよくわからん」みたいになる。

◯主人公の本当の目的は?

知らんよ〜〜。さすがに物語を書く時は、なんらしかの欲求(彼女に告りたいとか、家をでたい、とか)がないと話すすまんので設定はするんだけど、本マのところ主人公が何を思って、どう感じて、どこにいくのか。どうしたいのか。……わからんくない?わからんから書いてるんだが?って思っちゃうのよね。

書いた後に、あーほんとはこう言う願望があったんかもしれんな…こいつには。って気づく。そういうもんちゃうの。人生は。

つまりね。

これらを、先にやらないといけないのが私はむずい。

作品が立ち上がっていない状態で決められないし、決めた瞬間に妙な義務感にとらわれてしまう。

構造を作ろうとしても楽しくないし、
作った構造のもと書こうとしても楽しくない。
てか、逆に話が進まなくなる。

でも構造が強い作品はそれだけ人に届く。だからこれだけの論が巷にあるわけでしょ? 私も使えるようになりたい!

じゃ、余白型の私は、どう書く?

これが、私の思考の型によるものなら。

私タイプに合わせて
論の方をチューニングしたらいいんでは?

前提として、余白型である私は
いきなり全体の骨格を決めることがどうしても無理。

全体像は、点の積み重ねであとから立ち上がる。
つまり、私にとって構造とは後から見えてくるもの。

ならば。

解決策① 結論じゃなくて「問い」を決める

ゴールを決めても、結論が途中で変わるし変えたい。ゴールに向かうこと自体が苦行になる。

〇〇〇〇な結末に向かう。じゃなく
「なぜ、〇〇〇〇なんだろう?」を探す旅にでるイメージならできそう。それが一つあるだけで、道のりに一本軸が通るような気がする。


「ケンカしたのび太とドラえもんが仲直りする」じゃなく「ドラえもんとケンカしたのび太はどうするだろ?」を問いとして置くイメージ。

解決策② 線で考えずに、点でおく

ここでこうなって、次にこうなってという線で考えると、ぁぁぁぁああああああ!!ってなるので、私の考えやすい「点」で少しだけ配置する。

冒頭はこんな「点」、真ん中にこんな「点」。つながない。しかも出来事より感情や情景みたいなふわっとしてて、自分で想像しやすいもので配置する。多少しばられる感はあるかもしれないけど、「自由に歩いていいんだね」って自分が思えるレベルでのポイント立てをしたらいいのかも。


話の筋は決めず、裏山にポツンとのび太一人の風景、という点を真ん中に置く。

解決策③ あとで構造にする

もうこれにつきるんだよなあ、結局は。
私の場合は、書いて初めて意味が見つけられるし、書くことによって書きたいことを発掘していくような作業をしてる。なので、書きながら掘って、掘りながら出てきて、出てきたものを並べて、ようやく意味が見つかって、ここまできてやっと、構造を考えられる。

ほな、書き終わった後に、論にしたがって整えていくのがいいのでは?…て、なりますよね。

ただこれめちゃくちゃ労力がかかるし、短編ならなんとか着地できても長編になるとリスキーだよなぁ〜。

今のところ、①②を駆使して今より少しやりやすい形で構造に挑んでみようかなと。ほんで、あかんかったら③で!

とにかく、自分の思考スタイルが構造論をそもそも拒否してたって気づけたのは、大きな収穫になりました。同じような仲間いるかなあ。

無理やりやって、自分の楽しい創作スタイルをぶっ潰すのではなく、自分に合う形に創作論や構造のいいところを取り入れていけたらいいよね。

作ってこ!自分だけの創作論!!


読んでいただきありがとうございます。
ほんと、こういう、構成がものをいうような記事…

苦手だよなあ!!


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